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実学!創造都市コミュの大阪市財政 悪化の軌跡

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asahi.com 2009年12月28日より

5兆円の借金を抱え、2015年度には財政再生団体への転落も危惧される大阪市。市の財政はなぜここまで悪くなったのか。再建の道筋は描けるのか。33年間、主に財政畑で要職を歩み、今月退任した柏木孝・前副市長(55)に聞いた。


 ――大阪市が箱モノ建設に熱を入れた一つのきっかけは1989年度一般会計の黒字決算だそうですね


 大阪市では、組合、部落解放同盟、議会が歴代市長を支えてきたんです。反面、予算圧力も強かった。88年度まで28年間赤字を出し続けたのは、「金ありまへんねん」という一言で圧力を防ぐためもあった。また、昼の人口が夜より100万人以上多いのに、基本的に住民からしか税金が入らないという税制上の矛盾を抱えていたので、その分、国から補助金や交付金を持ってくるためにも赤字の方がよかったんです。


 ――89年度でなぜ黒字に


 バブルの影響でどの自治体も税収が激増し、地価も上がった。大阪市はその分を福祉などの基金に「貯金」していたが、西尾正也市長(故人)が「税収も貯金も増えたのに『赤字』では、財政手腕がゼロだと疑われる」と主張して、黒字になった。


 とたんに予算要求は強まった。全区にホールやプールを造る1区1館構想など、歳出拡大に鈍感になり、財政危機を招いた。要望を記録することで圧力を防いだり、競争入札を徹底することで談合を防いだりといったルールも整っておらず、歳出を抑えられなかった。


 ――財政健全化の動きも鈍かった


 府も国も、税収のピークは90年度。バブル崩壊で税収が減り、6、7年後に財政健全化の動きが具体化した。ところが大阪市の税収のピークは96年度。94年の固定資産税の評価替えで、地価は下がっているのに固定資産税が増収になり、その分改革が遅れた。「土地神話」も根強く、市は固定資産税があるから景気に左右されないという雰囲気もあった。


 ――大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)開業もこのころです


 WTC構想が持ち上がった90年前後は、公費で議員接待や職員同士の飲食が行われた食糧費問題に象徴されるように、税収増を背景に組織の抑えが効かなくなり、意思決定へのチェック機能が最も弱まっていた時期です。


 ――土地信託事業、3セク事業……採算が取れず結局多額の借金が残るような「負の遺産」が、なぜこうも多いのでしょう


 最初にも言ったが、大阪は大都市に対応していない税制の不備の中で市政運営をしなければならない。だからこそ、事業を起こして利用料や土地の売却益などで借金を返す発想だった。港を築く際は100年の長期債券を発行し、地下鉄も下水道も、国に頼らず借金で街づくりをして借金を返してきた土地柄。そのDNAがある。右肩上がりの時代はいいが、マイナス時代にもDNAが残り、需要予測の甘さにつながった。


 ――関淳一・前市長が打ち出した市政改革は、平松邦夫市長へどう引き継がれているか。


 04年には3セク破綻(はたん)やヤミ年金問題が報道され、「財政危機」「市民からの信頼低下」「職員の士気の低下」の三つの危機が津波のように同時に噴出。一気に改革を断行するしかなかった。この改革を、情報公開などのツールを使って定着させていくのが平松市長だと思う。


 ――財政再建には、何が必要でしょうか。


 今のようなマイナスの時代は、大阪市全体として、何を切って何を手厚くするのか、より明確にビジョンを示さないといけない。お金がない中で、お年寄りを大切にする街にしたいのか、男女共同参画を大事にする街にしたいのか、というような。そういう大きなビジョンと、地域ごとの優先順位の話は別。地域でプールをつくるか、道路をつくるかは、地元で話し合って決めたらいい。そこの整理がまだうまくついていない。情報を公開しながら、もっと大きな議論を進めていかないといけないと思う。


 【大阪市の財政をめぐる主な出来事】


 1989年 28年間赤字だった一般会計決算を黒字転換(※)
       公費による議員接待や職員同士の飲食の実態が発覚


   95年 臨海部の人工島にWTC開業
       08年五輪の大阪招致宣言を議会が可決


   96年 大阪市の税収が過去最多に(※)


 2001年 08年五輪招致で北京に敗れる


   02年 財政非常事態宣言


   03年 3セク3社の特定調停申し立て


   04年 職員厚遇問題が発覚


   05年 市政改革マニフェストまとめる


   07年 戦後初の民間出身、平松市長就任


   09年 15年にも財政再生団体転落と試算


   ※は年度


 ◎かしわぎ・たかし◎


 1976年大阪市職員に採用。財務課長、財政局長を経て05年に市助役、07年から副市長を務め、09年12月で退任

コメント(1)

1970年代、80年代、90年代、そして2000年と歴史をも出だします…

バブルがはじける前、税収がピークの頃を批判しても無理です。経済が落ち込んだときに直ぐに方針転換できていたらこれほどひどい財政状況は生まれていません。

日本人は横並び、護送船団方式で歩むのが特徴なのでしょう。
近い将来、また大きな転換が求められるような気がします。

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