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ウルトラマンタロウコミュの最終話について

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皆さん初めまして最近ウルトラマンタロウの最終回を見ました。(初見ではないですが)なんだか色々納得出来ない内容でした。で、何が納得出来なかったかというと光太郎の行動と言葉でした。夢で船長が死ぬ事を知りそして当日になり夢の通りに船長の船が襲われる。しかしこの時点で光太郎は現場に到着しており変身して助けようと思えば助けられたわけですが北島さんがいることを理由に変身せず結果見殺し…まずここが不満。いっそ初代マンのように落とした、セブンのように奪われた。ということにすれば良かったのに…
第二に彼は一度も謝りません。健一くんたちに、助けられなかったのに、ベムスターの時もそうですが彼は言い訳しかしません。黙して語らずならまだしも謝らず言い訳しかしないとは。しかも健一くんの言っていることは正論なのに論点を摩り替え説教。あんな子供が親を殺されたなら当然の反応だと思います。(自分だって両親や兄貴たちに未だに助けてもらっているのに)第三にここがある意味一番の不満かもしれませんがそこまでして守った秘密を本当にあっさり健一くんにばらしました。聞かれてもいないのに、何のために船長を見殺しにしたのかもう理解不能でした。そして港のシーンからウルトラの母にバッジを返すくだりのやりとりが光太郎も母もよく解りませんでした。元々冒頭で船長を助けることは出来ないという話からそれならば自分には何が出来るかと言う会話だった筈。それなのに出した答えが健一くんをほっぽりだして風来坊に戻ることとは…
本当なら救えなかった船長達の分までウルトラマンとして戦い続けるべきだったのではいかと。もしも最終話の話がウルトラマンの小さな英雄のような主題を置いているならまだしも誰もタロウがいるから自分達はなにもしなくて良いなんて言って無いわけで(それにその話はベムスターの回で決着ついてますし)
結局最初から最後まで自分には納得出来ない最終回でした。
きっとこれの解釈も星の数ほどあるのでしょうが。でもやはり光太郎はあのとき変身すべきでした。
瀕死の重症なのに仲間を助けるために大切な人に正体をばらして助けに行ったセブン。
子供達の優しさと心を守る為に正体をばらし地球を去ったエース。偉大なる兄貴達はこうして地球を守ってきたというのに、今までのシリーズの最終回の中で唯一感動出来ない最終回でした。他のタロウファンの方々はどういう感想なのでしょうか。
最後にかなりキツい感想失礼しました。

コメント(25)

結局あの最終回のお陰で、タロウの客演が他のウルトラ兄弟と比べて比較的少なくなったって感もありますよね。


レオでの客演(ババルウ星人との戦い)がなかったとこみると、タロウは東光太郎として地球で人生を送ってるようにも解釈出来そうですが、
だったらメビウスでの客演はどう説明するんかってことになっちゃいますからね。
メビウスから「タロウ教官」なんて言われてるとこ見ると、結局はウルトラの国に帰ってる訳だし、
ウルトラの国に戻ってからある程度の年月が経ってなければおかしいですし、
そうなると「分離した」って解釈も充分可能ですよね。


とにかくつじつまが合わないというか不透明なストーリーが多い感じがしますよ。

例えばウルトラマンはハヤタと分離した筈なのに、帰ってきたウルトラマンではハヤタの姿それも科特隊の制服でしたし、タロウでもハヤタの姿でバーベキューを食べたり、メビウスではハヤタとして地球で生活していたり、
セブンは、レオで「シルバーブルーメ」にMACステーションごとモロボシダンの姿で呑み込まれて生死不明の筈が、モロボシダン=セブンとしてメビウス等で登場してます。

セブンへの変身能力を失っていたダンがどうして奇跡的に助かったのかってことに疑問が残るし、
一応、ウルトラの母が助けただの「ウルトラ念力」使っただのと言われてますが、
これだって、ゲン(ウルトラマンレオ)を除く隊員は皆死んでしまっているわけで、
何故ウルトラの母は一緒に残された隊員を助ける事が出来なかったのかって、釈然としない部分はありますよ。


タロウに関しては、タロウと光太郎はイコールなのかどうなのかって部分が不透明ですね。
バッジを返した時点で「分離」なのか、それとも分離しないでしばらく地球にとどまってからウルトラの国に帰ったのかって感じで。


ここはやはり、篠田三郎さん自身の客演が必要なのかなって気がします。


長文にて失礼しました(^_^;)
私も、タロウが一番好きだったけど最終回は納得出来ませんでした。なんか『自己チューでワガママだなぁ』とさえ思ってしまいました。ほんとに大好きだっただけに残念です。
〉風のランナーさん 自分の見解と聞いた話ではタロウはシルバーブルーメ戦のとき行方不明になったセブンの代わりにウルトラの国に帰り教官の職に就いていたと聞いたことがあります。あとハヤタについては見解ですが分離した後ハヤタの姿に変身していたのではないかと、つまり地球にはハヤタが2人いる状態です。 後ダンについても他の隊員はシルバーブルーメに飲み込まれた時点で即死だったのではないかとダンはまだ生きていたのではないかと、ウルトラ戦士は人間に変身している状態でも普通人間より強いようですし、

それよりどう考えてもつじつまが合わないことが一つあるんですが、エースの最終回で二度と人間の姿に戻れないと言っていたのにタロウで客演したときに普通に北斗の姿で出た時は何故?となりましたし未だに納得できてません。どなたかご存じの方いらっしゃいますでしょうか?
KENさん
その設定は確かなんですがA=北斗に南が夜空に幻影?として現われて台詞は覚えていませんが『エースが北斗さんだと皆に知れたら人間でいられなくなるのよ。(あるいは地球にいられなくなるのよ!だったかもしれないですたらーっ(汗))』というニュアンスの台詞を投げ掛けた。
というものから受け取れるものだったのではないかと私個人は認識しています。

つまりAが北斗の姿に物理的に戻ることが出来なくなるのではなくあくまで北斗星司が地球における人間としての居場所を失うと言う事だったのではないでしょうか?(レオにおけるセブンは逆ですね。物理的にセブンに戻れなくなったけど結果的に心は地球人になってしまった。ババルウの時にダンは分かってくれセブンはもういない!とゲンに言ったことに顕著にあらわれていると私は思います。)
それはつまりAは北斗と共に成長しすでに完全に融合状態にありもはや切っても切れないどちらが欠けてもウルトラマンAとして成り立たないという事にも受け取れるのではないでしょうか?もちろんこれも個人的感想です。

これらは公式設定ではなく私個人の見解なので知っているにはならないので、結果なんの解決にもなっていないうえにわかりづらい文になってしまったことお詫びいたします。

〉ふきふき亭さん 南夕子の言葉は正確には『星司さん、もしあなたがウルトラマンエースだということを誰かに知られたら貴方は二度と人間の姿に戻れないのよ』だったと思います。しかし自分の疑問にここまで丁寧に答えていただき本当にありがとうございます。
それが、白鳥船長の運命だったからではないでしょうか?ウルトラの母がそういっていたような… 例えそこでタロウに変身してサメクジラを倒しても死ぬ運命だったと思います。
人間いつかは死ぬものだとこれからの自分の生きる道は、自らの手で切り拓いていかなければいけない。という光太郎の教えだと思っていましたが………。
僕の解釈が間違いかもわからないので、僕ももう一度みてみます。失礼いたしました。
第1話から光太郎は破天荒?とも言える果敢さで相手に挑んでいました。
その光太郎が北島隊員がいたからといって変身せずに結果見殺しの形になってしまったことがかつての果敢な彼からすると今回は踏み込みが足りなかったと思えるのも頷けます。
脱出するなりして変身というのも可能だっただろうし今まで見てきた彼ならきっとそうするであろうと多くの視聴者が思ったはずだと思います。
ここは作劇的な事を言うと白鳥船長は健一くんのタロウに対する依存心を断つ為にということになりますが(ここが面白いところで健一くんはかつてタロウではなくZATが世界一強いと思っていたのにと言っていましたね。ベムスターの時にexclamation ×2)そうではなくタロウがいや光太郎が本当に全力を尽くしていたかが焦点になりますよね。

私はやっぱり変身するために脱出してほしかったですね。その結果助からなかったなら納得いったのでしょうがたらーっ(汗)

でも作劇的にはよかったと思います。
この回は健一くんと光太郎の友情物語の結末を描くのがテーマだったと思います。
それ故にレオのMACいやダン隊長ではありえない朝比奈隊長の台詞が印象的でした。『健一くんについていてやるんだ。』

光太郎もウルトラの命を頼らずに人間として戦い勝利することによって健一くんに一人の人間として生きていく道を指し示したことになったと思います。
東光太郎としてだから人間として白鳥健一と初めて対等になったんじゃないかなと思いました。
長々と失礼いたしました。
皆さん様々な感想がありますね。あと自分なりの感想を補足させていただくと、光太郎がタロウに変身してそれでも救えなかったなら納得行きます。その上で健一君がまだタロウに対して何故もっと早くこなかったんだとか何でもっと必死に戦ってくれなかったんだとか言ったらそれは頼り過ぎだと言えるでしょう。それよりも光太郎の「タロウはタロウで頑張っていた」と言う発言が疑問です。そのセリフは自分に出来る全てのことを全力でした人間が言える言葉だと思います。(しかも自分で言うからには)しかし全力は出してません。変身してないのですから、(しかも理由が北島さんがいるから)しかも健一君を弱虫呼ばわり、光太郎のこの回の堂々とした態度がおかしいと感じました。また謝らないのも個人的には納得出来ません。光太郎にはZATの力とタロウの力と2つの力があり、一番守れなかったことを悔やむべき人間の筈です。なのに健一君の友達のお父さんを守れなかったときに飛び出す友達を追うわけでもなくただ一言「あの子は寂しいんだよ」俺はそんな達観した光太郎の言葉が聞きたかった訳じゃ無いんです。ただ一言ごめんと言ってくれれば、何だか上から目線にすら感じました。ベムスターの時も弁解しかしない光太郎に憤りを感じましたが。あとこの最終回を見て光太郎のセリフほど光太郎の必死さや悲しみや苦悩が伝わって来なかったのも問題かと思います。
心理描写がもっとあればまた違ったのでしょうが、

あと個人的に他の方々が仰られた、運命と言う言葉、自分的にはそう思いたくないです。それじゃあ何のために人間は必死に戦っているのか。何のために今までウルトラ兄弟が命がけで戦ってきたのか、それは未来を切り開き平和を築くためなのではないかと、その上では運命など存在しないのではないでしょうか。
と自分なりの感想と見解を述べましたが、他の方々はどう感じられたでしょうか?それでは失礼します。
運命という言い方が間違っていました。
白鳥船長の寿命というのが正しいです。僕もそうですが、円谷一族はクリスチャンです。死や寿命というものに関しての考え方が他の方と少し違います。もし死ぬことのない筈の者が死んでしまった場合のみリンドンの回のたまちゃんのように生き返るのではないのでしょうか?
最終話ひがしが綺麗にいなくなった時は寂しかったです!
興味深いトピですね。

私も子供のころにタロウの最終回を見て、納得ができませんでした。

しかし、現在まで3つのポイントを得て、自分なりの回答を見つけました。

ポイント1、現代のおとぎ話
何かの解説書で呼んだのですが、
「ウルトラマンタロウの物語は、現代のおとぎ話」だと。

後年、ビデオで最終回の予告を見て、それを完全に納得しました。

ウルトラマンタロウの物語は、東光太郎という青年がウルトラマンの力を
得た1年間の物語であり、その結末はその力を返すところで終わるべきもの
だと。

東光太郎がその後どこへ行ったのか?
どこでそうしているのかは後述。

ポイント2、あなたは22歳?それとも1万2千歳?
リム出版から出たウルトラマンタロウの漫画のワンシーン。
幼馴染だが、人の命を食らう人工生命体の女の子から言われた言葉。
東光太郎は、
「人間としての22歳の命を持つと同時に、ウルトラマンとして1万2千歳」
の不死に近い命を持つ。

その人であり、ウルトラマンであるという本編では生かし切れなかった
設定をうまく活かした描写だと思います。

ポイント3、分離
「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟2」という映画のプロットには、
ウルトラマンタロウと東光太郎が分離したという描写があります。

タロウは光の国へ後進の指導に帰り、東光太郎は人としてできることを
つまり、最終回で行ったことの続きとして怪獣災害で親を失った子供た
ちを引き取り孤児院「ウルトラの家」を運営している。

ここには協力者として、白鳥健一さんや、梅津ダンさん、坂田次郎さんに
星野さんなど歴代ウルトラ兄弟に接した少年たちが大人になりそこにいた。

東光太郎は、そこで人間として怪獣災害と向き合っていた。

テレビシリーズの最終回の後日談として、考えた場合にこれほど納得のいく
エピローグはないと思いました。

最終回で人ごみの中に消えた東光太郎は、手にした力と運命を共にしたもう
一人の自分と別れ、それでもなお人のために働いていた。

あの最終回は、このためのプロローグではないか?と思います。

ちなみに、その後タロウと東光太郎がどうなったかはプロットを見てくださ
い。

見れない方は私にメールをください。
こっそり教えます。

映像化されなかったのが悔やまれる内容になってます。
今まで特に疑問や不満は感じませんでしたが、このトピックを見て、なるほどと思いました。
私なりの解釈になりますが、ウルトラマン全体のテーマとして『他人の力を頼りにしないこと』があると思っています。
タロウ以前の作品が人間のウルトラマンに対する依存だったのに対して、タロウの場合、主人公「東光太郎」のウルトラマンへの依存もテーマに含まれているとおもいます。
前半では無謀にも怪獣に単身向かっていった光太郎も、後半ではそのようなシーンはありません。
その変化を分かりやすく視聴者に見せるためにあえて『見殺し』というシーンを用意したのではないでしょうか。言い訳に関しても同様に、視聴者に対しての解説だと思います。
最後の別れは、後にレオでのセリフの『男は一人で戦うんだ、自分自身と戦うんだ。』を伝えたかったのではないでしょうか。
今日「新ウルトラマン列伝」でウルトラマンタロウの最終回を見ました。
小さい頃にタロウは再放送で見た記憶があるのですが、ほとんど覚えてないので初見のような感じでした。

タロウはウルトラの父&母の実子という記憶があるし、彼の子供時代の映像とかも見た記憶があるのですが
最終回で見た映像では、光太郎がタロウになったような感じに見えました。
子供時代のある実子のはずなのに、光太郎がタロウとして突如誕生した?何だか良く分かりません・・・
本放送の時点で明確な描写は無いですが、元々タロウは存在してたと見なすのが妥当でしょう。
第一話の赤ん坊の泣き声はあくまでもイメージ描写ってことで。そうでないと設定に思いっきり矛盾が生じてしまう。
最終回も、描写を曖昧にしたためにタロウがどうなってしまったか不明瞭でしたが、光太郎がバッジを母に返した時点で、タロウと光太郎が再び別々になったと見なすべきではないかと。
タロウの最終回、観ましたるんるん
バルギー星人戦では正体を明かし
人間、東光太郎として「ウルトラマンの力に頼る事」はせず
自分自身の力で倒す(何かを成し遂げる)と言う所が良いと思いました
エースまでにも度々、描かれていたと思いますが・・・最終的にはウルトラマンへ変身して倒していましたので・・・そういう意味ではタロウの最終回は良かったと思っていますうれしい顔

新ウルトラマン列伝では、時間の都合上、編集されていましたあせあせ
つい最近、最終話を観ました。

人間の力で侵略者を倒す、という点については納得できる内容でした。

しかし、まさにラストについては??状態。

あそこで「東光太郎として、これからもZATで怪獣に立ち向かっていく!」というラストが一番良かった。

なぜ除隊して放浪の旅に出るのか、全く理解不可能。

そしてラストシーン、人間の姿で都会の雑踏に紛れようとしているのに「ウルトラマンNo.6!」のジングル。

なんだか、これが最終回か…と思い、がっかりしました。
昨日、最終回の放送だったので今日見ました表情(嬉しい)

バルキー星人は自滅に近くね?(笑)
てか、登場が唐突過ぎる!あせあせ
サメクジラとの関連性の描写も特になし(^^;

てか、光太郎!さおりさんには挨拶なしか手(パー)
昨年、第一話〜最終話を通してタロウを見たのですが、今月に入ってから二回目の通し見をしています。

第一回と最終回は、つながりを意識した構成になっていると再認識しました。

「ウルトラバッジの受け渡し→返還」や、ウルトラの母・タンカーの船長が主要人物として出てくるのに加え、「光太郎が人間として怪獣に立ち向かう」というシーンは第一回であるのですね。

ただ、初回では光太郎はタンカーやコンビナート、船長の命を救ってみせたのに、最終回では逆にそれができない。

そして初回のウルトラの母からの言葉「やりかけたことは、最後までおやりなさいよ。途中でやめては駄目よ」を守れない光太郎…

ボクサーになる夢も、怪獣や宇宙人と戦う仕事もやめてしまう最終回。やはりだめだなあ。
僕は、いい最終回だったと思います。風船を持った女の子に声をかけ、雑踏に消えていくラストは、秀逸に感じておりました。

最終回の事より、エレキングやメフィラス星人の着ぐるみが酷くて、当時の円谷プロと円谷皐社長に、大いに失望していました。いまだに、あの劣悪な着ぐるみは許せません!

主題歌のバッグに流れる映像はキレイだったし、森山隊員が可愛かった。いま、どうしてるのかなあ。

僕はリアルタイムでウルトラQから見続けていましたが、色んな意見、感じ方があるんだなあと。また、皆さんが一生懸命にタロウを論じている事に、感銘を受けました。

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