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東海道より中山道コミュの中山道完全踏破!

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みなさん、こんばんは!

事後報告になりましたが、先週11月22日午後13時40分。
澄み渡る秋空の下、無事、京都・三条大橋に到着しました。

昨年1月13日に日本橋を発ち、1年と11ヶ月、延べ37日間の旅でした。
早春の上州路、桜と若葉の信濃路、秋から初冬・桜の木曽路、若葉と盛夏の美濃路、初秋から晩秋の近江路と、四季折々それぞれの趣きがあり、あらためて我が国日本の素晴らしさを知ることができました。
出会いもたくさんありました。今はまだ余韻に浸っているところですが、いずれ、撮り貯めた写真や道中日記をまとめてみるつもりです。

これまで、みなさまの情報を道標に歩かせていただき感謝しています。
ありがとうございました!

写真1.2 三条大橋にて
写真3  南禅寺境内の紅葉




コメント(63)

みなさん、こんばんは!

KIRKさん
同じ道も季節が違うと趣きが全然違いますよね。
真夏の武州歩き、ご報告楽しみにしています!

ゆたかさん
荒川・土手道編、現在編集中ですよ^^

ちえみさん
関東平野は高い建物がなければいろいろな山が見えるのでしょうね。
我家は東京西郊ですが、ちょっと高いビルに上れば、
富士山はもちろん、遥か筑波山が見えることもありますよ。

街道からの六国見。きっと旅人たちは道中、楽しんだことでしょう。


第5日目 2007年2月24日(土)


今回はようやく郊外へ出るので、初めて妻を誘い1泊2日で歩く。

冬晴れの朝、張り切って出かけた矢先、強風で舞い上がったビニール袋が架線に引っかかり電車内に缶詰状態となり、今日の出発地であるJR鴻巣駅に着いたのは11時を過ぎていた。まあ急ぐ旅ではない、のんびりと行こう。

駅前の和菓子屋さんで『こうのとりの卵』を購入して11時25分駅前交差点を出発。コウノトリ伝説の残る鴻神社にお参りして鴻巣宿を発った。しばらくは道なりに行けば大丈夫だろうと地図を確認せずに歩いていたら、宮前原付近でどうやら道を誤り中山道から離れてしまったらしい。北へ向かっているはずなのになんとなく西へ向かっているような気がした。

「どうしたの?道が違うの?」と妻に問われ、焦る。一人なら数キロ程度回り道してもなんとでもなるが、妻が同行となれば話は別だ。早く道を修正しないと、こういう場合だいたい口喧嘩になってしまう。
落ち着いて、先日契約したばかりの携帯電話GPSで現在地を確かめた。やはり予感通り、Y字路を左に逸れていたことが判明。「大丈夫。道は間違ってないよ」と、知らぬ顔して中山道へ復帰した。結果的に数百mほど街道から逸れたものの、ロス時間はほとんど無し。GPS機能の偉大さをあらためて実感した旅人であった。

12時20分、北風を避けるように箕田ベルグの「ほっとカフェ」で昼食。いつもなら公園で一人、コンビニおにぎりをかじるのだが今日は少し贅沢をする。『メンチカツバーガーとソーセージパン、ホットコーヒー』ボリューム満点のランチで午後の英気を養い、13時スタート。館林行田道との追分を今度はしっかり確かめて通過。間の宿、吹上で高崎線を陸橋で越えて、久下の権八(物言い)地蔵に着いた。お地蔵さんと傍らの二宮金次郎さんに一礼していよいよ荒川堤へ。

遮る物の無い土手道は北風の通り道で、真正面から絶え間なく猛烈な風が吹きつけてくる。うっかりすると吹き飛ばされそうな強風に歩みを阻まれ、遅々として前進できなくなった。
「全然前に進めないよ〜!」小柄な妻が言う。仕方がないので大柄な自分が盾となって前に進む。時速1km?2人はまるで亀のような鈍足で延々と続く土手道を必死で歩いたのだった。

気付けば前方に榛名山や赤城山がかすかに見えた。ようやく土手道から下りて旧久下村に入ると風はだいぶ治まりほっと一息。この辺り、昔は狐の嫁入りが見られたという。さすがに今は見られないだろう?けれど、今でも閑静な集落である。その後、天然記念物『ムサシトミヨ』の生息する小川を見たりして、日が西に傾き熊谷宿も近づいてきた頃、道端に赤い毛糸の帽子をかぶったお地蔵さんが立っていた。「お地蔵さん、今日は風が冷たいでしょう」僕たちはお地蔵さんにそう語りかけた。

そうしてまもなく、八丁の一里塚跡近くでトボトボと首輪の無い野良犬(柴系の雑種)が近寄ってきた。我家は夫婦とも大の犬好きで、以前は柴犬を飼っていたこともあったので自宅に近ければ飼ってあげたいと思いつつ、そのまま連れて帰る訳にも行かないので、可愛そうだが振り切るようにワンちゃんと別れ、熊谷の街へ入った。

今日は熊谷まで。朝の電車トラブルから始まり、吹き荒れる北風に翻弄された一日であった。
歩行距離約16km

写真1 鴻神社・鴻巣の由来地
写真2 からっ風吹く熊谷堤
写真3 この近くで野良犬と会った

第6日目 2007年2月25日(日)

昨夜は、駅近くのビジネスホテルに泊まった。しばらく寝付けずかなり寝不足である。チェックアウトの際、フロントの方にお聞きすると、この辺りも上州からの空っ風がよく吹くそうである。昨日の熊谷堤での猛烈な北風も、この地方特有の風物詩であり、ひどく疲れたがいい体験になった。

8時30分、JR熊谷駅前を出発。今朝の関東各地は今冬一番の冷え込みだった。熊谷も凛とした寒さだが、昨日と違い風がほとんど無いので日差しは暖かく感じる。
本陣跡向かいの八木橋デパートは店内を旧中山道が通っているが、まだ開店前なので仕方なく店外を通過して先を行く。歩き始めてわずか40分、秩父道道標のある石原の公園で小休止することにした。実は日向ぼっこの大好きな旅人。今日みたいにいいお天気の日は居心地良さそうな公園があるとつい昼寝したくなってしまうのだ。さっそく南向きのベンチを探し腰掛ける。日差しがポカポカと暖かく、至福の時間である。
「昨日はこんな余裕、全然なかったよね」夫婦でそんな会話をしながら、ひと時の日向ぼっこを楽しんだ。

その後、しばらく国道17号線を行き、熊谷警察署前を過ぎると旧道へ入った。元治元年創業の老舗「梅林堂」で塩大福などお菓子を購入。どうも妻との道中は寄り道が多くなるようだ。9時50分、植木(新島)一里塚着。樹齢300年のケヤキが1本立っている。江戸から17番目、ここまで約68km歩いてきたことになる。こうして現存する塚があると昔の旅人気分に浸れるのでなんだかとても嬉しくなる。

その後もしばらくのどかな旧道を行き、再び17号線に合流後、さらに旧道を進むが、さっきまでと違い、意外と交通量が多く落ち着かない。2人の会話も減り、黙々と歩く。地図を見ると、そろそろ松並木が見えてきてもいい頃なのになかなか並木が見当たらないと思っていたら・・・ あとで思えば時々数本残っていた松が並木の名残だった。
そんな訳で12時、「見返りの松」に着いた。が、しかし・・・時すでに遅かった!見返りの松は昨年(平成18年)2月に枯死し、すでに伐採されていた。かつて街道脇に延々と続いていたであろう松並木も最後に残ったシンボルさえ、生き残ることはできなかった。国道を絶えず通り抜ける車群の排気ガスの影響か?それとも地球温暖化の影響なのか?いずれにしても今は昔。新たに植えられた若木が無事に大きく成長できることを願い、その場を去った。

「あと、どのくらい歩くの?」突然、妻の電池が切れた。道理でさっきから口数が減っていたわけだ。こうなると駄々をこねる子供と一緒。まさか首に縄をつけて歩かせる訳には行かないので、今日はこの先の深谷止まりにしようと決めた。深谷宿入口の大きな常夜灯を過ぎ、12時30分、仲町交差点着。本日約10km、2日間で延べ25km。妻としては十分頑張った方だろう。
東京駅に似たレンガ造りの立派な駅舎、JR深谷駅より高崎線に乗り帰宅の下についた。

帰宅後、梅林堂で買ってきた『明治8年』という洋生菓子を食べてみた。これが実に美味い!ふんわりとした食感で、バターとカスタードクリームの濃厚かつ上品な甘さがたまらない。前述した通り、旅人はスイーツ大好きなので、この先の道中でも数々のお菓子を食することとなる。道すがらご紹介して行きますので乞うご期待!

写真1 熊谷宿・八木橋デパートを通る中山道
写真2 植木(新島)一里塚 大きく立派な塚である
写真3 深谷宿・見返りの松は朽ちていた

熊谷には熊谷(ゆうこく)寺というお寺があるのですが
残念ながら土日しか公開しないようです
僕は平日で残念でした

熊谷は地名としては くまがやと読み
人名としては くまがい と読むことが多いようです

深谷駅は東京駅に似たというより
似せた 同じに作ったのです
なぜなら
東京駅のレンガは深谷で造られたからです
渋沢栄一という人が工場を作りました

梅林堂はチェーン店ですかね県南にはありません
県南 県西 は くらづくりという和菓子屋のなわばりのようです

よけいな事をながながと失礼しました
群馬が近づいてきましたね
ビアヘーロさん、こんにちは。

鴻巣から荒川堤、熊谷までの行程、興味深く拝読しました。強風に抗いながら進む様子が想像できるようです。やはり夏でも冬でもあそこはある意味「難所」ですね。

「明治8年」、興味をひかれるネーミングですね。元治元年創業のお菓子屋さんが初めて作った洋菓子だったのでしょうか。
私は手ぶらで歩くことが多く、ほとんどこういう買い物をしないので、こういう話を聞くとその場所を追体験するようでおもしろいです。
こんばんは!いつも読んでいただき、励みになりますわーい(嬉しい顔)

ゆたかさん
「熊谷」の読み方っていろいろとあるんですね。
私の知人に「くまがい」さんが居ます。
深谷のレンガを使って東京駅を作ったという話は聞いていました。
今日、たまたま東京駅に行ったのですが、
建設当時のドーム型に復元する工事が始まっていました。

渋沢栄一といえば、幕末・徳川慶喜の家臣を務められて、
維新後も赤十字を創設されたり、日本の近代化に尽力されたとのこと。
深谷を歩いた時は不謹慎にも知識がなくて素通りしてしまいました。

「くらづくり本舗」ですね。私も何度か利用したことがあります。
サツマイモのお菓子が有名ですよね。

KIRKさん
>強風に抗いながら進む様子が想像できるようです。
そう言っていただけると嬉しいです。
いつも書く時に、読む人に臨場感をお伝えできるようにと心がけています。

「明治8年」とは、日本で始めてチーズが作られた年が明治8年だったそうで、
それをネーミングして考えたチーズケーキみたいです。

まだまだ紀行文としてお恥ずかしいレベルですが、
今後ともお付き合い頂ければ幸いです。

ビアヘーロさん

こんばんは。いろいろ大変な一日でしたね。
鴻巣、荒川、久下、熊谷、、なつかしいです。

>「あと、どのくらい歩くの?」突然、妻の電池が切れた。
>本日約10km、2日間で延べ25km。妻としては十分頑張った方だろう

あ〜、、、身に覚えが、、、あせあせ
結局妻の体力で決まる行程、、、、。

寄り道してお菓子買ってるのもおなじです。
梅林堂、北浦和と武蔵浦和のエキナカにあるので、
ずっと浦和の老舗だとおもってました、、、。
熊谷のお店が街道を江戸に向かって進出してきたんですね。

ご夫婦で一泊二日の小旅行、「旅人」という雰囲気になってきて、続きがますます楽しみです!

みなさん、こんばんは!
実は一昨日から風邪をひいてしまい、つい先ほどまで寝込んでましたふらふら

ちえみさん
そんな訳で、お返事遅くなってしまい、すみません。
ちえみさんご夫婦も同じでしたか^^
なんだかんだ喧嘩しながらも(喧嘩はうちだけかな)一緒に歩くと楽しいですよね。

いよいよ寒さも本番です。
みなさんもどうぞ暖かくして、風邪など召しませんように。
第7日目 2007年3月16日(土)

朝9時過ぎに車で自宅を出発。1時間ちょっとで深谷に着いた。駅近くの市営図書館に車を駐車して、10時30分、深谷仲町交差点よりスタート。 前回、妻との二人道中だったが、今日からまたしばらく一人で歩く予定だ。

人も車も少なく、とても静かな旧宿場を気持ちよく歩く。残念ながら本陣こそ消滅しているが、まだまだ風情ある古い家屋も残っていて往時の旅人気分も味わえる。名物「翁最中」のお店があったが、最近、甘いものを食べ過ぎていたので珍しくパス。「菊泉」という造り酒屋を過ぎると宿場はずれの枡形跡へ。ここにも大きな常夜灯が健在だ。深谷宿は東西の常夜灯間1.7kmに本陣1、脇本陣4、旅籠が80軒もあって、草津を除けば中山道最大の宿場だったそうである。

しばらく国道17号線を行く。『関東一の漬物産地』の看板を掲げる岡部辺りに来ると街道沿いに畑が多くなり、その先、旧道へ入ると周辺は菜の花咲く広大な畑に葱がたくさん植わっている。
「原中や物にもつかずなく雲雀」〜こんな所で雲雀の声を聞いていると、何事にも縛られず無心でいいものだ〜
と、この地で芭蕉は詠んだそうだが、この辺り今でも往時と変らない広々とした風景が残っている。春霞のやわらかな日差しの下、のどかな風景に心癒される。

11時50分、島護産泰神社参詣。小さな神社だが、安産の神として訪れる人も多いという。この神社に奉納する「柄杓」は底が無く筒抜けになっている。底が抜けた柄杓は水が留まらずにすり抜ける様から、安産に結び付くようにとの故である。その後、百庚申のある豊見坂を下る。幕末の不安な時代、人々が神仏にすがる思いで建てられたという石仏群。舗装こそされているが、たぶん、その頃とほとんど変わっていないはずのいにしえの道で、しばし昔人たちに想いを馳せた。

12時35分、豊見坂を過ぎてバイパスを横切ると、何も無い一本道になった。その先、小山川に架かる滝岡橋周辺はまるで昭和30年代へタイムスリップしたような風景が広がる。個人的には江戸時代さながらの風景も好きなのだが、こうした何気ない昭和時代の風景もまた素晴らしい。しかし、近代化遺産にでも認定されない限り、やがてこの橋や周りの風景も一変する日が来るのだろう・・・ 未来のために「今この時の風景」を写真に収めた。

その先もしばらく広々とした田園地帯が続き、右手に遥か赤城山を見ながらのんびりと歩く。拭きぬける風はもうすっかり春風だ。これまでの街歩きと違って歩くこと自体がとても楽しく心地よい。どこまでも歩いて行ける。そんな気分をウォーキング・ハイと言うのだろうか?
気付けば今日は、深谷を発ってからコンビニやスーパーが無かったため、昼食のおにぎりを買いそびれてしまった。こういう時のために、いつもザックに備えてある行動食をあるだけ食べて空腹を補い、本庄へと向かった。

御堂坂手前の交差点にコンビニ発見!歩く旅人にとって、街道沿いのコンビニは平成の茶屋でもある。とりあえず空腹は満たされていたが、食後にコーヒーを飲みたくなったので立ち寄った。茶屋(コンビニ)を出て、御堂坂をぼちぼちと上り、中山道交差点より本庄宿へ入る。ここは深谷と違ってほとんど昔の面影は残っておらず、足早に通り過ぎると、宿場をはずれた国道462号線の歩道に面白い表示があった。中山道の宿場がタイルになって順に路面に張られており、歩く者にはうれしい歩道だった。

本庄を過ぎると急に北風が強まってきた。15時30分、浅間山古墳を過ぎた先、JR神保原駅入口にて本日の行程を終えた。
今日、4時間半もかけて来た道をJRで深谷まであっという間に戻り、車を拾って帰路に着いた。
歩行距離約15km

写真1 深谷宿はずれの枡形
写真2 懐かしい旧道風景
写真3 本庄に到着!


今年はここまで。次回はいよいよ高崎へ。
ここまでの道中、ご覧戴きましてありがとうございました。
皆さま、よいお年をお迎えください!!

ビアヘーロさん、そして皆さまあけましておめでとうございます。お返事もできず申し訳ありません。
1か月ほどPCを開けぬ間に、ビアヘーロさんの旅行記が始まっていて、今じっくりと当時を懐かしみながら拝見しました。

北風と排気ガスに悩まさせた街歩きには、みなさん苦労されていたのですね。
高崎までの街中は、信濃路木曽路と比べたら面白くないかもしれませんが、たくさん感じるところがありますね。
先日、浦和から東京まで車で行った時、懐かしくてなるべく旧道を通りながら走りました。同乗していた人はなんで遠回りしているんだろうと不審に思ったでしょうけど。

中山道はほんと歩いていて楽しいです。自分は日本橋から歩いたので、いつか京都から歩いたらまた別な景色が見えそうなので、歩いてみたいなと思っています。

それでは今年もよろしくお願いします。
がんこさん、みなさん
あけましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いします。

がんこさん
一度歩いた旧道はあらためて車で通るときに気になりますよね。
分かります!その気持ち^^
日記はまだ始まったばかりですが、今後ともお付き合い下さい。
更新は週一回を目標にしています。

これから出かけます。
では、みなさんも良いお正月をお過ごし下さいませ。
ビアヘーロさん、皆さま

こんばんは。あけましておめでとうございます。

ビアヘーロさん風邪ひかれてたんですね。
年末のうちに回復されてよかったです。

街道歩きの思い出の夫婦喧嘩、、うちもよくあります。。。
ぷりぷりしながら歩いててもつまらないので適当に仲直りしますけど、、。

岡部の漬物のにおい、鬼気迫る百庚申、思い出します。
埼玉に住んでるのに埼玉ぜんぜん知らないんだ、、、と思いながら
何もかも目新しくてわくわくしながら歩いてました。

週刊中山道、楽しみにしてます。
ではでは。



ビアヘーロさん みなさん

あけましておめでとうございます

週刊中山道(いいネーミングですね)

休刊しながらで
けっこうですので

今年もがんばってください

本年もよろしく
ビアヘーロさん、新年おめでとうございます。

深谷〜本庄を3月16日に歩かれたのですね。そのくらいの時期がいちばんいいかもしれませんね。

>拭きぬける風はもうすっかり春風だ。これまでの街歩きと違って歩くこと自体がとても楽しく心地よい。

そんな感覚、いいですね。
ちえみさん、ゆたかさん、KIRKさん
あけましておめでとうございます!

ちえみさんネーミングの「週間中山道」
ゆたかさんにもお墨付きを戴きましたので、これからも週間でがんばります!
これで、今年の一つの大きな目標ができました^^

KIRKさん
そうなんです。この感覚って歩く醍醐味って感じなんです。

では、2009年丑年、第一回目の日記を更新します。
今年もどうぞよろしくお願いします。



第8日目 2007年3月31日(土)

朝7時30分自宅を出て、JRを乗り継ぎ神保原へ向かう。中山道を歩き始めて今日で8日目。これまで延々100kmの平坦な道を歩いてきたが、いよいよ今日、明日で、広大な関東平野をほぼ歩き終えることになる。その後は碓氷、和田、塩尻と険しい峠越えが続き、そして木曽路が待っている。旅の醍醐味を味わえるだろう信濃路を前に今から心躍らせる旅人であった。

11時、神保原発。雲は多いものの時々薄日も差している。予報では午後から雨だが、日中だけでも持つだろうか?しばらく旧道を行く。「どこまで歩く?」突然、沿道の方から話しかけられた。「今日は高崎までですが、最終的には京都まで歩きます」そう答えるとおじさんは駐車してある車を指して笑いながらこう言った。「今はこういう物があるよ」そのお顔は―何も好き好んで歩かなくても車という文明の利器があるじゃないか―と言いたそうである。とはいえ、このおじさん、きっとこうして街道ウォーカーを見かけると応援せずには居られないのだろうと思う。「がんばって歩いてな!」と励ましなのか、呆れて言っているのか分からないが、最後にそう言って下さったので旅人らしく笑顔で応えてお別れした。

国道17号線に合流し、NHK・BSで中山道を歩かれた勅使河原さんと同じ地名を見かけてから、間もなく神流川橋を渡る。11時45分、群馬県・高崎市に入った。ここからは上州路となる。行き交うトラックが全く騒々しい神流川古戦場跡を通過して再び旧道へ。芭蕉句碑のある小さな八坂神社を過ぎて、諏訪神社へ着くとちょうど正午の時報が鳴ったので、桜のほころび始めた境内で昼食とする。本来、神聖なる境内での食事は慎むべきなのかも知れないけれど、食べ屑を落とさないこと、ゴミは持ち帰ることを守って使わせて頂く。12時15分、休ませて頂いたお礼を兼ねたお参りをして出発する。

新町宿は特に古い町並みは残っていないが、明治天皇が明治11年のご巡幸の際、泊まられたという行在所が残されていた。その後、静かな旧道を行くと、関越道の手前、道端で遊んでいる女の子が傍に寄ってきて、「おじさん、探検してるの?」と問いかけてきた。いつも感じるのだが、地方の子供たちは天真爛漫で、人見知りせず、見知らぬ大人にも心を開いてくれる。幼児誘拐などの重犯罪が増える中で、いつまでもこうした純真な子供たちが安心して暮らせる世の中であってほしいと切に思った。それにしてもその子には吾身の格好が探検家に見えるとは面白い。「そうだよ。おじさん、探検してるんだよ」と、その子の夢を壊さないように答えてあげたのだが、あらためて考えてみれば、自分のやっていることを考えたら図星だったのかもしれない・・・子供は正直なものである。

それから『スリーデーマーチ発祥の地』という変った石碑を見て、土手のサイクリング道を行く。晴れていれば赤城山がきれいに見えるのだろうけど、今日は曇天。殺風景な風景が続く。13時15分、柳瀬橋を渡る。川を渡って少し下流に戻ってから旧道を辿り、岩鼻の子育て観音を右手にみて、再び新道へ入った。13時55分、倉賀野宿へ。宿の入口には閻魔堂があって日光例幣使街道との追分になっている。いつかこの追分から例幣使街道を日光へと歩いてみるのもいいだろうと思いながら、先を急ぐ。下町、中町、上町と足早に通り過ぎて宿場はずれの安楽寺に着く頃には、いよいよ空は重く、暗雲が立ち込めていた。これより高崎まで4.8km、雨はいつ降り出すか分からない。ただひたすら歩きに徹して高崎へ向かった。

早足が功を奏したのか、高崎繁華街へ入る頃、ポツポツと大粒の雨が降り出した。慌てて折畳傘を取り出し、この旅初めての雨中行軍。15時30分、本町2丁目交差点で本日の行程を終了とする。
歩行距離約15km

この夜は、8年ぶりに会社の後輩と再会した。以前、勤めていた会社で面倒をみていた頃の彼は二十歳そこそこの若年だったが、その彼も今年30歳になるという。月日の流れるのは本当に早いものだ。街の居酒屋で男同士、旨い物を肴に一杯やれば、長年の空白などすぐに埋まり、互いのこれまでの人生を熱く楽しく語り合った。

写真1 神流川を渡り、上州へ
写真2 岩鼻の旧道 この先に子育て観音がある
写真3 倉賀野宿 例幣使街道との追分
写真訂正

第8日目、写真3が説明書きと異なっていたので訂正します。
写真3は倉賀野宿脇本陣跡の旧家でした。

写真1 これが追分の写真です。
写真2 右が来た道中山道。左が例幣使街道
写真3 追加です。神保原駅前の駄菓子屋さん ガチャガチャがある懐かしいお店です。
ビアヘーロさん

こんばんは。いよいよ上州路、中山道もここからが本番ですね。
私も追分にさしかかると、「こっちの路もいってみたなぁ」とよく思います。

駄菓子屋さんもいい雰囲気ですね。
「塩」の看板もなんともいえず素敵です。
ちえみさん、お返事いつもありがとうございます。

旧街道を歩いていると、昭和30〜40年代の懐かしいお店に出会えますよね。
自分が子供の頃、そんな街並みに育ったからなのでしょうか…
古いお店を見かけると、駄菓子屋で籤付きのお菓子を買って喜ぶ子供たち、縁台でタバコを売るお婆ちゃん、近所のお馴染みさんと談笑する酒屋、八百屋、魚屋さんのおじさんたち…
かつて日本が元気だった頃、まだ貧しくても人が活き活きと暮らしていた時代を想い、とても懐かしくなるんです。
第9日目 2007年4月1日(日)

昨夜はちょっと飲み過ぎたが、体調は万全である。天気も上々!雨に洗われた清々しい青空が広がっている。
9時、本町2丁目交差点よりスタート。小さな寺院が点在する赤坂通りの緩やかな坂道を下ると、古い乾電池看板を掲げるレトロな電気屋さんがあった。東京などでは、今はもうなかなかお目にかかれない懐かしいお店である。営業はしているのだろうか?

ふと、少年時代の自分を振り返ってみる。昭和40年代、東京西郊の山あいの街はまだまだ都心の華やかさなどまるで無縁だった。母親によく買い物のおつかいを頼まれたのだが、子供心にそれは楽しいイベントでもあった。八百屋さん、肉屋さん、煙草屋さんなどに買い物に出かけると、お店のおじさん、おばさんたちに必ずお駄賃をもらった。時には10円玉であったり、時には駄菓子であったり、今、思えば地域の大人たちの大きな愛情に支えられ、見守られて育ったのだとつくづく思う。だからなのか、こうした古いお店を見るといつも感慨深くなる。

高崎の街を抜けると君が代橋だ。明治11年の天皇ご巡幸の際に名付けられたというが、当時の木橋に変り、今は大きなコンクリート作りの橋となっている。烏川を渡ると正面左手に大きな観音様が見えてきた。存在は以前から知っていたが実際に見るのは初めてで、興味はあったのだが立ち寄るにはちょっと遠過ぎるため観音様には申し訳ないがパスさせていただく。その先、右折して「草津温泉道標」から左折するはずが、どうもその手前の道を間違えて入ったらしい。このことは、さらに先の国道18号線に合流するまで気付かないままだった。道理で道に古さを感じなかったはずである。

10時5分、江戸より28番目の藤塚一里塚着。ここは群馬県下唯一現存する塚だという。塚の木の下に小さな古い社が残っており、歴史と風格を感じる立派な一里塚である。国道沿いの排ガスにまみれながら、よくぞこれまで残ったものである。塚の脇の桜が五部咲きになっている。昨日の雨に促され、今日の好天と初夏並みの気温に誘われ一気に開花したのだろう。左手には山が迫り、関東平野の最奥まで来たことを実感する。

その後、しばらく碓氷川の土手道を行く。春の暖かな陽光に恵まれ、とても気持ちいい。前方かすかに白根山の残雪が見える。鶯が鳴き、花々は一斉に咲きだし、新芽も吹いて沿道は一気に色彩豊かになった。生きるもの全てが輝き、生命の偉大さを感じられるこの季節、私は大好きだ。

第9日目 後半へ続く

写真1 懐かしい電気屋さん
写真2 君が代橋を渡る
写真3 藤塚の一里塚

第9日目 その2

上野国一ノ宮・八幡八幡宮の朱色の大鳥居を過ぎると10時30分、安中市へ入った。
板鼻宿手前で道に迷う。国道の改良工事が行われ、新道(バイパス)と旧道が交錯し、分かりづらくなっている。ここに限らず新道と旧道の分かれ道は気をつけないといけない。GPSで確認し、無事、旧道へ入るとまもなく、双体道祖神と天満宮が宿場入口の水路脇にあった。咲き誇る芝桜がまるで神様を祝ってるように見える。板鼻宿は城下の高崎を避けて泊まる旅人たちで賑わっていたらしく、文久元年には和宮様も宿泊されたそうだが、今は閑散としており、往時の華やかさは全くない。

11時30分、宿場内の「板鼻館」で昼食とする。カツ丼(800円)は柔らかなとんかつ3枚を刻みタマネギの上に乗せ、甘辛のタレをかけたもの。一般的な卵とじでなく、ソースカツ系でもない。板鼻館は明治初期から4代続く老舗で、ご主人いわく「卵でとじていないのは、昔は卵が貴重品だったから」とのこと。初めての食感に、なぜか癖になりそうな気がして店を発った。宿内は通過する車が多く、落ち着かないが、古い建物も数多く残っていた。

宿場を過ぎると街道は碓氷川を越えるのだが、旧道にかかっていた橋はすでに壊され、新たな鷹之巣橋に架け替えられている。12時10分、遠方に亜鉛精錬工場を見ながら、その橋を渡り旧橋跡まで行ってみた。橋跡に続く廃道は苔むした古いコンクリート製のガードレールが残っていて、かつて国道だった頃の様子が目に浮かぶようだ。以後、こうした時代に取り残され打ち捨てられた近代化遺産的な橋などに、何度も出会うことになる。

中宿と呼ばれていたこの宿場は車など全く通らず、時が止まったような静寂に支配されている。庚申塔を兼ねた道標がある周辺にはすでに廃屋も多く、そこには表札が掛けられたままで、かつてここに人々の暮らしがあったのだと思いを馳せる。数軒残る旧家もかなり傷みが進み、今がまさに時代の狭間であると実感した。

その先、碓氷川の土手に突き当たるところに道祖神があった。かつてはここから徒歩で対岸へ渡っていたという。JR安中駅は目前なので、12時40分、ちょっと早いが今日はここまでとする。

歩行距離約9km

安中駅のベンチで葉書を一筆。宛先は長野県小諸市在住の恩師宅。来るGWに旅の宿としてお世話になりたく、その旨を綴った。

写真1 仲睦まじい板鼻宿の双体道祖神
写真2 板鼻館のカツ丼
写真3 中宿にて
ビアヘーロさん、こんばんは。

板鼻館のカツ丼に激しく脳が反応してしまいました(笑。あれはぜひ食べてみたい。

私は歩いている途中で食事をすることは滅多にないのです。なぜか食欲がわかないのですよね。歩き終わってからは食べますが。
その代り、途中で甘いものとコーヒーは一回は摂りたくなります。
ともあれ、あのカツ丼はそそられますね。

それからいつも感心するのですが、ビアヘーロさんは1年以上前のことでも旅の記憶や時刻が鮮明なのですね。私などは、一ヶ月もたてば曖昧になる記憶が数多く、ましてや時刻など「だいたいこれくらい」しか分からなくなっているので、すごいと思います。
KIRKさん、こんばんは

板鼻館のカツ丼、気に入っていただけたようでなによりですわーい(嬉しい顔)
自信を持ってお勧めのB級グルメです!ぜひ、一度ご賞味ください。

旅の記憶ですが、それだけは人一倍残る方だとは思います。
でもその代償?に、日常の記憶は全然良くなくて、
特に受験勉強など記憶が勝負な場面では全く覚えが悪く困っています。

今、書いている旅日記ですが、さすがに2年近く前になるので記憶も曖昧です。ですから、歩きながら書き溜めた道中日記を読み返して、写真を見ながら思い出すようにしています。そうすると不思議と記憶が蘇ってくるんです。
第10日目 2007年4月14日(土)

自宅を7時に出発。高速を飛ばしてJR横川駅前に車を停め、8時42分発高崎行きの電車に乗る。かつて特急も往来した信越本線も新幹線開業と同時に横川で分断され、今は閑散としたローカル線となってしまった。

安中駅で下車後、9時10分、スタート。今日は初夏のような暑さで、早々に上着を脱ぎ半袖になって歩く。碓氷川に架かる久芳橋を渡り、国道125号線をしばらく行くと桜が満開の安中宿へ。本陣跡より右折して坂道を登り大名小路へ入る。旧碓氷郡役所見学後、武家屋敷は有料のため入館せず外観だけ見て済ませた。安中宿は城下町ということもあって、この辺りは武士たちの住居地だったそうだ。再び宿場通りに戻ると創業240年の老舗・丸田屋総本店を見つけて思わず店内へ。ネットで評判を聞いていた「お菓子とうふ」2種類を購入。(豆腐を原料に使用している創作和菓子)いつもの甘味癖がここへ来て出てしまった。

10時30分、行く手に上州の山々が見えてくると原市の杉並木へ。かつては日光杉並木にも劣らない並木が続いていたというが、深谷の松並木同様、戦後の交通量増大によりその数を大幅に減らしている。それでもまだ往時の面影は残っていて、なかでも数本ある巨樹には生命力の強さを感じた。原市のはずれ、老舗の和菓子屋・おのやに立ち寄り、名物「遠足最中」を購入。お店の方から話を聞くと、安政時代、安中藩が行っていた碓氷峠山頂までの往復マラソン「遠足」(とおあし)に因んで作られた最中とのこと。そういえば、杉並木を通った際に大きな給水タンクに安政遠足の様子が描かれていた。

お店を出てまもなく、立場茶屋跡向かいに満開の桜咲く延命地蔵堂があった。真っ青な空にお堂の赤い屋根が映え、桜と見事にマッチしている。往時の旅人たちもこうして桜を愛でながら、茶屋で休憩したのだろうか。その後、国道18号に合流、その先、郷原妙義道常夜灯より旧道を下る。12時30分、妙義山を見渡せる畑の傍らに腰を下ろし、昼食とする。安中と原市で調達してきた和菓子3種をお茶と共にいただく。歩いている時の甘い物はとにかく美味い!昔の旅人は1日に十里も歩いたそうだから、道中名物に和菓子や餡子餅などが多いのも頷ける。鶯がさえずり、野にはタンポポが咲き乱れ春爛漫である。

12時45分出発、遥か遠方に雪山が見えてくると、まもなく松井田宿に入る。「妙義山登山口」と書かれた看板をかかげる家など、簾のかかった2階の縁側からひょっこりと丁髷姿の旅人が顔を出しそうな保存性の良い旧家が数軒残り、国道沿いでありながら、かつて信仰の山への登山口として賑わった頃の面影を感じることができる宿場である。

その後、しばらく国道を行き、松井田警察署手前より旧道へ下る。漆原一里塚を通過し、信越線踏切を渡り、国道を突っ切って上信越道をくぐると五料村の高札場跡へ。近くには茶屋本陣があるが有料なのでパスしてそのまま進み、再び信越線の踏切を渡ると丸山坂。日本橋を出て以来、初めての急勾配の登坂で、道端には馬頭観音が数体寄りそっている。それだけに往時は難所だったに違いない。妙義山の展望が開けると夜泣き地蔵と茶釜石があった。夜泣き地蔵の話は長くなるので省略するが、茶釜石は叩けば茶釜の音がするというので、試してみると、確かに空間のある金属的な音がした。

そうして息が上がるほどの急坂を越えると周囲には桑畑や果樹園が見られるのどかな風景が広がった。道端には道祖神や馬頭観音が点在し、「これぞ旧街道!」と言える感動の野道がしばらく続く。道は舗装こそされてはいるが、おそらく往時の旅人が見ていた風景とほとんど変らない景観だと思う。曲がりくねった坂道を下ると信越線と合流、いにしえの道は線路によって容赦なく分断された。

その後、数百m迂回して踏切を渡り、再び旧道に戻る。すると「熊出没注意!」の警告看板を発見!こんな里にも熊が出るとしたら碓氷峠にはいったい何頭の熊が居るのだ?「碓氷峠を越える時は熊さんに気をつけてね」ふと、蕨宿で出会ったおばさんの言葉が頭をよぎった。左下に碓氷川を見下ろしながら進み、百合若大臣の足痕石を過ぎると信越線踏切を渡り、15時30分、JR横川駅前に着いた。言わずもがな「峠の釜飯」をおみやげに購入し、原市のおのやさんに勧められた峠の湯(日帰り温泉)で汗を流し、帰路に着いた。次回はいよいよ熊さんが待っている碓氷の峠越えである。
歩行距離約20km

余談になるが、その晩は鼻がむずむずして涙と共に鼻水がいつまでも止まらなかった。原因は杉花粉。今まで何ともなかったはずが、北風に舞った大量の花粉を浴びた結果、ついに花粉症になってしまったらしい?…

写真1 原市の松並木
写真2 桜咲く延命地蔵堂
写真3 松井田宿の旧家
写真追加です。
この回辺りから撮影枚数が激増してしまい、1日で100枚にも。
次回、信州へ入るとその枚数はさらに増えて行きます。
それだけ街道風景は素晴らしいということになるのでしょう。
やはり、中山道は最高です!

写真1 妙義山遠望
写真2 いにしえの道
写真3 横川集落へ 
お疲れ様です

妙義山てほんとに何ともいえない姿ですよね
上州も もう少し
ビアヘーロさん、こんばんは。

さすがに春4月ですね。妙義山てこんなにくっきり見えるのだと感心しました。私の時は、晴れてはいてもやはり空気中の湿気のせいでしょうか、目を凝らせばかろうじて妙義山とわかる程度でした。

それにしてもまたまたお菓子の話題。前にも触れましたが、私はこの手のお菓子を買うということがまったくなかったので、とても新鮮です。街道筋に餅や饅頭の名物が多いというのも、やはり疲労回復とスタミナ源の効果があったのでしょうね。写真があればまた紹介お願いします。
ゆたかさん、KIRKさん、こんばんは!
いつもありがとうございます。

ゆたかさん
妙義山、とってもきれいでした。上州も魅力的な所ですね。
季節を変えて、また歩いてみたい道でした。

KIRKさん
お菓子の話題、まだまだたくさんありますよ^^
最終的に何種類のお菓子を食べたのでしょう?
自分でも全く把握してません。おいおい思い出して行きます。

写真が「お菓子とうふ」と「遠足最中」です。
ビアヘーロさん

こんばんは。

春に妙義山を見ながらの中山道歩き、いいですね。
空がなんとも言えずきれいです。。。

遠足最中、私も買いました。はい、旅の甘いものは疲労回復です!>KIRIKさん
何度も助けられました。ここでも、寒い中、通りがかり、飛び込んで買ってみたら、レシートの創業年をみてびっくり。。。

お菓子とうふは気づきませんでした。こんどいったら見てみよう。。。(また行く気でいる。。(^^;;)

この辺を歩いてたときは
少し早めに切り上げて、何度か磯部温泉に寄り道しました。
峠の湯は日を分けて、アプトの道を歩きにいったときにはいりました。

下諏訪まで温泉がなかった頃に比べ、幸せですね♪

ちえみさん、こんにちは

遠足最中、買われたんですね^^
味としては普通の最中ですが、歩いていると餡子が特に美味しいです。
和菓子の餡。ちなみに私は断然「つぶあん」派です!

磯部温泉、いいですね。
我家も大の温泉好きで、磯部も気になっていますがまだ未湯なんです。

第11日目 2007年4月29日(日)

春の嵐が去った朝、前回と同じように愛車でJR横川駅へ向かった。今日は険しい峠越えということもあって、2人の同士を誘った。山くんと上くん(仮称)それぞれ久しぶりの再会であった。十数年前、まだパソコンも携帯も普及してなかった頃、僕たちは旅行雑誌の「北海道好き集まれ!」旅仲間募集欄を通じて知り合った。アナログ時代の懐かしき仲間たちと共に越える碓氷峠。果たしてどんな道中になるだろう…

9時15分出発、まずは茶屋本陣跡より横川の関所跡へ。かつて箱根などと共に入鉄砲と出女を厳しく取り締まったという関所も今は東側の門が残るばかりだ。その門を通り抜けて、その先、旧信越本線のガードをくぐると新緑が鮮やかな薬師坂。山くん、上くん2人ともぐんぐん進む。(おいおい、そんなに飛ばして大丈夫だろうか)息を切らして一気に登り、刎石山がみえてくると坂本の宿場に入る。

快晴!しだれ桜咲くすばらしい街道風景に心躍る。坂本宿は木曽の桟橋、太田の渡しと並ぶ中山道三大難所と言われた碓氷峠を控え、本陣・脇本陣が各2軒、旅籠は40軒もあって大そうな賑わいをみせていたそうだが、今は人通りも無く静まり返っている。かつての屋号が家々に掲げられている宿場を行くと、本陣、脇本陣、元旅籠「かぎ屋」などの古い家が残っており、英泉の描いた浮世絵の面影が今でも色濃く残っていた。芭蕉句碑を過ぎると数軒の食堂廃屋があった。バイパスが整備され車通りがなくなったために廃業となったのだろう。まるでモノクロ写真のような景観に栄枯盛衰を感じた。

宿場をはずれると旧道は草道へ入り、レンガ積みの旧アプト鉄道トンネルを過ぎると本格的な登山道となる。たちまち息が上がり、僕より9つ若い同行2人のペースが落ちる。馬頭観音、大日尊のある刎石坂の急斜面を過ぎるとまもなく展望が開けた。「覗」といわれたところで眼下に坂本宿が一望できる。往時の旅人もここで休憩し、眺めを楽しんだことだろう。我々もここで小休止。背中はすでに汗でびっしょりになっていた。

それから3人の旅人はアップダウンの続く登り坂に苦難した。日頃、秩父や奥多摩の山歩きをしている山くんはともかく、上くんは日頃の運動不足と初めの飛ばし過ぎが響いてかなり辛そうだ。南向、北向馬頭観音、茶屋跡、座頭ころがし、一里塚跡など旧跡を次々と通り過ぎて行く中で、乗用車やマイクロバスまで、朽ち果てた廃車が何台も放置してあった。どう考えても車は通れない狭い山中、「ここまでどうやって持ってきたのかな?」「宇宙人の仕業かもね」3人で知恵を絞ったが、結局結論は出なかった。

後半へつづく


写真1 碓氷関所跡
写真2 坂本宿入り口より刎石山展望
写真3 「覗」より坂本宿を見下ろす
つづき

陣場が原を直進すれば和宮道(和宮降嫁時に作られた新道で安政遠足のコースはこちら)だが、せっかくだから旧道を行こうと決めた。この選択は正しかったのか?道は倒木や笹薮の荒れた道となり、「熊出没注意!」の警告標識が張り出されている。聞くところによると熊は水場によく出没するらしい。沢の水を飲みに来るのだ。だから沢を渡る時はかなり緊張した。曲り道の先に突然、熊さんが現れそうな気配に戦きながら3人は歩んだ。もちろん先頭はこの道を選んだ僕である。各自、熊避けの鈴は着けていたが、万一のために木棒を手に熊笹の道を進軍したのであった。

今は何も無い接待茶屋跡を過ぎて、和宮道に合流するとほっと一息。13時30分、ようやく峠の茶屋に着いた。峠の茶屋いずみやのテラスで昼食。吹き抜ける高原の風が心地よい。力餅と手打ち蕎麦を食べながら、僕たちはしばらく昔話に花を咲かせた。食後に熊野神社を参詣、無事に峠を越えここまで来られたことのお礼とこの先の道中の安全を祈願する。境内からは広大な関東平野が一望できる。霞がかかっていなければ遥か筑波山まで遠望できるという。

14時30分、出発。1月に東京を発って、埼玉、群馬と3都県を歩き、ついに長野県へ入った。街道は一気に軽井沢の街へと下って行く。旧旧道が断片的に残っているが、横川行きのバスの時刻が迫ってきているので旧道(車道)を黙々とひたすら小走りで下る。そして二手橋を渡り旧軽銀座へ合流すると3人はいきなり群集の波に飲まれた。「なんじゃこりゃ!」こんな人混みは巣鴨の地蔵通り以来である。さすがはGWの軽井沢。駅まではまだ距離があるのだが、人の密度が濃すぎて早く歩けない。ただ、巣鴨のおばさんたちと違って若いお姉さんたちが主役なのでその点はよかった。

結局、15時40分発のバスに乗り遅れてしまった。どうせ間に合わないのならゆっくり下ればよかったが、予定通りにならないのも旅の醍醐味。近くの公園で次のバスを待ち、1時間遅れで横川駅に戻って、それぞれの帰路についた。あとで山くんに聞いた話だが、その晩、上くんは疲れ果てたらしく、もう峠道はこりごりだと言っていたらしい?

歩行距離約15km(軽井沢駅前まで)

山くん、上くんと別れてから、愛車で再び碓氷峠を越えて、今夜の宿、小諸市の恩師宅へ向かった。
恩師は小学校1・2年生時の担任だった方で、今は主婦として家庭を守られている。ご主人は地元高校の先生で、お2人には明日からの道中でいろいろとお世話になることとなった。


写真1 峠手前の旧旧道
写真2 熊野神社境内からの眺望
写真3 誰もが撮る構図?2県をまたぐ男

みなさまへ

今回の更新よりしばらくの間、お休みさせていただきます。
今までお付き合いいただき、ありがとうございました。

この続きは、いずれ機会を見て「中山道完全踏破・信州編」として、
再開したいと思っております。今後ともよろしくお願い致します。
ビアヘーロさん、

同好のご友人との碓氷峠越え、感慨深いことでしょう。
私の周囲の連中は、街道歩きの話しをみんな聞きたがるものの、「一緒に行くか?」と水を向けると「いや、俺はちょっと・・・」と誰ものってくれない・・・。

それにしても碓氷峠は、誰もがここをどう越えるかで前後のスケジュールを考える(考えざるを得ない)中山道で最大のアクセントですよね。
春のいい時期、覗からの景色、大気もまだ澄んでいて、みごとなものです。

「再開・信州編」、お待ちしております。
ビアヘーロさん
 碓氷峠 お疲れ様でした

 信州編に向けて ゆっくり充電ということで
 のんびり 待ってますからね
 しばしの別れ
 お元気で
>>[26] はじめまして、先日熊谷宿から深谷宿迄歩きました。
ご存知かもですが、植木(新島)の一里塚は残念ながら平成22年と30年の豪雨で根元から伐採されていました。
>>[17] 季節は違いますが、現在と過去(僅か13年されど13年の歳月の流れを)比較しながら拝読させて頂きますm(__)m
滝岡橋を渡る時に小山川の護岸工事をしているのを見掛けました。
水害被害防止の為…

神流川の横にも深谷から新町へのバイパス道路工事が行われていました。
交通渋滞緩和の為…

色々と考えさせられます。

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