『さくらさんと博さんの愛の結晶』
満男
親と一緒に見ていた男はつらいよ。
最初はよくわからなかったけど、
『あーもう凧揚がっちゃった』
なんて思うようになった頃から満男ばかりを見ていました。
そのころ僕はまだ高校生でちょうど感情移入しやすかったんでしょうね。
あったかいさくらさん達に囲まれて、
なかなかわがままに育っていった満男。
満男が悩んだことを一緒に悩んでいました。
恋のこと、これからのこと。
満男のリアクションにふがいなさを感じることもありましたが、今でも時々満男に会いたくなります。
満男は愛されています。
さくらさん、博さん、おいちゃん、おばちゃん、商店街の皆さん、御前様、源ちゃん、それともちろん寅さんにも。
困ったときにいつも思い浮かべるおじさんのこと。
エジソンバンド買ってくるようなおじさんをもつ満男。
すべてがあたたかい映画ですので誰がどうというわけではないのですが、ここでは満男が主役です。
探したけど無かったんです。
満男人気無いんですか?
満男の出番が増えていったときは嬉しかったけど、
それだけ寅さんの体調がすぐれないんだろうとちょっと寂しくなったのを覚えています。
最後の五本くらいは正月になると映画館まで父親と見に行っていました。
大宮の映画館で、幕が上がって東映の富士山が出ていつもの音楽がかかると、館内に拍手が起こるんです。
寅さんが出ても拍手。
タコ社長が出ると笑い。
こんな雰囲気が実際にあるのかと思うほどアットホームな館内だったことを覚えています。
満男のナレーションより。
おじさん、世の中でいちばん美しいものが恋なのに、どうして恋をする人間はこんなにぶざまなんだろう。
こんどの旅でぼくが分かったことは、ぼくにはもうおじさんのみっともない恋愛を笑う資格なんかないということなんだ。
いや、それどころか、おじさんのぶざまな姿がまるで自分のことのように哀しく思えてならないんだ。
だから、もうこれからはおじさんを笑わないことに決めた。
だって、おじさんを笑うことは、ぼく自信を笑うことなんだからな。
拝啓、車寅次郎様。
おじさん、ぼくはこの頃、おじさんに似てきたと言われます。
言う人は悪口のつもりなんだけど、ぼくには、それが悪口に聞こえないのです。
おじさんは、他人の哀しみや寂しさをよく理解できる人間なんだ。
その点において、ぼくはおじさんを認めているからです。
『おじさぁーん!』
困ったときには