詩人谷川俊太郎の父にして、高名かつ偉大な人物。生涯にわたり書生の精神を貫き、哲学、思想、美術など幅広い分野において多大な貢献をした。哀愁のある人間らしい容姿とその語り口は各界の聡明な人材に愛され、彼の慧悟は常に厚い信頼を得た。
谷川先生は生涯を通してゲーテの「ファウスト」道元の「正法眼蔵」に多大な影響を受けたようです。また青春期はホイットマンなどを愛読してたようです。
■年表(常滑市HPより引用)
明治28年 常滑町保示(常滑市保示町)に生まれる。
大正11年 京都帝国大学文学部哲学科卒業
昭和3年 法政大学文学部哲学科教授
昭和21年 帝室博物館次長
昭和23年 法政大学文学部長(〜昭和33年)
昭和38年 法政大学総長(〜昭和40年)
昭和41年 法政大学名誉教授
昭和47年 常滑市長三賞陶芸展審査委員長(〜昭和60年)
昭和50年 日本芸術院会員 NHK放送文化賞受賞
昭和53年 (財)鈴渓学術財団理事長
昭和59年 (財)明治村理事長
昭和62年 文化功労者。常滑市名誉市民
平成元年 9月27日東京都杉並区の自宅にて永眠
従三位、勲一等瑞宝章を贈られる。
より詳しい説明は以下web参照
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*(転載写真HPより)