幕末、北越の譜代小藩に生まれた河合継之助は、幕府にも新政府軍にも組しない武装中立を目指し、独自の藩政改革を断行。
やがて、大政奉還・王政復古後、長岡にも官軍が迫る。
無条件即時恭順を要求する官軍との交渉に失敗した継之助は自ら戦の指揮をとり官軍を散々苦しめる、一度は奪われた城を奪還。しかし官軍の大反攻にあえなく負傷・敗走、会津に逃れる途中で亡くなります。
死期を予感した継之助は下僕に己の棺おけを作ることを命じます。
辞世の句
八十里、腰抜け武士の越す峠
武士の世の終焉を予期しながら最後まで武士としての立場にこだわり、散っていった、北越の蒼龍窟が好きな方どうぞ。
*トピックの作成は自由ですが、重複のトピック作成はお止めください。
http://
↑初めまして、挨拶のトピックはこちらです。
http://
↑写真関連のトピです。
検索:越後、長岡、戊辰戦争、幕末、明治、官軍、
北越戦争、新潟、山本五十六、米百表、銃卒隊、
銃士隊、スネル、ガトリング砲、山県、時山、
牧野、方谷、会津、桑名、京都所司代、新潟
雷神隊、小千谷