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橋本 忍コミュの羅生門

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コミュ内全体

コメント(24)

公開/1950年8月26日
上映時間/88分モノクロ
スタンダード大映作品
企画/本木荘二郎
制作/箕浦甚吾
原作/芥川竜之介『薮の中』
脚本/橋本忍、黒澤明
撮影/宮川一夫
照明/岡本健一
美術/松山崇
音楽/早坂文雄
録音/大谷巌

出演/三船敏郎、森雅之、
京マチ子、志村喬、
千秋実、上田吉二郎、
加東大介、本間文子、ほか

芥川竜之介原作「薮の中」を、黒澤独自
のタッチで再現。一つの事件に関わった
数人の男女の、自己保存心理が生み出す
事実の塗り替えを、各々の口で語らせる
ことにより、人間が本来持っている業を
余すところなく描き出す。

●1951年度ヴェネチア国際映画祭グラン
プリ

●1952年度アカデミー賞最優秀外国映画貰
物語

雨が激しく降りしきる荒廃した羅生門の下で、杣売と旅法師がうつむいている。
「わかんねえ・・・さっぱり、わかんねえ・・・」と杣売。
そこへ、雨宿りのため一人の下人が駆け込んできた。「・・・わかんねえ・・・さっぱり、わかんねえ・・・」 下人は二人に気づき近づいた。「何がわかんねえんだ?・・・」
旅法師「今日のような恐ろしい話は初めてだ・・・」 杣売と旅法師は「こんな不思議な話は聞いた事が無い」と下人に話し始めた。

杣売 「3日前だ。わしは山へ薪を切りに行った。」 森の中へ深く入って行く杣売。・・・ふと足を止めた先に男が死んでいた。慌てふためき山を駆け下りた杣売は役所に届け出た。おりしもその頃、放免(警官)が一人の山賊を捕らえていた。山賊は山の中で武士とその妻に出会い、武士を殺し、刀を奪ったのだ。

旅法師は武士と妻の二人連れを数刻前に見かけていた。杣売と旅法師は検非違使の庭で証言するとともに、これからの奇妙な証言を聞くことになる。

検非違使の庭での証言(1)・・・・・・・・・・・・・・・・
多襄丸(山賊・・三船敏郎)の証言

俺が森の中で昼寝をしていると、通りかかった男女があった。その時、たまたま吹いた風で笠の垂れ布がひるがえり女の顔が見えた。瞬間的に俺は女を手に入れることを決めた。

後を付けて行き、男を「この先に刀などを沢山隠してある。安く売り渡したい」と騙し、離れた場所へ連れて行って縛り上げた。そして女をそこへ連れて行った。すると女が短刀を抜き、いきなり切りかかってきた。
俺はこんな気性の激しい女は見たことが無い。しかし、力の差は歴然。男の目の前で強姦してやった。・・・

俺が立ち去ろうとした時、しばらく泣いていた女が顔を上げた。「どちらか一人死んで!私は生き残った男に連れ添いたい」
俺は男の縄を解き、戦った。男も立派に戦った(写真1)。そして俺が勝った。しかし、気が付いてみると女の姿はどこにも無かった。

検非違使の庭での証言(2)・・・・・・・・・・・・・・・
真砂(武士の妻・・京 マチ子)の証言

男は私を手篭めにした後立ち去りました。私はしばらく泣いていました。
そして、夫を見ると・・・・私はその時の夫の目を思い出すと、今でも体中の血が凍るような気がします・・・その目は、私をさげすんだ冷たい光だったのです。

「やめて!そんな目で私を見るのは・・・」
「私を殺してください!」私は短刀を差し出しました(写真2)。それでも夫は黙って私を見つめるだけで何もしません。「止めて!そんな目で私を見るのは・・・」私は恐怖と絶望のあまり気を失いました。・・・・・・

気がついたとき、夫の胸に刺さった短刀が冷たく光っていたのでございます。私はさまよい、池に身を投げましたが死に切れなかったのです。この愚かな私はいったい、どうすればよろしいのでしょうか。

下人「俺にも何が何だかわからなくなった」 杣売「嘘だ!あの女の話も、死んだ男の話も・・・」 下人「死んだ人間が話すのか?」 旅法師「巫女の口を借りて話す。私には死人まで嘘を言うとは信じられない・・・・」

検非違使の庭での証言(3)・・・・・・・・・・・・・・
金沢武弘(武士・・森 雅之)の証言:ただし、死人のため巫女の口を借りて

男は妻を手篭めにすると、そこに腰をおろし色々妻を慰めだした。
「自分の妻になる気はないか。俺はお前のためならどんなことでもする」その時、うっとりと顔を上げた妻の顔・・・私はあの時ほど美しい妻の顔を見たことが無い。その時妻は何と返事をしたか。「どこへでも連れて行ってください・・・」
二人は立ち去ろうとした、その時だ、あ〜・・・これほど呪われた言葉が一度でも人間の口を出たことがあろうか・・「あの人を殺してください!」妻が私を指差して言ったのだ(写真3)。「あの人が生きていては、私はあなたと行く訳にはまいりません。あの人を殺してください!」

男はそれを聞くと妻を突き飛ばし、足で踏みつけた。「おい、この女をどうするつもりだ。殺すか?助けるか?」 私はこの言葉で男の罪は許してもいいと思った。
「きゃー!」妻は隙をみて逃げた。男が追ったが、やがて見失ったらしく戻ってきた。そして、刀を奪うと立ち去ってしまった。

私は妻の短刀で自分の胸を刺した・・・・・・静かだ・・・・やがて、そっと誰かが近づき私の胸から静かに短刀を引き抜いた・・・・・・・・

「嘘だ!男の胸に短刀など無かった!あの男は太刀で刺されたんだ!」と
杣売。下人「おめえはどうやら一部始終を見ていたらしいな。話せよ」

杣売の証言(4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
杣売(焚き木売り・・志村 喬)の証言

多襄丸は女の前に手をついて謝っていた(写真4)。「俺の妻になってくれ!妻になると言ってくれ!」多襄丸はしつこく迫った。やがて、女が言った。「無理です。女の私に何が言えましょう」
「そうか、男同士で決めろというのだな」多襄丸は武士の縄を解いた。「待て!俺はこんな女のために命を賭けるのはごめんだ。」と武士は妻に言った。「二人の男に恥じを見せ、何故自害しようとせん!・・・こんな女は欲しけりゃくれてやる!」

多襄丸も急に嫌気が差し、立ち去ろうとした。「待って!」と女。「来るな!」再び女の号泣。「泣くな!」と武士。「まあ、そんなに未練がましくいじめるな。女は所詮このように他愛無いものなのだ。」と多襄丸。
泣いていた女の声がいきなり狂ったような嘲笑に変わった。「ハハハハハハッ・・・他愛無いのはお前達だ!・・・夫だったら何故この男を殺さない!賊を殺してこそ男じゃないか!・・・お前も男じゃない!多襄丸と聞いた時、この立場を助けてくれるのは多襄丸しかないと思った。・・・お前達は小利口なだけだ。・・・男は腰の太刀に賭けて女を自分のものにするものなんだ!」

まったく面目のつぶれた二人は、刀を抜いた。男達は口ほどにも無くだらしない。お互いを怯え、剣を交えるやさっと逃げる体たらくである。しかし、多襄丸がやっとの思いで武士を刺した時、女は悲鳴を上げて逃げ去った。多襄丸にはもはや、女を追う気力は無かった。

下人「どうやら今の話が一番本当らしいな」 杣売「わ、わしは嘘は言わねえ」 下人「だが、どこをどう信じようって言うんだ!」

その時、羅生門の奥の方から赤子の泣き声が聞こえてきた。行って見ると捨て子だ。下人はすかさず赤子の脇に添えてあった着物を持ち出した。「何をする!」杣売が下人に掴みかかった。
下人「へっ、こうでもしなきゃ、生きていけねえ世の中だ。そういうおめえはどうなんだ!検非違使の目は誤魔化せても俺は誤魔化されねえぞ!あの女の短刀はどうしたんだ。てめえが盗まねえで誰が盗むんだ!」 杣売「・・・・」 
「どうやら、図星らしいな」下人は悪態をつき、嘲笑いながら、まだ雨が降りしきる中を立ち去った。

羅生門の下、赤子を抱いた旅法師と杣売がぼんやり立ち尽くしている。
やがて雨が止んだ。杣売が旅法師の抱く赤子へ手を差し出した。とっさに身を引き、「この上、この子から身包み剥ぐつもりか!」と旅法師。 「・・・・うちには子供が六人いる。六人育てるも七人育てるも同じ苦労だ・・・」
旅法師「・・・私は・・恥ずかしいことを言ってしまったようだな」と赤子を杣売に手渡す。「無理もねえ、今日という今日は、人を信じられねえのも無理はねえ」杣売が赤子を抱き上げた。旅法師は言った。「お主のおかげで私は人を信じていくことが出来そうだ」

杣売が赤子を大事そうに抱えて羅生門を後にした。その姿に雨上がりの薄日が差していた。

映画館主から

芥川龍之介の小説「羅生門」と「藪の中」より材を得て作られた黒澤明の平安朝ミステリー時代劇。ストーリーの主な展開は「藪の中」より摂られ、その物語を繋ぐ舞台背景として「羅生門」のムードが効果を効かせています。

当時、大映の社長だった永田雅一でさえ、この映画の試写で途中で席を立ったといいます。その後も、海外で続々と受賞し始めるまで、「なんや、サッパリわからん」と、自分の会社の作品をこき下ろしていたとか。
映画評論家の大半も「羅生門」を評価しなかったにもかかわらず、ベネチア映画祭でグランプリ、米アカデミー特別賞(最優秀外国語映画賞)を受賞したとたん、手の平を返したように絶賛し始めました。こういう人種は私は好きにはなれません。

確かに芥川の小説同様、映画「羅生門」も難解です。小説に無いのは、下人に性格を与えたことです。ラストで赤子を登場させ、下人がその着物を剥ぎ取る。明らかに人の道を外れた行為を杣売と旅法師がなじります。その後、杣売が赤子を自分の家で育てることになり、旅法師同様、我々も人間に対する信頼を取り戻します。

芥川の「藪の中」は昔、中学生の頃読みました。細かいところは忘れましたが、真実は相対的なもの、人の見方でどうともなる。絶対的なものなど無い。さらに、そもそも真実などというものが存在するのだろうか?という、ニヒルな感想でした。
すべての真実に疑問を投げかけることで満足した、芥川の小説に無いラストシーンを創作したことは、正に希望の人、黒澤の成果でしょう。

アメリカ映画「暴行」(’64年、マーティン・リット監督、ポール・ニューマン主演)は「羅生門」を西部劇に置き換えた作品でしたが、出来がいまいちで、ほとんど話題になりませんでした。

早坂文雄作曲によるタイトルバックに流れる「近松座」の音楽は、MIDI作者、大文字様のご努力によるものです。

      参考文献:ドナルド・リチー著 「黒澤 明の映画」 キネマ旬報社
みんなのレビュー
【コメント】
法秩序の届かない山中で無法者の前に不意に現れた優美な女の色香が短いショットとフレーミングの巧みな組み合わせで表現されていて時間の進行配分も流石にうまい。京マチ子の指し示す指が女の魔性を見事に表し恐ろしくも美しい。白と黒の対比配分だけでかくも美しい画面が作れるのを驚く。【solo】10点(03/08/08 03:25)

 ↓で仰っている通り、確かに芥川の原作「藪の中」はアンブローズ・ビアスの「月あかりの道(原題:The Moonlight Road)」を範に取った…ってか、ぶっちゃけパクリです。が、黒澤自身と橋本忍によるシナリオは「藪の中」のお膳立てのみ拝借して独自の映画に昇華しております。原作に無い木こりを4人目の証人に立てるという大胆なアレンジ、(松山崇による)見事な迄に拘った平安の時代考証、(天才カメラマン・宮川一夫による)山中の暗さと木漏れ日のギラつく光との鮮やかなコントラスト、何よりも溌剌とした役者達(個人的には森雅之がベストかと…)の演技!!原作の提示した「真実は”藪の中”、誰にも分かりはしない…」というシニカルな哲学的テーマよりも、アグレッシブな人間の生命力、飽くなき執念を前面に打ち出しており、ベネチア映画祭金獅子賞に輝いたのは(「地獄門」のカンヌ・グランプリの如き)オリエンタル趣味だけではないコトが実によく理解できます。”世界のクロサワ”の名を一躍世界に轟かせた記念すべき1作として9点〜!やや観る人を選ぶみたいなので個人的に1点マイナスw。【へちょちょ星人】9点(03/07/20 08:16)

戦禍や天災、疫病といった不安と混乱の平安時代を背景に、一人の侍の死をめぐって2人の関係者と死者自身(巫女の口を借りて)に真相を語らせる。しかしみな言い分が違い、真相は分からないままである。殺された当人でさえ真実を語らない・・ラストのセリフに「本当のことが言えねぇのが人間さ、人間って奴は自分自身にさえ白状しねぇことが沢山あらぁな」というのがある。白黒はっきりさせスッキリ終わるのがお約束の映画で、こういう終わり方は驚きの新鮮さだった。白黒画面でも光を感じさせせ、躍動感あふれる森の中のカメラの動き、京マチ子の妖艶さ、他俳優の存在感などベネチアでグランプリを取って評価されたのも納得の出来映え。これが敗戦後まだ苦しい時代の日本だったから、今とは段違いのすごい喜びと誇りだったことだろう。【キリコ】9点(03/06/22 12:18)

人間の凄まじいまでのエゴ。すばらしい映像美と洗練された音楽、さすがです。「藪の中」もすき。【coco】10点(03/03/27 01:59)

人間とはすべからくエゴイストである。俗から離れた僧であっても、性善的なエゴを持つ。エゴが激しくぶつかりトコトン落としたところで雨が上がり一筋の光が差し込む。【木戸満】9点(03/06/15 11:06)

何がそんなに「恐ろしい」のか分かんない上に原作無視しすぎ。芥川に題材を取る必要なし。三船敏郎の演技も怪しい(-_-;) 結局のとこ何が言いたかったのかなあ。人間は善いトコも悪いトコもある?それとも何か深い深い意味があったろか……読めんかった。【マイキー】5点(03/06/10 01:18)

人間の主観の不確実性、利己性を描いている。最後のオチでは一見客観的に見える男の回想すらも、実は彼自身の主観に縛られていることが露見する。だけど救いを挿入すあたりは黒沢明の人間を信じたいという気持ちなんでしょうか?白黒だけど鮮やかにきらめく光と影に乾杯。すばらしいです。【幸楽】9点(03/06/09 00:19)

何人かの方がそうであったように、私もてっきり、教科書に載っていたこともあるあの「羅生門」かと勘違いして観ました。ですが、観てるうちに話にぐんぐん引き込まれて、そんなことはどうでもよくなってました。 登場する人物たちがそれぞれの立場で自己弁護をする時の、人間描写が非常に良かったと思います。残念ながら白黒なので、マイナス1点。【じゃん++】8点(03/06/04 03:11)

血みどろ〜とか切った刺されたという、直接の表現がないにも関わらず、見てる人の想像力を喚起させるという、なんだか恐い映画でした。最後まで登場人物が信じられなかったということもあり、赤ん坊を引き取った初老も何かしでかすんじゃないかと、疑ってしまった。あと、晴れってのはやっぱり視覚的にも安心するものなんだなぁと思いました。雨の音は好きですけど、豪雨は不安になる。面白かった★【そらにはほし】7点(03/06/01 01:49)

邦画で面白いなって思って数少ない作品の一つ。白黒苦手だけどみれた。はまる。【うさぽん☆】10点(03/05/28 00:15)

音楽がうるさい。ボレロの出来損ないみたいのが延々と流れるのはつらい。人間に対する性悪性も感じない。今の犯罪の方が、よっぽど恐ろしい。正直、古いと思いました。すいません。【山本】2点(03/05/09 04:02)

一番最初は中学生くらいの時に見たんだけど、何かすっごく印象に残った。ラストのシーンでそれまでのやるせない気持が晴れていくような気がします。【イサオマン】9点(03/05/05 21:48)

この作品は傑作だと思っています。人間への不信感を募らせておいて、それでも最後は「信じる」で終わることができる黒澤節。【ooo-oooo-o】10点(03/04/14 21:27)

雨のあがったラストが印象的だったなー、、、、。【あろえりーな】6点(03/03/31 13:57)

白黒なのに映像が美しい。ラストは原作のほうが謎めいていて好き。【ミサ】8点(03/02/14 05:58)

物事の解釈は、各人によって異なってしまう。しかし、各人にとってはそれが真実である。人間の本質を鋭く描いた原作を、黒澤流解釈で映像化した名作。冒頭からの激しい雨がやみ、希望の光と共に映画は終わる。【クロマス】8点(03/02/10 20:30)

芥川原作の「藪の中」が人間のネガティブな面を語っていたのに対し黒澤映画ではラストに希望を見出すと言う点がなかなかだと思った。三船敏郎、京マチコの顔はがいわゆる「のっぺり顔」ではないので外国人が見てもあまり違和感がないのではないでしょうか。実にりっぱな顔です。【Jade】8点(03/01/27 18:45)

この映画の気に入ったところはサイレンのようなトーキー映画を撮っているところ。鏡を使った照明、木の枝を使って出た光と影、巧みな撮影技術で神秘さと奥深さを感じさせる映像とそれを引きたてる音楽が非常に効果的だ。さらに俳優の表情、動きはすばらしいの一言。ラストに<救い>の演出をすることでこの映画の意味を明かにする。【カルビー】9点(02/12/17 10:05)

名作。日本の古い映画って眠くなりそうと思ってる人。そりゃ勘違いだ!一番眠くなるのはゴダールで、日本映画は全然見れるぞ!この作品なんて凄いんだからな!特に林の中で3人が向き合うシーンでのカット割りはもうありゃ神の領域ですわいな。緊迫感漂いまくり。とにかく見なきゃ駄目。ハリーを見るより黒澤を見てちょうだい!【すなぎも】9点(02/12/16 03:48)

「へえ、日本にも映画があるのか」とたかを括っていた欧米の映画関係者の度肝を抜いた作品。娯楽性と芸術性が高いレベルで昇華している。白黒の映像美(竹の葉っぱに墨汁の霧を吹きつけたのは有名)にも注目。「世界のクロサワ」への足がかりになったという意味で、記念碑的価値も持つ一編。【ひかりごけ】9点(02/11/26 01:06)

これって原作が「藪の中」なんですね。けっこうまぎらわしいかもね。MISTYと比べると全然おもしろいけどまあふつうでした。【バカ王子】7点(02/09/20 20:47)

やっぱり黒澤作品は凄いと思わせられる作品。しかし、原作とあまりにも違いすぎるのでそこで減点3。年取った老婆に期待していたのに出てこないのにはちょっとがっかりした。しかし原作と違えども芥川龍之介がこの作品で言わんとすることは良く分かる出来となっている。にしても最初の羅生門のおどろおどろしいシーンはさすがである。【たけぞう】7点(02/08/06 11:09)

真っ黒な映画思い出してどきどきするいろいろ考えさせられる【きれぎれ】10点(02/05/23 03:07)

個人的に思ったほどではありませんでしたが、それなりにのめりこんだし、良かったことは確かです。僕は芥川の原作『藪の中』は好きではないのですが、この映画は好きです。雰囲気は濃厚だと感じました。【マーチェンカ】7点(02/04/05 00:34)

圧巻でした。「世界の黒沢」だからって、なんぼのもんよー!と思っている人々には是非みていただきたい作品です。場面転換もそれほど多くなく、基本的に低予算ムービー的な作りなのにこの骨太さ。「生」と「性」とが、この「こざとへん」一つの微妙な違いであること、この作品を見て感じることができるはず。男の人にとって「不貞」というのは本当に決定的なものであり、女性の価値そのものを否定するに十分である、という描き方は衝撃的でもあります。時間も短めなので黒澤入門編としてもおすすめです。【ちずぺ】9点(02/02/12 22:33)

白黒の美を感じました。三船さんのワイルドな無邪気さも、京マチ子さんの妖艶さも素敵でした。個人的に千秋実さん、良いです。【舞花】10点(02/02/11 04:49)

原作『藪の中』を見た後でこの作品を観た。黒沢監督の凄さがこれでもかと、わかりました。このある種のミステリのつじつまをみごとに合わせ、最後に一筋の希望の光さえ打ち出した監督のセンスに感服。この作品を一度観て、眠くなった方。訳がわからず途中で放棄してしまった方。原作・芥川龍之介の『藪の中』を見てから再度トライしてみましょう。監督の偉大さとともに、もやもやしていたものもすっきりと『羅生門』が消化してくれるハズです(笑)。【イシヅカミナト】10点(02/02/04 23:25)

率直に6点くらいの出来。京マチさん綺麗。家のじいさんと同年だけど。邦画が世界に認められた最初。米国で舞台化され、マーチン・リットが「暴行」という映画にし、「戦火の勇気」でもこのモチーフが使われた、と話題に。でもさ芥川の「藪の中」(原作)て、もとはアンブロース・ビアスの「月明かりの道」だよね。相互刺激があって当然だけど、ビアス忘れてほしくないな。【ちょうじ】6点(01/09/10 16:16)

↓あ、これって芥川龍之介の「藪の中」が原作なんですね、、、それ読んだの中学生のときだったかな? 原作もしっかりミステリーしてて不思議な不気味さが漂ってましたけど、映画も、汗ばむような妖しい雰囲気と息苦しい程の迫力で、かなり怖くて面白かったです〜♪ 白黒の映像がかえって効果的で、日本映画の特徴が目いっぱい発揮された名作だと思います☆【Mrs.Soze.】8点(01/06/09 04:18)

結構複雑な構成でしかも少し眠いですが、我慢してみればどんどん引き込まれます。【プリン】8点(01/03/08 17:30)

時代劇と言うより、ヒチコックばりのスリラー。いやそれ以上の迫力と、なんと言ってもその意外なストーリー展開に圧倒された。【イマジン】10点(01/01/27 00:34)

世界に黒澤の名を轟かせた名作。原作「藪の中」とは違うラストシーンに「黒澤ヒューマニズム」を感じる。【大列車強盗】10点(00/12/11 00:34)


【点数情報】
Review人数 32人
平均点数 8.3点
羅生門


                        1950年大映京都/モノクロ
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 かつて、「もしあなたが生まれてこの方黒澤明の映画を一本も見ていないとすれば、あなたは確実に人生の楽しみの何分の一かを損している」と言つた評論家がいた。映画に興味のない人たちからしたら「余計なお世話だ」と言いたいところだろうが、僕のような映画ファンにとっては、心からうなずける言葉だ。
 最盛期、黒澤天皇と呼ばれ、妥協のない映画作りを身上とした彼は、現在までに30本の映画を撮つている。映画の世界に限らず、いわゆる"天才"と呼ばれる人の作品がすべからくそうであるように、黒澤の作品には駄作というものがない。その上、彼の作品には小難しい理屈もわけ知り顔の解説もいらない。見るものはただ心を無垢にして彼一流のヒューマニズムと、流れるような映像のリズムに身を任せていればよい。
 例えば「七人の侍」(54)の合戦シーンを思い出してみよう。豪雨と泥にまみれながら、数台の移動カメラを同時に駆使して撮影したといわれるあの圧倒的な迫力画面は、映画史上屈指の名場面として名高い。 あるいは「蜘蛛巣城」(57)。全編に溢れる幽玄美と対比するかのように展開されるラストの凄まじいほどの弓矢の狂乱。さらには「どん底」(57)のラストシーン。社会の吹き溜まりでうごめく人々が奏でる底抜けに明るい馬鹿ばやし囃子。「チョーン」と拍子木が入って終わる幕切れの見事さ。
 「生きる」(52)「天国と地獄」(63)「赤ひげl(65)などの一連の名作で見せたたたみかけるようなドラマ構成と屈託のないヒューマニズム。キヤプラ、ホークス、ワイルダーなど往年のハリウッドの名監督たちを彷彿とさせる絶妙なユーモア感覚。
 かと思うと「これからの二人の決闘はとても筆では書けない。長く恐ろしい間があって、勝負は刀がギラッと一ぺん光っただけで決まる」というシナリオから生まれた「椿三十郎」(62)の壮絶な決闘シーン。さらに「隠し砦の三悪人」(58)で、強腕の侍が馬にまたがり剣を振りかざして疾走する時のスピード感や「用心棒」(61)のラストに用意された"血しぶき"の意表を突く斬新さ。
 どれをとっても名画だけがもつ豊かな香りに充ち溢れている。繰り返すが、観客は映画に精通しているしていないにかかわらず、彼が与えてくれる至福の瞬間にただただ身を委ねていればよい。それだけで誰でも十分な満足感に浸れるはずである。まさに天才の為せる技としか言いようかない。

 しかし、そんな彼の作品群の中で、ただ一つだけ、見終わった後にどうしても釈然としない作品がある。それが皮肉にも彼の名を一躍世界に知らしめるきっかけとなった映画「羅生門」(50)なのである。いかに黒澤作品といえども、最後まで犯人が分からないストーリー展開に、他の黒澤映画に慣れ切つた僕たちは、映像の美しさなどさしおいて、不遜にも軽いいらだちすら覚えてしまう。こんなことは彼の作品においては極めて稀なことなのだ。
 果たして彼はこの作品で何を表現したかったのだろうか?などと普段しなくてもよいはずの詮索をついしてみたくなる。黒澤の代表作といわれ、世界的にも評価の高い作品であるだけにもっと思う存分楽しみたいと思うのは僕だけではないだろう。そのためには、僕たちはどうしてもその原作に一度立ち返つてみる必要がありそうだ。
 少々長くなるが、黒澤の最高傑作といわれるこの作品をより深く理解するために、ぜひお付き合い願いたい。

 ご存じのように、この映画の題名は芥川龍之介の短篇小説からとったものだが、実際に小説「羅生門」の中の描写があるのは冒頭の1シーンだけで、ストーリーそのものは同じ芥川の短編「薮の中」が原作となっている。
<時は戦乱と天災で荒れ果てた平安時代の乱世。一人の侍が森の中で胸を刺されて死んでいるのが発見される。この事件の犯人をめぐって、検非違使庁の庭において一種の法廷劇が展開される。木樵り、旅法師、放免の状況説明に続いて尋問されるのは悪名高き盗賊の多襄丸、死んだ男の妻、そして巫女の口を借りた男の死霊。この三人によって事件の経緯が次々と説明されるのだが、何故かこれらの供述が微妙な食い違いをみせる。果たして真犯人は誰だったのか。真相は最後まで明らかにされない。>
 この小説に関しては従来から何人もの人たちによって分析が試みられてきた。その結果、<薮の中>という常套句に代表されるように、「犯人を特定すること」がこの作品の主題なのではなく、「あえて作者がそれを明瞭にしないところ」にこの小説の真髄があるという考え方が、現在における定説になっている。

 黒澤の「羅生門」は、木樵りにも男を殺した可能性があるとした点を除いてほぼ忠実に原作を再現しているのだが、僕ら観客にとっては、そもそも三人の証人かいずれも"自分が犯人だと言い張つている点"がどうしても賦に落ちない。
 普通、証言台で嘘をつくのは罪を逃れるためなのに、このニ人はそうではない。山賊はいとも簡単に男を殺したことを認め、妻も無意識のうちにせよ夫を殺したと言い、男自身も自分で命を絶つたと頑なに主張している。めいめい自分の有罪を認めており、決して罪のなすりあいはしていない。最後に述懐する短刀を盗んだと思われる心樵りはともかく、他の三人は嘘をついても何の得もないように思われる。それなのに何故彼らは嘘をつくのか。自分の死と引き替えにしてまで・・・・。
 学者らの説によれば、作者は「すべてのモラル、すべての真実に疑問を投げ付けることでアナーキーな自分の心情を吐露したかった」とか、あるいは、「最初から事件の真相などというのはさしたる重大事ではなく、告白の欺瞞性を通して現実社会の裏側を透視したかった」とかいった解釈が主流なのだが、しかし、それではあえて作者が三人に殺人を犯したと告白させている必然性がない。
 芥川といえば志賀直哉とともに、大正期における短篇作家の双璧であり、その作風は理知的で洗練巧緻を極めているにもかかわらず、きわめて大衆的であり、しかも分かりやすい風刺に富んでいる。そんな彼が、何故この作品だけことさら分かりにくくする必要があったのだろうか。なぜこの作品を同じ中世の「今昔物語」から題材をとった他の平易な作品(例えば「鼻」や「芋粥」など)と並列に論じてはいけないのか。
 この小説を難しくしているのは、かえって後世の「不条理劇」に影響された学者たちではないのか。芥川が言おうとしていたことは、実はもっと単純で、誰の心にも思い当たるような、人の心理の"あや"だったのではないのだろうか。
 真相は思いの外、単純なのかもしれない・・・・・。

 事件の鍵は、見知らぬ頑強な男に夫の前で「強姦」された女性(真砂)が何を考えるかということだ。 第一に思いつくことは辱めを受けた我が身を恥じて自殺をはかるということ。次には自分を犯した男を殺害して復讐を遂げるということ。しかしこの小説の場合、彼ら二人は生きているわけだからいずれも当たっていないことになる。残るはもう一つの可能性、さして愛してもいない夫であれば(中世の男尊社会では、女性の意に反する結婚は十分考えられることだ)唯一の目撃者である夫を殺し、その忌まわしい事実を抹殺するということである。
 彼女は最初、それを多嚢丸に頼んだ。彼女の心には「憎むべき多嚢丸を殺人犯にすれば、同時に彼をも死刑にできる」という考えが一瞬浮かんだかもしれない。 そこで彼女はそれまでとはうって変わった妖艶さを漂わせながら、多襄丸にささやく。「あの人を殺して下さい!あなたについていきます」。
 ところが彼は世間の噂とは大違い、実は口先だけ巧みな、女好きの盗人にすぎなかった。彼がおじけ付いて逃げだした後、彼女は自分の貞操と引き換えに、止むを得ず自らの手で木に縛り付けられている夫を殺害したのである。
 最初の目論みは見事に外れたものの、「人は行きずりの強盗殺人と思うはず・・・・・」。現場から逃れる道すがら、真砂は冷静にそう考えたに違いない。
 ところが清水寺で心を落ち着けている彼女のもとに、思いがけない情報が入る。多嚢丸が捕らえられたというのだ。彼女はてっきり事の一部始終が彼の口から明らかにされたと思い、半ば観念して懺悔を始める。(原作では彼女の述懐は検非違便庁ではなく、あえて清水寺という別の場所が設定されている)  しかし実はこの懺悔も真っ赤な嘘。彼女はとっさの機転で架空の心中劇をでっちあげ、多襄丸への殺人依頼のことは伏せた形で供述した。「無理心中を拒んだうえでの殺人なら、よもや死刑にはならないだろう・・・・。」恐るべきしたたかな計算である。
 一方、多襄丸の方は別件の殺人で、もはや死刑はまぬがれない身、どうせならこの侍も雄々しい立ち回りの末に自分が殺したことにして、悪名高い極悪人のまま死してなお名を残そうと考えたのではないか。
 それでは死んだ侍はどうか。小説ではこの男の言葉は巫女の口を借りて最後に語られていて、いわば種明かし的な位置を占めている。したがって、ほとんど真相を語つているのだが、この男も死してなお自分の名誉を重んじるあまりただ一点だけ嘘をついた。「妻を犯された上、その妻に殺されるのではあまりにも男として情けない」。そう思つた彼は武士の面目を守るために、妻の無礼をひとしきり非難した後、妻の犯行は明かさず、最後の瞬間だけは自分で自分の胸を刺したことにしたのである。

 この推理が正しいとすると、この小説の構図は自ずから明らかになってこよう。すなわち、死んでもなお名誉や名声にこだわろうとする男の"哀れさ"や"愚かさ"と、それ対比される女の"したたかさ"である。芥川は「侏儒の言葉」の中で「女人はまさに人生そのものである。すなわち諸悪の根源である」と書いている。 彼は十才の暗に、実の母親を発狂の末亡くしているのだが、この事件が原体験として彼の心象に深く根ざしていることを思えば、最初の傑作といわれる「羅生門」の中にこのような彼の悲観的な女性観が反映していても不思議ではない。
(先頃出版された大里恭一郎氏の「芥川龍之介・『薮の中』を解く」によれば、芥川は大のミステリーファンだったという。彼はこの中で、芥川の作風や"小説"というものののもつ根源的な問題に触れながら、証言の事実はいく通りあっても真実は一つと断定し、「薮の中」を芥川会心の推理小説であると決め付けている。実は氏の結論も、"真砂"真犯人説なのだが、古い文献や原作の一字一句をつぶさに検証しながらの詳細な分析は大変興味深い。この機会に是非一読をお薦めしたい。)

 さて、以上の原作分析をふまえて、再び映画「羅生門」に戻つてみると、冒頭から極めて修辞的な演出が施されていることに気付かされる。タイトル画面に続き現われるのは、凄まじい雨に煙る羅生門の遠景。それが次のショットではやや近づいた形で映し出され、さらに次のショットでその細部があらわになる。この一瞬の三ショットの中に、後に展開される三人の証言の信憑性が何気なく暗示されてはいまいか。 さらに、明らかに演技過剰な三船敏郎扮する多襄丸の勇ましい台詞が、どこか小心者の遠吠えのように聞こえてこないか。
 それまでの殺陣場面の常識を打ち破る、太刀を片手に持ちながら、猛獣のような叫び声をあげてのたうち回る多襄丸と侍の死闘の描写からは、どこかしら滑籍で哀れな男たちの本性が見えてこないか。 そして顔を覆つた両手の指の間からその決闘を垣間見る真砂の表情から、恐怖以上のしたたかな"何か"が感じられないだろうか。
 映画化にあたって黒澤らがこの辺のことをどう考えていたのか分からないが、京マチ子扮する真砂に、女のもつ"したたかさ"を見ていたことだけは確かだろう。 なぜ「羅乍門」が海外でも国内でもこんなに有名になったかときかれて、黒澤は「まぁー強姦の話だからねっー」とだけ答えたというエピソードは有名だが、これを彼一流のジョークとだけ笑い飛ばすわけにはいかない。芥川のこの短篇は強姦、殺人に伴う女作の"性"がテーマになっていることは確かで、これがよく言われる黒沢の悪女趣味にピッタリしたのではないか。

 そういえばマクベスに題材をとった「蜘蛛巣城」にしても、リア王を基調にした「乱」にしても典型的な悪女が登場する。「羅生門」の女性は確かに表面上は聖女か悪女か判然としてはいないか、原作を読んだ時、黒澤はここに登場する妻を"悪女"と断定するにいたり、その時点から映画化に興味を待つたのではなかろうか。
 この映画の終盤で語られる、原作にはない<木樵り>のエピソードは、事件をことさら複雑にするために新たに付け加えられたのではなく、黒澤がこの映画の中で"真砂"の人格をより強烈に描くために"是が非でも必要だったのだ。原作の中で、母親に「男にも劣らぬくらい勝ち気な娘」と言わせているこの女性のイメージ作りに、演技指導の点でも映像表現の面でも極端な情熱が注がれていることに注目したい。
 以上述べたことを考えあわせながら、是非もう一度映画「羅生門」を見ていただきたい。今までの何倍も楽しめること請け合いである。


 最後にこの映画にまつわる興味深いエピソードをいくつか紹介しようと思う。
 黒澤はの土砂降りのシーンを撮影するにあたり、雨に墨汁を混ぜて重い質感を出したという。さらにこの場面に凄まじい迫力を加えるために、消防車三台の出動を求めて消化ホース5本を使用。屋根には放水装置を施して、瓦の壊れから滝のように落下する雨を表現した。さらに、門の周囲に掘つた溝には水槽タンクから大量の水を一気に流し込んで溝に溢れる豪雨の感じを出し、しかも万全を期するためにわざわざ雨の日を選んで撮影を行なうという凝りようだった。このことは"日本映画史上類を見ない大胆な撮影"として、今も語りつがれている。
 この他にも、羅生門の屋根瓦を作るために、新たに焼きあげた瓦の数が4000枚、その一つ一つに「延暦寺十七年」と年号が刻まれていたとか、羅生門のセットが大き過ぎて上部の屋根を作つたら柱がささえきれないから、屋根を半分壊した形にしたとか、黒澤の偏執狂的な映画製作に関するエピソードは尽きない。
 その飽くなきこだわりがことごとく映画に独特の雰囲気を醸し出し、この名作が誕生するに至った。
 なお、カメラ技法における工夫も多く、中でも有名なものは"ギラギラと輝く太陽を望遠レンズで映す"という手法だった。当時は太陽にカメラを向けることはフィルムを焼き切る可能性があったため、一般的にはタブーとされていたのだが、この難題に敢然と挑戦したのが撮影担当の宮沢一男だった。彼のカメラは森の奥深くに入り込み、大きな反射鏡を利用しながら、木々の間から見え隠れするギラついた太陽を延々と追いかけ、それによって照り付ける陽光と乾いた森の雰囲気を遺憾なく描写することに成功した。この技法が映画公開時、世界の批評家から絶賛され、「黒澤は太陽を初めてカメラにおさめた」という有名な賛辞が生まれた。
 当時の映画界の巨匠、溝口健二のキャメラマンとしても名高い宮川一男は、「色を使わずに、白と黒の間にある無数の鼠色の濃淡によってみるものに色を感じさせる」という黒澤の演出に対しても、独特の水墨画感覚で応じた。雨の“黒”と検非違使庁の庭に敷かれた砂の“白”との絶妙な対比、木樵りが森を歩いていくシーンでの木々の微妙なコントラスト、木漏れ陽の輝き、斧の刃にきらめく日光、何とも豊穰な映像表現である。
 他にも、当時としてはまだ新しいテクニックだったパン・フォーカス(近景と遠景と同時にピントを合わす技法)が、随所に使われていることも見逃せない。
 さらにこの作品にはおびただしい数のカットつなぎ(画面と画面の切り返し)が施されている。評論家のドナルド・リチー氏によれば、映画の本体だけで408ショット、これは普通の作品の二倍以上にもなるという。しかし観客はショットの多さで気が散るようなことはない。それどころか、ともすると単調になりがちなストーリーに言い知れぬ躍動感を生みだしている。
 黒澤のこの天才的な編集が、「七人の侍」をはじめとするのちの彼の作品に確実に受け継がれていることは言うまでもない。

 ご存じのように「羅生門」は戦後間もなく公開され、51年度ヴェネチア映画祭グランプリ、52年度アカデミー賞最優秀外国語映画賞に輝いた。この受賞が当時、敗戦の痛手の中で何もかも自信を失っていたわが国の人々に与えた衝撃と希望は計り知れないものが合ったという。
 海外で高く評価された理由としてさまざまな要因が云われているが、あの時代にこういった観念論的な裁判劇を世界に先駆けて生みだした黒澤の先見性こそが、その最たる理由であったことに今や疑いの余地はない。
 「羅生門」はまさに日本映画を黒澤の名とともに世界に送り出した記念すべき「門」でもあった。     
★「羅生門」 製作秘話

左から三船、京マチ子、黒澤、森 撮影
「羅生門」では最初から土砂降りの場面である。黒澤映画には雨、それも土砂降りの場面が強い印象を残す。「七人の侍」の最後の決戦もそうであるし、「野良犬」の志村喬の刑事が撃たれて倒れたシーンも土砂降りだった。
「羅生門」の雨は半端では無い。黒澤は雨を強烈にモノクロ画面に印象付けるため、大量の墨汁を水に混ぜ、ホースで降らせた。
ラストで雨が上がって、杣売が赤子を抱いて去るシーンでは、雨上がりの爽やかな演出に先程までの土砂降りが効いている。

撮影の宮川一夫は黒澤映画に欠かせない。杣売(志村喬)が森の中へ歩いていく冒頭のシーン。歩く杣売。森を見上げたカット。太陽の光が森の木々の間からこぼれる。前向きの杣売、後姿の杣売、森の描写、太陽の木漏れ日、早坂文雄のボレロに見事に乗った、躍動感に溢れた、この延々と続く場面を私は好きだ。

多襄丸(三船)が森の中で寝ている。その時、風が吹いて・・・の場面では、多襄丸の顔にかかる木の葉の影が揺れるので、我々は確かに風を感ずる。宮川はその時、三船のすぐそばで木の枝の影をライトで作っていたのだ。また、早坂の涼しげな音色があいまって、いかにも爽やかな風を感じさせた。その風に笠の垂れ布がひるがえり、女の顔が見えるという、事件の発端となる重要なシーンなのである。

「羅生門」の撮影期間は二〜三週間であがり、黒澤作品としては珍しくも予算を超過しなかった。セットは羅生門と検非違使の法廷の二つだけだ。

ベネチア映画祭
ベネチア国際映画祭が日本に出品招請状を送ってきた時、日本は国際映画祭が何なのかさっぱり解っていなかった。何を送ったらいいのやらテンヤワンヤの騒ぎとなったが、「羅生門」は思いつかれもしなかった。
そんな時、当時の日本のイタリフィルム社長ジュリアーナ・ストラミジョリ女史がベネチアから依頼を受け、候補作品を探し始めた。
何十本と見ているうちに彼女は「羅生門」とぶつかり、これがとても気に入った。
しかし、彼女の推薦には反対の声が上がった。それも何と製作会社の「大映」からの意見が多かった。社長の永田雅一からしてこの映画は気に入っていなかったのだ。しかし、いやいや出品した「羅生門」がベネチアでグランプリを獲得した。

黒澤の後日談「実は僕、あの写真がベネチアへ送られたことも知らなかったんですよ。あれを向こうへ送ってくれたのは、ほんとにイタリフィルムのストラミジョリさんの功績です。受賞祝賀会の時にも言ったんですが、日本映画を一番軽蔑していたのは日本人だった。その映画を外国へ出してくれたのは外国人だった。これは反省する必要はないか、と思うのだな。浮世絵だって外国へ出るまではほんとに市井の絵にすぎなかったよね。
我々、自分にしても自分のものにしても、すべて卑下して考えすぎるところがあるんじゃないかな?「羅生門」も僕はそう立派な作品だとは思ってません。だけど、あれはマグレ当たりだなんて言われると、どうしてそう卑屈な考え方をしなくちゃいけないんだ、って気がするね。どうして、日本人は自分たちのもののことをちっとも考えないのかな?どうして、自分たちの映画を擁護しないのかな?何が心配なのかなって」
上映あります映画館

《蘇ったフィルムたち in 映画の楽校 Lesson102》
「羅生門」1950大映/白黒/90分
監督:黒澤明 脚本:橋本忍、黒澤明 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、千秋実、志村喬
9/22(木・祝)●15:10
併映「幕末太陽傳」「その人は 昔」
スペシャルゲスト 十河進(映画コラムニスト・香川県出身)シネマトーク

レクザムホール小ホール(香川県民ホール)
●料金:前売 1500円 当日1800円 会員協力券 1200円
小中高校生は当日のみ500円

電話映画の楽校090-9452-7229
《京都の映画文化をアーカイブする 大映京都撮影所特集》
「羅生門」1950年/大映/モノクロ/87分
監督・脚本:黒澤明 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実

10/6(木)13:30/18:30
10/9(日)13:30/17:00

当日一般500円、大学生:400円

京都文化博物館フィルムシアター
《【日本映画120年記念企画】 古典・名作映画ノススメぁ


「羅生門」1950年/大映/モノクロ/88分
監督・脚本:黒澤明 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介
5/28(日)13:30/17:00
6/1(木)13:30/18:30

当日一般500円、大学生400円
京都文化博物館フィルムシアター
《NFC小ホール 京橋映画小劇場No.35 アンコール特集》三角(右)『生誕百年 映画監督 黒澤明』(2010年)より
「羅生門[デジタル復元版]」1950年/大映/白黒/88分
監督・脚本:黒澤明 原作:芥川龍之介『藪の中』 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 美術:松山崇 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介

7/19(水)16:00
当日一般520円、学生310円
東京国立近代美術館フィルムセンター 小ホール
電話03-5777-8600
《大映創立75年記念企画 大映女優祭》

「羅生門」1950年/大映/モノクロ/88分
監督・脚本:黒澤明 原作:芥川龍之介『藪の中』 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介
1/2(火)17:55
1/3(水)15:10
1/4(木)12:50
1/5(金)14:20

当日一般1400円、学生1200円、会員1000円
シネ・ヌーヴォ
電話06-6582-1416
《ヴェネツィア国際映画祭が選んだ京都映画―講演と上映―》
「羅生門」1950年/大映/モノクロ/88分
監督・脚本:黒澤明 原作:芥川龍之介『藪の中』 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介
4/27(金)13:30/18:30


京都文化博物館フィルムシアター
当日一般500円 大学生400円
《生誕110年記念 映画撮影監督宮川一夫の世界》
「羅生門」1950年/大映/モノクロ/88分
監督・脚本:黒澤明 原作:芥川龍之介『藪の中』 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介
9/12(水)13:30/18:30
9/15(土)13:30/17:00

当日一般500円 大学生400円
京都文化博物館フィルムシアター

《優秀映画鑑賞推進事業 なつかしの映画鑑賞会》

「羅生門」<デジタル復元版>1950年/大映/モノクロ/88分
監督・脚本:黒澤明 原作:芥川龍之介『藪の中』 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介


併映「天国と地獄」

二本立て
10/12(金)13:00〜

1日 500円 会員 1日 400円

松阪 農業屋コミュニティ文化センター
《第19回 宝塚映画祭 優秀映画鑑賞推進事業〜黒澤明没後20年〜》


「羅生門」<デジタル復元版>1950年/大映/モノクロ/88分
監督・脚本:黒澤明 原作:芥川龍之介『藪の中』 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介
11/20(火)10:00/18:45
11/21(水)14:10



特別料金(当日券のみ)1本500円

宝塚シネ・ピピア
電話06-6940-0730
《平成30年度 優秀映画鑑賞推進事業 [映画のまち調布]ワンコインで大きな感動を! 【大スクリーン35mm上映】 調布シネサロン 黒澤明監督特集》

「羅生門」1950年/大映/モノクロ/88分
監督・脚本:黒澤明 原作:芥川龍之介『藪の中』 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介
12/12(水)10:30




入場料 各回500円

調布市グリーンホール 大ホール
電話042-481-7611
BS BS朝日
【特別企画】4K
「羅生門」<4Kデジタル修復版>1950年/大映/モノクロ/88分
監督・脚本:黒澤明 原作:芥川龍之介『藪の中』 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介
2/9(土)14:00
NHK総合
【黒澤明生誕110年】
「羅生門 デジタル完全版」1950年/大映/モノクロ/88分
監督・脚本:黒澤明 原作:芥川龍之介『藪の中』 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介

3/28(土)15:10
NHK総合
【黒澤明生誕110年 三船敏郎生誕100年】
「羅生門 デジタル完全版」1950年/大映/モノクロ/88分
監督・脚本:黒澤明 原作:芥川龍之介『藪の中』 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介

何度も映画館やテレビなどで観てきた作品ですがデジタル完全版ということもあり映像は鮮明に感じました📽

ポスター見てちょっと気になってたのですが1/10スケールの「羅生門」ちゃんと完成したようですねハンマー


#映画のまち調布
本日5/12は「羅生門」などでグランプリ女優と云われた京マチ子さんの命日です花束早いもので一周忌となります🥀
《【展覧会】公開70周年記念 映画『羅生門』展》
9.12(土)→12.6(日)
国立映画アーカイブ展示室(7階)
開室時間:11:00─18:30

料金:一般250円 大学生130円 高校生以下無料

巡回先 京都文化博物館 総合展示室 2021年2/6(土)〜3/14(日)
《【展覧会】公開70周年記念 映画『羅生門』展》
9.12(土)→12.6(日)
国立映画アーカイブ展示室(7階)
開室時間:11:00─18:30

料金:一般250円 大学生130円 高校生以下無料

巡回先 京都文化博物館 総合展示室 2021年2/6(土)〜3/14(日)

上京のタイミングで観たいと思っていたのですが東京は明日までか涙行けそうもないので京都まで待ちますクローバー
《日本名作映画上映会》
「羅生門」1950年/大映/モノクロ/88分
監督・脚本:黒澤明 原作:芥川龍之介『藪の中』 脚本:橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、加東大介
12/7(月)14:00

京都府立京都学・歴彩館 大ホール
電話075-411-5000

無料:事前予約制
先日観てきましたexclamation
《公開70周年記念 映画「羅生門」展》
京都文化博物館 2階総合展示室

昨年秋〜年末に国立映画アーカイブで開催された《映画「羅生門」展》は羅生門スケールは何とか見れたものの展示には間に合わなかったんで京都開催を楽しみにしてましたexclamation
京都に羅生門スケールの展示はなかったのですがさすがに運搬が大変だものね表情(やれやれ)
同博物館では《木梨憲武展》もやっていて連日盛況と聞いてましたが案の定行列ができていました。《映画「羅生門」展》はその分空いてるかなと思っていたら結構混んでました

出品リストの配布もあり興味深いものばかりムードムードムード
野上照代さんが黒澤明監督の画コンテを模写してそれをみんなに配ったという画コンテえんぴつ
橋本忍さんのシナリオ『雌雄』がいかに「羅生門」になっていくのかげっそり
スタッフ、キャストのそれぞれの撮影台本本
ポスターやパンフレット、プレスシートは日本のオリジナルのみならず海外版も展示されそれぞれの国のビジュアルイメージがあるんだなるんるん

映像では異なるそれぞれの証言を同時に見せる試みや『ロバート・アルトマン黒澤明を語る』などなど。
さらに《映画「羅生門」展》のチケットがあれば京都文化博物館フィルムシアターで上映の「羅生門」は無料で観れる無無料←逆に「羅生門」のチケットで《映画「羅生門」展》も無料です無無料※簡単に言うと500円でチケット買えば両方観れちゃうチケット

映画は何度も観ているので今回はパスしたけど映画の上映時間よりも長くこの《映画「羅生門」展》に滞留してましたうまい!

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