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☆楽喜会☆☆☆ (ラッキーかい)コミュのあきらめなければ『夢は叶う』ONE CHANCE! 

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好きな番組のひとつに

奇跡体験!アンビリバボーがあります!

ポール・ポッツさんのことをとりあげていました♪

すごく感動しました泣き顔

好きなことをあきらめなければ

『夢は叶うぴかぴか(新しい)』 ということですexclamation ×2

すごく勇氣をいただける歌でしたぴかぴか(新しい)


2008年6月5日放送
http://wwwz.fujitv.co.jp/unb/contents/407/p407_2.html

ONE CHANCE 奇跡の大逆転 より

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 イギリス・ブリストル。家が貧しかったポール・ポッツさんは中学時代、誰も着ていなかった制服を着て同級生にからかわれたり陰湿ないじめの標的にされ、自分には生きている価値がないと苦しめられる毎日を送っていた。
 そんなポールさんの唯一の心の支えは歌だった。彼は街で一番の聖歌隊に入隊し、歌を歌っている間だけ辛い現実を忘れられた。そして1986年、16歳の時、三大テノールの一人でオペラ歌手のホセ・カレーラスの声と運命的な出会いをする。透き通るような美しい歌声に魅了されたポールさんは、いつか彼のようになり満員のオペラハウスで歌いたいという夢を抱いた。
 だがその夢もまた「その顔でオペラ歌手になるの??」と同級生に笑われた。ヨーロッパではオペラ歌手は憧れの職業の一つ。舞台に立つ以上歌はもちろんのこと、容姿も求められる。
 現実に直面したポールさんは大学卒業後の1994年、彼にとって決して魅力のある職業ではなかったが、スーパーマーケットに就職した。

 だが、歌に対する情熱は変わらなかった。アマチュアのオペラ劇団に入団し、ずっと歌い続けていた。プロになれなくても、本当の自分でいるためにずっと歌い続けていたかったのだ。だがアマチュアとはいえ歌い続けるにはボイストレーニングは欠かせない。彼はレッスン代を捻出するため、毎日1時間半かけて自転車で職場に通った。
 歌のためなら何も辛くはなかったが、いつも孤独感にさいなまれていた。唯一孤独を癒してくれるのはインターネットのチャットルーム。ここで一人の女性と運命的な出会いをする。
 彼女の名前はジュリー=アン・コーバーさん。二人は初めて会った時から惹かれ合い、出会いから2年後に結婚した。心から分かり合えるパートナーを得て、人生で初めての幸福に酔いしれるポールさんは、結婚式で彼女にオペラの名曲「カヴァティーナ」を捧げた。
 こうして幸せいっぱいでスタートした二人だったが、お互いの給料を合わせてもぎりぎりの生活。それでも彼女は決して愚痴をこぼしたりしなかったが、ある日テレビで海外の映像を見ていて「いつか二人でいろんな所に行けたらいいわね」と言った。

 愛する妻のささやかな願いも叶えられない。さらにポールさんの歌のレッスン料が家計を圧迫していた。歌を辞めようとも考えたのだが、ジュリー=アンさんは「私は誰が何と言おうとあなたの歌が大好きよ」と励ました。夫から歌を奪いたくない、その一心からジュリー=アンさんは家計を支え続けた。
 2003年7月、自転車で出勤中に仕事に遅刻しそうになったポールさんは、事故に遭ってしまう。幸い命に別状はなかったが、長期の入院生活を余儀なくされ仕事を失ってしまった。そんな中、ジュリー=アンさんは着替えもできない夫のために、家計を支えながら毎日病院に通い看病し続けてくれた。退院すると莫大な治療費の請求がきた。
 ポールさんは決めた。ジュリー=アンさんの反対も押し切ってレッスンを辞め、所属していたアマチュアのオペラ劇団も退団した。あれほど愛していたオペラへの思いを封印したのだ。
 心機一転、携帯電話の販売店に就職したポールさん。給料が歩合制だったため、少しでも妻を楽にさせたくてクリスマスにも残業を引き受け必死に働いた。だが、心の奥底ではオペラの音色が鳴り響いていた。

 歌を辞めて4年が過ぎた頃の2007年、ポールさんはどんなジャンルでも応募可能なイギリスの人気オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」の地方予選大会の募集広告をネットで見つけた。
 書類審査を通れば予選会場はウェールズの大舞台、ミレニアムセンターだった。少年時代から憧れていた本物のオペラハウスで歌える、とポールさんは心が踊った。だが、自分がはかない夢を抱き続ける間も妻は貧しい生活に黙って耐えていた。自分にとって大切なのは歌じゃなくて妻なのに、とポールさんはオペラを封印し働き続けた。
 そんな時、書類審査に通ったという通知が届き、ポールさんがこっそり応募していたことがジュリー=アンさんに知られてしまった。ジュリー=アンさんは「なぜ黙っていたの?」と聞いた。「ミレニアムホールで歌うことができたら諦めることができるんじゃないかと思って、でも君が反対なら・・・」と答えたポールさんにジュリー=アンさんは「出なきゃダメよ。どうして相談してくれなかったの?あなたの夢が叶うのよ!」と言った。

 さらに「結婚式でカヴァティーナを歌ったあなたは本当に素敵だった、一生忘れない。私はあなたの歌が好きなの。あなたがミレニアムホールで歌っている姿を私に見せて。」とポールさんを励ましたのだ。
 ポールさんはこれをラストチャンスに、ダメなら歌をきっぱり諦めると約束した。
 2007年6月13日、予選会場の控え室。ポールさんは来たことを後悔した。出演者はみんなきらびやかな格好だったが、自分は安物のスーツ。さらなる不安は審査委員長のサイモン・コーウェルだった。数々の人気番組の仕掛人として有名なこの男の辛辣なコメントが番組の人気の秘密だったのだが、幾多の挑戦者が何百万という視聴者の前で笑い者にされていた。自分もどうせまた笑われるだけ、とポールさんは不安だった。
 ずっと夢見てきた舞台も不安でいっぱい、だがもう後戻りはできなかった。2千人の観客が見守るステージに立つと、ポールさんは3人の審査員の鋭い視線を感じた。
 数々のオーディション番組の審査員を勤める気鋭のジャーナリスト、ピアーズ・モーガン。辛口で知られるイギリスのドラマ女優、アマンダ・ホールデン。そしてサイモン・コーウェル。

 オペラを披露すると伝えると、厳しい表情になった。出場者は派手なパフォーマンスをする者が多く、歌部門もロックやポップスが中心でオペラを歌う者は誰もいなかった。審査員たちは誰もポールさんに期待していなかった。
 審査員全員が×を出したところでパフォーマンスは中止、失格となり観客の笑い者にされる。
 だがポールさんが歌い始めると、会場は静まり返った後に拍手喝采となった。そして歌い終わるとスタンディングオベーション。涙を見せる者もいた。
 サイモンは「本当に携帯のセールスマン?とても良かったよ」と評価した。他の二人の審査員も同じだった。審査員全員が合意し、ポールさんの準決勝進出が決まった。
 だがこれは奇跡の始まりに過ぎなかった。ポールさんはなんと準決勝も勝ち進み、5万人の中からわずか6組で争う全国大会の決勝まで勝ち上がり、他の強豪を抑えて優勝者となったのだ。
 審査員はそれぞれポールさんの才能を褒めたたえ、最後にサイモンが驚くべきことを発表した。「来週から君のデビューアルバムを録音するぞ」と言ったのだ。
 ポールさんの夢が叶った瞬間だった。ジュリー=アンさんはその姿をしっかり目に焼き付けていた。

 ポールさんのデビューアルバム「ONE CHANCE」(BMG JAPAN)はイギリスヒットチャートで3週間連続No.1を記録し、全世界で300万枚以上ものセールスを達成した。
 二人にお互いのことを聞くと照れながらこう答えてくれた。ポールさんは「すべて妻のお陰ですよ」。ジュリー=アンさんは「毎日新しいことばかりでびっくりの連続です。でも彼が歌い続けられることが一番嬉しいの」。
 歌を諦めるつもりで立った大舞台。ポールさんは妻にそっと背中を押されて奇跡の大逆転を成し遂げたのである。
 ポールさんは今年4月29日、世界ツアーで来日しコンサートを開いた。日本でも関心は高く、二日間の公演は満席となった。ポールさんがツアーで必ず歌う曲がある。それは「カヴァティーナ」。どんな辛い時も常に一緒にいて助けてくれたジュリー=アンさんを思って歌う思い出の曲だ。彼女に捧げるため、CDにも入れた曲。
 舞台袖ではジュリー=アンさんが見守る。長いツアーもいつでも一緒だ。思いもかけない形で彼女の夢は叶ったのだ。彼の奇跡の歌声は、これからも二人三脚で世界中に届けられるだろう










“ブサイク歌手”ポール・ポッツの半生がハリウッドで映画化!
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200805/gt2008052901.html

 英オペラ歌手、ポール・ポッツ(37)=写真=の半生が、ハリウッドで映画化されることが28日、分かった。ブサイクな容姿ゆえいじめに苦しんだ少年が、様々な苦難や挫折を乗り越え、36歳にしてオーディション番組で優勝、ついに長年の夢をかなえるまでを描く。製作者は「誰もが共感するサクセス・ストーリーだ」と、大ヒットに自信を見せている。





 携帯電話ショップの店員から一夜にして大スターとなった、冴えない中年男の成功物語に、ハリウッドが飛びついた。

 ポッツはブサイクな外見のせいで、周囲からいじめられ続け「自分の歌声だけが友達」と、10歳から教会で歌いはじめた。成人後も携帯電話の販売員をしながら、独学でオペラを続けたが、オーディション直前に交通事故で鎖骨を折るなど、不運の連続。いつしか36歳となった。

 しかし、昨年6月、エリザベス女王の前でのパフォーマンス権をかけたオーディション番組、「ブリテンズ・ゴット・タレント」に出場。名曲「誰も寝てはならぬ」を熱唱し、その容姿ゆえに最初はドン引きだった審査員を瞬時に魅了。見事優勝を勝ち取った。

 番組の過程はインターネットの「ユーチューブ」などを通し、世界中に感銘を与えた。その中に、米パラマウント映画の関係者もいた。彼らは早速映画化へ着手。「ブリテンズ−」の審査員、サイモン・コーウェル(48)との間で、映画製作に合意した。

 コーウェルは、全米最高視聴率を記録し続けているオーディション番組「アメリカン・アイドル」の仕掛け人として、世界的に知られた存在。今作が初の映画プロデュースとなる。

 コーウェルは「ポールの人生は、世界中の誰もが共感できるサクセス・ストーリーだ」と大ヒットに自信。公開時期は未定だが、既に脚本家の選定は終了。ポッツ役は、プロ・アマを問わずオーディションで決めるという。

 ポッツは10月にクリスマス・アルバムを発売し、これに合わせ日本ツアーも計画している。デビュー盤「ワン・チャンス」は全世界300万枚の大ヒット。映画化の話題が加わる次作も、オペラでは空前の売り上げを記録しそうだ。









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