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メイキングオブ ハルカ天空編コミュの●第六章 修羅 6〜10

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 ─6─

「なんで、あんたたち、こんなとこに、いるのよ!?」
 ハルカが訊ねたとき、俺はまだ腹をさすりながら座りこんでいた。
 テンカウントでは立てなかったが、文句のひとつくらいは言える。
「それはこっちの台詞だ。おまえこそ、なんで石人に乗って俺たちを襲った? だいたい宮殿にいたんじゃなかったのかよ?」
 俺の疑問に、花連、お夏、正十郎も調子を合わせて、いっせいにうなずく。
 たまには多数決もいいもんだ。さすがは数の暴力、民主主義。
「それはその……。石人のほうはね。ごめん。昔から苦手なんだよ、これの操縦……」
 気おされたハルカがしぶしぶ説明、というか愚痴をこぼす。
「だって花乱って思い出話ばっかりで、今の問題を話そうとすると『奴国は大丈夫』の一点張りなんだもん。こんな石頭に付き合ってられないから憂さ晴らしに来たんだよ」
「そう! そうなんですよ、大丈夫なわけないのに!」
 ハルカの話に語気つよく相槌を打ったのは、声を荒げることなど一生、縁のなさそうな花連だった。
 花乱はといえば、女ふたりの悪口を苦笑いしながら聞いているだけだ。
 ハルカも花連も、まるで花乱がいないかのように喋っている。おそらく、この三人の会話は、いつもこの調子なのだろう。ようするに花乱は大人で、ハルカと花連はそれに甘えているのだ。俺は、花乱という男の包容力が、ほんの少しだけ格好よく見えた。
「やだ、花連。それで、ここに張政たちを内緒で連れてきたの? もぉ、言ってくれればいいのに、水くさいよ」
 ハルカが笑いながら、小突くフリをすると
「まあ、そういうことです。すみません」と、花連が舌を出した。
 このやりとりを、俺とお夏と正十郎は、キツネにつままれたような顔で聞いている。
「どういうことなのニャ?」堪【ルビ:たま】らずお夏が訊ねた。
「ようするに花連も、気持ちはとっくの昔に火の一族だったってこと。なにせ私の“分身”だから」
 ──花連が火の一族? 花連がハルカの分身?
 ハルカの“ようするに”は“地球の裏まで話が飛ぶけど”という意味だ。
 いつものことだが、よけいに話の主旨が見えなくなった。
「なんだ、そりゃ? さっぱりわかんねぇぞ」
 俺は目で、花連に説明を促す。
「奴国【ルビ:わがくに】がいくら中立を宣言しようとも、鬼奴国【ルビ:きなこく】と一大率は、近いうちに攻めてくると私も考えています。外から見ればそれは明らかです。ならば余力のある今のうちに参戦すべきだと。だから……」
 花連の説明を、ハルカが勝手に途中から引きとる。
「だから、数少ない手持ちの武器を点検。花連はね、やる気マンマンってことだよ。花乱と違って」
 俺は思わず花連の顔を見た。いつもと変わらぬ控えめな微笑を浮かべている。
「あ、張政! この笑顔に騙されちゃあダメよ。さっきも言ったでしょ、この人、中身は私と瓜二つなんだから」
「まあ、ひどーい」
 ハルカの散々な言いように、花連はわざとらしく頬を膨らませて見せた。が、その目は相変わらずニコニコしている。
 しかし、このふたり……。交換で互いの国に人質に出されていたのだから、会ったことはないはずだ。なのに、まるで旧知の仲、いや息の合った相棒のようだ。
「そういや、ハルカ。おまえはなんで、石人の里のこと知ってたんだ?」
 ハルカに訊ねたはずが、俺の問いに答えたのはなぜか花連だ。
「それ、逆なんですよ。ここを私に教えてくれたのはハルカさんなんです」
 ……と言われても、何のことやらわからない。今度はハルカを見る。
「私と花連、ずーっと文通してたんだ。私は奴国のことを、花連は邪馬台国のことを、教えっこしてたのよ」
「寂しくなるたびにハルカさんの手紙を読み返してましたから、自分が足を運んだことのない場所まで、けっこう知ってるんですよ」
「私もそう! 花連の手紙、何百回も読んだよ。ずいぶん元気をもらった」
「私だって何度も読みましたよ。おかげでハルカさんのヘタクソな倭文字、世界中の誰よりも早く読めます」
「あーー! 言ったな、こいつ」
 ハルカは大口を開けてゲラゲラ笑った。つられて花連も口に手をかざしながらクスクス笑う。顔の造作はぜんぜん違う。なのに、このふたりの笑顔はとても似ていた。
 ──分身か。本当にソックリだ。
 ふたりの少女は、同じ境遇の“分身”から届く手紙を心の支えに、不安だらけの人質生活を一〇年、励ましあいながら耐えたのだろう。彼女たちは無二の戦友なのだ。
 花連が、時間を確かめるように西の空を見る。
「そろそろ帰らないと。ところでハルカさん、どうやって、ここまで来たんです?」
 あ、そう言えばそうだ。あの森を歩いて抜けてきたのだろうか。
「渡り、……って言っても花連は知らないんだよね。じゃ、帰りは私たちと一緒に帰ろっ。そうすればわかるから」
「おい……今から山に登るのか?」
 俺の声は、自分でもわかるほど憂鬱そうに響いた。それを察してハルカが苦笑する。
「心配しなくても近くに石の輪があるわよ。前に来たとき、私が作ったやつ。もちろん宮殿にもあるよ。じゃあ、行こっか!」
 ハルカは例によって、ひとりで駆けだそうとしていた。その背にお夏が声をかける。
「あたし、今日はここに残るニャ。石人が何機、動くか調べて、直せそうなやつは、ちょっといじってみるニャ」
「じきに日が暮れるぞ。夜中に修理なんて細かいこと、できないんじゃないか?」
 俺の心配に、お夏は綿ボコリでも払うようにシッポを振って応える。
「このつぶらな瞳が、猫の目だってこと、忘れたのニャ?」
「お夏ひとりじゃ、心配なんで、私もここに泊まります」と正十郎。
「当たり前ニャ〜!」
 お夏が嬉しそうに正十郎の背に抱きつき、頬をペロペロと舐めた。
「わかった。じゃあ、夜食のお弁当を持って、また様子を見に来るよ」
「オカズはお魚がいいのニャ」
 弁当を届けるだけでも大変なのに、この猫女ときたら、ハルカにオカズの注文までしやがった。
「うん、任せて。張政と大物を釣ってくるから楽しみにしてて」
 ハルカもハルカだ。安請け合いして……。
 まあ、ハルカとふたりなら、夜釣りも悪くないか。
 夜の海……波の音……月明かり……ふたりっきり……。あれ? いいかもしれん。

              ◇◆◇

「こっち、こっち!」
 ハルカに案内されたのは、石人が並ぶ崖の森から遠い側のはずれだ。“渡り”に使うストーンサークルは、とくに隠すわけでもなく、あっけらかんとそこにあった。
 石人を削った石の破片、と言っても一メートル近くある、が十数個、円状に立てられている。以前に山の上で見たものより二周りほどスケールが小さい。
 別に心配になったわけではないが、
「ずいぶん小さいんだな」と口からこぼれた。
「贅沢いわないでよ。短い距離なら、これで充分なの! それに、こんな小ちゃいのでも、子供ひとりで並べるの、メチャクチャ大変だったんだから」
 ハルカが、いつもと同じ悩みのひとつもなさそうな笑顔を俺に向けた。
 ──そっか……。これ、おまえひとりで作ったのか……。
 保護者のいない見知らぬ土地で、子供がひとりで暮らす苦労は、どんなものだろう。
 ちょっとワルぶったポーズをとって、両親の反応をチラチラうかがってる俺みたいな甘ちゃんには、正直、想像しようもない。
 でも今は、子供のころのハルカがストーンサークルの中に見える気がする。
 その勝気そうな目をした女の子は、広い額から玉のような汗を噴きだしながら、自分の体と大して変わらない石と必死で格闘している。
 それは、俺が大好きな一所懸命なハルカの姿とだぶっていた。
「なに、ボケッとしてんのよ」
「えっ、あぁ……。おまえって凄いやつだな」
「わけわかんないこと言ってないで、ほら」
 ハルカの左手が差し出された。右手をすでに花乱とつないでいるのが気になった。
 俺はハルカの手を握り、自分の左手はもうひとつの手を探す。だが、いつも泥だらけだった小さな市松の手はもうない。代わりに白いすべすべした手を握った。
 花連はハルカの説明に興味津々で耳を傾けている。俺の“渡り”初体験が、みっともないほどの狼狽ぶりだったのに比べれば、実に肝が据わっている。むしろ、これから起きる未知の体験を楽しみにしているように見える。
 その落ち着きはらった横顔を見ていて、はたと気づく。
 花連もまた、ハルカと同じような辛い子供時代を過ごしてきたタフな女なのだと。
「張政! 花連のほう見てないで、集中して」
「あら、ハルカさん、ヤキモチ焼いてる?」
 神秘的な儀式が始まる呪文としては、およそ似つかわしくない、ハルカの
「うるさ〜い!」の一言をきっかけに、渡りが始まった。
 周囲の風景が、陽炎に包まれるようにぼやけ、続いて幾筋もの白い光のシャワーが体を貫いていく。花連は恐れる様子もなく、大きな目を開いてそれを観察している。
 このあとに、あの妖しい浮遊感が来る。自分の体が強ばるのがわかる。
 が、結局あの感じが来る間もなく、目的地に到着した。
 円周上に並べられた列石の先端部分だけが、花園の中にわずかに覗いている。
 宮殿の裏庭のようだ。
「ここに、こんなものがあるなんて気づきませんでしたわ。兄上はご存知だったのですね?」
 花連の問いに、花乱がうなずいた。
「ていうか、花乱しか知らないんじゃないかな。あ、兵隊さんも覚えてるかも。内緒で手伝ってくれたから」
 さらりと応えたハルカに、花連は目を丸くする。
「間違ってたらごめんなさい。今の渡りを用いれば、ハルカさん、いつでも奴国から抜け出せたんじゃないですか? それを兄や兵までも承知していた、と?」
「えーっと、そういうことになるのかな。でも私が逃げたら、邪馬台国にいるあんたの立場、かなり微妙になるじゃない?」
「じゃあ、私のために?」
「半分はそうね。でもあとの半分はね……」
 ハルカが耳打ちすると、花連が忍び笑いしながら俺と花乱をチラチラ見比べた。
 仲がいいのはけっこうだが、女同士のヒソヒソ話は苦手だ。
「汗を流してくるといい。風呂の場所はわかるかい?」花乱が俺の肩をたたいた。
「ああ、ありがとう」
 すかした男だ。だが、ちゃんと気配りがきく。とても一国の王子とは思えない。困ったな、こいつ、いいヤツだぞ。にしても、俺、花乱に勝ってるとこ、ひとつもないかも……。
「俺、ひとっ風呂、浴びてくるから!」
 ハルカと花連に声をかけたが、お喋りに夢中で俺の声は耳に届かなかったようだ。ケラケラと笑いあっている、ふたりの乙女の声がいつまでも後ろで響いていた。

 ─7─

 宮殿の地下にある岩風呂に、俺はひとりで入っている。
 灯りは入り口近くに置かれた、ナタネ油を燃やす小さな燈芯がひとつ。明るいのはその周囲わずかだけ。広さは四畳半ほどだが、浴場の端は完全に闇に溶けている。
 その闇の中から、こんこんと湧き出る湯が水面に落ちる音だけが響く。
 湯の温度はかなり高めだ。俺は子供のころ、じいさんと風呂に入っていたせいか、わりと熱いのが好きだ。それでもこの湯では、ものの五分で茹【ルビ:ゆ】であがりそうだ。
 湯船の底が少しぬるついている。ここの湯もツバキ湯の泉質に近いのかもしれない。
「はぁ〜」
 俺は光の届かない真っ暗な天井を眺めた。
 今日も今日とて、我が道を爆走する女たちに振り回されて一日が終わる。
 あ、そうか、忘れてた。このあと子猫の餌を釣りにいかなきゃならないのか。ぜんぜん一日、終わってないし……、俺、今回、ぜんぜん救世主でもないし……。
 そう言えば、こっちに着いてからハルカとまともに口を利いていない。花乱との交渉はどうなってるんだ? あの口ぶりからすると、うまくいってないんだろうなぁ。
 見た範囲じゃ、一大率どころか、うろちょろする鬼の姿もないし、この国が積極的に参戦する理由はなさそうだ。
 たしか卑弥呼も言ってたっけ。この国と鬼の国は表裏一体の関係で、だから参戦しない、みたいな、そんなこと。あれは、いったいどういう意味だったんだろ?
 花と土だから仲良し? ……なわけないよな。
 ──あ〜ぁ、俺、なにしに来たんだろ?
 ハルカを助けてやりたいけど、今のところ俺にできそうなことは、ひとつもない。
「はぁ〜」
 長湯しすぎた。やばい。ちょっとのぼせたようだ。
 そろそろあがるか、と思ったところに、
「張政、いる?」
 入り口のほうから、俺を呼ぶハルカの声がした。
「ああ、なに?」
 突然、入り口の灯りが消えた。風呂場ぜんぶが真っ暗になった……。
 と、バタバタと足音が聞こえ、続けてドボーン! もちろん水に飛びこむ音だ。
「あっつぅ!」
「ハルカ?」
「ふ〜。今日のお湯、やけに熱いね」
 少し離れたところから、エコーのかかったハルカの声がした。懸命に目を凝らす。が、この闇では、くそ! ハルカの姿はまるで見えない。
「おまえ、ひとり?」
 俺はつとめて平静をよそおった。
「えっ? 花連も一緒だよ」
「うそだろ、おい!?」
 動悸が激しくなった。それじゃなくても、すでにのぼせ気味だ。心臓が、カンカンバクバク、踏み切りの警告音に似たけたたましい音を打ち鳴らしはじめた。
「今さら恥かしがらなくても、あんたの裸ならイヤというほど見てるじゃない?」
「いや、それとこれとは……」
 と言い訳をしつつも、俺は全神経を集中して目を凝らす。
 ちきしょぉぉぉ、やっぱり何も見えん! 完全な真っ暗闇だ。
「……な〜んてね。花ノ衆って熱いのダメなんだって。みんな水浴びだけだよ。だいたい、あの人たち、ほとんど汗もかかないし、その汗の匂いにしたって花か木の香りだもん」
「じゃあ、なんで、ここにこんな立派な風呂があるんだよ」
 どうでもいいことを訊きながら、俺はハルカの声のするほうに、座ったままの姿勢で少しずつ少しずつにじり寄っていった。目的はひとつだ! うひょひょひょひょ。
「ああ、これ? こっちで暮らしてたとき、王様が私専用に作ってくれたのよ。だから……………………誰も来ないよ」
 ザバ、ザバ、ザバ。お湯を蹴立ててこちらに歩いてくる音がした。
「うわっ」
 何かが俺の顔に当たった。ハルカの体のどこかであることは確かだ。だが、それがどこなのか、わからない。
 ──どこだ? どこだ? どこだ? どこなんだよぉぉぉ!?
 俺は大慌てで、湯船の底についていた手を水面に出す。
 だが、それよりも早く、俺の両頬が骨ばった細い腕に挟まれた。
 額の上あたりには柔らかい塊が押しつけられる。頭の後ろのほうにちょんと乗っけられた尖ったモノは、たぶんハルカのあごだ。
 ハルカの小さな声が、俺の頭蓋骨を伝わって直接ひびく。
「ほったらかしにして、ごめん。怒ってない?」
 答える代わりに、ハルカの見えない腰に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。
 俺の顔に密着したのは、余計な肉がないハルカの腹だ。思わず、唇をつける。
「ひっ! くすぐったいよぉ」
 ハルカの腹が、ピクリとよじれた。
 最初に俺の唇が触れたところの近くに窪みがあった。
 ──へそか?
 俺はハルカのへそに、尖らせた舌の先を差し入れて、クリクリとこね回す。
「やだ、だめ、それ。ホント、くすぐったいんだってば」
 ハルカは腰を振って逃れようとした。俺は腕に力をいれる。逃がしはしない。
「もぉ……」
 ハルカが抵抗をあきらめたのを確かめてから、俺の舌は上に向かう。
 俺が何をしたいのか、自分が何をして欲しいのか。ハルカにはそれがわかったらしい。ゆっくりと腰を屈めはじめた。
 額の上にあった小さなふたつの膨らみが、額にふれ、まぶたにあたり、鼻をかすめて、下におりてくる。
 俺はその到着を口を開いて待っている。その口の中にぷるんと小さな突起が滑りこんだ。
 唇で強く挟みながら、先端を舌で撫ぜる。
「ぁ……」
 ハルカのかわいい声を聞きながら、こんどは小山ぜんたいを含んで吸う。
 ──全部、俺のものだ!
 舌の中ほどを擦りつけるように動かすと、小さな突起が少し硬くなった。
「ぁぁ、ぅぅぁあぁ、ゃぁあああん……」
 徐々に大きくなるハルカの喘ぎ声が暗闇にこだまする。
 俺の頭の後ろにまわされたハルカの手が髪をわしづかみにし、自分から俺の顔に乳房を押しつけてくる。
「うあっ!」「えっ!?」
 湯船の底はぬるついていた。そこに体重を預けすぎて足を滑らせたのだろう。俺の頭を抱えたまま、ハルカの体が俺の上に急にのしかかった。
 バシャン! 派手な水しぶきを上げて、ハルカと俺の体は水中に没した。
 いや、まあ、さすがに足のつくところで溺れはしなかった。
 が、俺はやや酸っぱいお湯を鼻と口からたらふく飲み、したたか頭を岩にぶつけた。
 なんとか湯船の端にたどりつき、周りを囲む岩に背を持たせかけたあとも、俺はまだゲホゲホと咳きこんでいた。ハルカの手が俺の後頭部をさすっている。
「ごめんね。大丈夫?」
「お湯…だいぶ…飲んだ…」
「ごめんなさい」
 暗闇の中から心配そうなハルカの声だけが聞こえた。
「いや、もう大丈夫だから」
「ホントごめんね。コブできてない?」
 耳元にハルカの息がかかった。それだけで再び、頭に血が昇る。
「どうってことねーよ」
 俺は暗闇の中でハルカの唇を探し、四度目の「ごめん」を無理やり封じこめた。
 ハルカの唇が開く。俺はハルカの唇をなめる。まだ奥に入れない。
 焦れたハルカのほうから迎えに来るのを待って、ゆっくりと中に差し入れた。
 舌を絡ませながら、左手をハルカの頭の後ろにまわし、残った右手はさっきの続きだ。
 ふたつの柔らかな膨らみを、下から少し押し上げるように同時に手のひらでつかむ。
 中指の先と親指の付け根の下で、二つの突起がつぶれる。
「あぁ」
 ハルカは急に何かを思い出したように唇を離した。
「ねぇ、さわっていい?」
 その唇から漏れた言葉は、そう聞こえた。
「なに?」
 俺の太ももの内側をハルカの手が撫でるように這いあがり、そっとその上に置かれた。
「お夏に習った」
 ハルカの手は、おそるおそるそれを握ると、ゆっくりと往復をはじめた。
「うわっ、凄い! 本当だ。どんどん大きくなる!」
 ──あ、あの猫女、とんでもないことを教えやがって!
「ねぇ、張政の逆矛くんって、大きいほう? これでフツウ?」
「ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふつう……」
 ハルカの手の動きに合わせて、俺の息が弾んだ。
「張政のこと話したら『それはかわいそうニャ』って……。えっと、こうだっけ?」
 今度はハルカの手が下から添えられた。動きが早くなる。
 ──あぁ、あぁ、あぁ、ありがとう、お夏!
「ごめんね。今、巫女のちからを失うわけにはいかないの。だから……」
 ハルカの動きは相変わらずぎこちない。だが、それが堪らん。
 頭が本格的にボーっとしてきた。意識が遠のいていく。
「ハぁ、ハぁ、ハぁ、ハルカ……。もう限界だ……。で、出る……」
「そう、よかったあ。我慢しなくていいよ」
 ハルカの熱く湿った息が耳にかかった。
「ちがぅ……。湯あたりしたぁ……。も……もぉあがる……」
 俺はハルカの肩を借り、よろよろと湯船から上がり、脱衣所の床に倒れこんだ。

 夢うつつの中で、かしましい女ふたりの笑い声を聞いた気がした。
 まぶたを開けると、俺はまだ脱衣所の床に大の字で寝ていた。
 めまいが少し残っている。だが、額の上、首筋、脇の下、股間に湿布薬のように貼りつけられた濡れた手ぬぐいが冷たくて気持ちいい。
 傍らに小さな火が揺れている。ハルカが消した灯りに再度、火を点けたのだろう。その向こうに、ハルカと花連がひとつの水桶を挟んで手ぬぐいを絞っている。
 花連は、ハルカに助けを求められ駆けつけてくれたのかもしれない。
 どうやらふたりとも、俺が意識を取りもどしたことに気づいていない。
 俺はもう一度まぶたを閉じて、聞き耳を立てた。
「昼はヒヨの実を食べすぎて倒れて、夜は長湯しすぎて倒れて……。疑うわけじゃないですけど、この人、本当に邪馬台国の救世主なんですか?」
 今のは花連の声だ。にしてもその言い草はないだろ。
「だと思うんだけどね。でもたとえ救世主じゃなくてもいいの。戦場で倒れずに、ちゃんと私のところに戻ってきてくれれば」
 ──そっか、ハルカはそんな風に思っていてくれたのか。
「へ〜、へ〜、へ〜〜〜。お安くないですね」
「よくわからないけど、張政が後ろにいると思うと、私は前だけ向いて走ってればいいっていうか、今日も頑張ろうって、元気がでる」
 ──俺も、俺も。俺もだよ、ハルカ〜!
「あら、ごちそうさま。で、彼のほうは? 告白とかされました?」
「それが、そういうのは……ないんだよね。なにしろいつも、いきなりだし」
「あぁ……。いきなり来ていきなり帰るんですものね。こっちにつなぎとめておく方法があればいいんですけどね」
「なくはないけど、今はダメなんだ」
「ふーん。そうなんですか」
 ちょっと間が空き、ハルカがまた喋りはじめる。
「それより花連は、どうなのよ? 相変わらず?」
「いろんな方からありがたいお話をいただくんですが、つい比べちゃって……」
「だよねぇ。でも花乱と比べたら、他の男の人、かわいそうだよ」
 ──ありゃりゃ、花連はブラ・コンかい。
「ハルカさんに言われても……。だいたい元はと言えば、私がこうなったのもハルカさんのせいなんですからね。来る手紙、来る手紙、兄のことばっかり」
「花連……、お願いだから張政には内緒にしておいてよね」
「言えませんよ、ハルカさんの初恋の相手が兄だなんて」
 ──うそ!?
 という言葉が口から出るのはなんとか抑えたものの“うそ”の「う」だけが漏れた。
 それを聞きつけたハルカの声が近づく。
「張政! 気がついた!?」
 俺はわざと時間をかけてまぶたを開ける。覗きこむハルカの顔が目の前にあった。
「み、水……。水をくれ」
 かすれた声が出た。演技したわけではない。本当にのどが渇いていた。それが功を奏したのか、俺の寝たふりは、ばれなかったようだ。
「大丈夫?」
 ハルカが水の入った椀を差し出し、俺はのどを鳴らして一気に飲み干した。
「ふ〜、生き返った」
「よかった。じゃあ私、お夏と約束したから、これから魚釣りにいくけど、花乱についてきてもらうから。いいよ、張政は部屋で横になってて」
「いーや、俺が行く」
 初恋の相手が花乱と聞いて、ふたりっきりになどできるものか!
「ホントに大丈夫なの?」
「ああ、もう心配ない!」
 俺は平気だということをアピールするために、勢いをつけて立ち上がった。
「ぎゃあああああああ!! ぎゃあああああああ!! ぎゃあああああああ!!」
 花連が顔を引きつらせて、俺を指さしていた。
 見れば、さっきまで俺の体を覆っていた、数枚の手ぬぐいが床に落ちている。
 脱衣所の入り口のほうから、けたたましい足音が聞こえ、凄まじい形相の花乱が現れた。
 また昨夜と同じ怒りに燃えた目で、俺をねめつけている。
 この男、冷静なように見えて妹のこととなると見境がなくなるらしい。
「ハルカ〜。頼むから、俺が縛【ルビ:しば】り首にされないうちに説明してくれ」
 床に落ちた手ぬぐいを一枚、拾って前を隠し、俺は長い溜息をひとつついた。

 ─8─

 奴国の宮殿は東と南北の三方を三つの森に囲まれている。最も広いのが東にある八つの峰を覆う森だ。南と北の丘陵にある二つの森を併せた面積よりはるかに広い。
 宮殿から西に向かえば海岸まで歩いて約三〇分。五分も歩けばそこから先には、木はほとんど生えていない。見渡すかぎりの花園がひろがるばかりだ。きのうの夜、俺がツバキ湯から飛ばされてきたのも、たぶんこの花園のどこかだったはずだ。
 俺とハルカは月に照らされたカラフルな花たちの中を海に向かって歩いていた。
 昨夜とは打って変わって今夜は蒸し暑い。山から下りてくる風は酔っ払いの吐息を思わせたし、足元からモワッと立ち昇る熱気の塊も触れそうなほどだ。
 ハルカはいつものようにeb!のTシャツを汗で肌にべったり貼りつかせている。いつもと違うのは、俺の前をひとりでズンズン歩いていないことだ。
 いつそうしたのか気づかないほど自然に俺の腕に手をからませ、散歩でもするようなゆったりとした足取りで、俺に寄りそっていた。
 なんだか勝手が違う。もちろんイヤなわけはない。たぶん、こういうのが普通なのだろう。だが、この普通さに俺のほうが慣れていない。
 くすぐったいような照れくささをなんとかごまかしたい。
 気になっていた疑問を、場にそぐわないことを承知で話題にしたのは、そういう理由だ。
「ハルカ、いくつか訊きたいことがあるんだけど、いいか?」
「うん、なに?」
 ハルカが少し驚いたように俺に顔を向けた。俺は前を向いたまま歩き続ける。
「昼に花連が、石人は自分たちには動かせないって言ってたんだけど、あれ、どういうことだ?」
「あぁ……それかぁ……。どうしても知りたい?」
 途端にハルカの声のトーンが沈んだ。なぜだろう。ハルカまでが言い淀んだ。俺は表情を確かめようとハルカを見る。
「ああ、花連の様子、なんかヘンだったしな」
 うつむいていたハルカが遠くを見るように顔を上げる。
「大昔にね。石人は……、花ノ衆を殲滅【ルビ:せんめつ】するために、人間が土ノ衆に造らせたんだよ。だから花ノ衆に動かせないよう呪詛【ルビ:じゅそ】がかけられてるみたい。大昔の話だけどね」
 ハルカは“大昔”をことさら強調した。さほど昔ではないのかもしれない。
「花連から聞いた話と違うな」
 思わず口からこぼれた。ハルカには言うつもりのないことだった。
「だって『この石人は、元々はあなたがた人間が私たちを殺すために造られたんですけど、そんなことはお気になさらず、ぜひお使いくださいませ』って言える?」
 ハルカは俺を見ながら花連の口調をまね、おどけてみせた。俺は笑えなかったが、無理やり調子を合わせる。
「いや〜ごもっとも! いきなり裸で現れたどこの馬の骨ともわからない男にする話じゃないわな。で、その戦争、花ノ衆が勝ったんだよな?」
「あの森があるかぎり、奴国は落ちないよ。土ノ衆だってそうそう攻めてはこれない。だから花乱は高をくくってる……」
 ハルカが独り言のようにつぶやいた。
 まあ、花乱の自信もわからんではない。アメリカ軍がベトナムでやったみたいに、ナパーム弾をバカスカ空から投下でもしないかぎり、あの密林は越えられないだろう。
「ところで、その土ノ衆の国……、鬼奴国だっけ? 確か卑弥呼さま、切っても切れないとか、背中と腹とか言ってたけど、どこにあるんだ?」
 ハルカはいつもの地図を取り出さなかった。その代わりに立ち止まると膝を腰まであげ、勢いよく足の裏を小さな花の上に振りおろした。その表情はいかにも忌々しげだ。
「この国の真下だよ。正確にはわからないけど、この辺から阿蘇山まで地下はぜーんぶ鬼奴国。で、その領土の少なくとも半分以上が奴国と重なってるらしい」
「ああ! そういうことか! そりゃまた、なんとも……ややこしいな」
 俺は思わず足もとを見た。ふたりのはだしの足が花を踏みしめて並んでいる。
 そのとき四コマ漫画のようなイメージがふと頭に浮かぶ。
「もしも戦争になったら、一階と二階の住人が天井と床を挟んで大ゲンカするようなもんだよな」
「あ、うまいこと言うね」
 ハルカの白い歯がこぼれた。俺はその漫画のひどく皮肉な結末も思いついたが、口にしなかった。せっかくのハルカの笑顔を消したくなかった。
「それで、巫女の勘じゃあ、いつ攻めてくると踏んでる?」
 大事な話だ。だからなるべく軽く訊いた。俺たちはまた並んで歩きはじめた。
「かなり近いのは確かなんだけど、こっちに来てから、なんか集中できなくて……」
「おいおい、おまえがヤバイと感じたから、俺、ここに来たんじゃねーの?」
 俺が笑うと、ハルカもつられて笑う。
「それがヘンなんだよね。あんたのこと、そばにいて欲しいなぁ、早く来てくれないかなぁって、ずーっと思ってたけど、正直いうと、あのときはまだ胸騒ぎはなかったし。危険を感じはじめたのは、張政の顔を見てからだよ。あんがい呼んだの花連かも?」
「あのお姫さまも巫女なの?」
「そうじゃないんだけど“巫女体質”かな。花連と私、よく気持ちが混じるんだ。近くにいるときは、とくに。肉を口にしない花連が魚を食べたこともあるよ。そのときは私のほうが魚の臭いで気分が悪くなった。よく同時に同じこと言うしね」
 ──同じ男を好きになったりか。
 一瞬、口の中に現れた言葉を、俺は粘るツバと一緒に飲みこんだ。
「それって、他人の魂が憑依【ルビ:ひょうい】するとか、そういうやつ?」
 俺の脳裏に浮かんだのは夏になると必ずテレビに出てきて、先祖の霊を降ろしてみせるいかにも胡散【ルビ:うさん】くさい霊媒師の脂ぎった顔だった。
「人だけじゃないよ。精霊のご機嫌をうかがって、天気を当てることもあるし、卑弥呼さまほど力があれば、たくさんの人の心に感応して勇気づけたり、悲しみを癒したりもするし。巫女の仕事もいろいろ」
「そんなに人の心と干渉しあうんじゃ、よほど心も体も健康で強くないとダメだよなぁ。巫女かぁ……。おまえも大変なんだな」
 そう口に出してみて初めてわかった。卑弥呼が火の一族の幹事役にハルカを抜擢した理由だ。人材不足などではない。最高の人選だったのだ。
 そうだ。俺は何度も見た。ハルカの周りに人の輪ができるところ。ハルカが絶望した兵士を立ち上がらせるところを。
 異常なまでに前向きで、子供のように屈託のない明るさ。落ちこんでもすぐ立ち直る。
 ハルカの強さや優しさに、知らず知らずのうちに心が共鳴した兵士たちが、どれだけ励まされ、救われたことだろう。
「ねえねえ、今の、私のこと褒めてくれたの?」
「えっ? あぁ、そうだな。ちょっと尊敬した。俺のカノジョ、すげーって」
「俺のカノジョ?」
 そこだけを小声で繰りかえすと、ハルカは俺の二の腕を抱きしめるようにして、肩に頬を擦りつけた。
 その嬉しそうで、ちょっと得意げな顔を見て、ふと思う。
 みんなを元気づけるこいつを、元気づけてやるのは……。
 ──俺? もしかして俺? 俺なのか?
 自分の顔は見られないけれど、俺の顔も、ちょっと得意げだったかもしれない。
 花の甘い匂いに、濃い潮の香りが混じりはじめた。海が近い。
 あとひとつ。確かめておきたいことがあった。魏志倭人伝のコピーのことだ。
 リュックには前と変わりなくコピーの束が丸めて入れてあった。だが、ハルカお気に入りのドライシャンプーがなくなっていた。ハルカが袋の中身に触れたのは確かだ。
 ──参った。どう切り出したものか、見当もつかない。
 迷っていると手が強く引かれた。
「ほら、海だよ。行こっ!」
 駆けだそうとするハルカの手を、俺は逆に引っ張って止める。
「なあ、ハルカ。ドライシャンプーはどうした?」
 ハルカが振り向く。少し困ったような顔だ。
「魏志倭人伝なら見ちゃったけど、まずかった?」
 ──えぇぇっ!? 今、今、今、こいつ、なんて言った!
「だって“どらいしゃんぷぅ”は、張政、私にくれるって言ったよ。だったら、わざわざ訊くわけないもんね。ちがう?」
 俺はこの女の頭のキレを完全に見くびっていた。
 混乱する俺の頭をさらに棍棒で殴るような言葉が、ハルカの口から続けて飛び出す。
「あれ、卑弥呼さまの預言書でしょ? 一度だけチラっと見たことあるんだ。でもなんで、張政が持ってるの?」
 ──おい、ちょっと待て。こいつ、何を言ってる?
 考えろ、考えろ、考えろ。なぜ卑弥呼が魏志倭人伝を持ってる?
 だいたい、この時代には書かれてもいないだろう……。書かれてもいない?
 ──じいさん?
 うわっ、じいさんだ! なんてことしやがる。じいさんが渡したんだ、卑弥呼に。
「あああっ!?」思わず声が出た。
 俺は、高千穂で卑弥呼に最初に会った夜のことを思い出していた。
 張政と名乗ったときの卑弥呼の苦笑い……。卑弥呼は俺の名をすでに知っていた。
 そして、じいさんから渡された魏志倭人伝という預言書が本物であることを確信した。
 同時に自分の命があとわずかだと、あの瞬間、悟ったはずなのだ。
 なのに、そんなことをおくびにも出さず、俺に逆矛を抜かせ、救世主宣言かよ……。
 ──やられた。
 今の今まで気づかなかった。だてに歳を食ってねーな、あのババア。
 さすが当代一の巫女だ。俺なんかとは役者が二枚も三枚も違う。
「なに急に? どうかした?」
「卑弥呼……卑弥呼さまはどうしてる?」
「連絡つかないからわからないけど、竜宮を探してるんじゃないかな」
 顔を上げると、月光の破片を波間に映した夜の海が見えた。
 この広い海のどこにあるとも知れない竜の国を探しているのか。気が遠くなるような話だ。だがあの婆さんなら見つけだすかもしれない。いや必ず見つけるだろう……。
「なあ、ハルカはアレ、読んだのか?」
 俺もハルカも立ち止まったまま海を眺めていた。
「読めるとこだけね……」
「卑弥呼さまのとこも?」
「うん。でも覚悟はできてたんだ。一年ほど前から、お体よくないから」
 ハルカが気づいていたくらいだ。本人はもっと前から自覚していたに違いない。
「そっか。じゃあ、一大率の本拠が伊都国【ルビ:いとこく】にあるってとこは?」
「伊都国の場所を訊いてるなら奴国の北だけど……。でも、アレに書いてあった伊都国は、たぶん船の名前だよ。アマテラスと同じ型のやつ、一大率も持ってるんだって。その船が一大率の本拠なんだと思うよ」
「え!? ああ……、そういうことか」
 道理で神出鬼没で、所在がつかめないはずだ。
「ずいぶん、今日は質問、多いね。訊きたいのはそれだけ、……かな?」
 気になっていたことは、だいたい片づいたつもりだが、ものはついでだ。
「じゃあ、あとひとつだけ」
「いいよ、あとひとつだけ。それが終わったら釣りね」
「おまえ、歳いくつ?」
「張政こそ、いくつよ? 先に言ってよ」
「俺? 俺はハルカに会うちょっと前に十七になったばかりだ」
 途端にハルカの体と声が弾む。
「え、そうだったの!? じゃあ、もしかしたら誕生日も一緒かもよ! 私も張政に会う少し前に十七になった! 今からふた月ほど前かな」
 ハルカの年齢を想像していたときに感じた不安の正体を思い知った。
 俺のほうは誕生日から十日と経っていない。
 ハルカは俺の十倍のスピードで歳をとる。俺たちは会うたびに歳が離れていく……。

 ─9─

 ハルカに手を引かれ連れてこられたのは、なだらかな岩場だ。砂浜からそこだけが天狗の鼻のように海に突きだしていた。
「俺、釣りなんてやったことねーぞ!!」
 テンションを上げるために声を張りあげた。俺たちの年齢がどんどん開いていくことを考えはじめると気が滅入ったからだ。
「なに大きな声、出してんのよ。魚、逃げちゃうじゃない……」
 ハルカが声を潜めた。
「あ、すまん」
「うそうそ。昼なら手づかみで捕まえられるとこを、わざわざ釣るだけなんだから」
 ハルカは腰に下げた袋から、なにかの骨を削って作った大振りの釣り針を取りだす。浜で引きちぎってきた夕顔のツルの葉を落とし、釣り針と小石を無造作に結ぶ。
「はい、どうぞ」
 粗末な仕掛け一式を、有無を言わさず押しつけられた。
「どうぞって、エサは?」
「いらないよ、そんなもん。ほら早く」
 ハルカに急かされ、俺は半信半疑で釣り針を海に投じた。
 途端に手ごたえがあった。かなり強い。
「無理するとツルが切れるから、引いてるときは放っておいて。緩んだときだけ巻いて」
 ハルカのアドバイスどおりに適当に放したり引いたりしていると、じきにキラキラ光る魚影が水面近くに見えてきた。
「おっ! けっこうでかいぞ!」
「焦らないで。次に緩んだら迷わず一気に上げて」
「おう!」
 ふっと、ツルが軽くなる。今だ!
 左手でツルを引きながら、ツルに添えた右手を伸ばし、思いっきり上にあげる。
 水面に踊った大きな魚が、一度、俺の頭より高く跳ね、ハルカの足元に転がった。
 魚に詳しいわけではないが、こいつの名前くらいは俺にもわかる。
 鯛だ! それもかなりの大物。俺の肘から先くらいはゆうにある。
 ハルカの行動は早かった。ピチピチ跳ねまわる鯛を足で踏んづけると、赤子の頭ほどの石を鯛の頭めがけて振りおろしたのだ。一撃で鯛の動きが止まった。
 ハルカは尻尾をつかむと、勝ち誇ったように持ち上げて見せた。
 あ〜ぁ……。魚市場のオヤジたちの溜息が聞こえてきそうな光景だ。おそらくさっきの一瞬で市場取引価格は十分の一以下になっただろう。
 立派なお頭【ルビ:かしら】は、見るも無残に潰れていた。ま、味は変わらない。
 入れ食いとは、まさにこのことだ。俺たちは、きゃーきゃーわーわー大騒ぎしながら、ものの三〇分で型のいい四尾の鯛をゲットした。
 釣ろうと思えばいくらでも釣れそうだったが、そこで切り上げた。
 どうせこんな大きな鯛、ひとりで一尾も食えない。それにあまりに簡単に釣れて、馬鹿馬鹿しくなったのもある。
 四尾の鯛を目刺しにしたツルを、ハルカが屈んで俺の腰に回す。
「私、二番目に大きいの、もらおっと」
「別に俺、いちばん大きいのじゃなくていいけど?」
 俺は、腰の左右に二尾ずつぶらさげられた鯛を見くらべた。
「残念でした。いちばん大きいのはお夏の予約済み〜」
「あ、そう」
 ハルカが立ち上がると、俺たちは当たり前のように手をつないだ。ハルカの手はちょっとねっとりとしていた。ここに着いたときよりもさらに気温が上がっている。
 宮殿にもどる道すがら、ハルカは歩きながら水色の腕輪で通信を送っていた。顔が笑っていたから、きっと大漁の報せをお夏に送ったのだろう。
 チーチチ、チーチチ、チーチチ……。
 すぐに返事がもどってきた。ハルカは笑顔のまま、汗が噴きでる額に腕輪を当てる。
 その表情が一変した。
「走るよ! 森の様子がおかしいニャって!」
 そう言うやいなやハルカは、もう駆けだしていた。見る間に背中が遠ざかる。
 ──来た! 走り出した! いつものハルカだ!
 その小さな背中を、四尾の鯛を揺らしながら、俺は必死で追いかけた。
 海から離れるにつれ肌がピリピリする。まるでサウナ風呂の中を進んでいるようだ。
 熱気の元は地面だった。俺たちは花や木の根を踏んで走った。土が露出しているところは、はだしでは火傷しそうなほど熱くなっていたからだ。
 俺たちが釣りに興じていた海岸からいちばん近いのは、北の森だ。そのシルエットが見えはじめた。確かに様子がおかしい。
 通常なら夜の森は、月に照らされ上がわずかに明るく下は闇に包まれているはずだ。それがなぜか逆転している。下のほうが明るい。根元の幹の陰が黒々と見えるほどだ。
 声が聞こえた。森のほうから吹く風のざわめきが人の苦鳴のように響く。
 前を走っていたハルカが急に立ちどまった。その後姿が黒く浮かんで見える。
 その先の森の木々の根元を赤い光を放つ何かがゆっくりと這っていた。決まった形を持たない原生動物がとつじょ巨大化したような何か……。
 ──溶岩だ!
 それはまさしく地下から投じられたナパーム弾だった。
 森のあちこちでオレンジ色の柱が噴きだしている。その周りでは火がつきにくいはずの生木がプスプスと白い煙をあげている。
 ひょるるぅるぅ……、びゅるろぅるぅ……、ひょるろるらぅ……。
  びゅろるぅるぅ……、びょるろぅるぅ……、ひゅろらぅるぅ……。
 口のない木々があげる悲鳴は、そんなふうに聞こえた。
 森がうごめいている。溶岩のない地面へ逃れようと木々が先を争い移動している。
 通勤ラッシュ時にターミナル駅で火事が起きたところを想像すれば、おそらく近い。
 密集しすぎている。その歩みは遅々として進まない。
 次々に根元から燃えあがり、炎が幹を駆けのぼっていく。
 丈の低い若い木が、大木に押しつぶされる。年老いた木が溶岩の中に倒れこむ。その倒れた木につまづいた木を先頭に、数十本の大木がドミノのように連鎖して倒れていく。
 びゃるろるらぅ……、ひょうろるぅぅ……、ひゃるろぅろぅ……。
  びゅるるぅるぅ……、びゃるろろぅぅ……、びゅろらぅるぅ……。
 控えめな断末魔が風に乗って、北の丘に渦巻くようにこだましている。
 阿鼻叫喚と呼ぶには静かすぎる気がした。
 だが、今この瞬間、俺の目の前で数千人の花ノ衆の体が焼かれているのは確かだ。
 風が運んだのは音だけではない。それは焼けた木の臭いなんかじゃなかった……。
 ハルカは徐々に全体に火が回りはじめた丘の前で、呆然と立ち尽くしている。
「なんてこと……」小さな肩が震えていた。
「ハルカ……、ハルカ! ハルカぁ!!」
 俺が何度も名を呼んで、やっとハルカが気づく。赤い大きな舌のように見える溶岩の先端がすぐそこに迫っていた。
「ぼぉっとしてんじゃねえ! 行くぞ、走れ!」
 俺は力なく垂れさがったハルカの手を引くと、振り向かずに駆けだした。
 走る。走る。走る。自分たちの無力さを振りきるように俺たちはひたすら走った。
 遠くに宮殿が見えた。あとわずかだ。幸い、この辺りはまだ溶岩が噴きでていない。
「宮殿にもどって、そのあとは?」
 俺は走りながらハルカを振り向いた。ちょうどそのときだ……。
 大音響とともに大地が揺れた。
 宮殿の背後にそびえる四つの山の中でいちばん高い山。その先端から、赤いものが噴きだしていた。
 山の頂上を赤い手がつかんでいるように見えた。その指が見る間に下に向かって伸びていく。溶岩がふもとに向かって凄い速さで流れ落ちているのだ。
「止めなきゃ……」ハルカがつぶやいた。
「どうやって!?」
 俺の声は、二度目の爆発音に消された。
 こんどは宮殿のすぐ後ろの山が噴火していた。
 俺にはそれが、うずくまった巨人が咳きこみ、血を吐いている姿に見えた。
 その血は、見る間に山肌を伝い、黒い山の形を上から赤く汚していった。
 焼けただれた溶岩が木々の間に入りこみ斜面をずり落ちていく。
 ──速い!
 間近で見ると思いのほか速い。北の森で見た溶岩の何倍ものスピードで森を飲みこんでいる。
 頂上付近の木が炎に包まれた。その炎が流れ落ちる溶岩を追うように拡がっていく。
 溶岩流と山火事、どちらが先にここへ到達するのか俺にはわからない。いずれにせよ、残された時間はあとわずかだ。二〇分、いや一〇分もないかもしれない。
 ふと気づくとハルカがいない。宮殿に向かって走る白い背中が見えた。
「こんなもん、止められねーよ。逃げようって、ハルカ〜!」
 俺は泣きそうになりながら、あとを追った。

 ─10─

 俺たちが宮殿にたどり着いたときには、宮殿のすぐ裏手まで溶岩が押し寄せていた。
 にもかかわらず、見たところ緑の宮殿はまだ無事のようだった。
 だがイヤな臭いが鼻をついた。北の森で、かいだのと同じ肉の焼ける臭いだ。
 ハルカは迷わず中央の広い通路を抜け、最短ルートで宮殿の裏手に走っていく。
 奥に進むほど臭いがひどくなった。俺は吐きそうになるのを必死で堪【ルビ:こら】える。
「そっち、ヤバイって!」
 俺の声が聞こえないのか、ハルカの足は止まらない。
 中央通路の突き当たりが見えた。この先にあるのは……?
 ──裏庭!
 そうか、ハルカは裏庭のストーンサークルから、渡りを使って脱出するつもりだ!
 突き当たりの壁に開いた出口から、煙る裏庭が見えた。そこに人影があった。足元の花と話でもしているかのようにうつむき、たたずんでいる。
 その人影に向かって、ハルカが叫ぶ。
「かれーん!」
 花連が顔を上げる。その頬には朱のラインが二本くっきりと引かれている。
「必ずここへ戻ってくると思っていました! 間に合いましたね」
 裏庭に走りこむと、美しい花園を満たしていたのは、あのおぞましい臭いだ。
 花連の背後に臭いの元があった。数十本の大木が隙間なく何重にも立ち並び、溶岩が流れこむのを食い止めている。
 生きたまま焼かれていた。ビチビチと音をたてて次々に大木が炎を噴きあげる。だが彼らは声を上げない。痛みを感じないただの木として死のうとしていた。
 ハルカは目を大きく見開き口を押さえた。花連は静かに近づくとハルカの横に立つ。
「この宮殿の近衛兵たちです。ハルカさんには見覚えがないかもしれませんが、彼らはハルカさんを子供のころから知っています。みんな、元気に走り回るあなたが大好きでした。彼らの気持ちに応えてやってください。それから、これを……」
 花連は、深い緑色の尻尾のような三つ編みを顔の前に引っぱると、中ほどに石のナイフを入れた。そして切り離した長い髪の束をハルカの手に握らせる。
「預けておきます。私に何かあったときは、これをなるべく、日当たりのいい場所に埋めてください」
「やめてよ! 縁起の悪いこと言わないで」
 涙声のハルカが花連をにらむように見た。
「誤解しないでください。私は花ノ衆の王族。しかも女です。まだ二千年やそこらは死にません。その髪を土に埋めてもらえれば、また必ずお目にかかれます」
「ホントに?」
 花連が微笑みながらうなずくと、ハルカはTシャツで目をごしごし拭う。
 俺には花連の言葉が信じられなかった。だが、今それを指摘してもしょうがない……。
「そうだ! 花乱……、花乱は?」
「ハルカさんに『自分が間違っていた。申し訳ないことをした』と伝えてくれと」
 花連がハルカから視線をそらした。この娘【ルビ:こ】はまた何か隠している。
「それはいいから、花乱は?」
「あの気性ですから、もう止められません。それより急がないと……」
「ごまかさないでよ、花連! 花乱はどこっ!?」
 ハルカの怒鳴り声に花連がやっと顔を上げた。遠くを凝視している。俺とハルカはそのまなざしの先を追う。そこには火を噴きあげる東の峰々があった。
 そのときだ。足元からズドーンと重低音が響き、大地が縦に何度も何度もゆさぶられた。
 溶岩が噴きだしたときの比ではない。立っていられなかった。
 ハルカがその場に手をついてうずくまり、俺はその上に覆いかぶさる。
 細い脚が二本、目の前にあった。ひとり花連だけが根を生やしたように立っている。
「父と兄の報復が始まりました」
 ──報復?
 俺は上体だけ起こし、もう一度、花連の視線の先を見た。ハルカも俺の体の下から這いだし、同じ方向に顔を向ける。山脈はまだ震えているようだ。
 次の瞬間、俺は自分の目を疑った。
「うそだろ、おい……」
 山の稜線が下がっていた。形も変わっていく。
 山が、山が沈んでいる。
「花連……。あれ、なに?」
「鬼奴国に山を落としているのです」
 ハルカの問いも、応えた花連の声にも抑揚がなかった。
 山の沈下は加速していた。内側に吸いこまれるように、三つの山が次々にヘしゃげていく。
 今ごろ、あの山の下にある鬼奴国は、山三杯分の土砂に埋まっているだろう。
 俺は思い出していた。ハルカに話さなかった、一階と二階の住人が大ゲンカする漫画のナンセンスな四コマ目を。二階の床が抜けると一階の天井が落ちて、住人はふたりとも死んでしまう。くだらないオチだ。それが目の前で起きている。
「カ……レ……ン……」
 乾いたもの同士を擦りあわせるような、カサカサした声が聞こえた。
 その声のしたほうを見れば、溶岩の浸入を防いでいた大木が、溶岩の勢いに耐え切れず今にも倒れそうなほど傾【ルビ:かし】いでいる。
「カ……レ……ン……」「ダ……メ……ダ……」「イ……ソ……ゲ……」
 並んだ大木たちの隙間から、溶岩が裏庭に染み出しはじめていた。
「すぐに脱出を! 石人なら溶岩にも耐えられるはずです」
 そう言い終わるやいなや、花連は立ち並ぶ大木の壁のほうへ駆けだした。
 走る花連の体に変化が起きた。手足と胴が膨らみながら伸びる。体中から枝が生え、緑の髪が葉に変わる。白い肌が樹皮に覆われていく。
「やめて、花連!」ハルカが悲鳴をあげた。
「ごきげんよう、いつかまた会いましょう」
 大木が作った壁に背中を押しつけ花連が振り向いたとき、その体は完全に巨大な一本の木に変わっていた。
 花連はさらに枝を伸ばし、傾きかけた数十本の大木をたったひとりで支える。
「ハ……ヤ……ク……!」
 さっきまで花連であった木の根元に、赤く焼けた溶岩が流れこんだ。
 ジュージューとイヤな音がして、またあの臭いが一段と濃くなった。
 俺は、ハルカの手をとると強引に立ち上がらせ、ストーンサークルの真ん中まで引きずっていった。
「おい、ハルカ! 急げ!」
 花畑にも火が回っていた。ハルカはまだ花連のほうをぼんやりと見ている。
「だって……花連が……」
「うるせえ! 俺はこんなとこで死にたくねえ! おまえだって、やれることが、まだあるだろ! 悔しくねーのかよ!」
 俺はハルカの耳をつかみ、こっちを向かせた。ハルカが俺をにらみつける。
「ちきしょおぉぉ!」
 ハルカの絶叫とともに、渡りが始まった。
 陽炎が立ち昇り、周りの風景が薄くなっていく。ハルカの後ろで花連の木が火に包まれ、ぼっと燃えあがるのが最後に見えた。






(第七章 逆襲 1 に続く)
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