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カメルーン共和国

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詳細 2018年10月2日 14:51更新

カメルーン共和国(カメルーンきょうわこく)、通称カメルーンは、アフリカ中部の国。首都はヤウンデ。

西から時計回りにナイジェリア、チャド、中央アフリカ、コンゴ共和国、ガボン、赤道ギニアに隣接し、南西部が大西洋ギニア湾に面する。

旧ドイツ植民地からイギリスとフランスの植民地に分かれた経緯がある。非同盟路線を歩むが、経済、文化、軍事面でフランスとの関係が深い。1995年にイギリス連邦に加盟した。

【 国旗の意味や由来など 】
緑は国の南部の森林地帯を、黄は輝く太陽と北部のサバンナを、中央の赤は両者の団結と耕作地帯を、星は栄光を象徴する。

カメルーン内の遺跡からたどれる歴史は約8000年前まで遡ることができる。カメルーンの先住民はピグミーのバカ族である。バンツー語族はカメルーン高地に起源をもつが、侵入者が現れる前に他地域へ移動してしまった。

エンリケ航海王子の死から10年後、1470年12月にポルトガル人がカメルーンに到達。ただし、拠点を築くことはなかった。

1806年にイスラム系王国の支配下におかれた。1870年代になると、ドイツがヨーロッパ内の強国となり、併せて沿岸部の都市ドゥアラを中心に入植が始まる。1884年にはドイツ保護領(ドイツ植民地帝国)となる。1911年、ドイツが全土を掌握。

ドイツが敗れた第一次世界大戦後、ベルサイユ条約の規定により、1922年には西部がイギリスの「西カメルーン」、東部がフランスの「東カメルーン」として委任統治領となる。第二次世界大戦中、ドゴールの自由フランスの拠点の一つとなった。戦後、1946年には信託統治領となり、1957年、東カメルーンには自治が認められた。

アフリカの年でもある1960年、フランス領カメルーンが独立した。大統領は北部出身のイスラム教徒アフマドゥ・アヒジョである。イギリス領カメルーンは北部と南部で別々に住民投票を実施した結果、1961年には北部がナイジェリアと合併、南部はカメルーンとの連邦制となった。1972年、連邦制を廃止し、国名をカメルーン連合共和国に変更した。アヒジョ大統領は1965年、1970年、1975年、1980年の大統領選挙で再選されたが、彼のカメルーン人民民主連合の一党支配が嫌われ、1981年に政党を合法化、1982年には辞任した。南部出身の現大統領ポール・ビヤは就任後、何度も選挙に勝ち残ったが、選挙自体の公正さに疑問もある。1984年には国名を現在のカメルーン共和国に変更した。

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