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手帳ナシの難聴者コミュのデシベルダウン運動について

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軽度〜中度難聴のえびんと申します。(手帳なしです)

普段の生活や仕事探しで不便が多い中、デシベルダウン運動というのがあると知り
たいへん興味を持ちました。

補聴器の補助や障害者年金はなくてもいい、
でもせめて仕事探しで障害者と認めてもらえたら、と
当事者として協力できることはしたい、と思っています。

デシベルダウン運動に取り組んでいるとされる全難聴に問い合わせましたら
「地元の難聴者協会に聞いて」と言われました。
で、地元の難聴者協会に問い合わせメールを出しましたが、
数日たっても返事がきません。
ですので以前住んでいた地域の難聴者協会にメールをしましたら、
「全難聴が取り組んでいる」との答えでした。

今度の埼玉の全難聴福祉大会に行くことができないのですが、
デシベルダウンについての分科会があるとHPで見まして
せめてデシベルダウン運動についての意見を開催事務局にメールしましたが
「そういうのは大変迷惑だ」というお返事をいただきました。

デシベルダウン運動に取り組んでいる協会や団体をご存知の方、
いらっしゃいましたらぜひ教えてください。

コメント(112)

>>[71]
すみませんでしたあせあせ(飛び散る汗)
でも私の中では軽、中等度難聴児の支援はデシベルダウンにもつながる話だと思ってますあせあせ(飛び散る汗)
特に軽、中等度難聴児の親御さんは、この子たちが大人になってからのことを真剣に考えているはず・・・。
monkeyさま>
参考になる話をありがとうございます。

>手話通訳者や要約筆記者にはボランティア精神があると言われていますが、障害者にはないと言われています。

それだと、デシベルダウン運動に当事者が関わらないということは軽中度難聴の方にボランティア精神がないということ・・・実際は気付いていないだけだと思いたい所です。

一応、自分はボランティア活動もしていますが、今は身体障害者団体とは関係ない行政の委員会の委員をさせてもらっています。そこでは複数の方から身体障害者から専門的ななことを「無料でしてほしい」「大幅に安くして」と依頼されて、断ると逆ギレされて不快になった話を聞きました。

>私は重度の人よりも軽中度の人の方が何十倍も何百倍も苦しい立場にいると思います。

失礼ですが、もともと軽中度だった自分の経験で書くと、2級として公的な支援があるのはありがたいですが、それでも軽中度だったときの方が精神的にもまだ楽でした。

精神的な落ち込みは軽中度より重度の方が何十倍も何百倍もはるかにきつかったです。

聴力のデシベルを換算したら10の30乗と10の100乗では10の後ろにゼロが30個つくのと、100個つくのとでは鬱積したエネルギーも圧倒的に違います。

もちろん程度は個人によって変わりますが、鬱屈感や孤独感など精神的な面での自力で対処できるレベルを超えており、カウンセラーによるカウンセリングでも困難でした。

現在、有料で定期的にセッションをお願いしている聴覚障害をお持ちのヒーラーへ支払うセッション費用と引き替えに得られる結果は仕事でも気付きやひらめきを得られ、収入をもたらしてくれますし、対人関係でもいい結果をもたらしてくれています。

そこで教えてもらった話で、どうも学生運動崩れの人たちによって感謝をお金などの形にして支払うこともまで「平等=とにかく無料ですべき」といったおかしなマルクス主義の考え方を当然とする考え方がばらまかれ、積み重なってきた結果として、悪循環を招いているのではないかとのこと。

軽中度難聴児の補聴器助成も税金や、誰か経済活動の中で払ってくれたお金から出ているので、身銭を切ることも1つの形のボランティアであること、身銭を切っていくことなど、当事者が最初は個人のお金の使い方など、ものの考え方と行動を変えていかない限り、ずっとその状態にとどまるんじゃないかと感じました。
>>[74]

えびんさんが気を使っておられるように、長いレスはそろそろ終わりにしませんか?

私も重度の方から反論が出ることは承知で書きました。
私は現在、軽中度である方の立場を尊重して書いたまでのこと。

目の前で重度の方からの無理解に嘆いている人がいれば、そのような言葉を出すしかないんですよ。

わかりますか?

苦労なんてねぇ〜。
健常者も障害者もみんなしているのよ。
重度も軽度も関係ありません。

それとね、親御さんの皆さんの中には知らない方もいるかもしれませんが、いろんなサイトの中には「親は入ってくるな!」というサイトもあるのです。

理由は親の無理解が当事者の傷口を広げるからだそうです。

また「軽度障害者のサイトに重度障害者は入ってくるな!」というサイトもあります。
理由は上記と同じです。

しかし私自身は、その制限(ルール)はあってもなくても良いと思っています。

結局ね、傷つきたくないために自分達だけで囲いこむようなことをすると、お互いに相手のことや周りのことがわからなくなるからです。
要するに視野が狭くなるということです。

ただし、いろんな人の入会を許可するなら、そこを管理するリーダーがしっかりしていなくてはなりません。
サイトを作るのはいいけど、あとはほったらかしでは、トラブルが起きて、そこのサイトや会が潰れてしまうこともありますから。

ゆきさんには厳しいことを言って申し訳なかったのですが、子供以外の大人の情報も入ってきて視野が広がったんじゃないですか?

親御さんもね、自分の子供の将来が不安で、成人の方の話を聞きたいのでしょう。
だから成人の方の話の中に入ってくるわけでしょう。

でも成人と子供では事情が違います。
成人同士でも事情はみんな違います。
それは心神さんの話を聞いていてもわかるでしょう。

お互いにその違いは認識した上で、みんなの幸せを考えていってもらいたいと思います。

みんな自分といっしょじゃないんですよ。

>>[75]

いえいえ、厳しいなんてとんでもない。
とても参考になってるし、おっしゃることも、よくわかります。
ちょっと話の範囲が大きくなったので、戸惑いまいたけど。
私は軽度〜中度難聴です。
自覚症状が出だしたのは今から10年前くらいになります。3年程前慈恵医大で検査し、原因不明の難聴と診断されました。dbは両耳60弱です。
聴覚障害についての情報を殆ど持っておらず、認定されれば1割負担で補聴器を購入できると知人から聞いたので書類を書いてもらおうとしたら「あなた程度では書きませんよ!大声でも話ができるんだから。通ったとしても6級でちょっと補聴器が安く買える程度であまりメリットありませんから」と言われました。病院の先生がこんな言い方することにかなりビックリしたし、やっぱり障害に対する差別みたいなものが私にはあり、やっと受け入れる気になったのに…傷付いてまた身動きの取れない状態になってしまいました。
TVの音量は38くらいにしないと聞こえません。20以下では殆ど聞こえず、なんとなく音としては聞こえますが、何を言ってるのかさっぱりです。夜にTVを見ると隣人に迷惑がかかるので、TVを見るのも地デジと共にやめてしまいました。病院では大声でも会話ができると言われましたが、よっぽどの雑音があるところでないと大声で会話をすることなんてないですよね…
最近は会話をするにも相当集中しないと聞き取れず、大人数の会話には当然入れないし、集中力も続かないのでボッーとすることが多くなりました。

db的にはゆきさんのお子様と同程度かと思いますが、私は途中からなので聞こえてくる単語を繋ぎ合わせ、その場に合った会話にして半分勘に近い感じで会話してます。数値以上に会話ができてるとも言われました。私には聞こえていた時の勘があるけれど、お子様にはそれがないのでもっと苦労するかなぁと思います。

障害者とは社会的弱者。本当にそうだなと思います。自分が障害を持ってみて初めて、世の中がいかに障害者のことを考えて作られていないかと実感しました。
私は軽度ではあるけれどそれでも会話に苦労するし、人によっては何度聞き返しても聞き取れない人もいる。職業も不向きなものが多いです。軽度だからこそ援助金もおりない。
でも重度はやはり重度。例え多くの援助金がおりようが、私には究極の選択と一緒で「10億円毎月あげますが、両手足もがれるけどいいですか?」と言われてる様なもん。不自由になるならお金いらないですよね。それぞれに異なる苦労がありますよね。

鞭打ちやらもそうですがこの手ことは自覚症状で、他人にわかってもらうのが難しい。聞こえないと嘘をついて援助金をもらおうとする人もいるかもしれません。だから余計聴覚は難しいのかもしれませんが、軽度には年間安く補聴器をレンタルしてくれる制度があればいいのになと思います。
>>[78]

私も10億円積まれても手足をもぎとられるのはイヤですね。
10億円なんて私のニーズに合ってませんから。

欧米諸外国には軽度、重度の概念なんてないそうです。
何しろ障害者手帳がありませんから。

大切なのは、その人にとってはどういう支援が必要なのかというニーズです。
同じ軽度、重度の人でも必要な支援は一人ひとり違います。

ニーズを尊重する国は障害の部位、程度による差別はあまりないでしょう。
これは手帳制度のある日本だけに根強く残っているものだと思います。

ドイツなどヨーロッパ諸国では、医師がこの人にはこの補聴器が必要と診断すると、自動的に補聴器が下りてくる仕組みになっているとか・・・。
5万円程度の補聴器で間に合うなら5万円の、40万円の補聴器でないと合わせられないから40万円の補聴器が下りてきます。

まさにニーズを重視していますね。
>>[78]

・・・病院変えた方が・・・。
ひどいものいいな先生ですねむかっ(怒り)

ある耳鼻科医の先生がおっしゃってたんですが、大半の耳鼻科医は外科的治療専門で、つまり治すことが仕事で、補聴器によって聴力を補う考えの耳鼻科医は少なすぎるんだそうです。
>monkeyさん
重度の障害者への支援金ってそんな感覚なんですよね、私には。
自分の子供手術費に莫大な費用がかかるとか、そういう人じゃないと殆どの人は自ら好んで障害者にはならないですよね。できることなら、自分の周囲にいないことも望む。

軽度の私がもらうのはちょっとなな気持ちもありますが、重度でも大金持ちなら支援金もらう必要はないと思いますし、生活が厳しく、補聴器を買う余裕がない私、補聴器を受け入れる心の余裕のない私には「補助金があるなら」と病院に行く気持ちになれました。が、こういう医師の対応受けるとさらに精神的にやられちゃいました。重度に比べて大したことはないとは思うんですが、耳以外にも身体の不具合もありまして、生きてるのもちょっと辛く不安ですあせあせ(飛び散る汗)
心神さんの軽度→重度の方がもっと辛いとありましたが、軽度だから重度だからというより、以前出来たことが出来ない辛さ、私の場合は健常者→障害者と受け入れるのが一番辛いです。

手帳制度があった方がいいのか、ない方がいいのかちょっと悩みます。その欧米社会の個々のニーズに合った支援にはとても魅かれるものの、医師次第ってのもちょっと怖い感じがします。改善案として3つ程度の病院での診察による平均支援なら納得しやすいです。
手帳制度は周囲に自分の状態をわかりやすく証明できるので、公共の施設では特にあると便利かと思います。障害を持っているのに「嘘だ」と言われてしまう苦痛もあります。

同じdb数値でも個々により音の聞こえ方、聞こえにくさの特性があり、この音を聞ける様にするにはより精密な機械が必要とか色々とあると思うので、同じ補聴器を要するとは限りません。そうなると個々に合ったニーズ対応はいいですよね。勉強になります。ありがとうございます。
>ゆきさん
数年前にまず地元で診断してもらったのですが、「効果ないと思いますが、薬でも呑んでみますか?」ともっと酷い言われ方しまして。日記にショックだと書いたらマイミクさんたちがネットの口コミがいい病院を2つ探してくれました。
系列病院が多い方にしたのですが、そちらは中耳炎・外耳炎専門というこでもう1つ考えていた慈恵医大が紹介先にあったので、慈恵医大を選びました。
その時は対応もよく、大学病院だけあって2つの病院にはなかった検査器具もあったし、MRIも撮り、どこにも異常はなく、「現代医学で解明できないものはDNAが原因とされ、若くして難聴になった身内はいますか?これ以上悪化しないように、ストレスや睡眠不足は避け予防しましょう」と感じの良い医師でした。

今回はリンパやらの痛みもあり、久々の診察で紹介状もなかったのですが、担当医ではないにしろ、こんな言われ方するとは思いませんでしたし、リンパを軽く障り、異常はないので神経的なものです。改めて聴覚検査することもなく、あの様なことを言われました。

このトピのタイトル『デジベルダウン運動』。
医師ですらこんな対応なのに、社会がそんな運動起すのかと疑問です。
>補聴器によって聴力を補う考えの耳鼻科医は少なすぎる
難聴の1/3は治らない人の方が多い気がするのですが…まさにニーズに適してない医師だらけですね。
>>[83]
このトピのタイトル『デジベルダウン運動』。
医師ですらこんな対応なのに、社会がそんな運動起すのかと疑問です。

→これまでのトピを見てきたら起こしてないようです。

目標は「デシベルダウン」ではなくて、聞こえに困っている方に、相応の支援ができるようにしていこう、ということです。
毎年の全難聴大会決議等でも、「軽・中等度難聴者への支援」という形で取り上げられてきています。

デシベルダウンという言葉からは少し外れて、軽・中等度難聴者はどんな支援が必要か?
というと

?私はやはり補聴器の支援が欲しいです。
特に軽、中等度の方は補聴器を使用することで、健聴者並みには無理でも、つけていないときと比べると、かなり聞こえはアップするのではないでしょうか?

?もうひとつは仕事ですよね。
仕事するためには補聴器は必要不可欠なものと思います。
でも補聴器を購入するためには働らいてお金を得ないことには買えないです。
その仕事ができるところ・・・まだまだ日本は難聴がわかると断られます。電話ができないのはネックでしょう。
また危険だからと、よほどその人に力がないかぎりは、働けるところが限られてくるし、なかなか見つからないです。そこはまだ日本が受け入れがオープンな国ではないこともあると思います。
どうしたら理解のある社会になるか?
それはやっぱり発信していくことではないでしょうか。
決して障害に甘えることなく、障害を言い訳にすることなく、どんなに心無い言葉をかけられようと(でも心無い言葉なんてかけられるもんです。みんな基準は自分だから。いちいち傷ついてやることはないです。でも傷つきますよねぇ・・・人間だもの)、やっぱり「わかってもらいたい」ですよね。わかってもらうには相手を敬いつつ、素直な心と現状を伝えるしかないかなぁ・・・なんて。その方法はどんな方法が最良なんでしょうね。


?また、仕事のできる人間になるためには、教育環境が大切です。
曖昧なままに過ごしていると身に着けたいことも身に着かないですよね。
そのために講義、講座、などでの情報保障は必要な人は要約筆記や手話通訳をたのめることを求めたいです。

デシベルといっても平均した数値なので、同じデシベルの人でも、どの音階がどのレベルかでも違ってくると思います。補聴器をつけたときの効果にも左右されるでしょう。
でも軽度で1対1で話すのに、聞き直せば理解できる人には、たとえば病院や個人懇談とかでは必要ないでしょうし、相手に筆談も交えてくれるように頼むくらいでなんとかなるでしょう。
一応、私はこういうことを望んでます。でも、こういう話、どこに持って行ったらいいんでしょうね冷や汗
>>[84]
『デジベルダウン運動』はやはりまだなんですよね。私より難聴の情報に詳しそうな方の意見もないみたいですし。

かなり話は逸れますが、私は数年前に胃を切除して、以来胃腸系が弱く、吐いたり下したりが頻繁にあります。ご飯を食べると下したりして夜通しトイレとの往復でしょっ中逆転生活になってしまいます。軽度の食中毒の様な症状に近く、一人で住んでいるものであまりにも辛くてmixiで嘆いてました。
するとメッセが届き「身体の調子が良くないみたいで気の毒には思いますが、見ていて気分のいいものではないですし」と解消されました。解消は仕方ないと思うのですが、「早く調子よくなるといいですね」くらいでなんですませてくれないのだろうと、憂鬱になってしまいました。結局健常者ってこういう風にしか考えられないんですよねあせあせ(飛び散る汗)

今はこんな状態で仕事ができませんでしたが、ちょっとマシになってきた感じもするし、金銭的にも余裕がないので、仕事を始めるにも、まず補聴器が欲しいです。面接受けにいっても人によっては何度聞き返しても全く聞き取れなくて、落ちる前に面接もできませんよね。
慈恵医大の医師には「あなた程度だと目が悪いから眼鏡をかけるのと一緒です」ともいわれたのですが、眼鏡はおしゃれでもかけられますから違いますよね。
「手帳もらうほどではない」の後には、手帳をもらう程ではないから大したことない…世間的にはそう判断されるのでしょう。
想像になってしまいますが、重度の難聴の方は自身が生活やらに不具合が多くて辛く、軽度は周囲に理解してもらえない(支援なども含め)辛さがありますよね。

「軽・中等度難聴者への支援」があるなら、検査を受けた病院などで紹介して欲しいです。相談にのってくれる公共機関が欲しいですし、あったら知りたいです。
>>[85]

国際難聴者会議をご存知でしょうか?
4年に1度、夏季オリンピックが開催される年に行われています。

この会議に参加されると、日本と外国との難聴レベルの差に驚くでしょう。
何故なら手話で会話している難聴者はほとんど日本人だからです。

外国の難聴者は補聴器が有効な方ばかりで、手話は不要だそうです。
外国では軽中度難聴がフツーの難聴で、重度難聴はろう?という感覚でしょうか?

それに比べて日本は軽中度難聴が健聴で、重度難聴がフツーの難聴といった感覚がありますね。

70デシベルの難聴者が会議に参加すると「オー、ヘビー!」となります。
外国の参加者はその大半が30〜50デシベルの難聴者です。

ですから国際会議では補聴器の話題で大変盛り上がっているそうですよ。
日本の難協では補聴器のことが議論されることはあまりありませんけどね。

医師の診断などもね。
日本と外国では事情が違うと思います。

補聴器や医師の診断が日本より外国の方が優秀であることは、外国の補聴器の方が性能が良いことから考えても予想がつくでしょう。

近い将来、日本でも国際会議が開催されることを祈ります。

ちなみに国際会議に参加するための旅費は平均30〜40万円だそうです。
聴覚障害者情報提供施設への相談ですが、大人の場合はどうなんでしょう?

仕事の相談なら「職安に行ってくれ!」になりますし、補聴器や日常生活用具の申請なら「手帳ナシならダメ!」になりますしね。

「手帳がないので仕事の相談にものってもらえず、補聴器も申請できず、困っています」と施設で訴えたところで、まともに対応できる職員がどれだけいるのでしょうか?

今から20年前の施設では「ここはろう者や中途失聴者が来るところです。電話のできる難聴者はここへは来るな!」という職員がいたほどです。

まぁ、今はそんなひどい職員はおられないでしょうけど、軽中度難聴者への支援ができる情報提供施設は日本にどれだけあるのでしょうか?

子供の場合なら教育相談にはのってもらえるかもしれません。
でも大人の場合は「?」です。
子供と大人とでは事情が違います。

「軽中度難聴者への支援」というのは、あくまでも全難聴が口先だけで言っているだけのことです。

全難聴さえもまだまだ本格的に取り組んでいない課題ですよ。
デジベルダウン運動については期待できないのでしょうか?

そんなことはないと思います。
デシベルダウン運動以前にやることがあるのだと思います。

自分も軽中度難聴者だったころにデシベルダウン運動にかかわる街頭署名をしようととしても人前に出ることを恐れて、老人たちの言い訳の「やる人がいない」の一括で終わりでした。

軽中度難聴者のデシベルダウン運動を起こすより、自分のメンタル的な面を自ら変えていくことが第一じゃないかと思います。

ストレスをためる自分がひどかったのですが、自分がストレスをためて不幸そうな雰囲気を出して、物事を斜めにかまえていることに気づきました。

我利我利になっていたころの自分がそうでしたが、自分が好きになれない人を他人はどうやって好きになれるのか、協力しようがないのでは?ということではないかと思います。
今思うと、メンタル的なサポートを積極的に受けた方がよかったと痛感しています。

moneyさんのコメントにありましたが、

軽中度難聴者への支援ができる情報提供施設は日本では現状ではないと思います。

医療的なことをのぞき、ごく初歩的な知識はOKでも、その後は役に立つかは難しいのではないかと思います。

中度難聴の頃に施設は一度だけいきましたが、期待はずれでした。
中度難聴だというスタッフがでましたが、あきらめているような感じでろくに教えていない状態ですから、トラブルが起こったら「難聴者はトラブルを起こす」と決めつけられかねないし、実際に自分もそんな話を聞きました。

コミュニケーション技法は教えてもらう必要があるでしょうね。

自分の場合はコミュニケーション技法を聴覚障害を持つヒーラーからセッションでマンツーマンのティーチングで教わりました。無料だと身につかないので、足りない分を後払いを持ち掛けて、OKをもらいましたが、身銭を切って身につくし、信用を得られることだと気づきました。

意見はいろいろとあるけれど、このままでいたくないという場合は、なんだかんだ言うより、自らアクションを起こして、先駆者にサポートと教えを乞うことも必要じゃないかと思います。

>>[89]

今日アドバイスもらったんですけど、難聴者協会よりもろうあ協会のほうが運動するならそちらのほうが強いそうです。
>>[91]
私は利用していますよ!
とてもいいお話をいつも教えてくれます!
とても助けていただいています!
>>[96]
私の地域の聴覚障害者情報提供施設では、今後は子どもの教育関係についても力をいれる予定だそうです。
ファックスしても返事かなかなか来なくて情報が集まらず、悔しい思いをしてましたが、施設の方が変わりに色々細かく聞いてくださって、大変助けられました。

私思うんだけど大人になってから中途失聴の人は、これまでの経験があるから、色んな知識があるわけだし、仕事でもスペシャリストな方もいらっしゃるだろうし、そういう知識を難聴の子供たちに教えてくれるような企画もあってもいいなぁ。たとえばカメラとかっコンピューターとかデザインとか専門的なこと。とにかく夢を持ってほしいですね。
それに中途失聴の人は、マナーもしっかりされてるし、言い回しとか、対応の仕方とか、やっぱり聞こえる世界で得た知識は豊富なので、いろいろな面で学ぶ事も多いです。
>>[97]
障害のない子供も、ある子供も、私は子供には世界を広げてあげて欲しいと思います。私は子供の頃から美術とか大好きだったし、絵を書くのも好きでした。ただ普通よりちょっと出来る程度。私には世界を広げてくれる人がそばにおらず、美大は絵が上手じゃないと進学ができないと決めつけていたので、受験やら全く考えたこともありませんでした。
学校を卒業して営業事務の仕事に就いたのですが、あまりにも性に合わず、退社し、たまたま見つけた求人広告から未経験にも関わらず、デザインの仕事に携わることができました。自分には才能がないという壁にぶつかっていた時に、交通事故やら不運も重なり、やめてしまいました。それでも仕事は好きだったので、今思えばそのまま続けていればよかったなと後悔してます。
デザインの仕事をしてる当時も軽中度難聴だったと思います。が、自覚もなかったし、社長の説明が全く聞き取れず、同僚に愚痴ると「ああ、あの人ボソボソしゃべるから、何言ってるかわかんないよね〜」とみながいいます。なので元々私は健聴者だったので、今も聞き取れない人は相手のしゃべり方がおかしい気がします。私が現在も聞き取れない人は、周囲も同じことをいいますが、私は何を言ってるのかさっぱりわからない、でも周囲は聞き取りづらい程度なんですよね。

スティーヴン・スピルバーグ氏は学習障害のため、同級生より読み書きを修得する速度が遅くていじめを受けたそうです。13歳の時父に8ミリビデオを渡され、映画に夢中になり今に至るそうですが、実は学習障害だとわかったのは5年程前だそうで、どうしてこんなに読み書きすることができなかったのかやっと疑問が解けたそうです。
スティーヴン・スピルバーグ氏の様に障害があっても成功してる方もいます。私は子供の頃から何でも人よりはでき、器用貧乏です。今もその癖が抜けず、「自分にはこれしかない」と思うことがなく、夢中になるものがないんですよね。
>>[87]
初めまして。
ご丁寧にありがとうございます。
ちょっとサイト覗いてみたのですが、手話とかそっちの方が多い様な。東京って人口が多いのに、施設が目黒区にしかないのにビックリしましたあせあせ(飛び散る汗)
>>[88]
全く無知です…
外国の難聴にも本当に色々詳しいんですね。
日本って先進国の一員であり、安全で平和な感じがありますが、障害や高齢者の生活のことを考えてない国ってどうなの?って思います。
日本製のものって車やパソコンやらの電化製品はとても高性能だと評判はいいのに、補聴器は外国製の方が性能がよいだなんて、どれだけ重視されてないかってことですよね。

現時点では日本で生まれて、障害を持つことは不幸ですね…
軽度であっても障害があると、ボランティアどころではない、自分のことで精一杯な部分って沢山あると思うんです。軽度の障害をもった子供や身内のいる方に、政治家になって欲しいなぁ。少しは障害者に優しい国になってくれそうな気がします…
>>[102]
施設ビックリするくらい少ないですよねあせあせ(飛び散る汗)
役に立たない的な発言と勘違いされる様な書き方になってますね…ごめんなさい。とにかく私は色々と受け入れられず、無知なので教えて下さるのはありがたいです。病院もですが、担当者次第で色々と道や気持ちは変わると思いますほっとした顔
>>[105]
市役所のほうに聴覚障害相談員の方はいらっしゃいませんか?
こちらでも色々と相談乗っていただけます。
えびんさんの作ったトピックが既に100件以上のコメントとなっております。
100件目投稿のjun-chiさん、おめでとうございます。

でもこんなに続いていいのぉ〜?
肝心のえびんさんのコメントが全然ないので気になったのですが・・・?
話題がゆきさんとひーちゃんさんに独占されてますよ。

ゆきさんのコメントの中に難協よりろう協の方が運動力があるというお話がありましたが、その通りです。

ろう者の方がやはり自分のアイデンティティを持っていますからね。

でもそれとデシベルダウンとは関係ありません。

ずっと上の方のコメントにも運動団体の歴史を書いたと思います。
何故、今日までデシベルダウンが実現されなかったのかという理由をね。

運動団体というのは、当事者が自らその団体に入って協会の仕事を手伝わないと、当事者の要望を聞いていただけませんよ。
10年、20年と手伝ってやっと「おまえ達の要望を聞いてやるよ。国や行政に訴えてやるよ。」になるのです。

難聴者協会にさえなかなか軽中度難聴者は入ってこない状態です。
ろうあ協会に軽中度難聴者が入って運動を起こせるでしょうか?
疑問です。

いくらろう協の方が運動力があるといったって、それとデシベルダウンとどう関係があるんですか?

デシベルダウン運動は当事者が主体的に外に出て、行動を起こさなければ実現しません。
難聴者協会やろう協会に頼んで何とかしてもらえる問題ではありません。

しかし私自身は、心神さんのおっしゃっていたように、運動よりもメンタルヘルス面の方が先だと思っています。
何故なら障害の受容ができていない方が多いからです。

埼玉大会の報告のトピックでも書きましたが、デシベルダウンを実現させるものの一つとして「障害の受容」があげられています。
残りの二つは「受援力」と「当事者がまとまること」です。

当事者の親御さんの話を聞いていて気になるのは、成人当事者の置かれている状態がどこまで理解できているのかということです。

ゆきさんの家庭なら両親共、障害があるので「うちは大丈夫」になるでしょう。
しかしそうでないご家庭の方がまだまだ多いと思います。

いくら新生児スクリーニングが普及して早期に難聴が発見されるようになっても、親が子供の難聴(障害)を受容していない家庭がたくさんあると思います。

そういう家庭の子供は「おまえは障害者でない」と言われて育てられるのです。
障害の受容など、とてもできたものではないのです。

ゆきさんやひーちゃんさんの知らない所でそのようなご家庭がたくさんあるのだということを肝に銘じておいて下さい。
まだまだあなた方の知らない世界はあるはずです。

新生児スクリーニングが普及する前に生まれた軽中度難聴児は悲惨でした。
親から変人扱いされて育てられた子供が多いでしょうね。

難聴児の親御さんの補聴器助成運動が全国的に展開してきているのは結構なことなのですが、その前に今までの歴史を振り返ってみて下さい。
歴史を知ることはひじょうに大切です。

正直な話ですが、ろう協会の方が運動力があるという話が出てきた時には、椅子から転げ落ちそうになりました。

えびんさんの最初のコメントのためにも書きますが、運動団体は当事者が運動を起こすべきだと思い、当事者は運動団体が何とかしてくれるものだと思っています。

とんでもない悪循環ですね。

しかし私自身はやはりメンタルヘルス面の方が先だと思いますね。

ある専門家のアンケート調査で、子供の時から難聴だった人の90%以上の人は、親からは理解されてこなかったと答えています。

いかにメンタル面が重要かがわかるでしょう。
私の書き込みはご迷惑になるみたいなので削除しました。
すみませんでした。
>>[107]
知らないことがたくさんあるのは事実です。おっしゃりたいことはよくわかります。
だからこそ、少なくともひーちゃんさんは、一生懸命勉強されてるし理解しようとされています。
「親が子供の難聴(障害)を受容していない家庭がたくさんあると思います。」
それは他のコミュをみても感じます。きっと子どもは親の期待に応えようとして苦しんでるでしょう。

でも逆のケースもあります。
私も大学にはいって、同じ聴覚障害学生と出会うまでは、障害の受容ができずに苦しんでいました。
親は「聞こえないとき、困っているとき、どうしてほしいか伝えて考えて、動かないとなにも変わらない」と小学校の頃から言っていました。
それでも、周りと特別扱いをされているようなのがとても嫌でした。
「お母さんなんかにわかるわけがない」と言ってはいけないとわかっていても、言わずにおれなかったこともあります。
ひーちゃんさんの周りのお子さんもそのような子どもさんがいらっしゃるそうです。
親は、「聞こえる人と同じになりたい」と頑張る我が子に。障害をどのように受容させたらいいのか、迷っていらっしゃる親もいます。
問題は親だけではありません。私たち自身にもあるのです。
だから、メンタルヘルス面の方が先とおっしゃるのはよくわかります。
デシベルダウンについての話に発展しないので、これで終わります。
ご迷惑おかけしました。
親も子供も障害の受容について悩むのは「障害は悪」という昔の考え方があるからなのかもしれませんね。

障害は特別なもの、前世において悪いことをしたからなったもの・・・という昔のふる〜い考え方が今の日本にはまだまだ根強く残っているのかもしれません。

親も子供もフツーの人になりたいと思うのは仏教国である日本だからかな?

欧米キリスト教国では、障害は神様の愛という思想があるようです。
ですからこのような国はボランティア活動が盛んですし、障害の受容もスムーズです。

親も子供もメンタルヘルス、カウンセリングは必要ですね。
難聴、聴覚障害の場合は、社会的にそれを障害として認めていない傾向が強いですからね。
ろう者、ろうあ者でさえ、他の障害者や健常者から見れば、軽い障害として扱われています。
ゆきちゃんの書かれている、ろう協会の方が運動力があるという話は疑問です。
実際に見て判断されたのならいいのですが、第三者のアドバイスで判断するのは避けた方がいいのでは?と思います。

地域にもよりけりですが、ろう者協会は手話をメインにするという特徴があることも1つです。難聴者協会にいた頃、難聴者協会にいた方がろう協会に移られて手話を覚えようとするなど、一時はうまくいっているように見えたのですが、数年して、自分が求めていたものとは全く違うと行かなくなったそうです。

難聴で中途失聴である自分の経験で書くと、メンタル面を解決しない限り、難聴者の方がろう協に参加してもうまくいかないのではないかと思うのです。

このメンタルヘルスについて言いだしっぺなのですが、どうも扱われる意味合いが精神科や心療内科に行くことの意味になっているのではないかと、気になったので書かせていただきます。

monkeyさんが指摘された「障害は悪」については自分のメンターが同じことを話していました。

前の自分がそうでしたが、身体障害の有無に関係なく自分を肯定できていない方にヒーリングセッションを行うと、ストレスがエネルギーとして、手のひらをナイフでグサグサ刺されるような痛さを感じるのだそうです。子供はまだ楽かと思いきや、かわらないそうです。

年代を重ねるほどひどい状態の人がいるそうで、ほとんどがそのことから目をそらすため、何らかの気晴らしを求めているとのことでした。

難聴者協会の人で自分の親や社会に対する恨みごとを延々という人がいましたが、そういう人は例外なく、貧相でつきあいたくないと感じるほど、うっとうしい感じの人でしたが、まさにそれでした。もっとも前の自分もそうでしたが。

一例をわかりやすく挙げると、否定的なエネルギーがヤマアラシのようにとげとげしくとがっているのを他人は無意識に感じて、「あの人感じ悪い!」と敬遠したり発音などで嫌な対応をしてしまったり、それによってまた自分を責める悪循環が続いてしまうとのことでした。

この辺りは自分でもまだよくわかっておらず、うろ覚えですが、とくに「『障害は悪』という実は自分も含む社会で無意識に作り上げた価値観によって自分を責めて、否定的なエネルギーを繰り返し生み出す循環になっている」そうです。

こうした自己肯定を妨げるストレスに関しては普通のヒーリングやカウンセリング、市の身体障害者相談員、精神科でも全くのお手上げでした。精神科や心療内科は薬漬けになりたかったらどうぞという感じでしたが、市の身体障害者相談員は全く役にたちませんでした。

紹介をいただいて、ドアをノックしたのが今のメンターですが、原則としてハンデのある方はセッションを受けた方の紹介のみで、「変わる」と決めた方しか受け付けていないそうです。

初めてヒーリングセッションを受けた時、自分の頭がサーっと真っ白になったという感じ、とても深いリラックス状態で、穏やかで平和な感じとはこういうものなんだと感動しました。その日は久しぶりにぐっすり眠れたのには驚きました。もっともすぐに元に戻って次の月に再度予約をとりました。

メンター曰く「心神さんのエネルギーはむちゃくちゃ痛かった」と言われました。

(次に続きます)
(前からの続き)
こうして最初は蓄積されたストレスによるエネルギーを解放することから始まり、メンタル的なものを長い時間をかけてじっくり緩和していきました。

1年近くストレス解放のためのセッションが続きましたが、そのあとは、ストレスを適切に緩和しつつ、メンタル的な対処の仕方をコーチしてもらい、コミュニケーション技法についても適切なコーチを受けました。

メンターもずっと「あなたは障害者でない」として育てられ、特別扱いを嫌って「聞こえる人と同じになりたい」と頑張って、成績も優秀で一時は「口話教育の成功事例」とも絶賛されたそうです。しかし、社会に出てから仕事や対人関係など、あらゆることがうまくいかなかったそうです。

たびたび感じる強いストレスに耐えられず、自殺しようか・・・と思うくらいにたびたび精神的なものに苦しんだとのことです。それがヒーラーとしての能力を開花させるきっかけになったそうです。

終わりのない迷路をぐるぐる回る感じの強いストレスから解放された今は本当に天国だと感謝しています。

難聴者協会で理想としてすばらしいことをいっても、実際の対応となると、学生運動世代の老人達の「頑張ろう!」「社会を変える!」と抽象的な話ばかりで、解決とは程遠い状態でした。

精神エネルギーの存在をサヨクイデオロギーからくる偏見で「宗教だ」「非科学的」として、意図的に避けたり、無視してきたツケが今、出ているのだと思います。

自分がデシベルダウン運動を動かす!と意気込んで一時は関わっていた難聴者協会の活動は今は離れましたが、当時はただの自己満足でしかなかったと恥ずかしく感じています。

セッション料金や個人教授など、毎月の費用はかかりましたが、それ以上のリターンがあったことは確かです。これを自力でやろうとしたら、25年以上、途中で断念して、世を拗ねてグチばかりを言っていただろうなと思います。

「難聴者自身が自ら変わろうとしても、必要なお金を惜しむということは、自分よりお金の方が大切だと無意識にすり込んでしまうため、結局問題をややこしくする人が多いです。」と指摘され、「難聴者の支援は無料にすべき!」といっていたことも今となっては恥ずかしく、それなりの身銭を切っていくことの重要性を改めて実感しています。

メンタルヘルスについては公的機関はそこまでは支援しませんから、結局は自分の度胸と決意次第だろうなと思います。

「社会を変えよう」「デシベルダウン運動を!」と意気込む前に、メンタル的な問題を解決しつつ、地域社会や職場でのコミュニケーション、対人関係がスムースにいけるようにしていくのが先だと、今はそう思います。

そのためにストレスなどのメンタル的な問題を自分のようにできる人に手伝ってもらいながら解決して、メンタル的な対処方法、自分のコミュニケーション技法を相談しつつ、手がかりを教えてもらうことが遠回りだけれど、近道だと思います。

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