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音楽教育/音楽心理コミュの音楽教育の大切さを訴えるには

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音楽教育はここアメリカでは必修ではありません。それでも、90年代に流行った『モーツアルト効果』(クラシカル音楽を子供に聞かせるとIQ上がる)の影響で、親達は子供達にピアノやバイオリンのお稽古に通わせる事が多い様です。

IQ上がる、以外で、どうすると音楽教育の大切さを訴える事ができるのでしょうか。

音楽認知学、心理学、人間行動学、、、こういう研究で、どう言う結果を一般人は求めているのでしょうか。どうしたら説得力ある説明が出来上がるのでしょうか。

どんな意見でも宜しいので、お聞かせください!

コメント(11)

私もそれをすごく最近考えてます!。。何かいい方法はないですかね?そして日本の公立での音楽の授業も殆ど意味のないものだと思います。表面しかかすってないというか。。まぁそれは他の授業にも言えると思いますが。アメリカでも日本でも、とにかく音楽教育をもっと画期的なものにしていきたいという野望がありますが、どうすればいいんでしょうかね。。
>ikue様

日本の音楽教育、まだアメリカよりましかも。ちゃんと楽譜の読み方教えているし、ピアニカやらリコーダー。まあ、あれってヤマ*会社からの後押しでしょうけど。

音楽史や理論を一種の世界歴史として扱うのはどうかと、エリントンは言ったそうです。それも良い案だな〜っと思うのですが、今のこの状況で、音楽史を必修に入れましょうなんて言っても笑われるだけですよね、、、、

音楽も文学と同じく、色々作曲者のメッセージや意味が含まれているので、それを聞き取るということでセンシティビティーを高める。んん〜でも、SATには無関係と言われそう、、、、
はじめまして!私は、カリフォルニアで教えているのですが、日本だと生徒がみんな教科書を持っていると思うのですが、こっちでは、学校によっては、音楽の教材がまったくありません。小学校の音楽の先生は、週1のペースに生徒達にあい、4つや5つの学校を点々としたりする人たちもいるのですが、教材がないと私たちは、教材なしで教えないといけなかったりします。幼稚園から2年生まで音楽は、あるけどその後は、ないとか、オーディションで選べれた人たちだけコーラスに入れるとか、とにかく生徒みんなが音楽の授業を受けられないので生徒によっては、ずっと音楽のクラスを取らないまま大きくなって行く子もいます。音楽は、テストの点数をあげると聞いた事もありますが、まず、リスニングを鍛えるのでちゃんと聞く耳を持つようになったり、英語がしゃべれない子たちでも歌詞を覚える事によって英語で歌えるようになったりします。普通に覚えるのは、大変でもメロディーに歌詞をつけるだけで難しい事も覚える事もできます。それに音楽だけで才能を発揮する子もいるので、音楽があった方が途中で学校を中退する子が減るともいいます。学校前や学校後の部活動や週末の練習やコンサートで悪い事をしてる暇がないから問題が少ないという先生もいます。でも、これは、説得力ないかもしれないですけど、、。ほんと難しいですね。
Sena様がコメント書かれてから一年たちそうです。すみません!!

我が子(キンダー5歳)の学校でも音楽クラスが週に一度有るのですが、のりの良い音楽にあわせて踊って歌うで終わっているようです。”観賞”する姿勢を教えるというこは全くなさそうで残念です。

学生に聴く耳/音楽をアナライズできる力を鍛えなままだと、音楽教育の発展なさそうですね。
IQとははっきり解らないですが 現状の子供達は 国によって違いますが 私が関わってきた限りでは 脳内が ゲームパソコン携帯で育っている傾向が強く かなりのハイテクな 技術力や 知能かな 頭はいいと思います。 学校でも格差あるとはおもいますが 昔から 英才教育とか 胎教にモーツァルトを聞かせるといいとか 様々でしたが 音楽は 今のご時勢で生きる若者にとっては なくてはならない 大切な 心の寄りどころ 自分達の才能が 自由に 発揮出来る場所になってきているみたいです よく説明できかねますが 色々な ハイテクな楽器を駆使するのは 彼等には大変容易い事ですから 実際は あまり上手くなくても 造り上げれば 素晴らしい曲になる技術を常に開発し ネットなどで有名になっていき 実際に 舞台に立ち 大勢のファンが 駆けつけます。 ネットの力は凄いですから 格差はそこにはないといってもいいかもです。携帯小説家などがよい例で 子供達が自由な発想で 書いていく。 そして 自宅で自分で何役もこなして 所謂多重録音というか カメラを駆使して 自分流に 音楽表現する。 遊び心であり また 個性の表現であり 私は 凄いなあと感心します。彼等にとっては 他愛ない 何でもない事でも ネットでそれが広く紹介されるようになりました。しかし 流れが早過ぎて 瞬時に 新しさが 求められ 消え去るのも速いです。楽譜なくとも 楽器なくとも 音楽表現できてそれが 売れては消える。 音楽の本来のあり方とは 実際は 定義できないし あくまでも 音を楽しみ つまづき 気付いた時に ピアノに触り 歌い 楽譜を買い 勉強したいと思っても いいかなと思います。自由な 形であるため 音楽は 人類には 最大な 素晴らしい発明だといえるかなあ。 基礎的なtechniqueや 学問も御座いますが これからもまだまだ発展進化し より楽しい音楽表現 が 子供達には出来るし 情報社会ですから 幼い時から 音には 様々な形で慣れ親しんできて 極めていきますが いざ 音楽以外の 販売 営業 など 各種の 接客業になって 所謂頭よか体を使う仕事になってきて その才能が 生かされるかは 解りません。料理にしても なかなか ままならないまま 家庭に入ってしまう方は 私も含め 最初は プライド捨てる事から知らなくては出来ません。
はじめまして!
音楽教育の意義や役割について私も疑問を持ち、4月から大学院で研究していこうと考えています。
私は、音楽心理学の視点から研究していこうと考えています。
「音楽教育」の前に「音楽」自体についての研究が少ないのが問題だと思っています。

難しいですね。
 みなさま、初めまして。あっこちんと申します。北海道に住んでいる中学校音楽科の教員です。

かねてから「音楽鑑賞教育」と「脳科学」(とりわけ「認知心理学」)の関係を研究しています。実践(実験?)を簡単に述べていきたいと思いますので、議論の種になればいいなぁと思います。ぜひ、よろしくお願いします。

 さて、日本の音楽教育は恵まれているかと言うことに対しては、「No」と言わざるを得ません。なぜ、Noか。必修の音楽の時間が減っているからです。この先、あわよくば必修もなくなって「選択制」になってしまうかもしれない。みんなで音楽を共有する時間がなくなってしまい「好きな者」が集まって音楽の時間を過ごすことになるおそれがあります。
 これは、私達音楽科の教員にも問題があります。「部活動主義」で吹奏楽や合唱などコンクールでよい成績を上げている先生たちは「選択音楽」化に大賛成だそうです。自分で自分の首を絞めているとしか思えません。

 音楽科は、感性と知性の両方をバランスよく育む教科であるから、必修から無くなっては困ります。授業を大切にし、色々な子ども達の考えを大切にする先生を増やすことが音楽科を残す道だと考えます。決して「部活動至上主義」ではないはずです。

 音楽鑑賞の実践については、次回に。まだ、文がまとまっておりません。
>めがねさん

ネットにより、自分たちの小説や音楽が多くのオーディエンスが出来ているのはとても良い事ですよね。子供達の自己表現する場が増えるということで、これからの子供達は、プライドなどに拘らない人間になっていくかも。

>たあさん
音楽自体、娯楽ととられている場合が多いので、研究者も少ないでしょう。でも、音楽の歴史は言葉以前からスタートしてるぐらい、音楽は人間心理の基本だと思います。私も9月から正式に院へ戻りこの点をちょっと勉強する予定です。お互い情報交換していきましょう!

>あっこさん
ここアメリカの学校では、音楽が選択に入っていない所も多いです。部活にも入っていません。とにかく、音楽は娯楽です。よって、ギターとかドラムをやり友達とバンドを組むといったかたちでの音楽との出会いが多いようです。コンクールを重視する音楽教育者、うんうん日本には多いですね。現場で教育なされていらっしゃるのですね!今後とも色々ご意見おきかせください。
 「音楽教育の大切さを訴える」前に、音楽教育は何故大切なのか、学校教育に何故音楽が必要なのか、本当に必要なのか、まずはそこでは?

 それと、楽譜(5線)というのは本質的に西洋古典音楽のフォーマットなので、読譜能力があらゆる音楽の基礎ではないハズです。「音楽教育」の目的にもよりますが、幼少期にこれが必修である必要はないと考えます。
みなさま、こんばんは。あっこちんです。
音楽を鑑賞して評価することをどんな方法で評価するか、どんな授業をして子ども達に何を身につけさせたいか。。。

結構難しい課題です。

もっと、問題なのは、教材です。音楽の長さ。その曲の文化、時代背景。形式。楽器の音色やリズム。。。。なかなか「これっ!」という曲はありません。それは、教科書に載っている曲にも言えます。

中学校1年生でスメタナの交響詩「我が祖国」から”ブルタバ”を聴きます。まず、地理や歴史的な状況、楽器の種類だけでいっぱいいっぱいです。
もっと優しい曲から聴けたら楽しいのに。いつも思っていました。

ある研究団体の授業研究をすることになり、1年生の鑑賞の授業ということで、サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」から”化石”と”白鳥”を扱うことにしました。小学校でも扱う曲なんでさげすんで見ていましたが、実践を重ねるうちに、これなら部分部分で聴かなくとも1曲まるごと聴けるし、短いから集中力もとぎれることがありません。

音楽を聴いて「感じたこと」と「気づいたこと」を書くところから授業を始めました。感じたことは、音楽を聴いて描いた自分なりのイメージを文章や絵で表現します。気づいたことは、音楽の形と中身を文章で表します。
感じたことと気づいたことは相互に関わりがあるはずなので、ワークシート上で線で結ばせます。
例を挙げるとすれば、私は、「化石」という曲を聴いて、こびとが宝を探してコツコツと石を彫っている様子が浮かびました。それは、シロフォンの軽快なリズムが印象に残ったからです。   という風に。

今までの音楽科教育の鑑賞の授業では、音楽の形と中身を扱うことはあっても音楽に対するイメージは扱ったことはないと思います。評価するのに規準がなくタブ−とされてきたようです。

続きは、次の投稿で。。。
みなさま、長編になりますので頑張ってお読み下さい。(苦笑)

さて、脳科学の本を何冊か読ませて頂きました。その中に澤口俊之さんが書かれた「幼児教育と脳」という本があります。この本は、私に衝撃を落としました。

今まで、音楽=感性を育む教科という認識しかなかったのですが、知性もあると言うことをその本で知りました。知性といえば、数学や言語などの知識理解と捉えがちですが、知性にも音楽的知性や空間認識、絵画的知性、運動など色々な知性があるそうです。
そして、今の生徒達のすぐキレる。わがままである。人間関係が希薄であるという今日的な課題は、脳の「前頭連合野」の未開発に原因があるということも勉強しました。

さて、それを実践にどう生かすか。どうやら、音楽的知性の所をつまみ食いして読むと、私の実践は間違いではなさそうです。「気づいたこと」だけでなく「感じたこと」も書かせて発表させるのは、脳科学的に間違いではなさそうなのです。
確かに、落ち着きの無かったクラスだったが、徐々に落ち着きを取り戻した感もあります。

まずは、一人で音楽を聴いて、ワークシートに自分の考えをまとめます。それは、自分へのメッセージです。
それから、自分へのメッセージができたらみんなで交流します。みんなが、同じ音楽を聴いても誰一人としてイメージするところや気づきに同じものはありません。だから、友だちの発表を聴いて「共感」できるのだと思います。そうやって、価値観の拡大をはかっていくのだと思います。

大切なのは、自分で決めて自分の言葉で表現すると言うことです。そして、人の発表を自分に取り込んで比較したり議論したりして拡大することだと思います。

音楽の時間が、選択になったり音楽の時間が減るとそんなことはできません。
音楽鑑賞の授業は、生徒を放っておくだけではありません。生徒との会話が大切です。生徒の考えを引き出してあげること。生徒の表現に「共感」がわくように生徒と生徒を結びつけること。。。全国の音楽の先生よ、「音楽の時間が必要なんだ。」と授業実践で取り戻しましょう。

ちなみに、読譜に関しての私の意見です。
読譜は、手段であり目的ではないと思います。だから、目的に応じて読譜がツールとして必要になる場面もあるのではないかと思います。

長編、お読み頂きありがとうございました。(笑)

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