「どうしても誰か行かなければならないとすれば、云われた俺が断る手はないではないか。これが若いものならば、赤紙一枚で、否応なしに行かなければならないのではないか。それを俺が固辞できる自由をいいことに断ったとなれば、俺はもう卑怯者として外も歩けなくなる。俺が行かねば誰か行かねばならないではないか。俺は死にたくないから誰か行って死ねとはいえない。」
沖縄戦を目前に控えた昭和20年1月、沖縄県知事の内命を即諾し、敢然と戦場の島に赴任した島田叡。わずか数ヶ月の在任期間にもかかわらず「沖縄の島守」として永久に生き続けることになった彼の生き様から、人間行為の極致美のなんたるかを理解することができる。