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☆北京に住んでる人☆コミュの3・11以後の日本を中国から考える−中川保雄『放射線被曝の歴史』(技術と人間,1991)を読む

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第56回北京日本人学術交流会のお知らせ


みなさん

いつもお世話になっています。
山口直樹@北京日本人学術交流会です。
第56回北京日本人学術交流会では、東日本大震災発生からちょうど一年にあたる2012年3月11日に中川保雄著『放射線被曝の歴史』(技術と人間,1991)という書を読み解くことになりました。この書は、それまで知られていなかったICRP(国際放射線防護委員会)の設立経緯やそこにかかわった科学者のことを明らかにした放射線被曝の歴史を扱った日本語で読める唯一の通史です。
放射線の遺伝的影響、環境に与える影響、放射線被曝のリスク評価といった問題も扱っていますが、この書の内容を読み解きつつ日中討論が行われます。
関心のある方はご参加いただければ幸いです。
参加を希望される方は、3月9日(金曜)の深夜までに連絡係の坂本(pngk218523@gmail.com)までお申し込みください。
それではよろしくお願いいたします。

以下がその概要です。

日時:2012年3月11日(日曜)午後2時から約90分報告、その後討論、場所を移して懇親会
場所:北京大学の教室か北京大学付近のカフェなど(詳細は申し込んでいただいた方に通知)
報告者:山口直樹(北京日本人学術交流会)
参加費:30元(資料代、運営費含む)
言語:日本語
題目:中川保雄著『放射線被曝の歴史』(技術と人間,1991)を読む―3・11以後の日本を中国から考える−
報告要旨:
2011年3月11日に発生した東日本大震災から一年が経過しようとしている。
その直後に発生した福島の原子力発電所の事故の問題は、一年が経過しようとした現在でも「内部被曝」の問題をはじめとして依然大きな問題を残し続けている。
このような状況のなかで中川保雄著『放射線被曝の歴史』(技術と人間)を読み解く。
中川保雄著『放射線被曝の歴史』(技術と人間)は1991年の時点で放射線被曝の歴史を歴史家の観点から扱った日本ではじめての書であるとともに放射線被曝の歴史を扱った日本語で読める唯一の通史である。(2011年に『放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで』(明石書店)として増補版が出版されたが、報告者は旧版しか所有していないので旧版を用いる。)
それまでほとんど知られていなかったICRP(国際放射線防護委員会)の設立経緯やそこに関わった科学者などをはじめて明らかにし、国際的な放射線測定基準がどのような経緯で形成されていったのかを示した点でとても重要な書である。
著者の中川保雄氏は、神戸大学の助教授であったが、48歳の若さで1991年に亡くなっている。しかし、その遺した仕事は、今日的な観点から再評価や新課題の発見が進んでいる。
ちょうど3・11から一年目に行われる今回は、この書の内容を読み解きつつ、3・11以降の私たちが考えるべき問題を日中で共同討論する。

『放射線被曝の歴史』の主要な内容は以下のとおりである。
1,放射線被害の歴史から未来の教訓を
―序に変えてー
2,アメリカの原爆開発と放射線被曝問題
全米放射線防護委員会の誕生
マンハッタン計画の放射線科学者
戦前の被曝基準と放射線の被害
3,国際放射線防護委員会の誕生と許容線量の哲学
ICRPの生みの親
許容線量の誕生
アメリカの核開発と許容線量
ICRP1950年代勧告
4,放射線による遺伝的影響への不安
原爆傷害調査委員会(ABCC)の設立
ABCCによる遺伝的影響
倍加線量と公衆の許容線量
5,原子力発電の推進とビキニ死の灰の影響
6,放射線によるガン白血病の危険性をめぐって
7,核実験反対運動の高まりとリスクーベネフィット論
8,反原発運動の高まりと経済性優先のリスク論の“進化”
9,広島・長崎の原爆線量見直しの秘密
10,チェルノブイリ事故とICRP新勧告
11,被曝の被害の歴史から学ぶべき教訓は何か
12,おわりに

この書にでてくる原爆傷害調査委員会(ABCC)とは、1945年アメリカが、広島や長崎に原爆を投下したときにその被害状況を調査するために設置したアメリカの委員会のことである。
原爆の被害状況に関しては2011年、不二出版から中国研究者として知られる矢吹晋氏の推薦文つきで日本学術会議原子爆弾災害調査報告刊行委員会『原子爆弾災害調査報告 【復刻版】 全5冊』が、刊行されておりその当時の状況をより詳しく知ることができるようになっている。
丸川哲史氏は『日中100年史―二つの近代を問い直す』(光文社新書2006)のなかで「1945年の終戦のとき日本がアメリカに対して転換したすばやさは世界史のなかでもまれな例であり、最速のものであったかもしれない。」という意味のことを述べている。
報告者のみるところでは、その事態を象徴するものこそが、この原爆傷害調査委員会(ABCC)への日本側の協力という事態である。1945年8月10日にはスイスの大使館を通してアメリカの原爆使用に対して「非人道的」と日本政府は抗議しているものの、その後、この問題に関して正式にアメリカ政府に抗議を行うことはなかった。また敗戦後、まもなく原爆傷害調査委員会(ABCC)に対し日本の大学や研究機関は、全面的といってよい協力をはじめることになる。
原爆傷害調査委員会(ABCC)は,原爆の被害状況を調査はするもののデーターを取ることだけに限定し、被爆者の治療や救援は行われることはなかった。原爆傷害調査委員会(ABCC)の支所は、広島、長崎、呉の三つの都市に設置されていた。
なぜ広島、長崎以外に呉に原爆傷害調査委員会(ABCC)の支所が設置されていたのか。それは呉が、原爆傷害調査委員会(ABCC)によって広島市との比較対照都市として指定され、呉の非被爆者の妊婦や乳幼児が、集団的に調査されていたからである。
中川保雄著『放射線被曝の歴史』(技術と人間)においては、アメリカと日本の関係を中心に扱っており、広島、長崎、そして第五福竜丸の被曝で調査に関わった日本の学者たちが、戦前期にアジアとどのようにかかわっていたかを知ることは難しい。そこで補足として笹本征男『米軍占領下の原爆調査』(1995)の内容紹介も行う。この書は、アジアとの関係を視野に入れた原爆傷害調査委員会(ABCC)を本格的に扱った占領史家によるほぼ唯一の研究書である。
その概要は以下のとおりである。
第一章 初期調査と原爆被害利用
第二章 日本の降伏、占領―初期日米調査協力
第三章 CACとABCCの設置と予備調査
第四章 ABCC・予防衛生調査研究所体制
第五章 日本政府・GHQへ「原爆傷害調査計画」を提出
第六章 原爆報道とプレスコード
第七章 歴史の再考
第八章 原爆加害国になった日本

笹本氏は、この書で広島で被爆した中国人被爆者や朝鮮人被爆者についても言及しているが、それとは別に報告者は、とりわけ原爆傷害調査委員会で広島や長崎を調査するとともに1954年アメリカの水爆実験で被曝した第五福竜丸の乗組員を調査した東京大学医学部教授だった都築正男氏と戦前期のアジアとの関係について注目し報告してみたい。
(以上)


北京日本人学術交流会代表:山口直樹(ngodzilla2185@gmail.com)
http://j.people.com.cn/96507/97399/6683166.html

これまでの北京日本人学術交流会の記録http://www.nihonjinkai.org.cn/html/doukoukai/beijingribenrenxue-jiaoliuhui/201105/19-1072.html

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