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Jaeger-LeCoultre
女性は女性向けのみと思っている、男性は男性向けのみと思っている人が多いブランド。
浮気しない固定客が多いのも特徴。
レザーブランドや馬術界とも緊密な関係を持ち、創業以降、1,200種類以上のキャリバーを製造し、約400件の特許を取得、数百の発明を成している。
1932年から1985年頃まで、北米ではルクルトの名で腕時計が販売されたため、現在でも略称の発音はルクルト。
1833年にアントワーヌ・ルクルトがスイスのル・サンティエに開いた工房から始まります。
創業者のアントワーヌ・ルクルトは、時計の製作に必要な工具まで開発する才気あふれた職人だった。彼の手がけた工具のなかでも、ミクロン単位で計測できる「ミリオノメーター」は、その後の部品製作の精度向上に大きく貢献。1951年にロンドンで開催された第1回万国博覧会では、精密機械分野での業績が認められ、金賞を受賞している。さらに2代目のエリー・ルクルトにより、ジュウ渓谷最大のマニュファクチュールへと成長するのです。
エドモンド・ジャガーとの出会いは、1903年。彼が極薄ムーブをルクルト社に発注したとき、この難題に挑んだのが創業者の孫ジャック・ダヴィド・ルクルト。その真摯な姿勢に感銘を受け、ふたりに深い友情が芽生える。美的感覚に優れたジャガーと共に完成させた1.38mm厚のムーブによる世界一薄いポケットウォッチは、後のルクルトの出発点。
ふたりの持つ技術とセンスの融合は、すぐに次々と開発される優れた腕時計となって現れます。例えば1931年に誕生したレベルソがそれ。ポロの競技中に風防が割れる事故を防ぐために考案された反転ケースは、いつしかアールデコ時代を象徴する時計として不動の人気を獲得。現在も世界中で愛される名作となります。
その後もルクルトは、リューズを持たないフューチャーマティック(1953年)や世界初の自動巻きアラーム時計メモボックス(1956年)などを開発しています。