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巨匠指揮者讃コミュのスウィトナー讃(訃報)

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オトマール・スウィトナー(Otmar Suitner, 1922〜2010年。オーストリア。スイトナーの表記あり)

インスブルックに生まれ、地元の音楽大学でクレメンス・クラウスに師事、1941年からインスブルックの歌劇場で副指揮者を務めてデビューしました。戦後、西ドイツ各地の歌劇場で活躍した後、1960年にドレスデン国立歌劇場(現・ザクセン州立歌劇場)、1964年からベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任し、東ドイツで活躍するようになりました。1971年に初めてN響を指揮し、その後客演を重ね、1973年にN響の名誉指揮者に就任。同時にウイーン国立音楽大学指揮科の教授として後進を育てましたが、1980年代末期からパーキンソン病のため体調を崩し、1990年に東西ドイツが統一された時にベルリンのポストを辞任し、事実上の引退しました。
レパートリーはベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ワーグナーなどのドイツ音楽が中心で得意とされていました。
あなたのお好きなスウィトナーの名演・名盤をお教え下さい。

コメント(11)

モーツァルト:交響曲第31番「パリ」

http://www.hmv.co.jp/product/detail/442880

特別なことをしているわけではありませんが、パリッと引き締まったアンサンブルと明快な解釈でこのシンプルな曲の魅力をストレートに表現しています。これに比べると他の演奏は重すぎたり考えすぎたりアンサンブルが雑だったりで感心しません。

決して有名な曲でも演奏でもありませんが、こういうところにこの名指揮者の美質があったと個人的には思っています。ご冥福をお祈りいたします。
ガキの頃、初めて体験したオペラがスウィトナーの『タンホイザー』でした。
もちろんそれが名演かどうかはぜんぜん分かりませんでしたが、その後
ワーグナーにのめり込むことになったのは、間違いなく彼のおかげです。

それと…その後偶然街でお見かけしたときにミーハーにもサインをお願いした
のですが、他に何もなかったので(今考えると冷や汗ものですが)学校のノート
を破って差し出すと、笑ってそれにサインして下さったこと、私の下手くそな
ドイツ語にも丁寧に受け答えして下さったことなどが懐かしく思い出されます。
心よりご冥福をお祈りします。
 スィトナーとN響のモーツァルトは、私の古いカセットテープのなかでも大切なものの一つです(いまはCDにもなっていますが)。昨年のNHK−FM40周年の記念番組でも語られていましたが、その風貌からはちょっと意外なほど若々しい、清明なモーツァルトでした。また、ドヴォルザークの交響曲全集も、チェコの指揮者とは少し違った味があったと思います。
 実演に接することはできませんでしたが、まだ若かった私に、ラジオを通じて一つのスタンダードを与えてくれたマエストロに、心から冥福をお祈りします。
金欠の若い頃

セラフィム盤のMOZALT「ハフナー」「リンツ」「プラハ」が

愛聴盤でした。 オケはシュターツカペレベルリン だったかな (1300円)。

シャルプラッテン盤の同じ組み合わせのMOZALTの他の交響曲が2200円位だったの

でずいぶん得をしたと思っていました(セコッ)。

N響を振った年末の「第九」も 熱演 でした。

1977年にシュターツカペレベルリンとの来日があり、福山公演がありました。

スイトナーさんが振ると思いきや 福山公演は 副指揮者の

井上道義さんでした。そのときはチョット残念でした。(井上さんごめんなさい)

ついに 生を聴くことができませんでした・・・。

 クレメンス クラウスに師事してたんですね  それにしては

スイトナーさんのR・シュトラウスをあんまり 聴いたことが

なかったな と 思います。  


 とはいえ  合掌。 



昨夜このトピックが出ているのをみて、ご逝去を知り、ついに一番心配していた時が来てしまったというショックで、昨夜はコメントを書く元気もなく、あまり眠れませんでした。

音楽家逝去の報でのショックの大きさから言ったら、ベーム氏、クライバー氏、メニューイン師、ボベスコ師、イムジチのA.M.コトーニ女史の時と並んで、私の人生で最も悲しい出来事の一つです。

ここにマエストロとの思い出を記させていただきます。



マエストロズイトナーの偉大さに開眼したのは、私が少年時代の1979年に魔笛の全曲盤のLPによってですが、その翌年のベルリンシュターツオパーの来日公演での魔笛実演をスタートに、以後80年代を通して約10年間、毎年のN響客演や、81年88年のジャパンアーツ招聘のベルリンシュターツカペレの来日公演と、80年83年のCBC招聘のベルリンシュターツオパーの来日引越し公演での、東京でのほぼ全公演に通いつめずにはいられなくなり、約100回のマエストロの実演に触れる幸せをえました。


81年の神奈川県民ホールの楽屋でお弟子の中舘先生が、マエストロにその日のベト5の僕の感激をお伝えする仲介をして下さって以来、マエストロは一遍で私の顔を憶えて下さり、それからはどの公演の後も多くの人々に囲まれる中から、マエストロ自ら私を見つけ出して下さっては、恐れ多くもマエストロからお近づきくださり、言葉をかけ頬を寄せてくださいました。そのときのご様子がまたマエストロのお人柄を良く表していて、子供同然の私にまで毎度最大限の礼を尽くして丁寧すぎる程のご挨拶を下さるので、ひたすら勿体無い思いでいっぱいでした。

サインを頂く際も、貴方は特別だからと仰っては、いつも丁寧な添え書きを下さり、わざわざ添え書きに込めた気持ちを説明して下さいました。もう最後の来日に近い頃、マエストロと一緒にその数年前の84年に撮った写真を差し上げると本当にお喜びになられ、同じ写真をもう1枚ご希望され、後日お持ちすると、その写真に大きなハートマークを書き込まれ、羨望の歓声を上げた周囲の方々に、彼とは本当の本当の仲良しなんだよと仰って下さったことなど、思い出すと涙がとまりません。

サインを下さるとき、マエストロが必ず、何て素晴らしい曲なんだろうといつも呟かれたのが、モーツァルトとシューベルトのディスクを目にされた時で、ベートーヴェンも素晴らしいマエストロですが、この2人の作曲家への思い入れが別格であることがよく伝わってきました。

あの清澄で勢いのあるモーツァルトは人類の宝です!!あの3大シンフォニーは、N響、シュターツカペレの実演でいったい何回聴いたか思い出せないほどですが、それももう録音でしか聴けなくなってしまった現実が、なかなか受け入れられません。


80歳の記念コンサートに、お顔は見せられた事、そしてN響団員をはじめとする日本の方が時折ベルリンにお見舞いに訪れるのが、最近のマエストロの何よりの楽しみであられる事を伺い、2010年の年頭にあたり今年こそはマエストロにご挨拶に伺おうと固く決心したところのこの訃報です。


ベーム氏が亡くなった時、もう存命の好きな指揮者は、ズイトナー氏、クライバー氏、ヴァント氏、ムーティ氏、デイヴィス氏しかいなくなったと嘆きましたが、もうそれらの方の大半が亡くなられてしまいました。


悲しみの極みです。


偉大なマエストロズイトナーのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


合掌

思えば1988年6月19日、ザ・シンフォニーホールにてベルリン国立歌劇場管弦楽団との演奏を聞いた時、初めて生で伝統の重厚なクラッシック音楽を肌で感じ取った事を未だ昨日の事の様に覚えています!ちなみにこの日のプログラムはモーッァルト「魔笛」序曲、シューベルト「未完成交響曲」、ブラームス交響曲第1番、アンコール曲としてシューベルト「ロザムンデ間奏曲」でした!あれから直ぐだったんですね!体調を崩されたのは!ご冥福をお祈り致します!
メニュイングリュミオさんの思い出を読ませていただき、胸が熱くなりました。このようにすばらしい方が、日本でたくさん演奏をしていただいたことが、私たちにとっては幸せであったと思います。

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