英国の生んだ孤高の吟遊詩人。
ANTHONY PHILLIPS
が好きでたまらない人の
コミュニティ。
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以下(wikipedia)より
アンソニー・フィリップス (Anthony Phillips,ニックネーム"Ant",1951年12月23日 - )は、ジェネシスの創設者の一人として知られる、イギリス・ロンドン出身の音楽家である。ジェネシスが二枚目のアルバムTrespass(『侵入』)をリリースした後、1970年に脱退するまで、ギターとバックボーカルを担当していた。特に12弦ギターの演奏で知られており、彼の影響は初期ジェネシスのサウンドに大きく貢献している。
アンソニー脱退後に初めて制作されたアルバムであるNursery Crymeはアンソニーがバンドに残していった影響を深く受けている(特にThe Musical BoxとThe Fountain of Salmacisの二曲)。The Musical Boxはいまだにファンの間で人気が高いが、作曲面におけるアンソニーの貢献を知る者はほとんどいない。
ジェネシスを去った後、アンソニーはクラシック音楽(特にクラシック・ギター)を学び、なかんずくハリー・ウィリアムソン, マイク・ラザフォード、フィル・コリンズらとレコーディングを行った。彼の最初のソロアルバムであるThe Geese And The Ghostは1977年に発表された。その作品には牧歌的なバラードと幅広い作曲性が詰め込まれてはいたが、時のパンク音楽ブームの隆盛によりさほど注目されるには至らず、セールスの成功にはつながらなかった。
アンソニーは1978年にWise After The Eventという二枚目のアルバムをリリースした。翌年に発表されたその次のアルバムであるSidesでも同じような作風がとられた。この両方のアルバムはメインストリームの音楽ファンを意識してはいたが、やはり成功には至らなかった。
"Sides"はPrivate Parts and Piecesと題されたより実験的なアルバムへと結実する。さらにPrivate Parts and Pieces IIが翌年にリリースされ、このPrivate Parts and Piecesシリーズはさらに1980年代から現在に至るまで十作品を数える連作アルバムとなる。
1980年、アンソニーはキャメルというバンドにいたアンディ・ラティマー とともに作品を書き始めた。これはThe Single Factor(1981年リリース)というバンドアルバムとして発表された。
1984年、アンソニーはInvisible Menというメインストリーム風のポップアルバムをリリースした。彼は後にこのアルバム計画を商業的なプレッシャーが生んだ「とんでもない失敗」であると発言した。それ以降、彼はより特殊な作品を制作するためにメインストリームにおける成功に関しては遠避けるようになった。
アンソニーはイギリスにおける様々なサウンドトラック制作を含めて、多様な音楽プロジェクトをたちあげている。1990年代中頃にはThe Living Room Concertというアルバムをリリースしている。これは初期作品をソロで演奏したアコースティックギター・バージョンの作品である。そして、前述のPrivate Parts and Piecesシリーズに加えて、それらにも収まらないドキュメンタリ映像やCMのための音楽はMissing Linksシリーズ、さらに未発表曲、未公開バージョンなどはArchives Collectionシリーズとしてリリースされている。
また、彼は1998年にリリースされた最初のジェネシスボックスセットにアーカイブ作品を提供した。 ちなみに、彼のアルバムのアートワークのいくつかはピーター・クロスの手によるものである。
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genesis 英国 トラッド