アルビレックス新潟のサポーターの集まり。
源流は、北信越リーグに所属していた新潟明訓高校サッカー部OBチームの「新潟イレブン」(1955年創立)。
2002年ワールドカップ開催に日本がホストカントリーに立候補し、1991年、日本サッカー協会が全国から開催都市を募集した時に、新潟県が開催地として名乗りをあげた。
新潟県に招致委員会ができた時、招致活動の一環として、地元にプロクラブへと育つようなチームがなければいけないということで、「新潟イレブン」に、新潟県で2強を誇った新潟工業高校サッカー部OBチームの「新潟蹴友会」のメンバーを加えて「アルビレオ新潟」を結成。
1994年には、読売クラブ(現・東京ヴェルディ)の指揮をとったこともある、オランダ人のバルコムを指揮官として招聘するも、北信越リーグ3位。
翌1995年、外国人3人加えるも、全国地域リーグ(当時のJFL昇格できる大会)に進出できず。
1996年、北信越リーグ優勝。全国地域リーグ・予選リーグ敗退。12月にワールドカップ新潟開催が決定。
1997年、商標の関係で「アルビレックス新潟」に変更。北信越リーグ優勝、全国地域リーグでも好結果を残し、1999年からのJ2入りを決める。この年も、赤字を計上しチーム存続の危機を迎えていた。後援会からのサポートプラス、当時の社長・池田弘が私財8600万円を投入し、増資することで危機を回避。
1998年、JFL参戦。オフに26人中17人と契約更新せず。激震が走ったが、翌99年からのJ2参戦を向けてステップアップを図る。
J2初年度、永井良和監督2年目の1999年、開幕7連勝でスタート。結果4位。
2000年、J2・7位。
2001年、反町康治新監督を迎える。5月19日。対 京都パープルサンガ戦にて新潟スタジアム・ビッグスワンこけらおとし。J2・4位。
2002年、ワールドカップ日韓大会開催。J2・3位。
2003年11月23日 対 大宮アルディージャ戦1−0で勝利。J2優勝・J1昇格決定。
2004年、J1初年度、1stステージ14位、2ndステージ7位、年間順位10位。10月23日に新潟県中越地震発生。
2005年、J1・12位。
2006年、鈴木淳監督就任。J1・14位。
2007年。7月16日新潟県中越沖地震発生。J1・6位。
2008年、J1・13位。
2009年、J1・8位。
2010年、黒崎久志監督就任。J1・9位。FW・矢野貴章、ワールドカップ南アフリカ大会メンバーに選出。
2011年、J1・14位。3月11日14:56東日本大震災、3月12日03:59長野・新潟中越地震発生。無事だった方には更に注意を、亡くなった方にはご冥福をお祈りします。
がんばろう!ニッポン!
2012年 5月31日、成績不振の責任をとり、監督・黒崎久志、ヘッドコーチ・西ヶ谷隆之、両氏が辞任。ユース監督から転任した上野展裕ヘッドコーチによる監督代行を経て。6月11日、柳下正明が就任(上野ヘッドコーチはユース監督に復任)。12月1日土曜日第34節、ホームで札幌に4−1で快勝!神戸、G大阪を抜き、J1・15位へ。J1残留!
2013年 J1、第7位。
※管理人より
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