〜大正の音色・ 大正の灯・ かぎりなき夢二の世界〜
かぎりなき夢二の世界
明治17年、岡山県の酒屋に生まれた夢二は、早稲田実業在学中の明治38年、コマ絵「筒井筒」の一等入選により、初めて世に名をあらわしました。
24歳のとき最初の妻たまきと結婚し長男虹之助をもうけましたが、2年で協議離婚。20代後半、夢二は実に多くの画集を刊行するほか、あの有名な詩『宵待草』を発表しました。
大正の灯
大正3年、夢二は日本橋に港屋絵草子店を開き、ここで生涯の恋人彦乃と出会います。人目を忍ぶ二人の恋は、交わす恋文のなかで「山」「河」と呼び合う哀しくはかないものでした。
大正の音色
大正6年、夢二と彦乃は金沢・湯桶温泉を旅し、この旅が夢二と彦乃の生涯最高の思い出の旅となりました。翌年の大正7年、彦乃は病に倒れ、父の手に奪いかえされてしまったからです。彦乃はまもなく25歳の短い生涯を終えました。彦乃をなくし茫然自失の夢二はそののち数々の女性を愛しましたが、その悲しみが消えることは生涯ありませんでした。
晩年の夢二(青山河物語)
心の傷を癒すように、夢二は「山」を、榛名をこよなく愛しました。
『あらゆる事物が破壊の時期にありながら、未だ建設のプランは示されていない。しかもわれわれは生活せねばならない。
快適な生活のためには各々が自己の生活、衣食住から建てていかねばならない。そういう我々の生活条項を満たしてくれるために、幸い榛名山上に若干の土地が与えられた。榛名山美術研究所をそこに設ける所以である。
1935年5月 榛名山美術研究所 竹 久 夢 二』
竹久夢二伊香保記念館
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竹久夢二 オンライン
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