ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

装甲騎兵ボトムズ 孤影再びコミュの『赫奕』についてのお話

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
『赫奕』についてのお話を書こうかなと思っていたら
5年以上前のものと思われる原稿を発見したので掲載します。

内容は『赫奕』のEDテーマ『夢の鍵』の詩からストーリーを考察したものです。
自分の中で『赫奕』っていう作品をかみくだいてた頃に書いたんじゃないかな?そんな感じです。

『孤影再び』ロッチナ&テイタニア登場記念ということで♪

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『夢の鍵』について

戦いの挟間に眠るあなた 沈み込む景色に重なって
あの時の傷が蘇る 謎の鍵さがす
伝えたい記憶の微睡みに 心癒すあなた
教えたいそれが『あいつ』と 私の中の『あなた』へ
今私が目覚めるその前に 覚えてほしいの『あなた』
きっとずっと・・・

この詩を読み解くにあたって『赫奕たる異端』における『フィアナ』と
『テイタニア』という二人の女性の関係について理解しておく必要がある。
そして、何故主人公『キリコ・キュービィ』がTV版『流星』の後、
32年の歳月を経て覚醒することになったのか、ということにも
触れなければならない。


『奇跡とは何か』
『異能者』として奇跡の力を持ちながら『人』として生まれついたが故に、自らの力に傷つき、病んだ心を引き摺り続ける男『キリコ・キュービィ』
戦いの中に生きることを運命づけられた彼の潜在意識は、その苦しみから逃れる為自らを戦いへ駆り立て、そんな自分を卑下して生きることで自我を保つ心を作り出していた。

だが、一つの偶然がキリコに変化をもたらすこととなる。
彼が見たその瞳は、確かに己の運命を見つめていた。

『人間兵器』として生きる筈だった女はその出会いによって、『人』として喜び悲しみ、苦しむことさえをも自らのものとできる『心』を持たされた。
たとえそれが偶然の出会いだったとしても、彼女はその男を愛した。
何故ならば、彼の存在自体が彼女に人として生きることの全てを与えたからだ。

それ故に『フィアナ』は彼の運命とその苦しみを自分の全てをもって癒したかった。かつてその出会いで、自らに『愛』というものを教えた男に、同じように『愛』を教えたかったに違いない。
そして、その心が確実にキリコを変えていくことになる。
今日という日の愛が過去の傷ついた心を癒していく。そのことによって、
初めてキリコは自らの傷を見つめ『運命』を直視し、自分と向き合うことが
出来た。

こうして彼は己の内なるもの、『戦いの中で生き続ける運命』に
抗う心を持つ。
何の為に戦うのか、キリコは初めて知ったのだから。

『流星』でのコールドスリープの後、彼は覚醒した。
この目覚めにどの様な意味があるのか考えたい。
キリコの運命とは『戦いの中で生き続けること』そしてその為に
奇跡は起きていた。
つまり彼は自らの『運命』によって目覚めさせられたのである。
しかしキリコは覚醒を望んではいなかった、というよりも
その事態を最も恐れていた。
覚醒、それがフィアナの死を意味するからだ。

そう『奇跡』の力など彼は望んでいない。自らの運命に抗い、
求めたものの為に眠りに就くことをその力は決して許さない。
キリコにとっての真の敵とは、紛れもなく自らの『運命』であり
『奇跡』なのではないのだろうか。


『ネクスタント』
だが、その『奇跡』の力が彼女の鎖を断ち切ることになる。
そしてそのことが彼女『テイタニア』に自らの存在理由を問わせる
結果となるのだが、それについては割愛したい。

ここでは『ネクスタント』テイタニアの存在について述べようと思う。
『ネクスタント』という言葉の持つ意味を考えたとき、
彼女のこの作品での位置、そしてフィアナとの関係が浮かび上がってくる。
そもそも、『ネクスタント』という概念自体は彼女の実父モンテウェルズの
考えたものであっただろうし、その意味するところは『PS』に対しての『次に来るもの』といったような『PS』を超越するもの的意味合いであると
思われる。
しかし、この『赫奕』という作品における『ネクスタント』というものの意味はそれだけのものであろうか。
そこで『フィアナ』の存在について考えたい。
彼女は自らの命が尽きようとしていることを知った時、どの様な想いを持って眠りに就いたのだろう。自分の命が尽きることの悲しみよりも、愛する者がその過酷な運命の中、苦しみ、傷つきながら孤独に『生き続け』なければならないということにどれ程の悲しみを抱いていたか。

「もし、目覚めるときが来たら、そのときは一緒」

作中、フィアナは自らの残りの命をもってこの約束を守った。
愛する者と共に生き続けられない彼女に出来たのは、テイタニアの心の中の『自分と同じ想い』を伝えることで、キリコに愛を与え続けることだった。
そう『ネクスタント』の意味はそこにある。

前述の通り、『ネクスタント』とはモンテウェルズが『PSを超越するもの』として名付けたものだったとしても、結果的に『ネクスタント』テイタニアはキリコと共に生きることを望んだ。

つまり彼女はフィアナと同じ思いを持ち、主人公『キリコ』の為に生まれた
『フィアナと同じ心を持つ、次なるもの』なのだ。
戦いの為の『ネクスタント』ではない。愛の為に。
人として生きる孤独な神の為に、生まれてくることを定められた
『次なる者』
それがこの作品における『ネクスタント』という言葉の真の意味であると
私は思う。


戦いの間、眠っている私の中の『あなた』(フィアナ)
あの日何故私が『ネクスタント』して生まれ変わったのか、その意味を知りたい。

伝えたいの。
意識の微睡みに癒される心の、その鍵は『あいつ』(キリコ)なのだと
私の中の(フィアナ)に教えたい。

今、私が目覚める(覚醒する)その前に覚えてほしいの。
私の中の(フィアナ)
(今、私が目覚めるその前に覚えてほしいの、あなたの中の(私))

きっと、ずっと・・・


『謎の鍵』とはキリコのこと。マーティアルの紋章、真理の扉を開く鍵は『触れ得ざる者』、異端として排除されたはずの男そのものだった。
彼の復活によって、結果的にマーティアルは新しい秩序を手に入れ、
平安を取り戻す。
だが、人の世に生きる神はその存在故、永遠に『生』の意味を探し続ける。
彼の存在を愛する者として、彼のもとに安息の日の訪れることを願いたい。

コメント(65)

おさるはね、そこんとこだけは徹頭徹尾、フィアナはイプシロンに残酷だったと思ってる。
たとえペールゼンの思惑だったとしても、彼女を慕うように、仕向け、目覚めを手伝い、キリコを救うために口付けし、たとえ愛されていなくても味方を打つことは出来ないはずという最期の信頼を裏切れるほどキリコへの愛で銃を放ち…。

その分「ヤツはいま、どうしようもなく孤独なんだ」
と、彼の要望に答える(どちらかが死ぬまで戦う)ということをしてあげるキリコの方がよほど優しい。
戦うことでしか癒されない、満たされない思い、というのを受け止めてあげてる気がするのね。

意図的にペアになるように作られて、なのに、相手には別の想い人がいて、自分は他に同族がいない。
で、おそらく人間として付き合ってくれたのはキリコくらいのもので、他の人間からは実験動物と同じだっただろうイプシロン。
彼はそういう、一番救いの無いキャラクターだったと思ってるんだ。
ボトムズという作品のなかで
イプシロンの人としての孤独なありようは
悲哀を感じさせるものだとおもいます(・ω・`)

物語上彼に対しての救済はないけれど
生きている間に人の心に何かをあたえたのだから
イプシロンのいのちにも意味がある

『戦いの中にしか生きることのできない運命を持つ者』
という意味において
キリコとイプシロンはとっても似てる

けれど
戦いというものは依存するものではなく
心の拠り所ではないんです

力は目的のためにあってほしい

キリコは男だから

彼は戦いをもってイプシロンの想いに応え
力をもってその心を弔った

フィアナは女だから
育み
そしてつぎへとつなごうとする女だから

かつての自分と同じ運命を背負い
逃れられないかもしれない鎖につながれた
イプシロンに
いのちをおしえようとした

これでいいのだろうかと迷いながら

現在という心をうけとめながら結果的に明日を葬ったキリコと
明日に希望をみながらなにもできなかったフィアナの
どちらが残酷かというのなら
どちらも残酷だとおもうのです

とがにゃんはそれでもいいとおもうんだ(´ω`)

うつくしさのなかにある
けがれを描くことで
つたえられるたいせつなことがあるとおもうから
おさるは、キリコはイプシロンに対して、最期の一瞬まで残酷ではなかったような気がするけどな…。
全力でぶつかってくる者に、全力で応えたのだから。
イプシロンの死に際に、自分自身がPSかもしれないという、動揺はあったと思うけど。

うつくしさの中にあるけがれ
何かに、戦争の中でこそ一番ロマンが描かれるというようなことが、監督さんによって語られてたね。
けがれの中のうつくしさということになるかな。

さて、混沌と言うものの中にうつくしさを求めつつ、のた打ち回って生きてるおさる仙人には、つらいことでございまする。


当時はそこまで深く考えなかったけど、今になって思うとボトムズって物凄い人間臭い大人のドラマですよね。

ガンダムシリーズとは全く違う、戦場の血生臭さや男と女の愛憎劇が含まれていたのかな。

最終的にはキリコが人間的に成長していく物語なのかもしれないけど、こうやって時を越えて世代を越えて受け継がれていくアニメってそうそうないですな。

太陽の牙ダグラムから続けて見ていたのだけれど、あまりの世界観の違いに最初は理解不能でした。

ただ、段々と引き込まれていってしまうのですよのね。あのロッチナのナレーションに。

おっしゃ!!地獄の底まで付き合ってやるぜ。てな感じで。

主題歌やエンデングテーマも当時にしては画期的でした。

1つもタイトルが入ってないしね。ボトムズワールドを如実に表していますよ。あの歌は。

カラオケで唄うと、当時の記憶が蘇ってきます。

まさか…ここまで作品がしぶとく生き続けるとは。

全能なる神ワイズマンもさすがにそこまでは考えていなかったでしょう。(笑)


   
そうなんですね。

ガンダムは戦争を描いていて、ボトムズは戦場を描いてるんですね。だからか、空想の世界なんだけど、よりリアルに感じるんでしょうね。やはり人の本性みたいなものが、よりリアルなのがボトムズなんでしょうか。

なーんて知ったようなこと書いてすみません。

中学生の頃、塾に行く前に独りで食事を摂ってる時にたまたまやっていたというのが、ダグラムでありボトムズだったというだけなんですけど、この歳になってはまってるとは思いもしなかったなあ。
ボトムズとの出会いもある種、奇跡なのかな(笑)
>おさるさん

>おさるは、キリコはイプシロンに対して、
 最期の一瞬まで残酷ではなかったような気がするけどな…。
 全力でぶつかってくる者に、全力で応えたのだから

『優しさ』と『残酷』さは表裏一体なのかもしれないね
おさるさんのいうキリコの『優しさ』と
フィアナの『残酷さ』
とがにゃんにもわかるもの(´ω`)

>混沌と言うものの中にうつくしさを求めつつ、
 のた打ち回って生きてるおさる仙人には、つらいことでございまする

つらくてもきっと素敵なことだよね(´∀`)ノ
とがにゃんは『孤影』第7・8回のダブルレビューUPをめざして
イメージというくらやみの混沌のなかから
言葉をサルベージしてるとこです♪

φ(;ω⊂)oO(語彙の神様どうぞ降りてきてくらさいっ)
>赤柴@放し飼いさん

>当時はそこまで深く考えなかったけど、
 今になって思うとボトムズって物凄い人間臭い大人のドラマですよね

ボトムズの物語の持つテーマの普遍性とか
ハードな世界観の中に流れてる
一種特異で不思議な空気感みたいなものには
みたひとに対するインパクトと
大人の視聴にも応えうるちからづよさがあるよね(゜ω゜)

ただ『新奇的である』『画期的である』というだけでは
一時の話題にはなっても
人の心に永く働きかけてはいけないとおもうの
受けとめかたはひとそれぞれなので
一概にはいえないけどもね(´ω`)

銀河ロッチナのナレーションが魅力的なのは
あの渋い声で
1話毎の(もしくは物語全体としての)テーマを
詩的に表現しているとこかなってとおもうます♪

あのナレーションを聞いていると
とがにゃんはお話に隠されてる意味っていうのを
イメージ的にとらえられるのです
その回でうったえようとする何かを感じようとするとき
あのナレーションはヒントでもあるし
もうひとつのかんがえかたの提示ともとれるので

バカじゃないのってくらい何度も聴きました(笑)

(´∀`)oO(単純にあの語感からくる気持ちよさやかっこよさもすき♪)

>全能なる神ワイズマンもさすがにそこまでは考えていなかったでしょう。(笑)

ワイズマンどころか良輔監督さえも考えてなかったかも(´ω`)ノ
>早坂さん

>ガンダムは戦争を描いていて、ボトムズは戦場を描いてるんですね。

きっと目線の違いってことだよね(´ω`)

目線の違いっていう意味で
ちょっと違う方向からみてかんがえてみるとね
とがにゃんのイメージする
ガンダムは『集合写真』
ボトムズは『ポートレート』なんです
キリコの

ガンダムはアムロを中心にした群像劇
アムロという内向的な少年が
周囲の人間とのかかわりのなかで
散っていったものたちが与え託した心を
自らの心の叫びを体現していけるようになる
『ひとのあるべきすがた』という
インスピレーションを得るお話

アムロは主人公なので物語の中心にいるのだけど
おはなしの核じゃないの
誤解を恐れずにいえば
彼のような精神性を持った少年であれば
ガンダムというお話は成立すると思うのです

ボトムズはキリコという主人公が中核にあって
彼は物語の中心であるし核心でもある
ボトムズのTVシリーズは
キリコという人間なくして語ることはできない
ある意味彼そのものが『ボトムズ』だと思うから

主人公がキリコじゃないとボトムズじゃないとはいわないけれど
みんなもういちどキリコにあいたいっておもうんじゃないかな

(´ω`)oO(ロッチナじゃないけどね♪)

富野作品は
戦争やひとつの力といった
男性的・夫性的な表現を手段として用いながら
与え育み次なるものへつないでいくというような
真に女性的・母性的内面を描きだしてると思う

そんな激しさと繊細さがとがにゃんはすきです(´ω`)
>ドロさん

「しょるだーやろう!」だね(笑)
あのゾッキーおばちゃんのなまえは『ゾフィー』だよん(´ω`)
ゾフィーのおはなしはとがにゃんのおきにいりなのです♪

ガンダムのお話のなかには
死にゆく人間が生きている者に託す
生き残った人間が散っていった者達の遺志を継ぐというような
死という現象が与える
ポジティブなメッセージ性があるとおもうの

ガンダムの中で女の人に拘らずたくさんひとがしぬのは
『死』にカタルシスをみてるようなとこが
あるからだと思うます(´ω`)

対してボトムズのお話は
『力』に対しての浄化みたいなものがある

キリコに触れようとする『力』を持つ者
もしくは得ようとする者は
キリコの持つ『奇跡』によって
死に至るか『力』の概念の本来の意味するところへ帰される

それはアイデンティティの崩壊であるし
新たな地平の模索であるともいえる
ペールゼンやロッチナや
テイタニアがそうだったみたいに

でもキリコは奇跡の業を自分じゃつかえないし
それをもってるがゆえに
くるしまなくちゃいけない(⊃ω;)

そこがカタルシス

ボトムズの女性は『力』の浄化の対象にならないから
ある意味物語上で死に至る必然性がないとおもうのです(´ω`)

例外はフィアナとテイタニアだけど

フィアナの死については
フィアナの存在が
キリコの『戦いの中で生き続けなければならない運命』に
反してしまうから
悲しいことにキリコはその運命から回避することさえできない

PS計画自体がキリコに魂を奪われた
ペールゼンによるものだったということから考えても
すべてが必然であったのかもしれません(・ω・`)

テイタニアはマーティアルの権力の『象徴』として
キリコを倒すために再生させられたので
『力』の浄化の対象になったのだと思います

(´ω`)oO(ついでに心も『浄化』されちゃったけどね)
わい♪(´ω`)ノ
すきでやってることで
よろこんでもらえるなんてうれしこーぬだょ

続編の『孤影再び』でも
補助脳が破壊されたことによるテイタニアへの影響についての
記述みたいのってなんにもないんだけど(・ω・`)
『赫奕』のお話のあと
彼女はマーティアルの籍に戻ってるので
定期的にメンテナンスとかうけてるのかもしれないね(´ω`)

とがにゃんの願望としては
『ただの女になっちゃったよわっちいテイタニア』も
見てみたいなっていうのはすっごくあるんだけどね(笑)
>あり!?『赫奕』の最後で「ずっとキリコについて行く」って
 言ってませんでしたっけ?

じつは『赫奕』の続編になる『孤影再び』のストーリー内で
テイタニアはキリコを追うために
一度は離反したマーティアルにもどったという事実が
あきらかになってます(・ω・)

ただキリコを追い続けたいという一心が
彼女の意地やプライドに対しての妥協につながったと思うし
そうすることがテイタニアの魂の
本当の意味での解放になるんだって感じるけど
なかなか素直にはなれないみたいね(笑)

>「いや〜ん!こわ〜い!助けてキリコ〜目がハート

ドロさん‥どんだけ笑かすんですか!
おもしろすぎだょ(笑)
(*・ω・)oO(でもちょっとみてみたいかも)

んとね『甘える』っていうより『しおらしい』感じかな?
弱ってる感じのテイタニアがみてみたいでする(´ω`)
(⊃ω;)oO(テイタニアおばあちゃんが‥)

>…こんなやりたい放題やってたらコミ追放されてしまうかもたらーっ(汗)

ドロッティ!おまえはは破門じゃーっ!!

              ∧ ∧
ガッシャーン!! ┴┴ ((∩(`Д´+;)∩
               ∧ ∧
             ⊂(´Д`;)<オッオトウサン‥

‥な〜んていってたら
とがにゃんがまっさきに島流しだよん(笑)
ディープな話ばっかじゃつかれちゃうし
たのしいのはいいとおもうの♪(´ω`)
でもモンテウェルズ枢機卿は中の人死んじゃいましたもんね
映像化無理なんでしょうか

映像でキリコとティタニアの関係に
納得できるケリをつけて欲しいと思うのは
俺だけでしょうか?
>左衛門さん

>映像でキリコとティタニアの関係に
 納得できるケリをつけて欲しいと思うのは
 俺だけでしょうか?

うんうん!
『孤影』のレビュー書いてるときはとくにそう思う(・ω・)ノ
活字というスタイルでの発表は心理描写の点において
多大な効果があるとおもうから
連載小説の形式に異を唱えようとはおもわないけど
やっぱり動画が見たいっていう願望はあるの(´ω`)

>モンテウェルズ枢機卿は中の人死んじゃいました
現在連載15回だけど
まだモンテウェルズに台詞はなかったきがするっ(笑)

(・ω・)oO(いけるいける)


>ドロさん

『空白の32年』を生き延びた貴重なレギュラーキャラだもんね(笑)
バニラとココナの子供たちの動く姿もみてみたいなぁ♪

『赫奕』の続編として
いちばんあたらしいキリコのお話でもあるわけだしね(´ω`)
ティタニアの視点から
描くってのはどうでしょうか?
なかなか無いと思いますが
今までの物は、ほとんどが男性の一人称
例外も一部ありますが
ティタニアの心理、これは興味あるんですよ

キリコを追う視点から、描けないものでしょうか?
どう思われます
>左衛門さん

このトピの冒頭にある
『『夢の鍵』について』のテキストを書いた頃
キリコを追いつづけるテイタニアの想いについても書きまちた
(⊃ω;)oO(でもどっかいっちゃってUPできないの)

テイタニアのプライドや依存のむこうがわにある
不安や願望をかきたいなぁというのはすっごくあって
ものすっごくあるんだけど(笑)
もしかしたらそれをやっちゃったら不粋なのかなぁとも思った
これはいま打ちながらおもったのですが(笑)

あのおはなしの行間のなかに
各々の人物の想いをよみとるべきなのかもと(・ω・`)

ボトムズのワンクッションおいた間接的な表現
そこには
(あいてはいまたぶんこんなきもちだろうな)
とおもいながらあえてだまっているような
ちょっと渋いやさしさがある(笑)

そゆのをのこしつつ
テイタニアの視点でおはなしが描けたらおもしろいきがする
というか描きたいな♪(´ω`)ノ
とがにゃんさん
それいいです!!

うんグッと我慢するやさしさっていうか
渋いやさしさって、言いえて良いですね

どうもティタニアの評判は、よろしくないのかな
古参のファンでは、
どうも、良いように言われてないような気がするんですが
それは、フィアナを喪失した、そのあてつけのような
気がするんですよね
ティタニアはある意味、重い十字架を背負ってる感じがします
>左衛門さん

特に古参のファンの方は
フィアナとキリコのかかわりに強い思い入れがあると思うんです
それはとってもよくわかるの(´ω`)

でも
思い入れにとらわれて
あたらしく紡がれるお話を素直にみつめられず
物語の意味をさがすことができなくなってしまうのは
とってももったいないとおもうんだ(・ω・`)

赫奕や物語にかかわるテイタニアに対する
批判はすくなからずあるとおもうけれど
すこしでもそのなかに何か見出してもらえたらという
おもいはあります(´ω`)

そういうものがなければ
ボトムズはつぎにつながっていかないって思うから

つぎの企画がその一助になればいいなぁともおもいました
がんばります♪
>ドロさん

テイタニアというキャラクターそのものについての
批判ではないのかもね(´ω`)

微妙なことなのでとがにゃんも言葉を考えてしまうけれど
左衛門さんの

>それは、フィアナを喪失した、そのあてつけのような
 気がするんですよね

と感ずることがなきにしもあらずです(・ω・`)

テイタニアってたしかにイプの女バージョンって感じだよね(笑)

外見が『女 キリコ』で
内面が『女 イプシロン』って感じがするの(・ω・)

考えさせられるものがあっておもしろい♪

一応言いますが
ティタニアは自分自身
気に入ってる部分がありますよ

えーと、昔OUTって雑誌(懐かしい)で
高橋監督のインタビューが乗っていたんですが
その時に
高橋監督の元にファンレターが届いていて
その内容は
話としてフィアナが死んじゃうのは理解できますが
感情的に、それでは納得できないので
ファンを辞めますって言う女性から
手紙が届いたそうです

ティタニアがどう動くかは
非常に興味あるんですけどね
左衛門さん

>話としてフィアナが死んじゃうのは理解できますが
 感情的に、それでは納得できないのでファンを辞めます

とがにゃんもこのおはなしはどこかでしりました
OUTではなかったとおもうけど(なつかしこ♪)

ファンにささえられている作品だけに
監督もその方の思いを受け止めて苦悩されたと思います
きっとその方にとって
キリコとフィアナの関係そのものが
『ボトムズ』という物語なのではないでしょうか

作品にふれたひとの数だけ『ボトムズ』の世界があるよね
すごく大切にしてほしいって思う(´ω`)

その上で『ボトムズ』ってなんだろうっていう気持ちも
持ちつづけたいなぁって
この先がみたいからきっとそう思うのかな(笑)

テイタニアにとってキリコの存在が与えたものっておおきいけど
キリコにとってのテイタニアは
どんな存在になるのかなっていうのは
赫奕をみたときからずっときになってる

フィアナはテイタニアに託したけど
彼女はフィアナじゃない
追い続けることがどんな意味をなすんだろうね(・ω・)
>ドロさん

お話の見せ方という技法の考えとして
テコ入れ的なものはあったかもしれないね(・ω・)

ただそこは物語の内容的に無理があってもいけないし
色々悩んだんじゃないかなぁとは思うです

>…でもロッチナは死なないで欲しい
ロッチナはしぶといから
きっと死んでもすぐ蘇ってくるよっ! (゜д゜`)<キリコはどこじゃ〜
ロッチナのいない次回予告なんて牛丼の牛抜きだよう! ヽ(´д`)ノ

            ∧ ∧
ガッシャーン!! ┴┴ ((∩(`Д´+;)∩ <ロッチナはどこだ〜っ!
               ∧ ∧
             ⊂(´Д`;)<オッオトウサン‥
おとうちゃんには
おかあちゃんがついてるから大丈夫♪

次回予告楽しみだよね(´ω`)

PVをみたかんじでは
語彙の使い方や全体的なリズムが
TVシリーズの雰囲気に近いかなっていう印象を受けました

今回はATにCGが使われていたり
作画部分での新しい試みが見られるよね
どのような映像表現がされるのかも気になるです(・ω・)

ログインすると、残り41件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

装甲騎兵ボトムズ 孤影再び 更新情報

装甲騎兵ボトムズ 孤影再びのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。