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緒方貞子 [コミュニティ]コミュの(日本人と俳句)柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺〜正岡子規〜

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(日本人と俳句)柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺〜正岡子規〜

 日本人は、短歌、俳句は親しみ深く身近な文学であり、文化と思います。以前書いた、小林一茶の俳句で、「雪とけて村一ぱいの子ども哉」を紹介したのですが、その言葉に含まれた一茶の悲哀の人生を思うと、明るい句の中に人の強さを感じます。

 正岡子規は、4歳で父を亡くし、母の手で妹と共に育てられるのですが、両祖父に漢学、書を学び、才覚を磨かれて行きます。苦学をしながら、松山中学、さらに東大文学部に進み、一旦小説家を志しますが、幸田露伴に極評され断念し、俳句の道を進むことなります。大学を中退し日本新聞の入社。新聞『日本』に俳句のついての連載を書き、俳句革新運動を開始します。
 明治28年日清戦争へ従軍記者になり、帰国途中に客血し、その後の人生は闘病しながらの俳句活動となります。病は、段々身体を蝕み、最後は結核菌が骨に入り、カリエスを併発し、寝たきりの生活になります。その時に読んだ句が、

「行くたびも雪の深さを尋ねけり」

病床にいて看病する妹に、雪が積もる様子を何度も聞き、ちいさな子供の雪を楽しむ、ワクワクするように尋ねる様子をうたっています。
 しんしんと降り積もる雪の様子、自分の消え行く命と見比べならも、降る雪の様子を子供のように楽しんでいのかもしれません。

 正岡子規は、松山藩士の長男として生まれるのですが、明治の混乱の中、母一人の手で本当に苦労の中で育ち、新進気鋭の俳句作家として、鮮烈にデビューすのですが、病に侵されながらも、賢明に自分の為すことを続けた人と思います。その影響は、松山はもちろん、日本人の心に深く残っていると思います。

 日本人は古き時代から、短歌、俳句は、武士のたしなみとして、茶道と共に生活の一部になっていました。今読んでいる、李登輝著「『武士道』解題」の中にも、有名な詩が出てきます。

 憂きことのなほのこの上に積れかし 限りある身の力ためさん(中山鹿之介)
敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)
かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)

 江戸期のリーダーと言われる人たちも多くの詩を後世に残しています。日本の俳句、短歌の文化は、自分の人生を自然の出来事に読み替え、後世の人々に伝え続ける遺訓のようなものかもしれません。

「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」

 今年、国宝『法隆寺』を、世界のリーダー2人が訪問しました。それは、中国国家主席と国連事務総長です。東アジア出身である二人の思いが、どこにあるかはわかりませんが、仏教に国の安定を託した聖徳太子の心を少しでも汲んで、世界の平和に寄与して欲しいと願います。

 いつか世界から紛争が無くなり、戦争の危機が聞けなくなった時に、法隆寺で柿を食べながら、下手な俳句でも詠めると良いなと思います。話題が、あっちこっち飛びましたが、平和な中での俳句は、自分を振り返る良き時間と思います。

*参考資料:黛まどか編「知っておきたい この一句」
李登輝著「『武士道』解題〜ノーブレス・オブリージュ」

<関連に日記>
・小林一茶「苦悩の生涯、愛唱の句」
 〜生きていれば、いずれ花の咲く季節が来る〜
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=574209758&owner_id=2182841

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