ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

スピリチュアル、精神世界が嫌いコミュの自己紹介のトピック

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
おれから自己紹介をしなければ始まらないな。
このコミュニティに趣旨に沿った自己紹介が望ましい。
おれは偉そうにするけど、みんなも偉そうにしてくれ。
まず、スピリチュアルや精神世界は根本的に間違っている。
いちいち上げ足を取らなくてもあたりまえだろう。
でも、そのことがわからない人が多い。
『そういうのを信じて幸せや心の平安が手に入るならいいじゃないか』という意見が聞かれそうだけど、その意見に対する説得力のある回答をおれは持っていない。
でも、嫌いなのだ。おれは基本的には自然科学の知識でそういう世界の基盤となる真理について批判する側に回る。
そのほかのアプローチにも期待しているのだ。たとえば社会的に悪影響があるとか、世間知らずの若い人ほどそういうものにすがり、ニートのような存在になってしまうとか。
そういうことを分析してくれる人も欲しいところだ。
とにかく、嫌いな人は歓迎だし、好きな人もアピールして欲しいと思う。
擁護派の意見も欲しいところだ。遠慮なく議論できるコミュニティに発展できればいいかなと思う。

コメント(30)

i_wish_forever_001さん参加してくれてありがとう。マジでうれしい。
偉そうにしなくてもいいんだけれど、こういうのもいいな。
精神世界には大まかに二つの勢力があるわけだ。
おれがなぜ精神世界が好きじゃなくて、放っておけないのか聞いてくれ。
おれの友達から精神世界というものがあることを聞いたのが約一年前。彼の口からは科学用語が出てくるのだ。波動とかクオークとかエーテルとかそういうの。彼は進化も認めてなくて犬にはもともと犬の魂がある。といっていた。

さらにはくだらない本を読んで、相対性理論がまちがっているとか言い出し、エーテル宇宙論を展開しだした。彼の説明によるとデカルトのエーテル理論の変形としか思えなかった。さらに信じがたいことに月が15000年前に地球に捕獲された巨大水星であるなんていう、ほんの少しだけ考えれば、否定される証拠がいくらでも出てくるようなことを真に受けてしまっていたのだ。

彼は本もたくさん読んでいるし、話してて決して馬鹿じゃない。でも、ほんのちょっとした思考実験をするだけでおかしいと気がつかなくてはならないようなたわごとを信じていたのだ。

彼は賢明な人間だと思うだけに、エーテル宇宙論やデザイン説の変形のような進化論を信じさせてしまった精神世界が憎いのだ。

i_wish_forever_001 さん。(呼びにくいから簡単な呼び方を教えてください)の言うように禅などの悟りもチャネリングも脳の問題であることは簡単な思考実験で納得してもらえると思う。たとえばチャネリング中の人をfMRIかなんかにかけて活性している脳の部位を見ることができる。

それで乱暴な話だけどその活性している部位を切除してしまったらチャネリングは中断されてしまうと考えられる。もちろん倫理的にそんな実験はできないけれど、そうなるだろうとは納得してもらえると思う。脳科学に期待をしているならこのことを否定することはできないはずだ。

瞑想でたとえば神を感じることができるとする。その瞑想中に脳内ホルモン(ノルアドレナリンでもセロトニンでもなんでもいい)を増加させる効果を持つガスなんかを吸い込んだりしたら、瞑想に影響があるだろう。(逆に瞑想、トランス状態になるために薬を使うことも多い)

インドのグル『OSHO』のことはよくわからないのだけれども禅とタオについてはまったくしらないわけではない。そういうことも脳そのもののことで脳の中の幽霊のことではないというふうに認識していいのかな。ここで食い違っちゃうと話がややこしくなってしまうので確認しておきたい。
サンさん、参加してくれてありがとう。

理学部で科学的真理というと精神世界と相性がよさそうだな。
おれも、研究者は自分の研究から哲学的なことを生み出すべきだとは考えているのだけれど、科学的研究をそっちのけで哲学や本質論に走るのはどうかと思う。

『くたばれっっっ精神世界』ってコミュに参加していて、そこは少人数だけど活発な議論がなされてる。そこで哲学が好きな人に出会った。

多かれ少なかれ精神世界が好きな人は『本質』や『哲学』を好むと思う。しかし、おれは現象論で満足すべきだと思うのだ。

だいたい、物理学と人間の精神を直結するのは、無意味だと思う。物理学の基本法則は『真理』に極めて近いと思うがそれすら現象論とするのが科学者の態度としては好ましいと思う。

おれが最も注目して、勉強しているのは、究極の理論ではない。科学は究極からは程遠いところにいる。精神世界は究極を語るが、その根拠はない。

どんな学問からも哲学は生まれると思う。精神世界や科学でも真理に近いところにいる人たちは、歴史科学関係、たとえば地質学とか古生物学とか心理学とか経済学とか馬鹿にしていたり、まったく検討もせずに自分には無関係だと考えている。

おれは進化生物学と自己言及システムのようなシステム論がおもしろいと思っている。どちらも精神世界のような究極を求める人には受けが悪いと思うが、そんなことも知らないで真理を語るのはばかげていると思う。

精神性のことはやはり心理学と脳科学の連携がまずアプローチとしては無難だし、実りの多い結果が期待できると思う。プログラムとしての精神というアプローチなら人工知能も役に立つだろう。それらの結果を総合する学問としては進化生物学が適当だと思う。

もし、進化生物学をよく検討したことがないのならばダニエル・デネットの『ダーウィンの危険な思想』を読むことをお薦めする進化論についての入門書としては最高だと思う。

トランスパーソナル心理学はまったく知らない。もしよかったら参考文献を紹介していただきたい。サンさんの説明ではトンデモくさいと感じます。でも、全学閥統合というのには惹かれます。おれの本命は進化生物学(ネオダーウィニズム)なのだが、そのほかのことは無意味というような偏狭な知的好奇心ではないよ。
せっかくコミュを作ったのに放置していて申し訳ない。
画像も何にするか決まっているのだが、それがなかなか見つからないのだ。見つかり次第コミュの看板としてアップする予定だ。
気に入らない人は、そのあとに何か提案してほしい。

ここを放置しておくつもりはない。
まだ、コメントはしてくれていないが、2人増えて、いつの間にか5人になっていた。

こんな画像もない過疎コミュでも、参加してくれる人はいるのだ。おれは今、急激に成長している真っ最中だ。数週間後には二段階くらいレベルが上がって、新しい命題を提示するはずだ。

おれは認知科学とダーウィニズムが鍵を握っていると考えている。認知科学は心が関係するものならどんなものでも検討する対象になる学問だ。逆を言えば『認知科学』というものの典型的なものはないのだ。

認知科学をやるのには、ベースとなる知識はなんでもいいのだ。物理学でもいいし、化学でもいい。生物学でもいいし、エンジニアリングでもいいのだ。当然、心理学や言語学は中心的な位置にある。

ダーウィニズムというのは、あらゆることを工学的に説明する還元主義だった。心は成長によって形づくられるものだ。形はないかもしれないが、形式はありそうに思える。形式があるとすれば、その形式が作られる過程があるはずなのだ。その過程は工学であるはずなのだ。

心理学はまさに工学的なことをやっている。事例研究とか精神分析なんかはその典型だろう。今の状態が何によって引き起こされたのか関連づけようとしている。その方法が科学的かどうかは別にして、リバースエンジニアリングの視点は心にも使うべきだ。

リバースエンジニアリング【reverse engineering】
競合する他社が開発した新製品を分解・解析し,その原理・製造技術などの情報を獲得して自社製品に応用すること。分解工学。RE。

要は、今あるものを解析して製造技術やその部品の役割とか機能なんかを推測することだ。

心だって、時間をかけて赤ん坊のときから作られてきたものなのでリバースエンジニアリングの心理学は有効なはずだ。その解析の方法が難しいのだろうけどね。

おれは認知心理学を学ぼうかと考えている。ネオダーウィニズムと認知心理学で認知科学に参加したい。心理学は社会生物学じゃないけれど科学系からは切り込みやすい学問だ。

認知心理学は人文系ではあるが、どうみても科学といえる。言語学や人工知能はちゃんと学べる自信がない。認知心理学ならなんとかなりそうな気がする。だからやるのだ。

話は変わるが、精神世界の特徴に気がついた。ちょっと前からどう書こうか考え続けているのだが、なかなか書けない。関連した記事はだいぶ前にブログに何本か書いている。それをもっとはっきりとわかりやすくしたものが思い浮かんだのだ。

近いうちにブログに書いて、それをここと『くたばれっっっ精神世界』にアップするつもりだ。いろんな人の意見を聞いてみたい。

ういっしゅさんへ
今日、九州の大雨で家を失った人のニュースを見ました。
嘆いていました。絶望していました。そういう人こそ神や悟りや癒しなんじゃないかと感じました。『くたばれ』のほうでういっしゅさんが『先進国用』といっていましたが、絶望を経験したことのない人が精神世界とか真理とかそういうものを語っているのではないのかと私は思います。宗教を信じきるわけでもなく、自分の感性に合った思想を受け入れること。それが精神世界なのかなとか思います。

サンさんへ
認知科学に進まないでよかったのではないかと思います。認知科学は専門分野がないと自己主張などできない学問だと思います。サンさんは化学とトランスパーソナル心理学をもって認知科学に挑戦すべきだと思います。ネオダーウィニズムと自己組織化の物理学も勉強しておくと役に立ちそうです。

ウィルバーの本、読んでみます。おれの印象では心理学を軸にするとトランスパーソナルは認知科学と対称の位置にありそうな学問だと感じます。方法論自体が科学的ならば認知科学でも議論される余地はあります。

おいらは今、認知科学で最も影響力がありそうな人の本を読んでいます。デネットの『ダーウィンの危険な思想』という本です。ダーウィニズムの本質をドーキンス以上にわかりやすく説明しています。この本を何人かに読んでもらうために、なんでこの本を読む価値があるのかをアピールする記事を書きます。このコミュの人が読んでくれることを期待しています。

それから、今注目している人は古いかもしれないけれど、チョムスキーとカウフマンとペンローズです。言語学と自己組織化と数学と量子力学ですね。ロックとヒュームとラッセルもチェック入ってます。構造主義とポストモダンも知っておかなくてはならないともずっと思っています。

学びたいことが多すぎて困りますが、学者レベルだとこのくらいは当然かなとも思います。実際、認知科学や進化生物学の大物は恐ろしく博学です。デネットの本を読むと知識の差に絶望感を感じてしまいます。頭の良さの前に知識の量の差が立ちはだかります。大学生のサンさんがうらやましいです。認知科学を視野に入れておけば、小さくまとまらないでいられると思います。とりあえずダーウィニズムを学んでみてはどうかと提案します。

とにかく、このコミュは維持していきたいです。まずは画像ですな。今回はこのへんで失礼。
新しい人が何人か参加してくれた。
気になるのが、jan(ヤン)さんだ。
同じ埼玉県だし、音楽やディックの小説など趣味が合いそうだ。
コルトレーンもエバンスもおいらは好きだ。
jan(ヤン)さんは『くたばれ』のほうにも参加している。
自己紹介はまだみたいなので、どちらでもいいので暇があったらなんか書き込んでくれたらうれしいです。
初めまして。こんにちは。
このコミュのタイトルの通りです。

私の周りにはニューエイジに感化された?人、やたら「平和のために、自然のために祈ります」って人が多いです。

はっきり言ってキモチワルイ。
私には科学の知識とかないですけど、管理人さんの意見に賛同して参加させて頂きました。
よろしくお願いします。
やよいさんはじめまして。
管理人のたつたつです。
しばらくネット断ちしていて、このコミュは機能していなかったのですが、新たな知識や考え方も身についてきたので、私のほうから問題提起を積極的に行っていく予定です。

近々このコミュの看板となる画像をアップします。

私は別に宗教や精神世界が嫌いなわけではないです。
でも、そういうものに感化された人が世の中を動かすのには我慢なりません。

宗教には長い歴史があり、その戒律や思想を守る人を軽々しく否定する気にはなりません。

でも、精神世界は宗教ではなくインチキな思想だと考えています。精神世界の思想は真実に対して誠実だとは到底感じられません。ほとんどが欺瞞の上に成り立ったものだと思います。

科学の世界もイデオロギーや政治的圧力による欺瞞はあるのですが、その基本思想はすばらしいものがあります。ガリレオのから受け継がれてきた真実に対する誠実さが今も多くの科学者によって受け継がれています。

また、近いうちにといい加減なことを言ってしまいますが、その思想を端的に表現しているファインマンという理論物理学者の大学の卒業生に向けた式辞を全文引用して投稿します。

真に真実を探求する者の態度がよく表現されていると思います。是非目を通してください。

やよいさんの投稿がこのコミュの久しぶりの投稿だったのでうれしいです。やる気も出てきました。ありがとうございます。

おれから、このコミュはトピを自由に遠慮なく立てていいところです。私のアイデアには限界もあるし、偏りすぎるところもあります。参加している人が気兼ねなく問題提起できるコミュになればいいなと思っています。

今回は投稿ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
ナナミさん
参加してくれてありがとう。

どうにもネットで活動することには、非常に積極的な時期とまったく何もしない時期があって、そういう理由でここは過疎コミュになってしまいました。

ういしゅさんの『くたばれ』のほうをがんばりすぎたのでここは放置してありました。

久しぶりに見てみると書き込みがあったのであわてました。

せっかく自分のコミュなのだから、『くたばれ』のほうでしなかった問題提起もしていこうと思っています。

私の主張は主に自然科学からのものですが、最近は認知科学や認知心理学や人工知能などからずいぶんと影響を受けています。

じつは書きたいことが山積しているので『くたばれ』のほうとこちらとスイッチが入ったときにはたくさん書き込むと思います。

それと、精神世界や自然科学とは畑が違うのですが、社会福祉とメンタルヘルスについても非常に興味があり勉強しています。いじめ、虐待、殺人、など今話題の事柄にも自分なりの視点を持っています。そういうこともとりあげていきたいです。

ナナミさんのコミュも拝見しますね。カキコもするかもしれません。どうぞよろしくお願いします。
『自己紹介』のトピックスを拝読したぞ。
(ならって偉そうにするぞ!)

自分はスピリチュアル・精神世界の理想的世界観が好きだ。
時には、破天荒で、現実乖離的で、少女趣味的で、おとぎ話的で・・・、な世界観に陥りがちだが。
それでも自己および他の幸福を求める気持ちには共感するのだ。

一方、たつたつ氏の科学至上主義な姿勢にも好感をもつ。
科学は現実の物質世界に立脚しているし、我々人間も当然その物質界の住人なのだから(悟りを開いたら別なのか?知らないが)。

この世の成り立ちは、科学だけで語れるのか?
個人的には、科学だけでは限界があると思う。
しかし科学抜きでは語れないとも思う。
科学+アルファ=宇宙・人生
とするならば、アルファの部分がスピリチュアル・精神世界であるのでは?と期待するのは間違いだろうか?

たつたつ氏の比較的公平な態度は、このような問いに対する他の多くの人の意見を聞くことができると思う。

そこから得られる結論は、『科学が絶対!』なのか?

今後に期待する。
Gomettiさん書き込みありがとう。

ここのところデカルト、ラッセルと哲学を続けて読んだ。
それで、精神世界以上に哲学のほうが厄介な存在だということに気がついた。

精神世界は東洋思想からの影響が強いが、ヘーゲルなどの観念論の哲学の影響も小さくない。

デカルトは、今、思考している自分だけが確実に存在することを発見した。哲学の基盤はここにある。これを基盤に発展させると観念論になる。

いろいろあるらしいが、共通するのは、観念論とは、物質の存在を認めないという立場だ。

物質が存在することを論理的に証明することができるか?という問題があるが、ラッセルは『できない』と結論している。

しかし、物質が存在しないと証明することもできない。要はどちらの立場が合理的で、シンプルで、応用が利くかという問題になる。

科学の立場は物質が存在することを前提としている。自然には法則があり、その近似を科学は示すことができる。でも、科学では『真理』には到達することはできない。

無限回の実験ができないこと。まったく同じ条件のの実験をすることが原理的に不可能なこと。などのことから科学は限定された条件の中で最も自然法則に近いものを『真理』ではなく『正しい』『妥当』『信用してもいいだろう』と言う。

物理学者なんかは量子力学を『真理』だと思っている人もいそうだけれども、哲学者に言わせれば『真理』とは言いがたい。

精神世界でも、やはり『真理』に到達することはできない。なぜなら、科学は限定された条件では信用できる。それを否定することはできないからだ。

さらに、精神世界は観念論的なところがあるので、現実世界を記述するのには不経済で能率が悪い。

精神世界の厄介なところは、戒律や道徳みたいな、『どうすればいい』というような『教え』を信じるためには、その『教え』が立脚する世界観も信じなければならないところだ。信じなければその効果が発揮されないし、その重みを感じることもできないというところだとおれは思っている。

しかし、世界観の話になると、精神世界は科学に比べてその根拠が非常に弱いし、おおよそ正しいだろうと考えられている科学的事実に反することも多い。

>この世の成り立ちは、科学だけで語れるのか?
個人的には、科学だけでは限界があると思う。
しかし科学抜きでは語れないとも思う。

この世の成り立ちという問題は、再度実験して調べられる性質のものではないので、歴史科学的な研究と理論に頼るしかない。状況証拠を積み重ねてだいたい正しいだろうという程度にしかわからないと思う。

しかし、宇宙の年齢137億年、誤差1億年というかなり正確な数字を出していることを甘く見ないほうがいいとも思う。現状ではビッグバン・インフレーションモデルよりも説得力のある『この世の成り立ちモデル』は存在しない。

このモデルは理論から予測される現象を検証し続けてできたモデルなのだ。もちろん、まだわからないことのほうがわかっていることよりもはるかに多い。でも、今のところは他に代替できるようなものは科学・宗教・精神世界を含めてあるとは思えない。

>科学+アルファ=宇宙・人生
とするならば、アルファの部分がスピリチュアル・精神世界であるのでは?と期待するのは間違いだろうか?

ほとんどの心理学者、AI研究者、脳科学者は『心』を解明することはできないと考えている。(解明することはできないが、創り出すことは可能という意見も多い)しかし、これは個人に当てはまることであって、統計的には人の心を予測できるとも考えているのだと思う。

統計は科学の方法としては最も信頼されている方法のひとつだ。理想化された心理学的実験ではかなりの信頼性を持っている。他のコミュで書いたのだが、視聴率なんかは誤差5%程度の信頼性がある。

統計的には予測できても、同じ精度で個人の心を予測することはできない。ちょっとずれてしまった。

>『科学が絶対!』なのか?
それはない。科学はシンプルでわかりやすいことしか扱えない。物理学は繰り返し実験できる程度のシンプルな現象についてはものすごい精度があるけれども、生物学になるとずっとその精度は落ちる。もっと複雑な社会科学なんかだと予測される精度は5割以下でしょ。

科学はこれからも進歩して、変化していく。100年後の科学者が今の科学を見たら、稚拙で間違いだらけに見えると思う。でも、よくやっていると感心することは確実だと思う。

デカルトなんかは今の科学的事実とは間違っているのだけれど、その当時の科学的事実だけで『よくここまでやったな』と感嘆してしまう。

『方法序説』読んでいないのだったら、ぜひ読んでほしい。『われ思うゆえ、われあり』だっけ、これは哲学的には重要だけれども、科学的にはほとんど無意味だ。デカルトの真の価値はガリレオと同様に科学の道を作ったことだ。

観念論と物質論のたとえを思いついた。観念論はwindows上で他のOS用のプログラムをエミュレーターで走らせたような感じかな。このたとえは説明が必要だとは思うけれども、果てしなく長くなってしまいそうなので割合する。

いいレスになっていないかもしれないけれど、話がずれてしまうのはおれの特徴でもある。勘弁してね。

科学は絶対ではありえないが、科学を独りよがりな思想で否定するのは、あまりにもばかげている。

やっぱり精神世界は『真理』を目指すものではなくて、生活していくうえでのスキルのひとかけらに過ぎないと思う。

別に、その生活信条や信念が宗教のように体系的じゃなくてもいいんじゃないかと思う。

Gomettiさん。またお願いします。
Gomettiさん、ちょっと追加します。

>それでも自己および他の幸福を求める気持ちには共感するのだ。

おれもそれは共感できるのだけれど、その具体的な方法が稚拙で無計画で現実的じゃないと思う。

ケインズだっけ(かなりあやしいので信用しないで)、経済学者だったと思うけれど、個人が自分の幸せを追求すること、自由競争がすべての人が幸せになれる社会を作る。というような思想だったと思う。

今の格差社会では、こういう思想は間違いだったことが判明してしまったけれども、こうなるとは誰も予測できなかった。

でも、福祉の基礎は自助であり、自らを助けないものは、誰も助けられない。まずは自分のできることをする。これが基本だと思う。

情報が制限されていて、宗教や倫理がうまく機能していた時代もあるように見えるけれど、実際にはちょっとした思想の違いで殺し合いが行われたり、そこまでいかなくても、仲間はずれにされたりというようなことは今よりひどかったはずなのだ。

みんなで同じ価値観を持とうというような試みは、違う価値観に対して寛容になれなくなる危険性がある。精神世界とかスピリチュアルとか個人主義になりすぎた社会への反動だと思う。

一見、よさげに見えて、みんなそうなれたら気持ちいいと思えるような思想はよく考えるとおかしなところだらけだと思うよ。

おれの意見は『幸せの基準を下げればいいじゃん』と思うのだ。そうすれば幸せな人は増えるわけだし、、、

多くを望むから幸せじゃないと感じるだけだと思う。
自分が幸せじゃないと感じていて、幸せそうに見える人がいるから幸せを願うのか、
または、自分が幸せを感じていて、他の多くの人が幸せじゃないように感じるからなのか、どっちかなのだろうけれど、
その行為や思想の行き着く先を深く、科学的に考えているとは思えない。

同じものを求める人が多くなればなるほど競争が激しくなるのは自然の摂理だ。精神的なものは無尽蔵だから限りある物質を奪い合うようなことにはならないと言いたいのかな。
そんなに単純じゃないと思う。

世の中ってのは、個人が予測できるほどシンプルじゃない。ちょっと考えてみればわかるはずだ。親子関係ですら複雑なのだ。『みんなが幸せになれる方法』なんて机上の空論だよ。

他の人を不幸にして自分が幸せになるのは難しい。よほど無神経な人間じゃないと無理だと思う。単純に身の回りの人に気を使ったり、他人に迷惑をかけないという程度で十分だと思うし、それ以上のことをしようとするとやりすぎて逆効果になりそうな気もする。

なにしろ、科学的な研究も難しい分野だから、何の根拠もないけれど『自分がされたらどう感じるか?』って考えるだけでもいいんじゃないかと思う。
>15,16:たつたつさん

まずは、早速の返事に感謝する。
(また偉そうな口調を使わせてもらう。楽しいので。)

たつたつ氏の思想は、その守備範囲が私と比べてとても広いことに感心している。広いが故に今回もらったコメントの中で、俺はどこを突っ込んで議論できるのかを考えあぐねている。いくつかコメントバックしてみるが、(それにこだわらず)気長に意見を発信してもらえれば有難い。

包括的な宇宙・世界観を構築する(真理を得ること、と同義)うえで、『科学』を土台に据えるのは良策だと考える点において、俺は氏の考えに賛同する。
この場合の『科学』というのは、学問領域を指すのではない。ある事象(B)が起こる原因が(A)であると仮説をたて、A-B間の因果関係を検証しようという『科学的姿勢』のことである。言い換えれば、『仮説を検証して真理に近づこう』という姿勢だ。

この姿勢は、氏の発言にもあるように、デカルトから始まった科学において顕著な成功を導いたのだと思う(方法序説は未読だ)。

さて、ここで精神世界に話をもっていこう。
『精神世界』と呼ばれる話題は、これも幅広い。
俺が興味をもつキーワードは、『UFO、宇宙人、前世の有無、臨死体験、カルマ、幽体離脱、超能力、潜在能力、潜在意識、集合的意識、神の存在、天使・ハイアーセルフ、ソウルメイト、人が幸福であるための思想、自己実現、ヨガ、瞑想、悟り、神秘体験、至高の喜び』
だいたい、こんなところだ。

そしてこれらに対して、科学的検証の姿勢でアプローチすることを『試みる』ことが、自分自身の世界観を広げる上で有用であると思っている。要は試してみるのだ。「瞑想が悟りを開く」と仮説を立てるならば、実際に瞑想を試してみる。もっとくだけた例では「特定の呼吸法によって、学習能力が高まる」という仮説を立てて、それを検証してみるのだ。

「悟りを開く」「学習能力を高める」というのは、俺の興味であったり必要性であったりすので、その意義については今は議論しない。

仮説を立て、検証し、結果をみる。
結果が望むもの、予想されたものでなければ、仮説を破棄する(検証方法を見直すという場合もあるが)。

氏はトンデモ科学の例として「宇宙はエーテルで満たされており、ビッグバン理論は間違い」という主張を引き合いに出されていたと思う。
俺はエーテルの何たるかを知らないが、それを検証する努力は否定しない。(既存の科学で十分に検証された事象を、別の視点から検証しなおすのは好ましいと思うが、よく仮説を検討しないと、検証の努力は自身の仮説を破棄するための努力になってしまう。。それは空しい努力だろうと思う。)
したがって、俺はいわゆる『トンデモ科学』を好ましいとは思わない。

では、俺の言うところの、『トンデモ科学』と『精神世界』の違いは何か。
前者を好まず、後者を好む理由は何か?

それは、後者は『科学で肯定も否定もされていない』からだ。
未知の可能性を感じるのだ。

『科学的に否定できなくとも、真理でないことはあり得る』という自戒を持っていれば、『精神世界』は俺にとって『面白い遊び場』だ。
はじめまして、たつたつさん。
私は絶対肯定派でもなく、胡散臭い大嫌いだ派でもありません。

ただ、あまりにもブームになりすぎて、見かけるんですよ。最近、アホな事言ってる人。
で、「偶然なんだけど・・・あっ!偶然じゃないんだよね〜」・・・・イラっときます。

偶然です。
てゆーかそんなに掘り下げなくていいから・・そこは・・・
私は世界の平和とか強く望みますし、祈ります。
無心論者ですけど・・・
子供育ててますから地球環境とか切実ですしね。

たつたつさんの説得力あるおはなし、そして
偏る事のない物の見方に感動しました。
お仲間に入れて下さいね。
>まみちゃんさん

はじめまして、宜しくお願いします。

この前、週刊朝日かなんかでスピリチュアルのカリスマの一人、誰だったかおぼえていないけれど、そういう人が、最近は『オーラが見える』とか大っぴらに言える人が増えたと言っていました。

そういう空気があるのだと思います。偶然を過大評価するのはありがちなんだけど、分別のあるはずのいい大人までそういうことを臆面もなくいえてしまう世の中になっているのかな。

それがどういう悪影響を及ぼしているのかは考え中だけど無害だとは思わないです。偶然を過大評価することは自分を特別だと思っていることになると思います。自分が何かに影響を及ぼしているとか思ったり、そういう自己中な面が問題なのかな。と思いました。

単にキモいとかうざいとかそういう理由だけじゃないと思いますし。それでは説得力がないですよね。

考えてみたいテーマですね。

また、よろしくお願いします。
なんでいけないのかみんなで考えてみましょう。
私は「オーラの泉」コミュにも入っています。
きっかけはその管理人さんのちょっとしたご縁でしょう。
彼は社会の不条理な抑圧に負けてこころが折れた人です。
鬱病です。
自殺させない為にいろいろ気をもみました。

現に彼らは江原さん、美輪さんの言葉に生きる糧を見出し、ご自身の指針として参考にしているようです。
また、不思議とそれに反発してくるお方もいらっしゃいまして、嫌がらせをしかけて・・・
まあ、「荒らし」っていうんですか??

彼の病状は悪化し、何の為のコミュなんだか・・・
今はコミュのあり方を変えて一応、落ち着いています。
オーラのコミュも私にとっては息抜きなのですが
やはり、こころが病気の方にとってはそのウェート
はかなりのものです。
それがいいか、悪いかは私にもわかりません。

でも、そこをつついて嫌がらせをし、病気の事をおちょくる人が”アンチ”ならば私は決して”アンチ”ではないでしょう。

話が反れてすみません。
はじめましてー

自分はあんまり難しいことは分からないですが
スピリチュアル云々も朝のニュースの星占いくらいに信じてる分には別にいいんじゃない?と思います。
でも最近ってスピリチュアルで金稼いでる人とかいるのが
嫌な感じだなーと。江原ナントカとか。

あと、スピリチュアルなアテクシに酔ってる人を見ると
ゾワゾワする…
そういう人に限って霊だのオーラだのが見える以外の取り得がなかったり。
努力するのは嫌だけどチヤホヤされたいだけじゃね?って思ってしまいます。

そんなこんなでどうぞよろしくお願いします。
はじめまして。
私は東洋医学とゆー目に見えない体液の流れで人を治療する論理を勉強しているのもあって(いちおー自然科学らしいっす。西洋医学もやってます)
神秘系の話題と親和性が高い環境に居ます。
自分も臨死体験とかしたりして、不思議現象は日常的に体感してるけど
だからこそ!!科学が面白いのです。
なのに、それを自分だけがわかる超解釈で満足してるニワカヲタみたいな態度がうっとうしくてたまりません!!
論文とかにしてみんながわかるような解釈をして
みんなでこの世界のことわかっていきたいのに!
そういうとこが相容れないです。
ていうのも最近ついったーをはじめて
そのような方がたを交流するようになって
気づきました。
ある種の閉鎖的な空気も感じ大嫌いです。
よろしくおねがいしまーーす★
はじめまして。
私はこのコミュでは、反対派に属するのかもしれませんが、参加しました。ので、長いですが、私について書かせて頂こうと思います。長文読み辛いかもしれませんが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。
私は物心ついた時期から生きる理由の答えを探してきました。田舎の育ちなので大自然にいろいろ教えられてきました。兼業農家だったので、米や野菜を育ててました。父はよく植物は正直だと言ってましたが、それが、自然には法則があるのだ、という意味が含まれていると気づいたのは、小学生入学後です。私は、毎年繰り返される春夏秋冬が、人間の一生みたいだなぁ、とよく思ってました。 季節は終わりなく繰り返されるのに、人間は死ねば終わる。終わる?終わるの?と、そこから“死”って何だろう?と考えるようになりました(祖父の死を間近で見た事も関係してると思います)。全てが終わるのに、辛いことに耐えて生きるのは何故?どうせ死んでゼロになるなら、好きに生きればいいのに、と思ってました。一方で、学校に行くと勉強やスポーツが皆よりよく出来る友達がいたり、絵が上手な人がいて、この差は何なんだ?と考えるようになりました。そのうち、何度も繰り返しやると上達することがわかり、もともと勉強やスポーツが出来る人は、以前にそういう経験を沢山積んできた人なんだ、と思うようになりました。そこで私の中に、大自然と同じ様に人生も繰り返されるという考えができました。輪廻転生という思想があると知ったのは、それから暫くしてからです。
 でも、当初の疑問の答えは見つかりません。その答えを宗教に求める事をしなかったのは親の影響で、父は無神論者で宗教が大嫌いでした。それに、宗教の言う「神」が、私には理解できませんでした。が、もし居るとするなら、神というものは完璧でなければいけない、とも思ってました。
 それから、段々大人になるにつれて、宇宙に興味を持つようになり、Newtonを読むようになったり、物理や化学を学ぶ様になって、この世界は沢山の法則から出来ているという事を知りました。他にも哲学書や心理学の本も読みました。
この世界にはいろんな人がいて、いろんな考え方がある事も知り、根拠のない事は盲信しないようにしようと思って生きてきました。
 大学に入って心理学を学ぶつもりがひょんなことから宗教社会学を専攻し、宗教の基本的なことも学びましたが、疑問の答えだと思えるものはありませんでした。社会に出て、辛いことがいろいろあり、それでも生きなければならず、生きる理由がわからず、もがいてきました。 過酷な仕事で身体の限界を感じたのと、そろそろいい歳だし新たな人生の段階に移行しようと思っていた時に、ある人と出会いスピリチュアリズムというものを知りました。 
それは霊的真理というもので、大自然の法則に則って真理が説かれています。私のこれまでの人生と重なる事が多く、すんなりと受け入れることができました。紹介してくれた人も、スピリチュアリストと自称する人も宗教ではないと言いますが、一般的には宗教と同じ様に映るのではないかと思います。心霊学という学問があるようですが、このスピリチュアリズムの歴史を調べてみると、有能な学者が様々な実験を試みて、霊や死後の生命というものを検証していて、そのような根拠もあり、私は今は生命が死後も続くことや死後の世界がある事も信じています。(幼い頃から自身に不思議な体験があったこともスピリチュアリズムを受け入れる基盤になっているのかな、とも思っています。)
 スピリチュアリズムにも勿論「神」の存在がありますが、「神=法則 」として説明されています。他にも「神=愛」等いろいろな言い回しをされていますが、法則であるが故に完璧、ということに納得しました。有名な書籍に『シルバーバーチの霊訓』というものがありますが、その中で生きる理由も説明されていて、それは地上天国の実現と似た様な事です。また、生命は永遠で、霊(人間)は完璧を目指して向上していくものなので、それが生きる理由のようです。
  生きる意味なんてない。神なんていない。そんなの人間しか考えない。そういう主張もわかります。ただ、私はそれでは納得できませんでした。 意味などない=存在理由がない という思考回路なんです。 法則だらけの世界が、偶然に出来たなんて考えられません。 ただ、霊訓でも究極の事は何も言われていません。 
   もともと無神論者だったので、何かを信じる立ち場に立つと、考え方が偏る事を知っています。でも、私は自分を客観的に見つめる自分を持っていたいので、このコミュニティでいろいろ議論されるのをみていきたいと思っています。
 よろしくお願いします。
>ツバメさん

はじめまして。私の考えを述べたいと思います。
 シルバーバーチをはじめとするスピリチュアリズム思想もかつてのあらゆる宗教と同じく人類的な集合想念の産物であり、それが真理であるという根拠はありません。

それを信じる事で心の救済が得られるのならば 、それに文句をつけるつもりはありません。
ただし、スピリチュアリズムが説く霊界や輪廻転生思想が普遍的真理であるという主張には異を唱えます。
 そうした「輪廻転生の進化」の行き着く先とはいったい何か?スピリチュアリズム自身もそれに答える事は出来ません。行き先が分からなくて、何が進化の道なのでしょうか?

よかったら、私のHPもごらんになって下さい 。

http://k1.fc2.com/cgi-bin/hp.cgi/ryuris/
 ここは自己紹介のトピでしたね。申し遅れました。おおむね、前のレスに述べた様な考えを持つ者です。

 宗教や精神世界は人生の為のものであり、その逆では決してありません。
 この逆を暗に人々に強いている、すべての教説に反対します。
リュウさん、ありがとうございます。
そうですね、行き着く先はわかりません。最初は、「永遠」という言葉もちゃんと理解できなかったくらいです。
私は、本当は 無 になりたかったんです。存在したくありません。でも、幼い頃から霊というものが見えたので、生命が続くということはあり得るのだろう、と思える様になりました。自分だけに見えるなら、自分がおかしいのだろうと思えますが、兄弟皆で見たこともありますし、何故か霊感なるものが強い友人が何人かいたので、幻を見ているのではないようだ、ということは確かでした。
今は、その霊もみることはなくなりました。自分はスピリチュアリズムを生活の指針にしていくつもりはあっても、他人に強制するようなことはしません。ヒーラーになりたいとも思いません。まして、そういうことでお金を稼ぐのは、間違っています。
大学生時代に、旧友に誘われて試しに宗教団体に入会してみたこともありますが、私が求めている答えはありませんでした。一方で、これこそが信じるべきものだ、と感激している人もその教団内にはいました。私は、自分の知りたい答えを求め続けて、辿り着いたのがスピリチュアリムだった、ということなんだと思います。
人生とは?なんて、考えない人生を歩めていたらどんなによかっただろう、と思います。やりたいことや夢に向かってひたすら頑張っている人を見ると、自分もそんなふうに生きて来れたらよかったのに、と思います。今からでも、そういう生き方はできますが。
私は、今でも、死んだら無になる ということを証明してくれる人が現れてくれることを願ってます。
変な内容になってしまい、すいません。
>ツバメさん

 スピリチュアリズムに傾倒されつつ「無になりたい」とも、内心願われているとは異な事だと思いますが、要は霊魂不滅思想も逆の死ねば無になる思想も両方、ツバメさんに心の平安をもたらしてはいない訳です。

もう、こうした思想概念自体を破棄されてはいかがでしょうか?
 死後どうなるかなど、最終的には確証不能です。そんなものに人生を振り回されるのは馬鹿らしいと思いませんか?

ログインすると、残り9件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

スピリチュアル、精神世界が嫌い 更新情報

スピリチュアル、精神世界が嫌いのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング