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緒方貞子 [コミュニティ]コミュの幕末の思想家「横井小楠」と猛婦「矢嶋楫子」→『世界平和』

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幕末の思想家「横井小楠」と猛婦「矢嶋楫子」→『世界平和』

 140年前に、「富国安民」「国際協調」を提唱した思想家が日本に居た。熊本生まれの下級武士の次男だったが、聡明の秀才で、藩校の塾頭「居寮長」を努め、30才の時に藩費で江戸遊学し、藤田東湖をはじめ、多くの志士たちと語り、帰郷し知識集積型の藩校でなく、実践を重んずる「実践躬行」の政治理念を基に、私塾「小楠堂」開設し、維新以後に活躍する志士を輩出している。小楠堂には、長州の吉田松陰をはじめ、全国志士が訪れたと言いますが、当の小楠は江戸での酒席で不祥事を起こし、藩官僚から低い評価を受けていました。

 しかし、時代が要請する思想形成を積み上げて行きます。江戸遊学時に、勝海舟や佐藤一斎門下の塾生とも意見を交わしたようで、先見性に一目置いている志士も居たようです。勝海舟の弟子である坂本龍馬は、初対面の折は、「刺客」のつもりで当初面会するのですが、その理論に信服して行ったと、小楠の内弟子の(政治評論家の内田健三氏の祖父)内藤泰吉が、「小楠VS龍馬」の対談の様子を内田氏の語ったそうです。

 最近の調査研究で、横井小楠の自宅「四時軒」には、ジョージ・ワシントンの肖像画が掛かっていたそうです。明治2年の暗殺の真相は未だに不明ですが、「血族」で政治のトップを決めるのでなく、大統領制の考えが有ったと言われています。
 今日、「四時軒」(横井小楠記念館)を、小楠のひ孫の横井和子先生と一緒に、久々に訪問して、展示物を見る中で長州のリーダー・高杉晋作の「小楠評」が書かれていました。その一節に、小楠が敬慕した江戸中期の儒学者で政治家の「熊沢盤山」と良く似ていると高杉晋作が語ったとありました。

 この小楠が尊敬した熊沢盤山とは、小楠自身は年代的に出会わないですが、藩政の家系のよる地位が決まることの矛盾を感じ、能力のよる役割を突き詰める中で、藩主も「能力の在る人」と行き着き、藩の事件もあったのですが、家老職に在ったのですが、藩主から職を解かれ(解任)、晩年は山紫水明の地で、学問と書、芸術に生きたと言われる人です。 家系・血族よりも、「能力主義」の政治を小楠も盤山も、望んだと思います。どちらの保守派から反発が起き、江戸中期だったのと小藩の事だったので、盤山は「隠遁生活」で済んだのですが、維新の国家の混乱期では「刺客」と言う強靭の波の飲まれたと思います。
 
 さて、昨日の「横井小楠と肥後の猛婦たち」の最後に、明治期の熊本出身の女性偉人の中で、誰が1番かの4人のパネリストの意見は、平和運動家の矢嶋楫子だと票があつまりました。
 矢嶋楫子は、横井小楠の妻「つせ」の妹で、当時の女性平和運動家の世界代表として、アメリカで開催された軍縮会議へ、1万人の署名を持って乗り込んだと言います。年齢90歳。当時の寿命を考えると、無謀ともいえる渡米でしたが、無事にアメリカ大統領と面会し思いを語ったと言います。
 申し入れ後の語った言葉が、「これで小楠先生の思いを遂げた」だったそうです。

 小楠の有名の漢詩の一説があります。2人の甥の米国留学の送別の詩。慶応2年(1866)4月27日、佐平太と大平は長崎から米国へ向かった。この時2人の甥に詩を贈った。

尭舜孔子の道を明らかにして
西洋器械の術を尽さば
何ぞ富国に止まらん
何ぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ (意味:末尾の注釈)

(意味)
 東洋の思想を身につけ、西洋の技術を修得すれば、自分の国を豊かにしょうだとか強い兵を持つ国にしようかではなく世界の平和に貢献していけるんだ。
 明治維新で開国するまでまだ2年もあるころ、国内は長州征伐だなんだともめていた時代に小楠は日本の将来を世界平和めざす国としてとらえていた。


 イラク戦争時に、ブッシュ大統領もこの「大義」と言い言葉を使いましたが、小楠の掲げる【大義】とは、180度違うように思います。
 不運にして強靭に倒れた小楠の「世界平和」の大義は、その親族の女性が世界軍縮会議へ直談判するための乗り込む行動「実学」として、受け継がれていたのではと思います。
 
 その小楠の思想は、維新時に多くの志士たちを奮い立たせました。海舟、龍馬、西郷隆盛、木戸孝允等々、「大政奉還」、「江戸開城」と進んで行きまました。
 そして、昨日の「肥後の猛婦たち」にゲストで参列頂いた、現横井家当主の横井和子氏は、ピアニストで教育者として戦前戦後と活躍され、現在88歳。昨日も、5曲を歓迎の気持ちと弾かれたのですが、参加者全員が感動していました。
 その最後の言葉にまた感銘を受けました。

「音楽は、成果共通のルール(音階)があります。そのルールを使うだけでなく、私は日本の心を込めて、音楽と言うものを広めたい。」

と、語られました。大阪教育大学名誉教授、大阪芸術大学教授など歴任され、多くの音楽を育ててこられました。国の根幹は、教育にあると思いますし、横井家の家庭教育の理念(精神)は、140年の時を越えた今でも、末裔に受け継がれていると感じる、昨日と今日の横井先生との時間でした。
 再来年は、横井小楠生誕200年。140年前に、世界(四海)に対して「平和・協調」を唱えた思想を、今後も学んで行きたいと思いました。

今日は、大分長くなりました。


追伸、横井小楠記念館「四時軒」は、熊本市東南部にあり、都心から車で25分閑静が住宅地と田園風景の境位置しています。全国各地から、年間4,000名を越える訪問者が絶えずあると聞きました。ぜひ、一度興味ある方は訪問して、遺品、書、偉人たちの言葉等々知ってもらえればと思います。
 刺客に襲われた時に使われた、「刃こぼれした短刀」も展示してあります。4年ほど前に書かれた本に、仮想維新内閣で、官房長官は「坂本龍馬」、総理大臣は「横井小楠」と
ありました。

・『四時の序、巧を成す者は去る』(史記)
 「四時の序」とは、春夏秋冬が移り変わること。春は春の役を終えれば夏にその地位を譲り、夏は夏でその役割を終えれば主役の座を秋に譲り渡して、自分の舞台に引っ込んで行く。人間もそうあるべきだ、と言う意味だそうです。

(注釈)
【尭舜】ぎょう‐しゅん
 尭と舜。徳をもって天下を治めた、中国古代の理想的帝王として並称される。
【孔子】こうし
 (クジとも) 中国、春秋時代の学者・思想家。儒家の祖。名は丘。字は仲尼(チユウジ)。魯の昌平郷陬邑(スウユウ)(山東省曲阜)に出生。尭・舜・文王・武王・周公らを尊崇し、古来の思想を大成、仁を理想の道徳とし、孝悌と忠恕とを以て理想を達成する根底とした。魯に仕えたが容れられず、諸国を歴遊して治国の道を説くこと十余年、用いられず、時世の非なるを見て教育と著述とに専念。その面目は言行録「論語」に窺われる。後世、文宣王・至聖文宣王と諡(オクリナ)。(前551前479)
【四海】し‐かい
 四方の海。よものうみ。謡、高砂「―波静かにて」
 (「四海の内」の意より) 天下。世界。国内。太平記一「これより―大きに乱れて」
 〔仏〕須弥山(シユミセン)をとりまく四方の外海。
【大義】たい‐ぎ
 重要な意義。大切な意味。
 人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。

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