ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日本映画の名脇役コミュの名脇役<誰でしょ?>画像

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
平素のトピックとはオモムキを変えてみました。

「若かりし日のこの姿は誰?」「この役を演じているのは誰?」というような画像(ないし作品データ)があったら、お慰みに披露してみてはと・・・・。

さて、先ず貼り付けた画像は、某名優の奥さんが夫との人生履歴を綴った書籍から持ってきた一葉であります。

名を知られるようになった時には、人を食ったような存在感で周囲を煙にまいていた名優(というか奇優)のティーンエイジの頃のお姿。

誰だかすぐオワカリになりましたでしょうか?

コメント(232)

なるほど、武智豊子さんでしたか、、、。
1938年から1939年の1年間、武智豊子一座を組んでいたようですね。
関東もいつの間にか梅雨入りしたそうですが、そんななかお届けする<誰でしょ?>画像は…。

舞台写真から持ってくるとメイクなどの関係で、スナップより誰だかわかりにくくなるようですが…。

ご覧のとおり、古典劇からの一葉(後方に女性が何人も控えているので、これが<コロス>というもので、演目はギリシャ悲劇だな…とご推察の向きもあるでしょうね)。

前面の3人のうち、誰をお題にしてもいいのですが、今回は中央の鎧姿も凛々しい青年といきましょう!

なお、左の老人は名脇役ですね。
右のボーイシュな女性は後年は頑ななまでに映像作品には出演しませんでしたが、いくつかの映画で印象的な助演を残している実力派でした。
中央の青年は田宮二郎に見えます、が、
中尾彬の可能性もあるでしょうか…

女優は吉村実子と思われ、
老人は三津田健に見えますけど。
私も中尾彬だと思ひます。
だとすると女は松本典子でせうか?
老人は清水將夫か、案外梅野泰靖の老けメイクだつたりして…
後列三人目の女は工藤明子ですかねえ。
?194の画像の正解です。

現在では、かつて大御所・滝沢修が演じたような重厚な役どころをこなす存在となると共に、タレントとしても独自の存在感で重用されている中尾彬氏でありました。

大きな体に大きな眼、そして野太い声で、酒豪をもって知られる中尾氏ですが、美大出身で、そうした感性に基づくものであろう、繊細な心の動きまで表現できる演技者と感じます(同世代の地井武男、村井国夫らとともに、テレビ番組で求められているキャラが先走ってしまっているのが、ちょっと残念ですが…)。

この人、劇団民芸に在籍していた時期があり、写真はその頃の公演『エレクトラ』(1968)からのものなのですが、日活ニューフェースとしての映画デビューが劇団より先なのですね。
日活時代、今と違ってだいぶスリムだった頃の姿は中平康『月曜日のユカ』などで見ることができますが、不敵なようでいて繊細さを蔵したような印象で、ATGの高林陽一『本陣殺人事件』の金田一耕助役なども独特なムードがありました。
個人的には、松竹で撮った斉藤耕一『内海の輪』における、岩下志麻との不倫が発覚したことで道行の如き逃避行を余儀なくされる考古学者役が印象に残ります。

なお、右側の老人は清水将夫。
左側はヒロインのエレクトラを演じた松本典子氏であります。松本さんは、民芸が生んだ実力派女優の一人で、後年は、夫君である劇作家・清水邦夫作品を主にした舞台出演に専念し、頑として映画放送の仕事は受けようとしませんでしたが、蔵原惟繕『狂熱の季節』での、狂犬のような主人公(川地民夫)にレイプされつきまとわれる女性画家役など、いくつかの佳作で確かな演技力を披露しましたね。


>Penta 様

目が大きいので、確かにハーフに見えますね…。
舞台写真から見分けるのは、やはり、結構、難しいかもしれませんね。
言われてみれば、中尾氏で納得…と思いますが、それにしても、今の存在感がありすぎる姿との隔たりを感じさせられますね。

>ちあきなおに 様

書き込み、有難うございます。
なるほど、目のあたり、田宮二郎にも似ていますね。
豪放なように見えて、繊細な感性が窺われる表情に、相通じる個性を感じます。

>彭城矯介  様

さすが、三名とも見抜かれましたね…。
因みに、松本、中尾の演じる姉弟の復讐の対象となる王妃役は細川ちか子が演じた公演でした。
コロス役の一人も判別されたのは驚きです。確かに工藤明子氏も出演してゐたので間違ひないでせう(序でに、一番左端は先年物故した南風洋子ですかね…)。

暑くなりましたね…。首都圏も梅雨明け間近と思われる時期にお届けする<誰でしょ?>画像。

今回のお題は、中央右側の背の高い方の男性であります(写真が不明瞭で申し訳ありませんが)。

写真の構図がやや不自然なのは、背景幕に書かれた文字がヒントになってしまうので、トリミングしたからなのですが…。
もっとも、左側の男性(脇役に非ずスーパースター)について、大抵の各位は察してしまわれるでしょうから、自ずとお題の男性も分かってしまうでしょうね。

後年は、専属契約がなかったためか、あらゆる映画会社の作品に登場し、アクの強さと飄々としたムードを併せもった好助演者という印象でしたが、舞台で培ったスピーディーな身体能力は、映画出始めの頃の作品で、今でも確かめることができますね。
?200の画像の正解を…。これ、難しかったですか…(^_^;)

1970年代初めまで、各映画会社を股にかけ、文藝作、喜劇、時代劇とジャンルを問わず活躍した、中村是好氏でありました。

トリミングした背景幕には、「カジノ・フォーリー歌劇團」と縫い取られておりまして、盟友であるエノケンとともに、一座の中核として活躍していた頃の一葉なのでした(隣はいうまでもなく、榎本健一その人)。

中村氏の芸歴は、関西新派に始まるそうですが、曽我廼家喜劇を経て、エノケンとともにレビュー、オペレッタまでこなしてきた舞台歴は伊達ではなく、映画でもユーモアとペーソスに苦味を加えたような独自の存在感で、一度見たら忘れ難い個性の名脇役でした。

黒澤明『素晴らしき日曜日』、成瀬巳喜男『おかあさん』、今井正『キクとイサム』などのほか、日米合作の『トラ・トラ・トラ』にも海軍の演習を眺めながら皮肉を言う釣人で1シーン出演したりしていましたね。
後年は舞台で培った体技はあまり見せませんでしたが、そちらの才能を見せた戦前のエノケン映画も忘れ難いです。
特に、『エノケンのちゃっきり金太』でエノケンを追いかけまわす目明し・倉吉役は出色で、執念深さと意外な気の弱さの相俟ったこの人ならではのアクの強さが活きていました。特に、街道を逃げて行く金太を、最初はゆっくり追っていたのが、次第に早足になり、駕籠になり、果ては猛烈なダッシュとなる追っかけシーンは、今観ても唖然とするような動きで、リズムと体技の天才・エノケンに見事について行っているだけで脱帽ものでした。

随分長生きした人なのですが、70歳頃から、仕事からは遠ざかり、趣味の域を超えた盆栽の専門家として、知られていました。自分のことは良くわかっていて、芸風そのままに飄々とした人生を貫いたような人でしたね…。

2枚目の写真は、山本嘉次郎監督『孫悟空』で沙悟浄を演じた中村氏。
孫悟空といえば、戦前のエノケン版が秀逸で、そちらでは、中村氏は、金角大王を演じ、なんとSF仕立ての設定のなかで楽しげに演じていましたが、戦後版の沙悟浄役も「目立たないようでいて確かに居る。飄々としていながら意外のシタタカ」とでもいうような氏の個性とマッチした役どころのように思えたので貼ってみました。


>penta 様

意外に難題だったようですね…。
若き日の舞台姿は、後年の印象とは、やはり隔たりがあるもので、映画と違い、再見はかないませんが、当時の芸風が偲ばれるような感があります。
コミュ参加各位には、暑中お見舞申し上げます。
今年も暑くなりそうですが、猛暑、不景気などに負けず、映画とその話題によって、精神性の涼といたしましょう(^_^)v

さて、今月の<誰でしょ?>画像。
前回と同様、スーパースターの榎本健一と関わる画像を貼ってみました。

右側の牧師姿のエノケンと向きあっているカップル…。
二人ともお題になるところですが、男性の方は、映画で知られるようになった頃の風貌が窺われるので、後年の印象と異なる若き乙女時代の姿の真ん中の女性といきましょう…(もっとも、この写真は、結構有名な一葉で、色々な文献に掲載されているので、ご存知の方も多いでしょうね)。
この、美しく儚げで育ちの良さそうな女性は、後年にも品位ある婦人役などで風格を見せ、そのままヨーロッパ映画にも出演できそうな存在感でしたが、反面、庶民的な役柄、ギラギラした人間的欲望に満ちた役にも巧みなところを見せた名女優で、私生活でも楽しいエピソードの多い人でありましたね。
二晩考えたけど(笑)、わかりません。
答えを聞けば、ああそうか、と納得するのでしょうが、
顔が想像できない現状では五里霧中です。

戦前、軽演劇でエノケンと一緒の舞台を踏んだ人、
男性は益田喜頓のようにも見えますが、エノケンとは接点がなさそうだし、、、。
>後年の印象と異なる若き乙女時代

というヒントでエノケンと接点がある女優さんと言えば、

三益愛子(1910年生まれ)しかいません。

と、断言していいのかな、、、。
?204の画像の正解を…。

良家の子女の身で新劇活動に飛び込み、築地小劇場から劇団民芸に至るまで名女優として鳴らした「細川ちか子」氏であります。

因みに左側は、同じく新劇の中核ともいうべき存在の千田是也氏。
エノケンと共に写っているということで名前が浮かばなかったかもしれませんね…。
この写真は昭和12年上演の「乞食芝居」すなわちジョン・ゲイ原作にかかり、後年はブレヒト、クルト・ワイルの手によって「三文オペラ」となって、日本演劇界のレパートリーとしても著名となる作品の舞台だそうで、エノケンにとっては異色作で、どうしてこうした作品に出る運びになったのか不思議なところであります。

さて、細川氏ですが、芸名の由縁は「細身で近眼だから」ということだったそうで、後年の貫禄からすると違和感のあるネーミングですが、この頃の姿を見ると納得させられます。
映画においては、戦前の成瀬巳喜男作品(「妻よ薔薇のやうに」「乙女ごころ三人姉妹」)から、戦後の新藤兼人「原爆の子」、やはり成瀬作品でベテラン女優が鎬を削る感のある「晩菊」などで味わいある演技を見せました。
慈味ある役もいいですが、ギラギラするような欲望を潜在させる役柄にも精彩がありましたね。
広島で原爆禍に散った丸山定夫との結婚生活の間に病を得て、さらに夫の丸山自身も経済的に追い詰められ、精神的に不安定となり、変名で旧知のエノケン一座に身を寄せたというイキサツは、友情に厚かったエノケンの心意気を証すエピソードであります(この頃に丸山が書いた「おちかは寝ている」という一文は血を吐くような内容で、胸打たれます)。

当時の新劇女優としては、東山千栄子と並んで、良家の育ちにして高学歴ということもあってか、既成の枠に収まらないエピソードの多い人ですが、宇野重吉の出征を見送ろうと大船駅で差し入れを抱えて宇野氏の名を連呼していたところへ「吊るし柿がポトリと落ちるみたいに重ちゃんが電車からホームに降りた」という述懐や、後年はモジリアニの絵の飾られた部屋でメザシをおかずに食事をしていたという話などは「ちょっといい話」でした。

>penta 様

今回も難しかったですか…(^^ゞ
映画検定では、「原節子は、小津安二郎の映画では大抵<紀子>という役名で登場するが、その名でない作品はなにか?」というようなトリビアルな問題も出るそうですが、「脇役検定」なんてものの問題になり得るレベルになってきたかもしれませんね(^^)

>ぴくちゃあ 様

エノケンの方が、本来の出自と履歴からすれば異色の演目に出た一葉ですので、演劇・映画史的にみても、わかりにくかったかもしれませんね。
上述しましたが、この写真を見ると「細川ちか子」というネーミングに納得させられる思いがします。

Ryoさん、

>美しく儚げで育ちの良さそうな女性は、後年にも品位ある婦人役などで風格を見せ、そのままヨーロッパ映画にも出演できそうな存在感でしたが、反面、庶民的な役柄、ギラギラした人間的欲望に満ちた役にも巧みなところを見せた名女優

というところで、真っ先に思い浮かんだのは、細川ちか子でした。
でも、エノケンと新劇一筋の細川ちか子とはどう調べても接点はないし、
同棲相手の丸山定夫なら、細川が病気療養中の時にお金に困って、エノケンの舞台に立ったことはあるけど、、、
などと考えていました。
まして、左端の男性が千田是也とは、、。
俳優座を作った千田是也がエノケンと一緒の舞台に立っていたとは、、、。
今だったら、仲代達矢が劇団四季のミュージカルに出るようなくらい、ありえない状況ですね(笑)。
早や盛夏も過ぎ、秋風の立ちこめる時節、映画鑑賞で精神性を涵養するにも好適な時期となりつつありますね。
そこで、今回の<誰でしょ?>画像をお届けします。

これも難問の範囲かもしれませんね。
映画で知られるようになってからの姿とは、かなり隔たりのある名女優の青春期のポートレート…(サイン入りのため、トリミングしてあるので、ちょっと不自然な写りですが)。

名作からプログラムピクチャーまで、幅広く活躍した人ですが、掛け値ナシの名女優・名脇役で、若き日から多彩な芸能経験をかさねたこと、不遇の時期も多かったこと、勉強家で努力家であったことなどが、その演技力を培ったという感があります。
物故してかなり経つので、邦画ファン以外の口の端にのぼることも、近年は少ないようですが、「情の強い」役柄において、この人の魅力は輝いていたような気がします。情の強さのあまり周囲と摩擦を起こしたり、情が過ぎたために愛する者に誤解され背かれたり…。そんな女性の悲喜劇を演じて、凄みすら感じさせられたものでした。
>若き日から多彩な芸能経験をかさねたこと、不遇の時期も多かったこと、勉強家で努力家であったことなどが

ということで、望月優子(1917.01.28〜1977.12.01)さん、ですね。
サインも「望月美恵子」の「望」だと思います。
?211の画像の正解です。
難問と思いましたが、ストレートに正解が出ましたね(^^)

はい、カジノフォーリーの踊り子をスタートに、ムーランルージュで軽喜劇の舞台を踏み、さらに新劇運動に転じるという多彩な芸歴を誇る望月優子(美恵子)であります。

代表作であるところの、木下恵介『日本の悲劇』、成瀬巳喜男『晩菊』、今井正『米』、山本薩夫『荷車の歌』、中川信夫『粘土のお面より かあちゃん』などで邦画史に残る名演を見せましたが、反面、不遇な時期もあり、名作・プログラムピクチャーを問わず、軽い役柄で出演したことも多く、勿体ないような使い方もされていました。

後年は社会党代議士となるなど、社会意識の高い人でもありましたが、「お客を楽しませてナンボ」という出自の故か、常に全力投球という演技姿勢で、なおかつ理屈っぽいところの感じられない人でありましたね。

>ぴくちゃあ 様

ヒントは曖昧にしたつもりでしたが、流石の慧眼であられますね(^^)
相当の年齢まで活躍したように見える望月氏ですが、60歳で物故していて、意外な短命であったことが驚きでした。

>Penta 様

プログラム・ピクチャーとは、もともと、上映時間調整用の中・短編映画を指すのが本義だったようですが、日本映画黄金期の量産体制にあって、「メインの作品に対して<従>」というような併映作品を指す…というところでしょうか(また、メインの作品では見られないような大胆かつユニークな造りと印象の作品という肯定的印象も加わって用いられる感もありますね)。

評論家の渡辺武信氏による下記の一文が要領よく定義しているように思いましたので、引用しておきますね。

「プログラムピクチャーとは、新作が毎週、製作会社の直営館と系列契約館で封切られるブロック・ブッキング、つまり映画製作と興行が一体化された体制のもとで、番組(プログラム)を埋めるために量産された作品を意味する。またプログラムピクチャーは、製作会社が契約スターと専属契約を結び、原則として他社の作品に出演させないスター・システムと切り離せない概念である。プログラムピクチャー時代のスターは専属契約を結んだ会社のプログラムピクチャーに、プロ野球の先発主戦投手のようにローテーションを組んで起用され続けたのである。
時間的に規定すると、プログラムピクチャーは、松竹、東宝、大映、東映、東宝の大手五社が年五十二週、毎週一本にあたる計二六○本以上を封切った一九五二年に始まった。日本の映画観客数は、テレビの普及により、六一年以降、急激に減り、一九七○年には全盛期の約二割の二億人になる。その間に新東宝、大映は倒産、日活は七一年にロマンポルノ路線に転換、ここにプログラムピクチャーの時代は終わる。つまりプログラムピクチャーの時代とは、ほぼ一九五○年代初めから七○年代初めまでの釣二十年間である。日本映画の新作数は今日も年三○○本弱で推移しているが、大手三社(東宝、松竹、東映)の自社製作本数は合わせて五〜六○本で、独立プロ作品の配給や、作品ごとにテレビや他分野企業から資金を集める「製作委員会」方式が圧倒的に多く、プログラムピクチャーの時代は遥かなる神話となった」
早や10月、文化・芸術の秋として、映画を観るにも好適な季節と感じます。
そんな中でお届けする今回の<誰でしょ?>画像は…。

知性とバイタリティを感じさせる青年…という感じの一葉であります。

この人、映画出演はさほど多くないのですが、とにかく堅実な演技者として、知名度は高く、さほど芸能に関心のない人でも、知らないという人は少ないのでは…。
というわけでノーヒントで行きたいのですが、「ことばの響きというものが口先だけのことでなく、表現者の人間性と世界観にも基づいて、<空間>そのものを動かすというレベルまで至る」ということを感じさせられる名優と思っている方であります(これでモウ分かっちゃいますね…)。
そして、画面から受ける知的、重厚、品格といったイメージとは異なり素顔は洒脱で茶目なところがあり、その故か、高齢になっても若々しさとバイタリティを失わず、第一線から退かれたと思いきや、現在もドラマやライブに元気な姿を見せているのは嬉しい限りです。
?216の画像の正解を…。
あれえ、難しかったですか…?

老練な舞台人であり、ラジオ・テレビにおいても縦横な活動をされ、何よりその声音で我々を魅了した久米明氏であります(^^)

劇団「ぶどうの会」に参加し、故・山本安英とともに『夕鶴』『彦市ばなし』などに出演、その後、劇団昴の中軸の一人として多くの名舞台を務められました(とりわけ再演を重ねたアーサー・ミラーの『セールスマンの死』は現代演劇における翻訳劇の成果として出色のものであり、世評高い滝沢修版を凌駕する出来であったとすら個人的ながら思っています)。

また、その独特な響きと抑揚による達意の語りは、我々の耳に焼きつき、物真似のレパートリーになるほどでしたね。

長らく日大教授を務め、さらに朗読講師としても活躍、80歳を超えながらも、時折開かれる朗読ライヴでは、得意の鴎外、露伴作品などを、練り上げた語りを聴かせておいででした(さらに、今年は、久々にドラマにも登場し、老夫婦の生活を肌理細かく演じていましたっけ)。

映画に関しては、初出演は大映『あの試走車』だそうですが、『非行少年・陽の出の叫び』、『男はつらいよ・寅次郎相合傘』、『金環蝕』、『不毛地帯』、『女教師』など、教育者、政治家、実業家などに風格を見せ画面を引き締めていましたね。
また、洋画の吹替でも活躍し、持ち役のハンフリー・ボガードの映画は殆ど吹き替えたそうで、他にもスペンサー・トレイシーなども氏が務めていたのを記憶しています。

画像は『金環蝕』の1シーン。曲者俳優、老練な名脇役が大挙出演して、政治の醜悪な世界を見せる本作にあっての総理大臣役は、モデルである池田勇人と風貌が似ているというだけでなく、見事な風格を出していましたね(左は、佐藤栄作をモデルにした役どころの神田隆)。


>penta 様

言われれば面影はある…という感じではないでしょうか?
児玉清氏の面差しにも似たところはありますが、若き日の児玉氏は、後年に比べ、ひ弱な印象の演技者で、恵まれた長身のルックスを持て余していた感がありましたね(児玉さんの良き部分が開花したのは、やはりテレビだったような気がします)。
久米さんというのは、知性もさることながら、かなり肉体的に頑健な人で、また、映画ではやらないようなコミックレリーフを舞台では結構演じているユーモリストでもあるようです。そのバランスの良さが、当年85歳にして現役という土台では…。
>この人、映画出演はさほど多くないのですが、とにかく堅実な演技者として、知名度は高く、さほど芸能に関心のない人でも、知らないという人は少ないのでは…。

>高齢になっても若々しさとバイタリティを失わず、第一線から退かれたと思いきや、現在もドラマやライブに元気な姿を見せているのは嬉しい限りです。

引退したと思いきや、というフレーズですぐ、久米明を思い浮かべました。
しかし、知らない人は少ないのでは、というフレーズで、久米明はそれほど知名度があるのかな、と疑問に思い、それをそのままコメントしようとしたら、先に解答がでてしまい、残念!
もう少し、他の人の反応を見てから結論を出されてはいかが?
それとも、私とPentaさんしか、このトピックには参加していないのかな?

>ぴくちゃあ 様

失礼。平素、書き込み状況を見て、2〜3日の内に解答を入れているのですが、ちょっと早かったようで反省しております。
以後、慎重に致しますのでご寛恕のほどを…。
なお、レギュラー的に書き込みをしてくださるのは、確かにぴくちゃあ様とPenta様ですが、他の皆様もシカと目通ししてくださっているようです(書き込みの有無は難易、嗜好にもよるのでしょうか…)。

久米さんは「知る人ぞ知る」という存在かと思っていたら、私の周辺と見聞範囲では、案外に知名度が高かったので、上述の書き込みをしてみました(名前よりも「声」の知悉度といった方がいいでしょうかね)。
テレビにおける氏のライフワークとも言うべき「すばらしい世界旅行」の放映終了後も、単発のドキュメントやバラエティ、お笑い番組内でのドキュメント仕立てのコーナーでもナレーションを務めていたこともあっての知名度でもあるようです。

ところで、1970年頃、川端康成が『雪国』でノーベル文学賞を受賞した際に、ラジオ番組で様々なタレントにその一部を朗読させ、リスナーに評価を求めるという企画があったとかで、高倉健や堺正章(歌とコメディ双方にまたがる人気者という意味で今の中居、香取といったような存在か…)といったなかに交り、最も評価得点の高かったのは久米さんだったという記事を雑誌で読んだことがありました…。
<脇役>ではありませんが、森繁久弥逝去という日本映画関係コミュにとりましては見過ごせないニュースがありましたので、画像を貼ってみました。

氏を囲んで、多くの懐かしい顔が写っていて、当時の各位の活力が伝わってきそうな感があります。
邦画の観客動員がまだまだ凄かった時期の宴席で、スクリーンを通じて馴染んだ風貌そのままの各位なので、誰が誰かは先刻承知…というところだと思いますが、一人だけ、映画で馴染んだキャラからはなれた若々しい素顔を見せている人がいるので、<誰でしょ?>画像としてもご紹介…。

最後列の右から3人目で、前列中央のスターに指を向けている人。
ノーヒントでいいと思いますが、敢て言うなら、この人は「異才」でありましたね。
この写真、見たことがあります。
でも、わかりません。
三木のり平の本に載っていたような気もしますが、、、。
前列中央が、小林桂樹、
後列左から、山茶花究、八波むと志、宝田明、加東大介、三木のり平、森繁久彌、ふたりおいて、千葉信男、てなところでしょうか。
八波むと志が1964年1月9日に亡くなっているので、それ以前の写真ですね。
?223の画像、森繁翁追悼の意もあって貼りましたが、お題にした後列右側3人目の男性は…。

その異才ぶりで映画放送界を席捲…といった感のある活躍をした藤村有弘氏でありました。

映画においては、日活アクションでの怪外国人の敵役を先ず挙げなければならないでしょうね。
また、テレビにおいては、マコトなのかデタラメなのか判らない各種外国語を駆使して、茶の間を煙に巻き、NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」でのドン・ガバチョ大統領役は、観たものにとってトラウマ的に印象がやきつく快演で、いまだに語り草になっていますな。

この人、男性芸能人の親睦団体「昭和9年会」の一人でしたので、長門裕之、宝田明などと同い年、ということは今でも活躍していてもおかしくない早世だったのですね(享年49)。
また、映画やドン・ガバチョで知られるようになった頃は、まだ20代後半から30代前半にかけてだったわけで、強烈な個性と貫禄からすれば「そんなに若かったんだ」という感じがしまして、この写真のように、若き日の素顔が写っているのは珍しいように思います。

藤村氏の異才ぶりに関しては、親交のあった立川談志家元の一文がよくその一端を伝えていましたっけ。
「…例の各国語のうまさ、これはいっちゃ悪いが……(ほとんど言っちゃワルイ話ばかりだが)タモリとは比べものにならない。勿論、タモリもそれを知っているだろうが……。イタリア人とフランス人が喧嘩している。そこへ朝鮮人が、朝鮮人の英語で仲裁する、これはもの凄い。見事な芸だ。日航のスチュワーデスが初めて韓国に行ってソウルに着くと、ムーッとニンニクの風が吹いてきたところでむせびながら喋るスピーチだとか。(中略)カンツォーネだ、ロシア民謡だ、シャンソンだ、タンゴだ、とにかくそれぞれのお国言葉で唄い、喋る。(中略)天才だ。耳がいいんだろうな。勿論、頭がいい、センスがいい」

それほどの才に恵まれた藤村氏でしたが、重度の糖尿病を抱え、それがもとで亡くなったとき、テレビのワイドショーで映された自室の映像は、男性の一人暮らしとは思えぬ整頓されたもので、ベッドの枕辺に低血糖状態に備えて置かれた角砂糖入りの瓶があり…、天衣無縫というような個性の陰に、恐ろしいほどの孤独を潜ませていたように感じさせられたものでした。
物故して、かなり経ちますが、親交のあった各位が多く活躍しているうちに、誰か藤村氏の評伝か論をまとめてくれないかな…。

で、藤村氏の才を垣間見られる映像もオマケとして貼っておきましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=_fnXce4peF8


>ぴくちゃあ 様

年代ははっきりしませんが、八波むと志が急逝する少し前…という時期の宴席でしょうね。
東宝所属の喜劇俳優の一座という集まりに、藤村氏と、各位とおよそタイプの異なる小泉博(藤村氏の隣)が連座しているのは異色でもあります。藤村氏は、もともと、右にいる巨漢役者・千葉信男の弟子としてスタートした人だそうなので、その縁での参加だったのでしょうか。
藤村有弘さんでしたか。
その隣が小泉博さんとは、、、。
今回は、まるっきりわかりませんでした。
ご無沙汰の管理人でございます…。

このトピも、半年あまりも間を空けてしまいました。
お題はまだ多々あるものの、世間の忙しさに呆然としつつも、名画座等で往年の名脇役の姿を渉猟しておりました。
この間、近いところでは、佐藤慶、北林谷栄の名脇役の逝去があり…。
ミクシィの日記や書き込みも変質してきているような気もしますが、セワシナイ世の中だからこそ、同好の話題を共有することで息抜きできればと思っております。

さて、久方ぶりに貼ってみた画像は、戦前の作品からの一齣。
向かって右のかしこまって坐っている青年なのですが…。

映画そのものを観た方には即分かってしまうことでしょうが、息の長い役者人生をまっとうした人で(実際に長命でした)、一度見たら忘れないキャラで、昭和30年代生まれにはテレビでもお馴染みの顔でした。
各位、この人を未だご記憶でしょうか?
?227の画像の種あかしを…。

アネモネ様の書き込みのとおり、柳谷寛氏の若かりし頃の一葉。
山本嘉次郎監督「吾輩は猫である」の1シーンからで、恋文の一件で苦沙味先生に相談に訪れる学生役で、確かノンクレジットだったかと思いますが、恵比寿様のような平家蟹のような(失礼!)の独特な風貌は変わらずですね。

同じ山本監督の「坊っちゃん」におけるイタズラ中学生が映画デビューということですが、ユーモアとエキセントリックな味の微妙に混じる好助演者として、各社を股にかけ、また、テレビでも多く活躍しましたね。

印象的なところでは、成瀬巳喜男監督「旅役者」での、頑固一徹な馬の足役者(藤原釜足)の相棒役。
また、「魚河岸の石松」シリーズ、「月光仮面」シリーズでは、主人公をサポートする愛嬌者の助手的役どころで親しまれましたっけ。
成瀬監督の戦後作品やクレージーキャッツ映画にも、多く登場し、商店主あるいは警察官などが良く似合い、実直に生きる市井の一人物をリアルに演じていました。

さらに、テレビでは円谷プロ作品と相性がよく、「ウルトラQ」をはじめとして、晩年に至るまで、歴代ウルトラヒーローなどと共演し、ファンを喜ばせていました。

80代後半になっても元気に舞台公演にも登場していた柳谷氏でしたが、90歳を目前にして逝去。天寿を全う…という感じでしたが、欲を言えば、90代においてもウルトラマンと共演…というところを見せていただきたかった気がします。
<誰でしょ?>画像としては、一目瞭然、どなたでも分かってしまいそうなお題ですが、珍しいスチールでもあるので貼ってみました。

酔拳のようなポーズの学生服姿の貴公子然とした青年。
この人も根強いファンの多い人でしたね。
「演技派」という評価はあまりなかったようですが、この人が出てくると(あるいは、この人の話題になると)ニコニコ顔になる各位の多い好助演者であります。
Ryo様。
こ、これは若き日の平田昭彦氏主演作「鉄腕涙あり」ですか?もしそうでしたらコレ観たいんですよ〜!
?230の画像。誰でも分かっておいでとは思いましたが、種あかしはやはりいたしませんと…。

言うまでもなく、映画界屈指の知性派俳優として著名な平田昭彦氏の若き日の姿。唯一の純然たる主演映画『鉄腕涙あり』(どなたか、この映画を観た方はおいでか…?)のスナップでありました。

日本で最も入学至難といわれた旧制一高から陸軍士官学校を経て東大法科を卒業、三菱関連の企業に勤めていたというオヨソ俳優らしからぬ履歴。
そして伝説的存在の山口淑子(李香蘭)とすれ違ったことでスカウトされ、人生のステージが決まってしまったという人であります。

平田氏といえば、まず浮かんでくるのは、ゴジラ映画第一作の科学者役以降、常連として出演した<SF特撮もの>であり、「演技派」というわけではないけれど、教養と品性からくるであろう存在感と演技姿勢が荒唐無稽な物語にリアリティを与える人でした。

でも改めて出演作を観ると、「役について良く工夫しているし、演技することが好きな人だったんだなあ」と感じます。

撮影所における「組」としては本多猪四郎監督の組に属し、その個性から、学者・政治家・実業家役が多かったものの、反面、意外な喜劇センス(無人島に漂着し気が狂う狂言師役の『がらくた』、なぜかオネェ言葉で話すデザイナー役の『女房を早死にさせる方法』など)、軽快なフットワーク(池部良と大格闘を演じた『33号車応答なし』など)もあり、とりわけ、稲垣浩、谷口千吉、岡本喜八といった諸監督の映画では、ヒトヒネリした役どころを楽しんでいた感がありました。

まあ、陸軍士官学校にいたくらいの人だから、知性だけでなく、運動神経と体力も並以上だったのでしょうけど、それだけでない「演技のフットワーク」というものが、この人にはあって、やはりなるべくして俳優になった人という感じがします。

また、演技にも平素の言動にも、インテリにありがちな「難しい」ところがなく、仲の良かったという佐原健二氏が、「人間性ということでは随一」「嫌なことがあっても平田さんの<忘れろ>の一言で救われた」と賞賛していましたっけ。

貼った画像は、1982年、伊福部昭作曲による「SF特撮映画音楽の夕べ」コンサートで司会を務めた際のもの。このステージは、私にとって、生の平田氏を観た最初にして最後のものとなったのでした。

還暦以前の逝去は、惜しみても余りある平田氏ですが、思えば、こうした知性のある脇役も、当今は乏しくなったような気がしてなりませぬ…。


>使途メルヘン 様

私の知る限り、平田氏の主演作は、映画では『鉄腕涙あり』1本きりで、これに出て「自分は主役としてのパーソナリティがない」と見極めたのだとか…。
この映画では、平田氏を支える役柄を堺左千夫(この人、三船敏郎と同期だったのですね)が演じていたそうで、今から見ると、渋いキャスティングですが、何とかして観たいものですね…。
さらに、デビューの頃の印象的作品では市川崑監督の怪喜劇『プーサン』のワンシーン出る東大生(!)が面白く、弁当を食べながらズボラな診療をする医師(木村功)に「僕、肺病なんです」と言って、慌てて弁当箱を閉じさせる演技を見せてたのが印象に残っています。

ログインすると、残り204件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日本映画の名脇役 更新情報

日本映画の名脇役のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング