ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

World Boxing The Legendコミュの1974年ミュンヘン・キンシャサ

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 1974年は私がこれまでに観たスポーツイベントの中で、これぞ世紀の大一番と思われた2試合が連続して行われた年だった。
 7月7日のワールドカップサッカー決勝:西ドイツvsオランダ@ミュンヘンと10月30日のへヴィ級ボクシング世界タイトルマッチ:フォアマンvsアリ@キンシャサである。

 私は子供の頃からサッカーとボクシングの大ファンであり、テレビ放映(特にボクシングのタイトルマッチと海外サッカー試合)は絶対に見逃さず、専門誌も隅から隅まで購読じゃなくて立ち読み(笑)していた。人為的なルールにあまり縛られない根元的・本能的なスポーツだから好んでいたのであろうし、その対極にあるスポーツといえる野球にはあまり興味がなかったため、今も同世代とはなかなか話題が合わない。

 当時(というか今でも)私のアイドルだった選手は、サッカーではヨハン・クライフ(オランダ:アヤックス⇒バルセロナ)、ボクシングではジョージ・フォアマン(米国:ヘヴィ級世界チャンピオン)である。
 クライフはその競技の歴史まで変えてしまったという意味で指導者としてのキャリアも含め史上最も成功したサッカー人だと思うが、当時がまさに絶頂期で超カリスマ的存在であった。フォアマンの評価には色々あるようだが、私は現在まで通じて史上最強のボクサーだと思っており、少なくとも当時は史上最強のハードパンチャー(パンチを受けたフレージャーが文字通り宙を飛んていった試合は今でも印象に残っている)とみなされていた。

 その両者がいよいよそのキャリアの頂点に駆け上がるべく臨んだのがミュンヘンとキンシャサの試合であり、対戦相手も役者がそろいその競技の歴史に残る最高の選手同士が最高の舞台で戦うというあまり例を見ない大試合であって、私もとんでもなく興奮・高揚してTVの前に座っていたのを憶えている。
 クライフ率いるオランダの相手はベッケンバウアー率いる西ドイツであり(写真左:オレンジがクライフ、白がベッケンバウアー)、ベッケンバウアーもまた指導者としてのキャリアも含めサッカー史上の伝説的な存在であり、当時円熟期を迎えていた。前評判はクライフのカリスマ性からオランダやや有利であるが、西ドイツも地元の利があるのでいい勝負か。
 そしてフォアマンの相手はモハメド・アリ(写真右:左がアリ、右がフォアマン)―云うまでもなくボクシングどころかあらゆるスポーツを通じて最も有名で最も成功した選手であるが、既に全盛時代は過ぎたと見られており、若いフォアマンの敵ではないという前評判であった。

 そしてその結果は…誰でも知っているように私のアイドルは完敗した。オランダは最初の1分でクライフの突進からのPKで、西ドイツが一度もボールを触ることすらできないうちに得点というところまでは素晴らしく興奮させられたが、その後は西ドイツがほぼ局面を支配して結局1−2で敗れた。
 フォアマンは序盤から飛ばしに飛ばしてロープ際のアリをサンドバッグのように打ちまくったが、実はそれはアリの作戦であって打ち疲れたフォアマンは8Rにあっさり逆転KOを喰らった。
 そして観ているときは世紀の大一番と熱狂していたが、最近になってビデオで観直してみると、囲碁将棋でいうところの大勝負に名局無しというわけか、どちらもがっかりするような凡戦で唖然としてしまった。オランダの動きは単調で最初のクライフの神業と感じた切れ込みも西ドイツが油断して反応が遅れただけのように見えたし、フォアマンのパンチもむやみやたらに振り回しているだけで有効打は少ない。これまでの両者には考えられないようなぎこちない動きであるが、リアルタイムで観ているときは興奮していて全く気がつかなかった。

 ミュンヘンの舞台はバイエルン・ミュンヘンの本拠地でもあるオリンピックスタジアムで、その2年前のミュンヘンの悲劇で有名になったオリンピックがこけら落しであった。
 スタジアムの隣にはBMWの本社があり、その20数年後に私が汚れない車というコンセプトで材料研究をしていたときに提携打診のため訪問することがあった。4気筒エンジンを模した4シリンダー本社ビルから見下ろす建て替え前のオリンピックスタジアムの威容は、これがクライフとベッケンバウアーが闘った聖地かと感無量であった。

 キンシャサは(旧ベルギー領)コンゴの首都であり、ここを試合会場にしたのは、当時白人支配に抵抗する黒人の代表格(フォアマンも黒人であるが、彼は親白人とみなされていた)とされていたアリの作戦勝ちであろう。ノーマン・メイラーも後にノンフィクションを書いているが、試合会場は異様な雰囲気で、アリを称えフォアマンを呪う呪術的な雰囲気に満ちていたらしい。
 私は囲碁の試合では自分の友人などに囲まれるとむしろ負けられないと緊張して手が伸びなくなる方であり、むしろ相手の地元で相手の応援者が多い雰囲気で打つ方が気が張って好きである。しかしそれも極端な雰囲気になるとプレッシャーになるものであり、学生時代の韓国遠征のときには会場の大勢の観客からの“日本人負けろ”という無言の“念”のようなものを感じてぞくっとしたことがある。

 1974年は色々あって私が精神的にかなり落ち込んでいたときだった。それまでの数年間の、毎日長時間の棋譜並べを通じて昔の名人と“対話”するのが生活の中心という廃人寸前(笑)の生活からもがきながら立ち直ろうとしている時期で、少し情緒不安定になっていた。そこで私のアイドルがスカッと勝つのを観て元気をもらおうとしたのだがこの結末であり、ますます落ち込んだのを憶えている。
 しかしこの両試合のあった年には、私の全く知らないところでその数十年後に私の人生を決定的に変える事が起こっていた。



 ・・・というようなmixi日記を数年前に書きました。
 最近は書き込みもないので、転載します。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

World Boxing The Legend 更新情報

World Boxing The Legendのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング