フランス人の両親の間に生まれる。5歳でピアノを始め、早くから天才といわれた。1934年、一家でニースに戻った時、アルフレッド・コルトーに見出されて1936年にエコールノルマル音楽院に入学、1938年にはパリ音楽院に入学後はマルグリット・ロン、イヴォンヌ・ルフェビュールに師事。その後1940年に音楽院を首席で卒業。
1943年には第1回目のロン=ティボー国際コンクールで優勝。その後1947年にアメリカデビューを飾り、その後も各地で演奏活動を行う。
ドビュッシーのピアノ作品全集を完了する直前、心臓発作のため急逝。46歳の若さだった。
フランソワはロンの最後の生徒の一人であったが、彼の態度は少し他とは一線を画すいたずらっ子のような様相を呈していた(従順ではなかった)ため、ロンも手を焼いたという。しかしながら、78回転時代に吹き込んだラヴェルの「夜のガスパール」の『スカルボ』は、未だに超高速演奏でありながら名演である点で稀有な例であり、これだけの才能なら悪戯されてもしかたがないと思われてもおかしくないくらいの出来栄えである。
困ったときには