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物部氏コミュの自己紹介

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姓がそれなんです。
いんちきくさい家系図がありますが偽者でしょうおそらく。

コメント(60)

はじめまして。

居住地の近くには物部系神社がいくつかあります。
祭神は、天火明命です。

私なりに
「大化の改新」は、実のところ大化の「乱」であったのだと思います。原因は、親朝鮮→親中国という外交政策転換に際して、統治主流(伽耶、新羅)派に対する少数の百済派の反発にあったと思います。

今後ともよろしく。
>居住地の近くには物部系神社がいくつかあります

愛知一宮、『真清田神社(延喜式では真墨田神社)』でしょうか?
>http://www.masumida.or.jp/
祭神の天火明命は、古事記の海幸山幸で有名な火明命(書記だと火照命?)だとされていますが、物部氏との関係やニギハヤヒがその諡号に天火明を含むことから、わしはニギハヤヒと同一神と考えています。

そうすると海幸彦のほうはまったく無関係かというと、そうではなく、兄弟(同祖?)だった隼人族(海幸)と天皇家(山幸)に昔何かがあって、永遠に天皇家にまつろわぬ民(隼人)が仕えますと約束したことを裏付ける話なのでしょう。
この辺は、神武東遷(東征ではなく!)で、ニギハヤヒの軍と神武軍が武器を見せ合って同祖であることを確認したことに非常に良く似ています。

天火明は、サンカや隼人といった原日本人が崇拝してきたこと、天皇即位の大嘗祭で隼人舞が行われ恭順を表し続けていることなどは、この神が皇室以前に天下った、オオクニヌシやスサノオとはちょっと違う意味での国津神の代表であることを裏付けておるんでしょう。

ここでも、そのあたりについて面白い考察をしていますね。
>http://www.ten-f.com/konan-kyoju.htm
播磨国風土記では、こんなかんじです。
>http://www.ffortune.net/calen/izumo/sinwa/sinwa17.htm
>天火明命

 この命名には、鉄器文化が背景にあると思うのです。すると朝鮮半島ではやはり伽耶ということになります。当地がハゲ山化して日本列島に来たのではないでしょうか?
 その後、出雲→丹後→琵琶湖北部→伊吹→美濃→尾張とウツっていったのではないかと、、、

 私は、火祭りを行っている地域は、基本的に物部系だと考えています。

>ニギハヤヒ

 スサノオ→大国主(ニギハヤヒ?)→物部‥‥蘇我
 奈良時代の権力闘争(暗殺、誅殺)を通じて、平安時代に百済系の天下になったと思います。
 

>サンカや隼人といった原日本人

 縄文系海洋人
 アイヌ ‥‥ 北方系縄文人
 という理解でいいでしょうか?
わしは天火明命をその名に含むニギハヤヒは、太陽信仰と火山信仰を包括した国津神の最高神であったのだと思っています。
火と日が同じ音であることは無関係とは思えません。
どちらも暗闇に光をもたらし、夜を朝に変える灯りです。
光=火借り(仮)あるいは日借りと考えれば日本語としても自然に感じられるかと思います。
天孫族として日輪を信仰し日出ずる東の果てを目指して海を渡ってきた外来支族と、卑弥呼の邪馬台国から連なる原日本人の火山信仰が、神武東征(東遷)で大和で出会い、民衆の信仰を取り込むために融合して行ったと考えるのは不自然でしょうか?
k_yairi_dy51_1983 さんこんにちは。

基本的に賛成です。でも、鉄器と限定するのはどうでしょうか。物部氏の配下には伊福部氏がおり、この氏族は岩美を本貫とし、この岩美では銅鉱山の開発をしていたそうです。
ちなみにこの伊福部氏が美濃の現大垣市美濃赤坂の金生山で鉄生産に従事していました。また、尾張連も伊福部氏の本家の形ですね。
火祭りについては仰る通りです。

僕は古代出雲が信仰していた神がスサノオであり、出雲王朝の王家が大国主であると思います。この王朝と大和の初期王朝=物部氏が大王であった初期大和朝廷・・・は恐らく連合関係にあったものの、応神系王朝に取って替わられたのではないかと考えています。つまり、出雲には最後まで応神系の政権に抵抗する意味があった訳ですね。

但し、蘇我氏についてはどうやら葛城一族の出自ですよ。物部氏とも何かの関係はあったようなのですが、物部氏の所領の一部が自分の氏族の本貫地であると推古天皇に主張する為に物部朝臣と名乗ったようです。

勉強不足で説明が不十分で申し訳ないですが、三輪山の神が大国主命である事から見て、古代出雲と原始大和朝廷はかなり深い関係にあったと見て問題ないのではないでしょうか。もしかすると同一なのかもしれませんね。原始大和朝廷の王であった物部氏が2派に別れて、応神系に降伏した1派と、納得せず最後まで出雲で抵抗した1派があるのかもしれません。

事実は小説よりも奇なり、ですので、案外単純な、思い浮かばない点が事実なのかもしれません。
大物主=大国主は確定したとは言えないと思います。
こんにちは。
興味あるサイトなので飛び込んできました。
記紀には疑問な部分がありすぎます。
少しづつ勉強したいと思います。
この場にいるだけでワクワクしてきました。
この遠野郷は物部の隠里の一つだと勝手に
思い込んでおります・笑。
>イキナリさん
 確かに・・・少し僕走ってしまったかもしれません。
 また調べてきますね。
始めまして。物部香背男といいます。
物部系の一族の末裔です。
正確には弦田物部の天津赤星が先祖らしいですが・・・
ご先祖さんが天津系に追われるとき遠州か安曇野の方を
通って行き、其処に残った一族らしいです。

皆さん今後とも宜しくお願いします。
★レッドスターさん

筑紫弦田物部氏の祖は、天神本紀等でみるとニギハヤヒと一緒に降臨した中の五部人(いつとものひと)の天津赤星(あまつあかほし)で間違いないです。

弦田物部(引田>疋田)で思い出したのですが、たぶん自宅にある本だったはずですが、北九州にあった物部氏が、大阪湾周辺⇒常陸(茨城)と東に移動して行った痕跡が、周辺地名の極似から推測されるという話だったんですが、その中に疋田の地名もあったと思います。
最初に九州に痕跡がみえるということは、ニギハヤヒが天下ったというのは朝鮮半島から一番近い北九州へと想像してしまいますが、そのことは後で天下った皇室も同じルートで日本に入ってきたことを思わせなくもありません。

疋田氏の神社とされているのはこれです。
⇒http://kamnavi.jp/mn/nara/hikita.htm

おもしろいのは疋田姓は秋田県の北秋田市(旧合川町)の上杉(うえ杉じゃなくかみ杉)に結構あるんですが、以前これを調べてみたら、江戸時代に常陸から出羽に転封された源氏の名族佐竹氏の家臣として一緒にやってきたみたいです。
家老職なども務めていますね。
初めまして。

天平時代の、現在の伝統音楽と言われている音とは全く異質の、雅楽が伝わる以前の笛と出会いました。

其の音色から古代日本に思いを馳せていたところ、足跡を見ていて、偶然、こちらにたどり着きました。

本当か否か最早、定かでありませんが、父方の先祖は、こちらの系統らしいです。

どうぞよろしくお願いいたします。  
はじめまして。
みよと申します。

黒岩重吾氏の小説から物部ファンになったミーハーものです。
先日岩手の丹内山神社で物部氏の名を見かけ、
東北に逃れた物部氏にも興味がふつふつと沸いてきました。

不束者ですが、どうぞよろしくお願いします。
海部家への興味から当然のごとく物部家に興味を持ちました。近畿一帯の物部勢力に興味があります。それから十種神宝もかなり興味津々。よろしくお願いします。
関裕二さんの本を読んで、さらに興味がわきました。
宜しくお願いします。
新撰姓氏録に自分の名字が伊香色雄の後裔且つ石上朝臣と同祖と記されているのを知り、本格的に興味を持ちました。
どうぞ宜しくお願いします。
はじめましてわーい(嬉しい顔)

社家に生まれ育ったのもあり神道を身近に育ちました。
高橋克彦著、竜の柩から新たな考え方に興味をもち、同著、星封陣から物部氏にも興味を持つようになりました。秋田の唐松神社、石上神宮、玉置神社などあちこち参拝しています。こちらでいろいろ教えてください。よろしくお願いします顔(願)
初めまして

縁あって、2000年から、高知県物部川流域の
住人となりました。

今や地元の先祖であり、ある意味、日本の祖
である、この一族には興味が付きません!

よろしくお願いします。
はじめまして。弓削と申します。
出庄は、京都・美山(現:南丹市)・磐江戸(イワエド)というところです。
現在は、私の家の田畑だった所が美山岩江戸自然公園となっております。
村には、合祀の波に飲まれず、金毘羅さんと熊野さんの2社があります。

小松神社の下りですが、私は現在大阪東部に住んでいますが、近くの交野磐船神社から磐船街道を下った喉元に小松神社(現:星田神社)がありますね。
確かにそこは陰陽道も伝わっております。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~monarisa/hoshida/
肩野物部の地に何故この神社があるのか。
この辺りの昔の地名は白肩野(シラカタノ)ですが、今は分割されて枚方(ヒラカタ)と交野(カタノ)に分かれていますね。
この神社から西の地に、秦やら太秦やらの地名が今でもあります。(大阪外環状線から寝屋川浄水場辺り)

平家は桓武天皇の血筋ですから、物部家とは考えにくいですが。
もし物部家なら私はかなり血が濃いことになります。
といいますのも、私の父方は平家落人伝説のある徳島県イヤ村かずら橋の調度真上の村のど真ん中にある的場という家の出なのですがこれが平家だそうです。
父自体は小笠原なので清和源氏ですが・・・

八尾の弓削神社と由義宮には私も行きました。
石切神社はほぼ毎月、石上神宮、四天王寺には行事ごとに参っています。
というよりも導かれています。


初めまして。

実家が秋田県大仙市協和、蘇我氏に敗北した物部さんが居を構えたとも、ニギハヤヒが住んだとも言われる唐松神社が大好きですハート
安産祈願したら、健やかな娘を授かりましたほっとした顔ニギハヤヒの絵に愛着と感謝ぴかぴか(新しい)
そして古代史好き!なので、コミュに参加させていただきました。

むかーし、唐松神社近くの能楽堂で、ニギハヤヒの絵とともに物部文書が展示されてました…今もなのかはわかりませんが…
マル秘だと思っていたのでかなり驚きました☆

鳥海山に降り立ったニギハヤヒ…?


よろしくお願いします(^-^)
はじめまして。 私は物部大連高屋の末裔です。 幼児期から神社関係に興味があったり、様々な霊的体験をしてます。わーい(嬉しい顔) 8年前にある口コミで信頼できる、某霊能者から言われた後私の血族は外国からきた王族の末裔と言われました。 後に現在に至るまでの未来予言が成就してます。 物部一族は北イスラエルのレビ族だとわかりました。わーい(嬉しい顔) 本家の物部さんのコミュを見つけ感激してます。よろしく
初めまして

うちの先祖は安東氏で、その先祖が前九年の役を起こした安倍氏
そして物部系へつながる

と俗説では言われてます

よろしくお願いします
こんにちは、はじめまして。

私の母方の旧姓が物部です。
確実な事実はとりあえずここまで(笑)
母は、「ウチは一応子孫なんだよ」と言いますが、根拠となるものが全然残っていないし、母方だし、まあ単にそういう苗字だっただけじゃないかなーとは思いますが、しかし歴史的に有名な名前ですし、色々伝説も残っているので興味のとっかかりにはなっています。
私もいつか石上神宮や物部神社巡りをしてみたいです。
はじめましてわーい(嬉しい顔)

布都御魂大神様よりご神縁を戴いております。石上神宮に初めて参拝させて頂いた時、懐かしさを覚えましたぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

全国の一の宮巡りをしており、来月には島根の物部神社・岡山の石上布都御魂神社を奉拝させて頂く予定です。

ご神縁を感じる方、マイミクの申請歓迎ですわーい(嬉しい顔)
どうぞ宜しくお願いします。
はじめまして。物部氏はすでに述べられてますが、北九州が本拠地だと思いますし、ルーツは蘇我氏などと同じ南朝鮮ではないかと思われます。最近は大化改新以前の歴史は全て北九州の大宰府周辺で起きたとする、九州王朝説がありますね。蘇我氏は一時、天皇を三代続けたとか、聖徳太子は架空の人物であったとかの説に関心を持ってます。歴史の真実を探求したいですわーい(嬉しい顔)
こんにちは私は中野家ですが祖父が石神家より養子に来たので傍流の石上、石神一族の末裔と思われます。
もちろん血縁は切れていて養子縁組で繋いでる家系だそうです。
岐阜県の禅寺がルーツですが仏教ということから石上本家ではなく傍流と思われます。
岐阜に行ったら家系図があると思いますが行ってみたいです

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