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FMwaseda 76.5MHz

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詳細 2023年7月6日 18:03更新

早稲田大学 音楽系放送企画サークル since 1996
気づけばこんなに大きくなりました。
マスコミに進むOB・OG多数
IT系も多数(なんでだろう)
っていうか色々います

FM wasedaでも、FM早稲田でも、エフエムワセダでも、エフエム早稲田でも、FMWASEDAでもありません。
FMwaseda。
これ重要。

HP:
http://seirei.ath.cx/fmwaseda/

OB・OG HP:
http://www.holsety.net/fmwaseda/

小史
1996年4月
前身は全米トップ40研究会。
全米トップ40研究会では当時やる事がない、つまりサークルとしての活動が全くなかった。以前は近くの喫茶店(まほうつかいのでし。当時、サークル員の一人がバイトをしてた縁だとか。後に常時放送を始めた時、店内に流してもらえたのもその縁らしい。)でDJのようなことがやらせてもらえたのだが、そういう場所がなくなったために、それに変わる新たな活動としてFM放送をやろうという事になった。

そして始まったのがFMwaseda。ちなみにこの年の前期には特に活動はなかった。夏ごろ「早稲田祭でブースをだして生放送やる」ことになり、FMwasedaが経験した唯一の早稲田祭(当時は大学と学生の共催で、現在は学生単独主催)で生放送!(高田馬場の駅まで電波が飛んでいたという逸話を残す)。周波数は76.5MHz。サークルの正式名称は実は、「FMwaseda 76.5MHz」である。

部室は、ワセ弁裏に借りた。97年春頃から借りたらしい。バス・トイレ付4畳半管理費込み4万2千円。夏暑く、冬寒い。冷房はあったがあんまり意味がなかった。誰かが持ち込んだTVや、サークルの看板など色々詰め込んでいて汚かった。風呂は完全に物置。

1997年4月
せっかくサークルを作ったということで、新歓を行うことになった。97年度入学生が事実上、FMwasedaが初めて迎えた新入生。全米TOP40はこの頃から新歓をやめていたようだ。

1997年6月9日
初めての学内での常時放送。
ちなみに初めてアンテナが設置されたのが4月25日。アンテナは西早稲田キャンパス4号館(政経ラウンジ)の正面玄関の上の屋根に勝手に取り付けた。そこから壁伝いに裏からラウンジに配線して、ラウンジ内に機材を設置していた。(2007年1月現在、まだ取り付けたパテや金具のあとが残ってる)

この年の後期、当時の二学(第二学生会館。現在の大隈記念タワーがある場所に建てられていた。)から放送についてクレームがついたらしい。曰く電波の混信でテレビ画面が乱れるという苦情が来たとか。しかしもっと広い範囲に電波を飛ばしていた前期にはそんな苦情もなかったため、当時のメンバーは学生課がいちゃもん付けていると感じていたらしい。早稲田祭中止で自治会の動きを警戒していた時期だから、「メディア」を持つFMwasedaに不信感を持っていたのかもしれない。
このころ第2学生会館内の館内放送でNHKのFM放送が流れていたので、ぜひFMwasedaを流してくれと交渉しに行ったことがあったらしい。ところが、「第2学生会館はチューナーを固定しているので他のチャンネルを流すことはできない」と断られたそうだ。

当時のFmwasedaは拡大志向が強く、渉外による各レコード会社回りや様々な試みが盛んだった(FMwasedaレーベル構想や、アマチュアバンド発掘など)。

1997年11月23日
広告研究会の主催する「VIVA WASEDA」に参加。
有明で行われるフリーマーケットの会場で、特設ブースを出して生放送(電波は出していない)。

97年ごろ初めてのホームページ作成。URLは http://www.alt.cup.com/fmwaseda/

1998年4月
学生としては全国初のCD-EXTRAマガジン、「A/D」のSOUND GALLELYに参加。
(FMwasedaは曲間のオリジナルジングル、早稲田内のアマチュアバンドと編集・連携作業など全てに関わる。なおこのCDは新入生に無料配布されている)

1998年12月11日
西早稲田キャンパス4号館ラウンジより98年度後期放送最終日生放送スペシャルを放送。
(4号館ラウンジからの生放送。98年唯一のイベント放送。お昼から夕方まで全編生放送というのは常時放送としては初めての試み)

1999年4月
CD-EXTRAマガジン、「A/D2」のSOUND GALLERYに参加。
1999年6月25日
西早稲田キャンパス4号館ラウンジより99年度前期放送最終日生放送スペシャル放送。
(4号館ラウンジから生放送)

1999年8月
CNB(Campus Network Broadcast) Beach Side FM in Oisoに参加。大磯ロングビーチから生放送 を行う。
(広告研究会が各大学の放送系サークルに声をかけ広告代理店のバックアップを受けて大磯ロングビーチから日替わり担当の帯プログラムをビーチサイドFMとして放送。FMwasedaは8月中毎週金曜日を担当[全5回]。)

1999年11月
新星堂吉祥寺店 DISK INN SHINSEIDO の店内放送開始。
[20]や新星堂のランキングを元にしたカレッジチャート番組。

1999年11月25、26日
実質的な早稲田祭代替イベント「サークル共同企画:早稲田わせだワセダ'99」に参加。大隈講堂前にブースを出し、生放送を行う。(放送研究会主導のイベントに参加。2日間お昼休みにブースを出して放送。初日はFMwaseda[20]という番組の通常版生放送、2日目はFMwaseda Awardと題したベストアーティスト賞を選ぶ番組を放送。2日目は放送研究会とのタイアップで映像ジョイントも行った。)

1999年12月10日
西早稲田キャンパス4号館ラウンジより99年度後期放送最終日生放送スペシャルを放送。

2000年2月15日
2代目ホームページ開設。URLは http://www.webs.to/fmwaseda/

2000年5月
インターネットラジオ放送をスタート。
ホームページ上に常時放送で放送した番組を再放送した。しかしJASRACのインターネット上の音楽に関する著作権の見解や、番組をストーリーミング化できる人材の不足、ウェブ領域の問題などをクリアしきれず後に中止。

2000年6月30日
前期最終回特番を旧8号館前ブースより生放送。

2000年12月6日
第二学生会館(当時)において番組発表会を開催。(サークル内部での発表会。)

2000年12月7、8日
後期最終回特番と「FMwaseda Award」を2日間にわたって8号館前ブースより生放送(1日目はFMwaseda年間チャート、2日目はFMwaseda Award2000を放送。)

2001年3月頃
ワセ弁裏の部室を引き払う。理由は部屋代徴収の難しさとサークル員減少による収入減。
創設以来サークル費徴収に関しては様々な試行錯誤があった。部室利用頻度によって部費を変えるのか、一律で徴収するのか、番組単位で徴収するのか等等。部室代約50万を賄うのに、現実には幹部学年が大半をカバーしていた。他にも機材の補修費、サークル活動費などコストがかさみ、財政は綱渡り状態だった。この年の秋に新学生会館が完成予定で、部室を申請できることになっていたので引き払うことになった。

2001年4月1〜4日
4号館のラウンジ獲りに敗れる。相手は万歩会。
部室撤退、ラウンジ消滅で事実上従来の学内放送は不可能になった。
新入生歓迎プログラムを1号館前ブースから生放送。(音楽チャート・イントロクイズ・ラジオドラマ・サークル紹介など。サークルプロモーションビデオも放映。)

2001年8月
新学生会館完成、日替わり部室を週1日だけもらう。

2001年11月13〜17日
よ〜しもっと!!FMwasedaを新学生会館にて開催。(吉本興業の若手お笑い芸人4組、ダイノジ・ロバート・ハリガネロック・ニブンノゴ!そしてスペシャルゲストとして130Rを招いて日替わりで公開生放送。のべ700人を動員。)

2002年3月10日
第2回番組発表会を新学生会館で開催。(7作品がCD化。新入生を中心に無料配布。)

2002年5月
3代目ホームページ。
http://www.iki.co.jp/~fmwaseda/ (http://www.voo.to/fmwaseda/)
偶然DWS(Digital Waseda Students)に関わっていた白石信さんと知り合いになり、その縁でFMwasedaのウェブ領域をタダで借りることができた。

2002年11月
丸6年開催が無かった早稲田祭が復活。結局従来の大学と学生の共催という形の復活はならず、学生単独主催となった。7号館で行ったイベントにはスペシャルゲストとして我那覇美奈を招待。

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2005年3月6日

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カテゴリ
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