海軍において根強かった艦隊決戦主義や大艦巨砲主義に基づく編成の方針転換もあり、昭和19年2月に戦艦中心の第一艦隊が解散されたこともあり、空母等の機動力を主力にすべく、第一航空艦隊の後継で空母主力だった第三艦隊を中心に翌3月に創設された。
第一機動艦隊としての初陣は同年6月19日から20日のマリアナ沖海戦であるが、この戦いで300機以上の航空機を失ってしまい、機動部隊としての体をなさなくなってしまう。また、第三艦隊から発進した攻撃隊が第二艦隊の上空を通過して敵艦隊に向かう際、第二艦隊から誤射を受け被害を出すなど用兵が裏目に出てしまう。
マリアナ沖での敗北後艦隊は本土に戻るが、捷号作戦準備のため第二艦隊は南方に移動、第三艦隊は本土待機となる。同年10月23日から25日のレイテ沖海戦に両艦隊が参加するも、第三艦隊はエンガノ岬沖海戦で出撃した空母4隻全てが撃沈され、第二艦隊も艦艇の多くを失ってしまう。
第三艦隊は出撃した空母全てを失ったことで機動部隊としての作戦が取れなくなったことから解隊となり、機動部隊を失った第一機動艦隊も同日解隊された。
残された第二艦隊は連合艦隊の隷下に移され、沖縄戦における坊ノ岬沖海戦で壊滅した。
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