最高のボーカリスト「氷室京介」。
彼の持ち味は、あの少し癖のあるハスキーボイス、そして語尾のイントネーション、激しいライブパフォーマンス!!
持ち味を上げればキリがない☆笑
1980年7月8日、スピニッジ・パワーを脱退し、高校時代の氷室のライバル・バンドにいた布袋寅泰とバンドを結成。
この時、6人での「暴威」が結成された!
そして、82年にバンド名を”暴威”から”BOφWY”へと変更する。同じ頃”氷室狂介”を”氷室京介”と改名。
多くのヒット曲を世に送り出し、当時のバンドブームの引き金となった。
しかし、その一方次第にメンバーの方向性の違いが現れ始める。
そして………
1987年12月24日
この日、ツアーのファイナルとなる渋谷公会堂前には入りきれなかったファンで埋め尽くされた。
このライブで解散すると言う噂がマスコミを通じて広まっていたからである。
人気の絶頂とは裏腹に出た杭は打たれるように各週刊誌や新聞などのマスコミに叩かれ・・・・・・・・・・
それでもBOφWYは反抗するようにその傷つけられた牙をむき続けた・・・・・・・
そしてステージでは氷室が重大な発表をしようとしていた。。。。
『今日はみんなにちょっと言わなくちゃいけないことがひとつあって...
6年間、BOφWYをやってきました。
誰がなんと言おうと、日本で一番かっこいいバンドだったと思います。
高橋まことと松井常松と布袋寅泰と氷室京介が4人が...
4人が思いっきり4人でできる音楽を6年間やってきました。
これから、ひとりひとりが、ひとりひとりのために、今まで4人でしかできなかった音楽をやってきたように、
ひとりひとりこれからやっていこうと思います。
フォークのバンドじゃねぇんだから、じめっとするのは似合わねぇと思うから、最後にびしっと送るぜ!!
Dreamin’!!』
中での騒ぎから公会堂に入れなかった外のファンは情報提供を求め暴動を起こした。
事体を重く見た関係者はステージでの氷室のコメントを発表する。
すると、さっきまで暴れたいたのが嘘のようにその場で膝を付き泣き崩れるファン達・・・・・・・・・
翌年行われた東京ドームでのライブを最後にBOφWYは正式に解散した。
そして、1988年、氷室京介はシングル『ANGEL』でソロデビュー!!
解散後は、現在に至るまで一貫してソロ活動を行っている。
こうして、氷室はボーカリストとしての地位を築け上げた。そしてGLAYなど数々のアーティストが目標とし、彼をリスペクトしてきた。
先日のGLAYとのコラボ「GLAY feat.KYOSUKE HIMORO」以来氷室も後輩世代との対談や活動を共にすることで新しい境地へと踏み出し始めてきている。
2006年12月22日の「僕らの音楽」ではゆずと対談を行い、自分の家庭での話など、滅多に聞けないような貴重な話を聞くことが出来た。
そして、2007年2月24日からは「IN THE MOOD」、久々のツアーが始まる!!
BOφWY・氷室など大好きな方是非登録してください☆
☆氷室京介の最新情報☆
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