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【鹿児島市常盤町】コミュの常盤町の思い出

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どうぞ、みなさん。常盤町での懐かしい思い出を語ってください。

まず、トピックを立てた僕から、常盤町の写真です。
  ↓
http://happymeadow1800.web.fc2.com/hurusatonomati.html

コメント(61)

この話の舞台は、もしかして「常盤の山」だったのでしょうか?

http://happymeadow1800.web.fc2.com/morinonakahe.html
>epikenさん
 突き当たって左は墓地だったですかねぇ…。そうかも知れない。でも、そこに住んでいたのは、37年前までなので、そのあたりの記憶はあやふやです。逆に右に曲がれば、日枝神社、バス停に出ます。

 地図で確かめてみたのですが、僕が、子どものころ山へ入って迷いそうになった場所は、今の城西高校グラウンドが出来る前の原生林だったようです。グラウンドが出来た時点で消失してますね。
>epikenさん
 簡単に登れる山ではなかったです。森の中に迷い込んだ感覚に捕らわれ、怖かったですよ。

 江田邸については、すぐには思い出せないですねぇ。常盤町に住んでいたのは、何しろ古いことになるので…。でも有名なのであれば、よくよく考えれば、あるいは、そこに行ってみたら思い出せるのかも知れません。どのあたりなのでしょうか?
山ってこのへんですよね
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&q=31.586706,130.530678&ll=31.586862,130.530678
>渋蔵さん

これまでの書き込みを見ると、たぶん、そこが「どんぐり山」だと思われます。
>epikenさん
 江田屋敷は、そちら方面ですか。どうも古い記憶から引っ張り出せません。回路が錆付いているのかなぁ…。
 こんど常盤町に赴いたときに、確認してみようと思います。
 そこのことを「どんぐり山」って呼ぶようになってたんですね。
 桃が丘ではよく遊びました。階段ができる前のことです。防空壕でも、よく遊びましたよ。中がちょっと複雑な構造になってて面白かった。
 その辺り、昔の面影を僅かながら、残してるんですね。
えー 階段になっちゃったのですか・
獣道にちょっと毛が生えたような感じの
山道の記憶の頃だけですからね。
まぁよく走り回っていたものです。
この画像の道がまさに僕の高校への通学路でした!
懐かしい!!たまに階段の下に自転車を不法駐車していました(笑)
あのときは近所の皆さんにご迷惑をおかけしました!
この場を借りてごめんなさい!!
>Uuuさん
ようこそ!
焼き芋も売っていた貸し本屋さんって、このトピックの最初のほうで話題になってる駄菓子屋さんのことですね。
10円のくじ付きの甘納豆とか、玩具など、売ってませんでしたか?

僕は、昭和34年から44年まで住んでましたから、ほぼ時間的に一致してますね。
おお、おばちゃんに会って、しかも話をしたのですか…。今でも元気にしているのでしょうか? 喜入も、今では鹿児島市ですね。
おおお、常盤のコミュあったんですね
自分が住んでたのは、薬師町の城西酒店のあたりなんですが、
小学校の時に、よく遊びにいってました。

夏なんかは西田小の裏山の城西グランドにあの長い階段を登って遊んでました。小学生のころはあそこに猿とかイノシシとかまだいましたよ。
あと、バスの終点のほうにある神社かお寺で六月堂?やってたかな、いやなつかしい

高校の先輩も常盤に住んでて、卒業後は神奈川の白バイ乗りになったそうだけど、音信不通です^^;;
ようこそYamaさん!
まだ、出来て2ヶ月の新しいコミュニティです。
猿やイノシシには、遭遇しませんでしたねぇ…。見てみたかった!

バスの終点のそばにあるのは、日枝神社ですね。
六月灯、子どもの頃は楽しみにしていたものです。
本日予定されていた日枝神社の六月灯、雨天中止になったみたいですね。音楽のイヴェントも予定されていたようですが、残念です。

子供の頃は、六月灯を楽しみにしていましたねぇ。金魚すくいや風船つり、綿菓子や花火、お面などの並ぶ出店に心を踊らされたものです。
 日枝神社の六月灯、規模も小さくなったらしいですね。もう40年近く行ってないので、来年以降、行くのが怖いような…。

 ところで、本日、桃が丘と呼ばれていた辺りに行ってきました。変わりましたね。昔の痕跡を探して、写真を撮ってきました。

http://photos.yahoo.co.jp/ph/tryton3rd/lst?.dir=/b8b9&.src=ph&.order=&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/
あ、友達のギタリストの話ね。興味ないのかと思ってた(笑)
ミクシィに加入してますよ、その人。

昨日、西田本通りから見た桜島の写真撮ってきました。
◇コミュニティのみなさま
 参加させてもらいます。よろしくお願いいたします。

○日枝神社 帰省の度に散歩がてらお参りしています。石段を登って後ろを振り返ると「桜島」・・絵になりますよね。小さい頃境内はもっと広く感じていましたが・・。だって昔9月に境内で相撲大会やってた記憶あります。近所のおじさんおばさん等応援・見物人がたくさん居て試合ごとに歓声があがってましたね。ボクはいつも土俵際で粘るもののいつも負けていました。それでも近所のおばさんが「惜しかったねぇ柏戸みたいじゃったょ」なんて声かけてくれました。
○それから大綱引き大会記憶あります。多分地区対抗だったんだと思いますが結構ボルテージ上がってました。父親が小学校の教員してたものですから学校からスタート用のピストルと紙火薬借りてきて綱引きのスタータしてたの憶えています。しっかりと白のトレパン姿
○六月灯 行ってみたい!もうカーバイトなんて使ってないでしょうけど六月灯というとあの「におい」なんですボクは・・
○きょうは独り言です。お許しを
>>takubonさん
これはこれはようこそ♪

皆様takubonさんは、MIXI内ではまだ数少ない、同い年なんですよ。
小学校3年まで常盤町に住んでいたという彼の子供時代の姿を、よく覚えています。
眉が太く、目が大きくて、ほっぺがふっくらしていたので、
当時、うちの家族は「西郷さんみたいな男の子」と呼んでいました^^

日枝神社の六月灯、懐かしいですねぇ☆
でも、今年は、雨で中止になってしまったんですよ^^;
○めどう殿・・・・?思い出せないのですよ・・。ひょっとして一緒に遊んだことありましたかね。森の探検一緒ではないですよね。(あまりにも同様の記憶なので)なにせわたくし中学生までぼぉーとして半分冬眠してたような人間でしたので。
◇常盤時代は近所の子供たち上は小6ぐらいをリーダーに10数人で常に行動してましたから・・いっつも後ろからくっついて行動しておりました。(ぼーとして)
◇それで両親が西田小の近くにあった「自彊学舎」(当時は舎と呼んでいましたね)にしばらく通わせてくれて柔道とか少々やりましたが、引越しとともに尻つぼみ・・。
◇実家で常盤時代の写真探してみます。
◇めどうさんはどのあたりお住まいでした?
◇わたくしんちは、バス停から本通りを水上坂に向かって、浜島商店(たばこあるいは文具屋さん)の50メートル手前を左に入ったとこです。浜島商店を左折して桃が丘公園よく行きました。(たしか石碑があったような・・)昨年探したけれど
よくわかりませんでした。
◇とにかく近々に調査のため帰省することにいたします(笑)
>>takubonさん
小学校時代は一緒に遊んだことはなかったですよ。っていうか、その後も直接のお付き合いは無かったと思います。

ただ、さすがに同じ小中学校に、同学年で通いましたので、姿はよく覚えています。

浜島商店、なつかしいですね。商店名は忘れていましたが、あそこには、よくノートや画用紙を買いに行きました。
桃が丘にもよく行きましたね。でも、その桃が丘は、残念ながら、ほとんど昔の面影を残していません。
 桃が丘へ上る途中にあった防空壕の中には、規模の大きなものがありましたね。 奥に丸い部屋のようになった空間もあり、まるで小さな地下都市みたいでした。
 実際は、戦時下の辛い思いが染み付いていたのでしょうけど、子供時分にはファンタジーを掻き立ててくれる空間でしたね。

 日枝神社の奥…。そうか…、忘れていましたが、あそこにもあったような記憶が、ぼんやりとよみがえってきました。

>>Uuuさん
 なんのなんの! 3歳差は、この年になると、年下というよりは、限りなく「同い年」に近いです。

  それとも…、

 やはり、その「3歳の若さ」は、重要なのかもね♪

 どちらにしても、よろしく☆
 常盤町に住み、西田小学校に通っていた頃のこと。3年か4年…、たぶん4年生だった。当時、男の子と女の子の遊びははっきりと別れていた。男の子は、ボール遊びや陣取り、缶蹴り、ビー球、メンコなどで遊び、そこに女の子が加わることは無かった。女の子の遊びは、おはじきやあや取り、ゴム飛び、ビーズ遊びなどだった。

 ある日のこと、2人の同級の男の子が自宅にやって来て、男女数名のクラスメイトが一緒に遊んでいるから加わらないかと誘われた。一瞬我が耳を疑い、訊き返した記憶がある。女の子と遊んでいる? ウソでしょう? 一緒に遊べることって、何があったかな…。

 「いいから、とにかく来てごらん」

 半信半疑で付いて行った先が、写真の石段だった。
 誰が言い出したのか知らないが、そこで男女数名が一緒になって、遊びに興じていた。その遊びとは、普通は女の子同士でやっていたこんなものだった。
 集団の中に、1人だけ鬼がいる。石段の上で歌いながら、2拍に1度、ピョンと跳んで移動し、歌が終わった瞬間に、鬼と同じ段にいた子が新たな鬼になる。

 メロディーをト長調で歌うとこんな感じになる(楽譜で示せないのが不便だなぁ)。

  ソッソ シッシ ラ〜ソ ラッソラッソ ミ
  ミッミ ミッソ ラ〜ソ ラッソラッソ ミ

 歌詞はちょっと奇妙なものだった。
 
  イチリットセー ラットラットセ 
  チンガラホッケキョーは 夢の国
 
 短いので、あるいは2番3番があったのかも知れないが、これだけしか覚えていない。

 男の子だけでなく女の子も一緒になって遊ぶと、なぜかそれだけで楽しく感じられるのを実感したのを覚えている。この日から、革命が起こり、男女が一緒になって遊ぶようになった…、と思ったのだが、それはたった1日だけの特殊な現象で、翌日にはまた、何も無かったかのように、男女が別々に遊ぶ元の世界に戻っていた。

 その石段の上には、同級の女の子が住んでいた。顔立ちをよく思い出せないのだが、足が速くてそこそこ可愛く、人気のある子だった。
 同じ方向に帰る男の子が3人、ちょっとした出来心から、学校からくすねてきたチョークで石塀に落書きをしてしまったことがあった。その女の子や家族への冷やかしだったが、具体的に何を書いたかは、さすがに長い長い年月が経過した今では、全く思い出せない。

 犯行後数日経って、共犯の男の子から、その女の子のお母さんが怒っているということを聞かされた。前の道路を歩いているときに取っ掴まって、こっぴどく叱られ、落書きを消すように命じられ、苦労して消したことを伝えられた。
 「あ、ごめんね、2人だけに損をさせたね」
 「大丈夫だって、心配しなくても君が書いた分は、ちゃんと残してあるから、ちゃんと自分で消して謝れるよ。早く消したほうがいいよ」
 「え? 消してくれなかったの?」
 「何言ってるの? なかなか消えなくて大変だったんだよ。自分の分を消すだけで精一杯だって。泣きたくなってくるよ。」
 「え〜〜〜」

 怒られたくなかったので、こっそりバケツを下げて行き、ハンカチを水に浸して拭き始めたが、簡単に穴があき、ちょっとやそっとこすったどころでは落ちない。黒板と石塀では全くわけが違った。
 タワシかブラシを借りなければ手におえないことが分かり、仕方なくドアをノックし、女の子のお母さんに頭を下げて、惨めな思いをしながらたった1人で壁をこすり続けた。たまに通る人の視線を背中に感じながら、なかなか消えない落書きが恨めしく、「泣きたくなるよ」と言われた言葉が、強烈な後悔を伴って胸にのしかかってきたのを覚えている。

 かつてのそんな思い出も、長い間故郷を離れているうちに、遥か昔のおとぎ話のような出来事となっていた。
 Uターン後、その場を何十年ぶりかで訪ねたときには、かつて遊んだ友達は、もう誰もその町に住んでいなかったが、石塀と石段がそのまま残っているのを見たときには、なんとも語り尽くせぬ思いで胸が一杯になった。

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