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日本中世史コミュの瀬をはやみ、、、

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先日、平泉毛越寺の「曲水の宴」を見に行ってきました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=822820035&owner_id=2540824

毛越寺では昭和末期に遣水の遺構がほぼ完全な姿で発見され、
これを記念して曲水の宴が開催されるようになったということです。
遣水は、


小高い裏山から急流となって庭に導かれ、岩でできた中島で
二手に分かれた後、一本の緩やかな流れとなって


大泉が池(石を敷き詰めた人工の池)に注ぐ構造になっています。


「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」


百人一首にある崇徳院の歌と同じ構造になっていることが
大変興味深く思われました。
毛越寺を大寺院とした藤原基衡は、保元の乱で讃岐に流されて
流刑地で客死し、怨霊伝説も囁かれた崇徳院とは同時代の人ですから、
この和歌と遣水の関係が非常に気になるのです。
ネットで当たってみましたが、うまく情報を探せませんでした。
そこで、以下の点について詳しい方にお教え頂ければ幸いです。

1.遣水の一般的な構造は上記のようなものでしょうか?
2.毛越寺の遣水と崇徳院の歌は時間的にどちらが先なのでしょうか?
3.崇徳院の歌は落語にもあるように「恋の歌」とみなされていますが、
それは遣水の様子をヒントに創作された「フィクションの恋」である可能性はないでしょうか?
さらに「恋の歌」の体裁をとった「父」鳥羽院への思いだったりはしないのでしょうか?

以上、よろしくお願い申し上げます。

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