星の数ほどいると言われるジャマイカン・ラガマフィンの中で、もっとも優れたエンターテイナー、それがタイガー。
クレイジーなうなり声を上げたかと思いきや、次のスレーズでは別人のような声で止めどなくライムを紡ぎだす声の魔術師。
しかし、意外にも彼のデビューはシンガーとして歌モノをレコーディングしたことに端を発している。
81年ごろに現在のラガマフィン・スタイルに転向し、サウンド・システム「ブラック.スター」で一躍有名に。
85年に、初のビッグ.ヒット「No Wanga Gut」「No Puppy Love」をリリース。このヒットがきっかけで、大手レーベル<Mango>からセルフ・プロデュースによるデビュー・アルバムを発表した。これによってジャマイカでもトップDJとなり、ハリー・Jと「Sitting In La La」をレコーディングする他、自らのレーベル<Tiger>、さらに<Kangal><Ayeola>など、複数のレーベルで次々とシングルを制作。89年には、キング・ジャミー、ガッシー・クラーク、スライ&ロビー、スティーリー&クリーヴィーら当時のトップ.プロデューサーたちと精力的なコラボレーションに乗り出し、再び人気が爆発した。シーンに再浮上した彼は、90年、ラップ・グループ“ファット.ボーイズ”と共演し、ジャマイカンDJとして初めてUSヒップホップ・シーンにその名を印象づけたのだった。
その後、活動の場を海外にも広げ、イギリスのグループ、ブランニュー・ヘヴィーズのアルバムに、ブラック・シープ、ギャング・スターらラップ勢と共に参加。92年には、ヒップホップとラガのクロスオーヴァーにチャレンジした画期的なシングル「When」で、当時ジャマイカに沸き起こった新しいスタイル「ボーグル」の先導役となり得たのであった。
その後も「Crying Fool」「Yuh Dead Now」らのヒットを飛ばし、93年、大手<コロムビア>よりアルバム『Claws Of The Cat』をリリース。――が、明るい未来が約束されたかのように見えたその矢先、愛車のバイクを運転中、大事故に見舞われてしまう……。
奇跡的に一命をとりとめたものの、まだ彼の新しいシングルは当分聴けそうにない。1日も早い復帰を願うばかりだ。
$$参加資格$$
* あのダミ声を聞いた瞬間我を忘れてしまう
* 心の底から彼が一番勢いずいていた頃への復活を願う
* 彼は天才コメディアンだと思う
* 隠れたBig Tune 「BAD TALK」が一番ヤバいと本気で思う
* Voice MailよりTigerだろ
* ダサかっこいい
ひとつでも共感できる部分があれば参加してください。
$$検索キーワード$$
Tiger,Dancehall Classic,Bam Bam,Hide & Seek,Steely&Clevie,Wild Apache,Techniques,Penthouse,Jammys,Me Name Tiger, Wha Do Dem So,No Puppy Love,