ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

戦国関東甲信越城郭研究会コミュの太田金山オフご報告(金山城篇)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
22日午後、太田金山ガイダンスセンターの駐車場に集合した一行は、センター見学後、いよいよ金山城への登攀開始。
ちなみにこのセンターは、昨年、できたばかりで展示物はまだまだといったところ。ただ、由良氏という国人領主の城にもかかわらず、こうしたセンターを造るのは快挙かも。
ということで、西城の駐車場に再集合し、一人十五秒の自己紹介開始。資料の配布などで二十分を使う。やはり四十人を超すオフはたいへんです。
早速、喰い違い虎口を見学後、見附出丸へ。このあたりは複雑な虎口構造をしているので、第二期整備後の姿が楽しみです。
そこで反転し、もう一度、西城の駐車場を通り、本城域へ。
そこには、ローマ帝国を思わせる異世界が広がっていました。縄張り構造については、すでに多くの識者が触れていますので、ここでは触れませんが、印象としては、まがまがしい戦闘用の城という色合いは薄く、風流を極めるための空間構成を感じました。つまり、継起性(シークエンス)の美というのですが、城にやってきた人々に、次々と石の芸術を見せ、陶酔させるという狙いがあったのかもしれません。池や石の空間構成にも、石積みの微妙な湾曲にも、すべてはアート魂が籠っているような気がします。
しかし、それは江戸期の城のような威圧が目的ではなく、来客者の心をなごませ、風流モードに切り替えさせるような効果があるのでしょうね。
言い換えれば、イソップ童話の「北風と太陽」の太陽のような城と言うか、平和を希求している城なのですね(「照れちゃうな」という由良成繁の声がする)。
ほんの数センチでも立つ場所を変えるだけで、変容していく美―。
山中城の美が無意識裏に造られた機能性の美なら、こちらは意識的に造られた芸術性の美なのでしょう。その価値観は対極にありながら、双方ともに、この時代の普請芸術の象徴となっているのです。
これほど、芸術性を意識させる城はありません。
ちと褒めすぎました。

続いて、次回は唐沢山城と足利の史跡です。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

戦国関東甲信越城郭研究会 更新情報

戦国関東甲信越城郭研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。