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生命科学研究ハイライトコミュのノーベル賞関連

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ノーベル賞:4分野の受賞候補者を予測 米文献データ会社
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/news/20070912k0000m040060000c.html
 米国の文献データ会社「トムソンサイエンティフィック」は11日、ノーベル賞の物理、化学、医学生理学、経済学の4分野について、受賞候補者の予測を発表した。世界の研究者17人で、日本からは、NEC特別主席研究員の飯島澄男・名城大教授と、高エネルギー加速器研究機構前機構長の戸塚洋二・東京大特別栄誉教授の2人が、物理学賞の候補に挙げられた。
 飯島氏はチューブ状に炭素原子がつながる新素材「カーボンナノチューブ」を発見。戸塚氏は東大宇宙線研究所の観測装置「スーパーカミオカンデ」(岐阜県飛騨市)での観測を主導し、素粒子ニュートリノに質量があることを突き止めた。
 同社は毎年、学術論文が他の論文に引用された回数などを基に、有力候補を予測している。02年から昨年までに54人を選出し、うち4人が受賞したという。今年のノーベル賞は10月8日以降、順次発表される。【須田桃子】

2006年ノーベル賞の話題はこちら
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10237877&comm_id=862497

コメント(89)

長崎大卒・下村さんノーベル賞 九州の“頭脳”刺激 研究者や学生「励みに」 多彩な候補ほかにも
2008年10月9日 14:57
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/52645
 九州の大学出身者として初の快挙となった米ボストン大名誉教授・下村脩さん(80)=長崎医科大薬学専門部(現長崎大薬学部)卒=のノーベル賞獲得は、九州の学術界を刺激した。まだまだ多彩な研究者がおり、朗報から一夜明けた9日、大学関係者や学生は「大きな励みになる」と、世界を目指して探求意欲を一層かきたてた。

 下村さんと同じ化学分野で数年来、同賞候補として名前が挙がっているのが九州大の新海征治特任教授(64)。光を使って分子を制御する「分子機械」の発見と応用に世界で初めて成功、ナノテクノロジー(超微細技術)発展に貢献した。新海教授の恩師の国武豊喜・前北九州市立大副学長(72)も、同分野の研究で注目されている。

 九大の今泉勝己理事は「長崎大とは教員交流も活発で、われわれが受賞したような気持ち。地方の大学の存在感を示したことは大変意義がある。九大も有望な研究者が多数おり、若手が独創的な研究ができる環境を整備したい」と意気込む。

 熊本大の高月清名誉教授(78)の研究も世界の注目を集めてきた。成人T細胞白血病(ATL)を発見し、エイズウイルス(HIV)感染者の遺伝子治療に尽力。教え子たちも活発に研究に取り組んでおり、熊大の阪口薫雄(のぶお)理事は「(下村さんの受賞は)九州の若い研究者にとって大きな励みになる」と期待する。

 故人では、北九州市出身で明治専門学校(現九州工業大)卒の藤田哲也・米シカゴ大名誉教授(1920‐98)も「竜巻博士」として国際的評価を得た1人。下降気流が地面にぶつかり放射状に噴き出すダウンバーストを解明し、竜巻の強さを七段階で表す「F(藤田の頭文字)スケール」を考案した。古くは、熊本県小国町出身の細菌学者で「近代医学の父」と呼ばれた北里柴三郎(1853‐1931)も、第1回ノーベル賞の有力候補だったとされる。

 下村さんの受賞は“未来の候補”にも刺激を与えた。「進路を考えていて(下村さんの研究分野の)生化学も選択肢の1つだった」という九大理学部化学科3年の上村修平さん(20)は、受賞の報に接し「ぜひ、その方面に進みたい」と決意。九大大学院理学府化学部門の修士2年、小坪俊弘さん(24)も「いくら続けても結果が出ずに挫折しそうなこともあるけれど、それが報われることがあるんだと励みになった」と力を込めた。

=2008/10/09付 西日本新聞夕刊=
授賞辞退は過去に2人、ノーベル賞の興味深い「歴史的データ」
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200810040025.html
10月6日から1週間にわたって続くノーベル賞各賞の受賞者発表を控え、AP通信は3日、同賞にまつわる興味深い「歴史的データ」を紹介、全受賞者のうち女性の占める比率は5%弱の男性支配の世界などと伝えた。

文学賞を受賞した総数104人のうち、女性は11人。平和賞は個人として受賞した95人のうち12人。物理学賞はこれまで2人としている。

また、ノーベル賞受賞を拒否したのはこれまで2人で、フランスの哲学者・作家のサルトルと、1973年に米国のキッシンジャー元国務長官とパリ和平協定をまとめ、ベトナム戦争終結の道を開いた同国のレ・ドク・ト同党中央委・政治局顧問。

サルトルは1964年、「すべての公的な勲章を拒否するのが自らの原則」として辞退。レ・ドク・ト氏は「祖国に平和はまだない」との理由で断っている。同時受賞したキッシンジャー氏は受け取っている。ベトナム戦争が終わったのは1975年だった。

ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーは1936年、平和賞にドイツ人の反体制活動家で平和主義者のオシエツキーが選ばれると怒り、ドイツ人が今後、ノーベル賞を受賞することを禁じた。以降、化学賞、医学賞で3人のドイツが受賞したが授賞式には出られないでいる。

受賞者の年齢的な条件はほぼなく、最高年齢は90歳、最少年齢は1925年の25歳だった。
数字で見るノーベル賞受賞者の歴史
2008年10月06日 12:44
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2525455/3401525
【10月6日 AFP】今年のノーベル各賞の受賞者発表が、いよいよ6日から始まる。さて、これまでのノーベル賞授賞歴において、最高齢や最年少の受賞は何歳か、これまでの女性受賞者は何人か、ご存じだろうか?

■最高齢受賞者は90歳、最年少受賞者は25歳

 これまでの最高齢受賞者は、2007年に経済学賞を受賞したレオニド・ハーウィックス(Leonid Hurwicz)氏だ。ロシア系米国人のハーウィックス氏は受賞時に90歳で、受賞から半年ほど経った今年6月に死去している。

 現在も存命中の最高齢受賞者は、ロシアのビタリー・ギンツブルク(Vitaly Ginzburg)氏だ。2003年に物理学賞を受賞した同氏は、4日に92歳の誕生日を迎えたばかり。2001年に化学賞受賞した91歳のウィリアム・ノーレス(William Knowles)氏(米国)が、ギンツブルク氏に続く最高齢受賞者となる。2002年の同賞受賞者ジョン・フェン(John Fenn)氏は、同僚のノーレス氏より誕生日がわずか2週間遅いため、存命中の最高齢受賞者3位に。

 ノーベル賞史上、最年少の受賞者は、1915年の英国人受賞者ウィリアム・ローレンス・ブラッグ(William Lawrence Bragg)氏だ。同氏はわずか25歳で物理学賞を受賞した。

 文学賞の最年少受賞者は英国人作家ラドヤード・キップリング(Rudyard Kipling)で、1907年の受賞時年齢は42歳だった。文学賞の最高齢受賞者も、同じ英国人作家のドリス・レッシング(Doris Lessing)氏だ。2007年に87歳で同賞を受賞したレッシング氏は、受賞によってマスコミ取材が殺到し執筆活動の時間がなくなったとして、文学賞受賞を「大変な災難」と評している。

 1901年にノーベル賞授賞が始まって以来、これまでに733人の男性が同各賞を受賞している。これに対し、女性の受賞者はわずか34人で、経済学賞の受賞者は1人もいない。また、物理学賞、化学賞でも、それぞれ1963年、1964年を最後に、女性受賞者は出ていない。一方、過去10年では、文学賞で2人、平和賞で3人の女性受賞者が出ている。女性受賞者の最高齢者は前述のレッシング氏だ。

■6人の受賞者辞退者

 一方、過去にノーベル賞を辞退した受賞者は6人。自身の意志により辞退したのは、フランスの思想家、ジャンポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)と、当時の北ベトナムの革命家、レ・ドゥク・ト(Le Duc Tho)の2人だ。サルトルは1964年の文学賞を辞退。レ・ドク・トは1973年、パリの和平協定における尽力が評価され、米国のヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)大統領補佐官(当時)とともに平和賞を受賞したが、これを辞退している。

 このほか、1938年の化学賞受賞者、リチャード・クーン(Richard Kuhn)、1939年の同賞受賞者、アドルフ・ブーテナント(Adolf Butenandt)、同年の医学賞受賞者、ジェラルド・ドーマク(Gerhard Domagk)のドイツ人受賞者3人が、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の政策により、受賞を辞退させられている。

 また、小説『ドクトル・ジバゴ』で知られるソ連の作家、ボリス・パステルナーク(Boris Pasternak)も、スターリン政権下で1958年文学賞の辞退を強要された。(c)AFP
科学はゲーム「おもしろい」 ノーベル賞4氏語る 「理科離れ」歯止め期待
2008.10.11 12:30
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081011/acd0810111244003-n1.htm
 「科学技術創造立国」を掲げながら、さまざまな調査が若者の「理科離れ」を示している日本。政府関係者がその歯止めになってほしいと期待を膨らませる朗報が今週続いた。日本人4人のノーベル物理学賞、化学賞受賞。4氏はなぜ科学の道を志し、若者が理科を敬遠する日本の現状をどう受け止めているのか。そして対策は。それぞれの言葉から探った。
 ■好きこそものの…
 「物理が好きになったのは、英語が嫌いだったから」。物理学賞の受賞決定翌日の8日、京大名誉教授の益川敏英さん(68)は、学生との対話集会でこう語り、会場の笑いを誘った。
 4人の受賞者がそれぞれの研究分野を選んだ理由はさまざまだ。
 益川さんとの共同研究で受賞が決まった高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠さん(64)も「覚えるのが嫌で、語学系はだめ。理数系が得意だった」。同じく物理学賞の米シカゴ大名誉教授の南部陽一郎さん(87)は、小学生のころには鉱石ラジオを作って遊んでいた科学少年。当時のあこがれは発明王エジソンだったという。
 一方、化学賞の米ボストン大名誉教授の下村脩さん(80)は「薬なんて何の興味もなかった。当時は若者に好きなことをやる自由はなかった」と振り返る。原爆を体験し、高校へも進学できなかった下村さん。長崎医大薬学専門部(現長崎大薬学部)が近所へ移転してきたため、不本意ながら入学したことが、今回の受賞につながった。
■自分の考えを大切に
 「なぜ?」を軽視する受験教育や、情報過多が科学への関心の芽を摘んでいるという指摘は少なくない。4人は“後継者たち”の研究・勉学環境をどうとらえているのだろうか。
 南部さんは「世界中の論文が毎日、新聞のように手に入ることは幸福だと思う」とする一方で、「自分自身で考える暇がないことが、(独創性が育たない理由に)あるかもしれない」とチクリ。小林さんも「自分の考えを大切にする中で、人それぞれの考え方のバリエーションが出てくる気がする。そういう中からいい仕事も出てくるのではないか」と独創性の大切さを説いた。
 南部さんと下村さんはかつて、研究の場に米国を選んだ「海外流出組」。しかし下村さんは「当時と違って日本も豊かになり、日本の方がよい研究ができるようになった。今ならこちら(米国)にくるかどうか分からない」と話した。
 ■科学はおもしろい
 受賞決定後、一気に発言の機会が増えた4人。10日に塩谷立文部科学相と面会した益川さんは科学離れが進む現状について、「今の大学入試は、採点が楽なようにできていて問題がある。人間は本来好奇心がいっぱい。それに応える教育システムが必要だ」と注文をつけた。
 小林さんも、現在の日本の教育のあり方には問題があると考える。「自然を理解するためには、できあがった法則を知るだけではだめ。法則の発見に至ったプロセスを伝えなければ」
 「(受賞決定が)日本の科学離れの歯止めになれればうれしい」。日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹さんの共同研究者で名古屋大教授だった坂田昌一さん(ともに故人)にあこがれ、名大理学部に進学した益川さん。次代を担う子供たちに「科学は面白いよ。ゲームと同じだ。いろんな本を読んで“活字中毒”になってほしい」とメッセージを送った。
栄えある?「イグ・ノーベル賞」受賞 「迷路を解く粘菌」って?! 中垣俊之・北大准教授ら研究(2008/10/10)
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/kawaraban/39680.html
 日本人科学者のノーベル賞受賞が次々と伝わる中、ユーモアにあふれた研究に贈られる「もう一つのノーベル賞」イグ・ノーベル賞を受賞した北大電子科学研究所の中垣俊之准教授(45)が、ボストンでの授賞式を終え帰国した。受賞理由の「迷路を解く粘菌」とは、どんな研究なのか、中垣さんを訪ねた。(佐藤千歳)

「単細胞」だけど… 最短経路導く賢さ

 猫楠(ねこぐす) 粘菌って一体なんだ

 熊楠 粘菌は動植物ともつかぬ奇態な生物や。英国の学者なぞは宇宙からきたお方じゃないかというとる

 猫楠 へえ− なんでそんなもの観察するんだ

 熊楠 生死の現象、霊魂の研究にはもってこいの材料や…

(漫画「猫楠」より)

 中垣さんは本棚から水木しげるの「猫楠」をスッと取り出した。

 「なぜ粘菌を研究するのか−。水木さんの説明に僕はまったく同感なんです」

 「猫楠」は、粘菌研究で有名な南方熊楠(みなかたくまぐす)(1867−1941)の一生を、熊楠の飼い猫の猫楠の視点で描いた作品。

 粘菌は分類上は原生生物だが、胞子による繁殖は植物のようで、脈動しながらゆっくり動くのは動物のよう。

 性別も「雌雄ではなく五つほどある」と中垣さん。大きさは数ミリ程度で、栄養が十分なら核分裂を繰り返して畳一枚分にもなる。

 単細胞で脳も神経もなく、大きさも性別も、生物学上の分類さえも融通無碍(ゆうずうむげ)な生物。

 その粘菌が、人間でも難しい迷路のパズルを解く。これがイグ・ノーベル賞認識科学賞を受けた中垣さんらの発見だ。

 実験では、寒天の上に作った迷路全体に、小さい粘菌を三十個、等間隔で置いた。ばらばらの粘菌は脈動しながらお互いに融合し、一つにつながり、全体に広がった。

 次に迷路の端二カ所に餌を置く。八時間後、粘菌は二カ所の餌を結ぶ最短経路だけに残った。

 中垣さんは、粘菌が最短距離を見つけた仕組みをこう説明する。

 「粘菌を管として考えます。管に多量の水が流れると管はより太くなり、さらに水量が増す。逆に流れが小さくなると管は細くなり、より流れが小さくなって最後は消滅する」

 こうして迷路では粘菌が最短経路に集まった。

 「最短経路だけに管を残し、残りの粘菌が餌に集まれば、粘菌は餌を多量に早く食べられ、なおかつ粘菌同士は一体でいられる。粘菌には、生理的な欲求をうまく最適化する能力があるんです。迷路は、その力を人間にも分かるよう表現する実験でした」

効率性と安全性両立させる知恵 交通網設計などに応用も

 中垣さんにとって迷路はほんの入り口だ。

 「単細胞の粘菌はどこまで賢いのか、なぜその賢さが作り出されるのか−。粘菌を材料に、生き物の情報処理の仕組みを研究したいのです」

 こんな実験もした。

 培地に、三個以上の餌を置く。粘菌は迷路の実験のように最短距離を結ぶか?

 結果は違った。

 粘菌は、丸く、複数の経路を持つ管を作った。「最短経路だと一カ所故障したら必ず孤立する場所が出ます。だから粘菌は、一カ所が故障しても全体はつながり、なおかつ距離がなるべく短い経路を作ったのです」

 この粘菌のモデルは、交通網や上下水道といった社会基盤の設計に応用できるという。

 「粘菌は、最短距離という経済性・効率性と、安全性・対故障性という相反する原理を妥協させ、双方を適度に満たす経路を作れるのです」

 すでに中垣さんは北大の学生と、粘菌に北海道の交通網を設計させる実験も行った。

 北海道の形をした寒天の培地を用意し、札幌や旭川、函館といった主要都市の位置に餌を置き、粘菌の動きを見る。

 餌を求める粘菌が作った道と、人間が設計した国道は必ずしも重ならない。効率性と安全性を兼ね備えているのはどちらか、つい比べたくなる。

 いずれにしても中垣さんは、この過程を方程式を用いて数理モデル化することを試みている。モデル化により、いちいち粘菌と寒天を使わずとも、最適なネットワークを設計できるようになる。

 皮肉たっぷりに贈られることもあるイグ・ノーベル賞だが、中垣さんらの研究は極めて学術的なものだ。

 「今年の春、『賞をあげようと思いますがいりますか』って電子メールが来たときは、正直迷いました」

 共同受賞した六人の中には「うれしくない」という仲間もいたが、中垣さんは受けることにした。「僕はしゃれが大好きなので。とにかく授賞式に行ってみたかった」
 今月二日、ボストンのハーバード大で開かれた授賞式。

 「面白かったんです! 客席から紙飛行機がどんどん飛んできたり、余興の出し物があったり、大がかりな学芸会みたいでした。しかも余興をしたのはノーベル賞学者」

 ロダンの「考える人」が横倒しになった表彰状を手に、中垣さんが顔をほころばせた。

 猫楠 するとおめえ“研究”ということに名をかりた“学問の遊び人”だな…

 中垣さんお気に入りの「猫楠」で、粘菌をめぐる対話は猫のこのせりふで終わる。

 学問に笑いと遊びを、という心意気。迷った末に、中垣さんがイグ・ノーベル賞を受けた理由が、よく分かる気がした。



日本では「カラオケ」や「牛ふんバニラ香料」に 遊び心と独創性特徴

■イグ・ノーベル賞  「人びとを笑わせ、そして考えさせる研究」を対象に、独創的な研究を行ったり、珍しい社会的事件などを起こした個人や団体に贈られる。1991年創設。ノーベル賞のパロディー版も意識しているが、主催者にはノーベル賞受賞者もいる。

 日本人では、カラオケの発明で知られる井上大佑さんが2004年に「お互いを寛大に許し合う、まったく新しい方法を提供した」として平和賞、05年に発明家のドクター中松こと中松義郎さんが「34年間にわたり、自分の食事を撮影し、分析した」として栄養学賞、昨年は研究者の山本麻由さんが「牛ふんからバニラ香料を抽出した」として化学賞を受けた。

 ときに社会風刺を意図した授賞もあり、1996年にはシラク元仏大統領が「広島への原爆投下から50年の記念すべき年に太平洋で核実験を行った」として平和賞を受けた。

 賞金はなく、授賞式に出席しない受賞者もいる。
ノーベル賞:小林、下村氏を特別招へい教授に 名大要請へ
http://mainichi.jp/life/edu/news/20081009k0000m040154000c.html
 名古屋大は8日、ノーベル物理学賞を受賞した同大OBの小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授(64)と、同化学賞の受賞が決まった下村脩・米ボストン大名誉教授(80)を名古屋大特別招へい教授就任を要請することを決めた。小林名誉教授と同時受賞した、益川敏英・京都産業大教授(68)は07年からすでに特別招へい教授。
◆日本がノーベル賞を取れるのは自国語で深く思考できるから。我が国も英語ではなく韓国語で科学教育を行なうべき  10月9日 韓国日報

■自国語で学問する

今年のノーベル物理学賞受賞者は日本人一色だ。高エネルギー加速器研究所の小林名誉教授、京都大の益川名誉教授と日系アメリカ人の南部シカゴ大名誉教授だ。日本は1949年に湯川秀樹が物理学賞で初のノーベル賞を受賞して以来、物理学賞受賞者だけで7人になる。今年も受賞者をまた輩出した化学賞に医学生理学賞を加えれば受賞者は13人になり、この分野の国家別順位でも世界7位だ。

日本の物理学賞受賞者たちは専ら日本で大学を終えたが、特に今回の受賞者3人はいずれも最終学位まで日本で終えた。80代の南部教授は1952年にプリンストン大招聘を契機にアメリカに定着したものの東京大学で勉強したし、60代の小林・益川教授は名古屋大で博士課程まで終えた。今回の受賞対象となった「小林・益川理論」自体、2人が大学院生と研究員として出会った名古屋大で誕生した。

日本の基礎科学がどうして強いのかについては様々な理由があるが、私が見るに、日本語で学問をするという点も大きいようだ。基礎科学、特に物理学のような分野は物質界の作動原理を研究するものであるから、どの分野よりも深みがあり独創的な思考が重要だ。深みがあり独創的な思考をするためには、たくさん思考せねばならない。そのためには基本的な概念を早くからきちんと身に付けねばならない。南部教授は小学校のときに理科の時間に感じた興味が彼を科学者に導いたという。基本概念はどうすればきちんと身につくか。理解しやすい言語で科学を説明することから始まるはずだ。

日本は初等・中等過程はもちろん、大学でも日本語で科学を教える。そのため、西洋で発達した科学を日本語に訳すのを当然の基礎過程だと考えている。漢字文化圏である東洋4国があまねく使っている「科学」「化学」「物理学」などの用語自体が、アルファベット圏言語を自国語で把握しようとした日本の知識人たちによる翻訳の所産だ。「素粒子」「陽子」「電子」などの用語も、すべて日本人が作ったものだ。

そのおかげで、日本人にとって世界的水準で思考するということは世界で一番深く思考するということであり、英語で思考するということではなくなった。これは外国語が苦手といわれる日本人たちが基礎科学分野でノーベル賞を多く取っていることや、益川と小林の研究が日本の大学から誕生したことにもよく現われている。

一方我が国は、小学校・中学高校過程では科学の基本概念をきちんと把握する教育をしないで、大学に入ると突然英語で科学を教える。名門大学であればあるほど、理学部・工学部・医学部の物理・化学・生理学などの基礎分野に英語教材が使われる。内容理解だけでも不足な時間に外国語の負担まで重なっては、韓国語で学ぶ場合に比べると半分も学べない。韓国の基礎科学は外国に留学に行くことを初めから想定して教えているわけだ。

教授たちは、基礎科学分野の名著がまともに翻訳されていないからだと言うが、このように原書で教えていては翻訳する意味がなくなる。韓国語なら10冊読めるであろう専攻書籍を、1冊把握することも手に負えないから、基本の面で韓国の大学生たちが日本の大学生たちより遅れるのは当然だ。大学を出ても学んだものが無いという現象も、ここから生じているのだ。

大学の基礎科学教育を世界的な水準へ高めるために外国の碩学たちを連れてくるのに国はお金を惜しまないという。ちょっと聞くと素晴らしいことだ。ところが、果たして全国の小学校と中学・高校で科学の実験は思う存分できるか。初等・中等過程と大学過程で科学を正しく理解する基礎は用意されているか。世界的な水準で思考するということは、英語で思考するということではなくて世界で一番深く思考するということだが、それ実践する土台は用意されているか。ハングルの日だから言っているのではない。
2008年10月9日 01時34分
ノーベル化学賞に中国系米国人「一族にとって名誉」
http://www.excite.co.jp/News/china/20081009/Searchina_20081009000.html
 スウェーデンの王立科学アカデミーは8日、2008年のノーベル化学賞を中国系米国人の銭永健(Roger Y.Tsien)氏ら3人に授与すると発表した。8日付で銭江晩報などが伝えた。

 銭氏を巡っては6日付の人民網などがノーベル化学賞受賞が有望と伝えていた。銭氏は1952年に米ニューヨークで生まれた。父親は米ボーイングにエンジニアとして勤務したことがある。

 また銭氏のルーツは浙江省杭州市にあるという。世界中に滞在している銭氏同士の交流活動を行っている杭州銭鏐研究会の銭剛秘書長は「銭一族にとって大変名誉なことだ」と興奮気味に語った。さらに「世界中の銭一族を集めて銭永健氏の受賞を祝う催しを開きたいと思っている」と述べた。
ノーベル賞チェン教授「私は中国人でない」 中国残念
2008年10月9日18時27分
http://www.asahi.com/science/update/1009/TKY200810090083.html 【ロンドン=土佐茂生】下村脩さんとともにノーベル化学賞を受賞した中国系米国人、米カリフォルニア大サンディエゴ校のロジャー・チェン教授は8日、中国メディアの取材に「私は中国人科学者ではありません」と答える場面があった。中国の偉大な業績とたたえたかった中国メディアにとっては、ちょっぴり残念な受賞となった。

 チェン教授はニューヨーク生まれ。英ケンブリッジ大学で博士号を取り、89年から現職。授賞を発表したスウェーデン王立科学アカデミーによる電話記者会見で、新華社など中国メディアから質問が相次いだ。

 「あなたは中国人ですか。中国語は話せますか」と聞かれたチェン教授は英語で「あまり話せません」。さらに「あなたの業績は中国人科学者にとってどういう意味があるか」と尋ねられると、「私は中国人科学者ではありません。米国で生まれ育ったので」。ただ、「この受賞で中国人が喜び、誇りと感じてもらえるなら、そして、多くの若者が科学の研究に興味を持ってくれれば、とても良いことだと思う」と応じた。

 教授は、中国の宇宙開発を主導した著名なロケット工学者、銭学森氏の親類にあたるが、「実は会ったことがありません。もちろん、彼が有名な科学者だとは知っていましたけれど」と打ち明けた。
ノーベル賞に「父」あり 名大・平田研究室の放任主義
2008年10月10日17時1分
http://www.asahi.com/science/update/1010/NGY200810100008.html?ref=rss
 ノーベル化学賞受賞が決まった下村脩さん(80)が「一番の恩師」と慕う故平田義正氏(元名古屋大名誉教授)。下村さんにウミホタル研究を勧め、のちにライフワークとなる「光る生物の謎」と引き合わせた。01年ノーベル化学賞の野依良治・理化学研究所理事長を、29歳で京都大助手から名大助教授に引き抜いたのも平田さん。いま改めて脚光を浴びている名大の有機化学研究の伝統は、名伯楽の「いい意味の放任主義」なくしては語れない。

 平田さんは1915年、山口県生まれ。東京帝国大理学部を卒業し、54年に名古屋大教授として研究室を構えた。動植物から特異な働きを持つ天然物質を高純度で取り出す技術に優れ、フグ毒テトロドトキシンの大量抽出の成功で64年度朝日賞が贈られた。

 研究に使ったフグの卵巣は、大阪の料亭などから残り物をドラム缶単位で取り寄せた。その処理をよく手伝った妻久子さん(91)は「においがひどくて、着替えても帰りの電車に乗るのが後ろめたかった」と思い出す。

 そうやって夫妻が取り出したフグ毒は、分子構造を調べる学生に惜しみなく使わせた。「学部生も教員も対等な研究者として付き合う雰囲気があった。それに、平田先生は本当に抽出や分析機にかける実験が好きだったんですよ」と、平田さん退官時に論文集をまとめた山田静之・名大名誉教授(75)はほほえむ。

 平田さんはよく、研究室前の廊下にござを敷き、採取した植物や木の実を選別していた。泥のついたズボン、腰には手ぬぐい。「お客さんから『おじさん、平田教授はどちらに』と尋ねられ、ニヤニヤしながら『私です』と答えることもあった」

 口べたで、学内政治には関心を持たず、純粋に研究に打ち込んだ。「ストイックでシャイなところは下村さんも同じ。2人は気が合ったと思う」と山田さん。
下村さんにウミホタル研究を指示したように、いったん学生にテーマを与えたら、その後はあまり干渉せず「いい意味の放任主義」(山田さん)だった。

 下村さんはこんな風に振り返る。「先生は朝真っ先に来て、会議や講義以外のときはいつも大部屋で実験していた。何を教えてもらったというよりも、環境がいいと、学生たちは自然に習うんだ」

 平田研究室で助教授を務めた米コロンビア大名誉教授・中西香爾さん(83)は「新しい学生に与えるテーマが、ビッシリ書かれたノートがあったと聞いている。テーマが面白かったから、学生も全力を尽くして伸びたんでしょう。ただ、人を見る目は鋭かった。野依さんを引き抜いたのも、眼力でしょう」と話す。

 先進的技術で天然物質の構造を次々と明らかにした中西さんも、米ハーバード大名誉教授で、平田研究室でのフグ毒研究で活躍し、イソギンチャク類の猛毒パリトキシンの人工合成などで知られる岸義人さん(71)も、毎年ノーベル賞の季節に名前が挙がる。

 「お弟子さんたちは本当に立派。私が察するに、平田はたいしてお世話をしなかったと思うけれど」と妻久子さんは謙遜(けんそん)する。受賞直後で多忙な下村さん夫妻を気遣って、まだ電話もかけていない。落ち着いたら、お祝いの手紙を送るつもりだ。(冨岡史穂)
ノーベル賞、賞金減額も 金融危機、財団を直撃
2008.10.9 19:52
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081009/acd0810091954010-n1.htm
 9日付のスウェーデン紙ダーゲンス・ニュヘテルは、世界的な金融危機がノーベル財団の資産を直撃しており、危機が長期化すればノーベル賞各賞の賞金額が減額される可能性があると報じた。
 同紙によると、ノーベル財団の資産は36億クローナ(約504億円)。資産の運用益などから物理学賞、化学賞、文学賞などの賞金として、それぞれ1000万クローナが支出されるほか、授賞式の際の夕食会費用にも充てられる。
 昨年の財団報告では全資産のうち26億クローナが株式などに投資されており、大半を米国で運用。毎年、運用益の一割の再投資が必要だが、金融危機でこの確保が難しければ、賞金額減額も検討されるとの見方を示している。(共同)
ノーベル賞のお知恵拝借 若者合宿、4氏に参加呼びかけ
2008年10月10日19時33分
http://www.asahi.com/science/update/1010/TKY200810100045.html
 アジア各国の若者がノーベル賞受賞者らと交流する「アジアン・サイエンス・キャンプ」(ASC)が来年8月、日本で初めて開くキャンプに、今回ノーベル賞受賞が決まった日本人4人の参加を呼びかける。ASCはアジアから優秀な科学者を育てようと、昨年から始まった。

 発起人で、ASC名誉会長の小柴昌俊・平成基礎科学財団理事長は「科学の発展に夢を抱く若者らを一人でも多く育てる取り組みに力を貸してほしい」と話す。

 ASCは、世界のノーベル賞受賞者を招いて毎年ドイツで開かれているキャンプをモデルに、86年にノーベル化学賞を受けた台湾の李遠哲会長と小柴さんが「アジアの若者にも世界最高峰の頭脳に触れる機会を」と、昨年スタート。1回目は台湾、今年はインドネシアに科学者をめざすアジア各国の優秀な高校、大学生ら数百人を集め、十数人のノーベル賞受賞者や世界有数の学者らとスピーチや討論などを通して1週間にわたり交流した。

 過去2回、日本人受賞者の参加は小柴さんだけだったが、来夏は日本で開くため、小柴さんが過去の受賞者に声をかけたところ、数人から前向きな返答をもらっているという。そこに今年だけで4人の日本人同時受賞の朗報。さっそく招待状を送ることを決めた。

 米国在住の南部陽一郎さんには7日、祝福の国際電話をかけた際、「来年1月のASCの打ち合わせ会議にぜひ来て。飛行機はファーストクラスを用意するから」と申し出たところ、南部さんから「ビジネスクラスでも」などと、前向きの答えをもらった。小柴さんは「アジアから参加する若者らに多くの刺激を与えられるようなキャンプにしたい。小林誠さん、益川敏英さん、下村脩さんにも来てほしい」と意気込んでいる。(森治文)
「たんぱく質に光る目印」 ノーベル化学賞の下村氏
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081007-4686911/20081009_01.htm?from=yoltop
 今年のノーベル化学賞の対象となった蛍光たんぱく質「GFP」は、細胞の中のたんぱく質に“光る目印”をつけることで、その動きや量を観察できるようにした。今では生命科学分野のみならず、病気の仕組み解明や治療法開発につながり、医学分野にも広く使われる強力な武器になっている。(科学部 吉田典之、増田弘治、木村達矢)

医学で幅広い応用 研究者の強力な武器に
がん細胞観察やアルツハイマー病、「iPS」でも

 「光るたんぱく質―生物科学を導く星」――。スウェーデン王立科学アカデミーは発表資料で、こんなタイトルを掲げ、下村脩さんが発見したGFPの重要性を強調した。

 京都大の山中伸弥教授が2006年に開発した新型万能細胞(iPS細胞)にも、GFP技術は使われている。iPS細胞はさまざまな臓器や組織の細胞に成長できるため、パーキンソン病や糖尿病などの治療に役立つと期待される。

 iPS細胞は皮膚細胞に3〜4種類の遺伝子を組み込むと、約1万個に1個の割合で作られる。山中教授は万能性を持つ細胞を見分けるため、万能細胞で働く「Nanog(ナノグ)」というたんぱく質が働いたときに、同時にGFPも作られるようにした。つまり、光る細胞を選べば、万能細胞に近い細胞を集めることができるわけだ。

 しかし、GFP技術が実用化されるまでは、こうはいかなかった。たんぱく質はそのままでは通常の光学顕微鏡で見ることができないからだ。それまでの生命科学では細胞内のたんぱく質を調べるのに、細胞や組織をすりつぶして、たんぱく質の種類や量を計測するしかなかった。だが、当然、細胞は死んでしまう。

 岡野栄之・慶応大教授(再生医療)も「iPS細胞を神経細胞に変化させる時にもGFPは欠かせない。今やGFPがなければ再生医療の研究はまったく進まない」と指摘する。

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 細胞中の特定のたんぱく質にGFPを結合させれば、そのたんぱく質が細胞の中でどう移動するかも顕微鏡で観察できる。この方法は「分子イメージング」と呼ばれ、さまざまな研究に使われている。上村大輔・慶応大教授(生物有機化学)は「今日の分子イメージング技術の根幹をなす重要な研究だ」と称賛する。

 これで生化学だけでなく、生物学、医学などの研究者は、強力な研究手法を手に入れた。増殖するがん細胞やアルツハイマー病の神経細胞が死んでいく様子なども観察できるようになった。

 GFP遺伝子を組み込んだ細胞をマウスの受精卵に組み込むと、体の一部が光るマウスを作ることもできる。大阪大微生物病研究所では1997年、GFP遺伝子をマウスの遺伝子に組み込み、世界で初めて「光る哺乳類」を作ることに成功した。この技術はいま、細胞の移植実験の手法として広く使われている。

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 これほど応用が進むGFPだが、その発見のきっかけは驚くほどあっけない。

 下村さんがオワンクラゲの研究を開始したのは61年。留学先の米プリンストン大学のフランク・ジョンソン博士に誘われ、「OK、やりましょう」と軽い気持ちで引き受けたという。

 下村さんがGFPを最初に報告したのは、62年だ。当初は単に「きれいに光るたんぱく質」としてしか、学界から見られていなかった。だが、90年代になり、遺伝子工学技術が発展した結果、GFP遺伝子を細胞やたんぱく質の識別に使えるようになり、一挙に脚光を浴びるようになった。
オワンクラゲ――ホタルとは違った発光メカニズム

 下村さんのノーベル化学賞受賞の成果に結びつく研究に使ったオワンクラゲは発光クラゲの仲間。日本近海でも、春から夏にかけて、ふつうにみられる生き物だが、体から怪しく発する光に意外な秘密があった。

 オワンクラゲは、お椀を逆さにしたような透明な体で、刺激などを受けると、お椀の縁の部分を緑色に光らせる。敵をひるませたり、メスを呼び寄せたりするための光と考えられている。

 光を発する生物の代表格として知られているのはホタルだ。下村さんが、オワンクラゲの「発光物質」を見つける以前から、ホタル発光の仕組みは解明されていた。しかし、オワンクラゲの発光メカニズムはホタルとは決定的に違っていた。

 ホタルのおしりは、ルシフェリンと呼ばれるたんぱく質が体内でルシフェラーゼという酵素と化学反応することで青白く光る。下村さんは当初、オワンクラゲでも同じ仕組みで光ると考え、ルシフェリンの抽出を試みた。ところが、いくら実験を繰り返してもルシフェリンは見つからなかった。

 後に分かったことだが、ホタルがルシフェリンとルシフェラーゼの二つの物質がそろわないと光を出せないのに対し、オワンクラゲは、紫外線を当てるだけで単独でも緑色に光る蛍光物質「GFP」を持っていた。

 下村さんはまず、発光物質として「イクオリン」というたんぱく質を抽出した。だが、イクオリンが出す光は青色。「クラゲが出す緑色の光との違いは何なのか」。下村さんは探究を進め、緑色に光るもととなるGFPを発見した。GFPは、イクオリンの青色の光を受けて緑色に光っていたのだ。

 このGFPを、細胞内の目的のたんぱく質に結合すれば、たんぱく質が細胞内でどう動くか紫外線を当てれば観察できる。イクオリンが光るにはカルシウム・イオンが必要だが、単体で光るGFPは使い勝手がよく、応用が一気に広がった。
益川さん講義 学生倍増 受賞決定後初
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/topics/20081009-OYO8T00476.htm
 益川敏英さん(68)が9日、京都市北区の京都産業大で、受賞決定後、初の講義に臨んだ。

 午前9時からの1年の理学部専門科目「振動と波B」で、出席した学生は約40人と、受賞前の講義に比べて倍増した。冒頭、教え子の大学院生から花束を贈られると、益川さんは笑顔を見せた。

 学生らによると、講義のほとんどはノーベル賞の話で、益川さんは「8割は(賞を)取れると思ったが、生意気だから言わなかった」などと話し、学生を笑わせていたという。

 益川さんは講義後、学生が増えたことについて「一過性の社会現象。1週間で減少するだろうし、社会現象として見たときの説明の仕方を考え、増えた理由も考えて楽しみたい」とちゃめっ気たっぷりに話していた。
(2008年10月9日 読売新聞)
ノーベル賞の南部さん、文科省の集計では「米国人」
2008年10月15日20時38分
http://www.asahi.com/national/update/1015/TKY200810150304.html?ref=rss
 ノーベル物理学賞の受賞が決まった米シカゴ大名誉教授の南部陽一郎さん(87)=米国籍=について、文部科学省は、ノーベル賞受賞者数の国別集計では「米国」に入れることにした。しかし、国民的な受け止め方を踏まえて通常は日本人とし「今年の日本人受賞者は4人」などの表現をとることにもした。

 これまで受賞時の国籍(二重国籍者は出生国)で数えており、ルールを変えると混乱すると判断した。日本は二重国籍を認めていない。

 国別受賞者数は国によって数え方がまちまち。ノーベル財団は「受賞者の国籍はまったく考慮していない」として国別の集計は出していない。文科省は「国別集計はそもそも正式な統計ではない」としている。

 南部さんは東京生まれ、東京大を卒業後、大阪市立大教授となり、52年に渡米。70年に米国籍を取得した。現在は大阪市立大名誉教授でもあり、招へい教授を務める大阪大に研究室をもち、大阪府豊中市に自宅もある。
ノーベル賞の下村氏を名誉会員に 日本化学会
http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008101701000729.html
 日本化学会(中西宏幸会長、会員数3万2000人)は17日、今年のノーベル化学賞に選ばれた米国在住の下村脩・ボストン大名誉教授(80)に、名誉会員の称号を贈ることを決めたと発表した。

 来年3月下旬に千葉県船橋市で開かれる同会の春季年会に下村さんを招き、記念講演などを開催する計画。

 同会によると、下村さんは長崎医科大(現長崎大)を卒業後の1953年に同会に入会し、現在は永年会員。これまで同会から学会賞などの賞を受けたことはないという。
ノーベル賞・益川教授の読売掲載写真、共同通信が無断使用
 共同通信社が、5年前に読売新聞に掲載された写真を無断使用し、配信していたことがわかり、読売新聞大阪本社は共同通信社に抗議した。


 共同通信社は「著作権を侵害したことをおわびする」と謝罪した。

 ノーベル物理学賞の受賞が決まった京都産業大教授の益川敏英さんの写真で、京都大構内で両手を広げる益川さんを、読売新聞記者が撮影し、2003年6月28日夕刊に掲載された。

 共同通信社の説明などによると、今月7日、大阪支社写真映像部記者が自宅で家族から提供を受けて撮影した。同席していた読売新聞記者が、写真に読売新聞が贈呈したことを示す刻印があるのを見つけて指摘。共同通信記者は、電話で上司に報告したが、正しく伝わらず、上司は記者に十分確認しないまま配信したという。写真は産経新聞大阪本社発行の8日朝刊に掲載された。

 二藤部義人・共同通信社ビジュアル報道センター長の話「著作権についての指導・教育を徹底し、再発防止に努めます」

(2008年10月17日03時01分 読売新聞)
【言いたい】ノーベル賞受賞「科研費もっと増額を」94%
2008.10.16 17:52
http://sankei.jp.msn.com/life/education/081016/edc0810161753002-n1.htm
 最新ニュースについて、ご意見をネットで募集するコーナーです。10日の紙面で募集したテーマ「ノーベル賞受賞」について14日までに2498人(男性2164人、女性334人)から回答がありました。主な意見は次の通りです。
(1)科学研究費をもと増やすべきだと思いますか
YES→94% NO→6%
(2)日本の理工系の研究は国際的に高いレベルにあると思いますか
YES→60% NO→40%
(3)子供の理数教育を充実すべきですか
YES→96% NO→4%
 ■理系人材育成は国益
 島根・男性会社員(36)「日本は技術立国なので、理工系の優秀な人材を育てることは国益にかなう。真に優秀な人材を育成するには時間と資金がかかる。今の風潮では教育面に対しても市場経済の原理が導入され、効率と実益が重視されがちだ。そのため巨額の費用を科学研究だけに回すのは難しい。基礎科学の分野で優秀な頭脳が海外に流れる傾向は続くと思う」 
 愛媛・男性元大学教授(68)「科学研究費(科研費)は、ある特定のグループや特定の人が独占していることが問題だ。能力のある研究者にある程度の研究費が届くようにしないと、日本全体のレベルが上がらない」

 ■教育水準の底上げ必要
 山口・男性公務員(37)「今回の日本人ノーベル賞受賞者の功績は、あくまで数十年前の研究が対象だ。現在、高等教育機関にいる研究者が相対的に見て高水準の研究レベルにあるかどうかは疑問だ。日本の教育・研究水準レベルの底上げを真剣に考えるのであれば、高等教育のみならず教育全体にかかわる国の予算配分を見直し、教育関係の予算を大幅に増やす必要がある」
 東京・男性会社員(36)「数年前まで国立研究機関で助教職だった。研究費増も大切だが、バックアップする秘書職なども必要だ。教授が助教、准教授に雑用を回すというサイクルをなくさないと優秀な研究者はつぶされてしまう」
 ■理科の実験に時間を
 奈良・女性自営業(46)「今の子供は自然に触れる機会が少なく、疑問を持っても答えをせかされてゆっくり考える暇もない。理科の授業くらいはせめて3分の1は実験、観察に充て活発な意見交換ができるような環境が必要なのでは。バーチャルゲームで体験したような気になっていることは恐ろしい」
 アメリカ在住・男性団体職員(30)「アメリカは優秀な人材が高いレベルの教育を受け、さらに能力を発揮できるのに対し、日本は平均点は高いが本当に優秀な人材も平均値に埋もれてしまうシステムになっている。教育システムの是正が課題だ」
日本人ノーベル賞続出で気もそぞろのこの人たち
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=10&id=635757

 物理学賞の3人に続いて化学賞を下村脩氏が受賞。来年から日本人のノーベル賞受賞者が量産されそうな雰囲気だ。そんな中、「来年は誰が取る?」という気の早い声も聞こえる。有力候補者は誰なのか。工学博士の秋元格氏に聞いた。

「一番可能性が高いといわれるのが大阪大の審良静男氏。病原菌を撃退する自然免疫力の機能を解明した人で、医学生理学賞が期待されています。このほかに有力なのが信州大の遠藤守信氏で、炭素繊維の元である“遠藤ファイバー”を開発。日本より海外で有名です。また、北大の鈴木章氏は医薬品の構成要素を作るのに有効な反応である“鈴木・宮浦カップリング”を開発。医薬品の製造効率を高めました。遠藤・鈴木両氏は化学の分野です」

 このほか物理学賞では中沢正隆氏。光ファイバーにエルビウムを添加することで光の増幅効果を向上させた。

 10日の新聞各紙で新型万能細胞(iPS細胞)を安全に作製する手法を開発したと報じられたのは京大の山中伸弥氏。皮膚から臓器の組織をつくる可能性を開いた人物だ。名城大の飯島澄男氏も有力候補。次世代テレビの画面に応用されるカーボンナノチューブを発見した。

「青色発光ダイオードで有名な中村修二氏は、特許権の譲渡などで訴訟を起こしたことが受賞のネックになりそうだといわれています」(科学ジャーナリスト)

 一方、文学賞ではやはり村上春樹氏だ。

「今年は賞を逃したけど、06年にフランツ・カフカ賞を受賞してから毎年候補に挙がっている。彼ほど作品が海外で翻訳されている日本人はいないので、来年も候補になるのは間違いない」(出版関係者)

 経済学では計量経済学の権威であるスタンフォード大教授の雨宮健氏が有力。こうなると、平和賞を狙う創価学会の池田大作名誉会長なんか気もそぞろだろう。

 来年は何人が取りますか――?

(日刊ゲンダイ2008年10月11日掲載)
(1)ILC「ノーベル賞」で急加速

 ノーベル賞の「日の丸」4本は、久しぶりの明るいニュースだった。未曽有の経済危機の中、未来を切り開く科学技術への期待は高い。科学技術創造立国・日本の抱える課題を、科学研究の「評価」という視点でとらえ、明日を展望することから、連載を始めたい。

政治主導 見えぬ評価
 長さ40キロもある直線の地下トンネルで、光速近くまで加速した電子と陽電子を衝突させ、宇宙誕生の「ビッグバン」を再現する――。国際リニアコライダー(ILC)は、世界の素粒子物理学者が構想する次世代の大型加速器だ。質量の起源となるヒッグス粒子の性質を突き止め、宇宙の進化の謎を解くと期待される。

 ILCの建設費は現在の見積もりで8000億円。米国は一時期、誘致に前向きだったが、巨費に二の足を踏む。文部科学省もILCには消極的だった。

 そんな中、日本の素粒子分野の3氏が、物理学賞を独占した昨年のノーベル賞は、ILCを巡る状況を大きく変えた。

 「物質の起源を探るILC建設に、日本政府として本格的に取り組む時が来た」。ノーベル賞の興奮がさめやらぬ、発表翌日の10月8日。河村建夫官房長官は定例記者会見で、唐突にILCの国内誘致に前向きな姿勢を表明した。

 同月10日の閣僚懇談会でも与謝野馨経済財政相は「日本の得意分野を強化するため、総理にもぜひ理解いただきたい」と発言した。

 ILCは2020年頃の稼働を目指しており、誘致の決定はまだ数年先。文部科学省に事前の話はなく寝耳に水だった。

 政府中枢の政治家が一つの科学計画に立て続けに言及するのは異例で、影響力は大きい。ILCが一躍脚光を集めたことは、皮肉なことに、科学の大型計画をどう「評価」し「選択」するのか、システムの不在を浮き彫りにした。


 与謝野経財相や、河村官房長官、鳩山由紀夫民主党幹事長らは昨年7月、国の動きに先駆けて、ILC誘致を推進する超党派の議員連盟を結成した。

 素粒子物理学者たちは、議員側と接触を重ねていた。議員を加速器施設の見学に招いたり、若手研究者と議員秘書らが、誘致についてひざをつきあわせ、議論を重ねたりしていた。働きかけは功を奏しつつあった。

 素粒子分野のノーベル賞は、河村官房長官がILC誘致を提起して、議論を巻き起こす絶好の機会だった。

 駒宮幸男・東京大素粒子物理国際研究センター長は「若い人に夢を与え、派生技術が日本に残る。何より世界の頭脳が日本に集まる。実現には政治家のイニシアチブが必要」と強調する。

 昨年6月には三菱重工業、東芝、日立製作所などが参加した先端加速器科学技術推進協議会も発足。産業界にも期待が広がる。大型計画は、科学研究の大義とは別に、巨大な公共事業という側面も持つ。

 だが、未曽有の経済危機で、研究費全体の伸びが期待できない中、科学者たちも「他人の財布」に無関心ではいられない。「一部の研究者が政治家を頼って、公共工事のようにILCを進めたら、素粒子以外の予算が削られ、影響は避けられない。日本の科学は崩壊する」と、批判の声が上がる。

 一方、文科省でも、研究者が政治家に頭越しに働きかけたことへ反発が残る。

 政官学の思惑がバラバラな中、大型計画を幅広い視野から評価し、より公平に選ぶための模索も始まった。

 「学者同士が、学術的な必要性を本気で議論してこなかった。分野を超えて大型計画を比較し、メッセージを発していくことが大切」。日本学術会議の金沢一郎会長は、過去の反省を込めてこう語る。

 同会議は昨年10月、「大型研究計画検討分科会」を設けた。メンバーの大垣真一郎・東京大教授(都市工学)は「巨額な税金を投入する大型研究の推進には、社会の理解が欠かせない。透明で中立的な立場で全体を見据え、国民や政治家が、正しく判断できる材料を提供したい」と意気込む。だが、早くも「批判合戦では科学全体がダメになる」と懸念の声も出ている。

 社会への説明責任がこれまで以上に問われる中、科学者の世界を代表する機関の意義も問われている。

(2009年1月11日 読売新聞)
米ラスカー賞:iPS初作成、山中氏に−−ノーベル賞登竜門
http://mainichi.jp/select/world/news/20090915ddm041040025000c.html
 米アルバート・アンド・メアリー・ラスカー財団は14日、今年のラスカー賞を、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を世界で初めて作成した山中伸弥・京都大教授(47)ら6人に授与すると発表した。日本人の受賞は6人目。

 同賞は1946年に始まり、京大によると過去の受賞者約340人のうち76人がノーベル賞を受賞し「ノーベル賞の登竜門」と言われている。

 山中教授は06年、マウスの皮膚細胞に四つの遺伝子を導入することで、さまざまな組織に分化する能力を持ったiPS細胞を作成することに成功、その後人間の細胞でもiPS細胞を作成した。分化した細胞を受精卵に近い状態に戻す「初期化」のプロセスを切り開いた英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士(76)とともに、ラスカー賞の「基礎医学研究賞」受賞が決まった。山中教授は記者会見し「ガードン先生はこの分野の“研究の父”。同時受賞はうれしい」と語った。【曽根田和久】
fMRIの小川・東北福祉大特任教授、ノーベル賞有力候補に
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/research/20090925-OYO8T00843.htm
 米国の情報提供会社トムソン・ロイター(本社・ニューヨーク)は24日、今年のノーベル賞の有力候補25人を発表した。脳の活動状態などを視覚化できる機能的磁気共鳴画像(fMRI)の基本原理を発見した小川誠二・東北福祉大学特任教授(75)が、生理学・医学賞の候補に挙げられた。同社は、論文が他の論文に引用された頻度などを分析して有力候補者を毎年発表している。
(2009年9月25日 読売新聞)
アナリストの視点(国内株式):ノーベル賞を狙う――iPS細胞、fMRI、ナノチューブ
http://www.morningstar.co.jp/portal/RncNewsDetailAction.do?rncNo=116329
 週明けの東京株式市場は、藤井裕久財務相が為替への介入に対して、改めて否定的な姿勢を示したことから、東京外国為替市場では1ドル=88円23銭と、1月23日の円高水準まで進んだことを嫌気して、主力輸出関連株中心に下落。一時、日経平均株価で1万円の大台を割り込んだ。また、亀井静香金融担当相は中小企業の借入金について、元利金とも返済を3年延長する「平成の徳政令」を打ち出しており、銀行株売りが継続中。しかも、銀行、証券などの金融機関にはBIS(国際決算銀行)による新たな自己資本基準強化で普通株の増資が意識され、先週発表した野村ホールディングス <8604> の大型公募増資をきっかけにした、増資ラッシュという懸念が台頭している。

 武者リサーチの武者陵司代表は「グローバル的な景気回復、株価上昇は継続している。日経平均株価で1万円を割り込んでも、大きく底割れすることはない。民主党の政策も徐々に市場に向いてくる」と比較的楽観的だ。確かに不透明な為替動向で右往左往しても仕方がなく、今後の材料を考えた方が前向きに対処できる。例えば、この欄でたびたび紹介してきた2016年夏季五輪候補地(現地10月2日に決定)。事前に盛り上がりに欠けた分、東京に決定すれば「ポジティブサプライズ」になるが、これは神のみぞ知る―といったところ。

 今、足元で静かに進行しているにはノーベル賞関連株。今年は10月5日の医学生理学賞、6日の物理学賞から順次発表される。最初の医学生理学では再生医療のiPS(人工多能性幹=いわゆる万能細胞)を世界で初めて樹立した京都大学の山中伸弥教授や、MRI(磁気共鳴画像装置)を利用して脳の活動を画像化するfMRIという方法の基本原理を発見した東北福祉大学の小川誠二特任教授の2人が有力候補。物理学賞としてはカーボンナノチューブの生みの親の飯島澄男・名城大学教授。このほか、作家の村上春樹氏が文学賞の有力候補とされる。

 関連銘柄では再生医療で細胞、遺伝子関連でメディネット <2370> 、アンジェス MG <4563> 、田辺三菱製薬 <4508> 、日本ケミカルリサーチ <4552> 、日立メディコ <6910> にも注目したい。日立メディコはMRI関連でもある。

 また、飯島氏は91年に炭素原子で構成されるサッカーボール状の微細な管状物質を発見。当時はNEC筑波研究所に勤務しており、NEC <6701> の株価にも影響を与えそうだ。また、カーボン・ナノチューブ関連ではGSIクレオス <8101> が燃料電池向け触媒として量産化。このほか、ノーベル賞有力候補として、米カルフォニア大サンタババーラ校の中村修二教授。同教授はLED(発光ダイオード)関連。また、東京大学大学院の十倉好紀教授は超伝導関連、九州大学大学院の新海征治教授は医学分野のナノテクノロジー(超微細技術)関連だ。

 一方、過去のノーベル賞受賞と株価の関係を調べてみると、2002年の物理学賞で小柴教授が受賞した時には浜松ホトニクス <6965> が話題に上がった経緯がある。同社が同教授のニュートリノの開発施設を提供したことが背景。また、同年の化学賞受賞の田中耕一氏は島津製作所 <7701> の社員。島津製は田中氏の受賞後、株価は7連騰(02年10月11日−21日)。この間の上昇率は72.4%に達した。さらに、01年は名古屋大学の野依良治教授(=当時)による化学賞受賞で高砂香料 <4914> の株価が急騰。

 ノーベル賞受賞というビッグニュースで新規取引先の開拓など売上増に結びつくという思惑が浮上する。実際、島津製は田中氏が株価を刺激したあとも順調に右肩上がりを続けた。ノーベル賞受賞が株式市場にも大きな影響を与えているというわけだ。なお、受賞者には1000万クローネ(約1億3000万円)の賞金が与えられる。
(阿部 秀司)
パンダのふんで生ごみ分解 日本人にイグ・ノーベル賞
http://www.asahi.com/science/update/1002/TKY200910020171.html

 【ワシントン=勝田敏彦】ユーモアにあふれた科学研究などに贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式が1日、ボストン近郊のハーバード大であった。パンダのふんから抽出した細菌を使って台所の生ごみを分解、9割減量する研究で、北里大の田口文章名誉教授と共同研究者2人が生物学賞を受賞した。

 授賞式に出席した田口名誉教授は「パンダは見かけもユーモラスだが、ふんもほかの動物のふんとはかなり違う。主食のササの成分がほとんど消化されずに出てくるので、実はほとんど悪臭はない。実験はとても美しいのです」とユーモアたっぷりに英語であいさつした。

 授賞式は劇仕立てになっており、あいさつのあとに計画されていた実験のデモンストレーションが、悪臭モニターが作動したため中止になる、という演出もあった。

 AP通信によると、ほかの受賞者の「功績」は、名前を付けられた乳牛は付けられなかった乳牛よりも乳の出が良いことを示した研究(獣医学賞)、メキシコの蒸留酒テキーラからダイヤモンドを作る研究(化学賞)などだった。
ノーベル賞:どう選考? 権威生む「秘密」50年後に公開
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20091003dde041040018000c.html
 科学者にとって最高の栄誉、ノーベル賞の季節がやってきた。08年は日本生まれの科学者4人の受賞ラッシュに沸いた。しかし、発表当日まで受賞者に通告はなく、選考過程は50年間非公開。徹底した秘密主義がその権威を高めている。【元村有希子、関東晋慈】

 ■毎年300人の推薦

 受賞者の最終決定は各賞の選考機関が設置する少人数の委員会が受け持つ。

 毎年9月、各委員会は過去の受賞者や大学教授ら約3000人に推薦依頼状を発送。翌年1月末に締め切り、250〜300人の候補者を絞り込む。最終選考は発表日当日、数人から多数決で選ぶ。ノーベル財団のオキュスト副理事長は「我々は新分野の開拓者にこだわる」と話す。

 推薦依頼状を受け取ったことがある日本人研究者は「誰を推薦するか、他の研究者と話し合うことは禁じられていた」と語る。

 推薦されながら受賞しなかった日本人は多い。細菌学者の北里柴三郎は第1回医学生理学賞の有力候補、野口英世は3度候補になった。病理学者の山極勝三郎は、当時論争のあった発がん機構で「寄生虫原因説」を唱えたデンマークの科学者に敗れた(その学説は後に否定)。こうしたドラマも、選考50年後に資料が公開されて初めて明らかになる。

 ■前兆はあるの?

 秘密は候補者本人に対しても守られる。02年に化学賞を受けた島津製作所の田中耕一フェロー(50)は発表当日、ノーベル財団からの電話を直接受け「どっきりカメラかと思った」と語った。

 医学生理学賞(87年)の受賞者、利根川進・理化学研究所脳科学総合研究センター長(70)は受賞の数年前、スウェーデンに招待された。同賞の選考機関、カロリンスカ研究所でくつろいでいると、カメラマンに多数の写真を撮られた。「今思えばあれが調査の一環だったかな」と笑う。

 08年、物理学賞を受賞した小林誠・高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授(65)の場合、発表日前日に小林さんの所在を尋ねる国際電話が、スウェーデンの大学関係者の家族を名乗る人物から同機構にかかった。「いよいよ来るぞと緊張した」と広報担当者。

 ■今年は誰が?

 「ノーベル賞の登竜門」と言われる、国際的な賞もある。

 1946年創設で、343人の受賞者中76人が後にノーベル賞を受けた米の「ラスカー賞」。08年は高脂血症治療薬「スタチン」を開発した遠藤章・東京農工大特別栄誉教授(75)、今年はiPS細胞(人工多能性幹細胞)を作った山中伸弥・京都大教授(47)が受賞した。

 米の「ベンジャミン・フランクリンメダル」は、炭素でできた極細素材「カーボンナノチューブ」を発見した飯島澄男・NEC特別主席研究員(70)、青色発光ダイオード(LED)の量産技術を発明した中村修二・カリフォルニア大教授(55)らが受けた。イスラエルの「ウルフ賞」や日本の「日本国際賞」もノーベル賞受賞者を生んだ。

 また、米の文献データ会社が論文の被引用数などから選んだ「今年の有力候補」25人の中に、今年は、脳の働きが時間とともにどう変わるのかが分かる機能的MRI(磁気共鳴画像化装置)の手法を開発した小川誠二・東北福祉大特任教授(75)が入った。

 今年の自然科学3賞の発表は、5日医学生理学賞▽6日物理学賞▽7日化学賞だ。さて、栄冠は誰の頭上に?

==============
 ◇著名な賞を取った日本人科学者◇

 (文部科学省などの資料を基に作成)

=敬称略。◎印はノーベル賞受賞

 ◆ラスカー賞(米国)

82年 花房秀三郎

87 ◎利根川進

89  西塚泰美

98  増井禎夫

08  遠藤章

09  山中伸弥

 ◆ウルフ賞(イスラエル)

84/85  小平邦彦

86     早石修

87     伊藤清

94/95  西塚泰美、

      ◎南部陽一郎

00    ◎小柴昌俊

01    ◎野依良治

02/03  佐藤幹夫

 ◆日本国際賞(日本)

88  蟻田功

96  伊藤正男

97  杉村隆、吉川弘之

98 ◎江崎玲於奈

00  石坂公成

03  小川誠二

04  本多健一、藤嶋昭

05  長尾真、竹市雅俊

06  遠藤章
飛行機の上?真夜中の電話?ノーベル賞受賞者が受賞を知る瞬間
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2649441/4719433
【10月5日 AFP】今年のノーベル賞の発表は5日から始まる。受賞の知らせはいつも突然、大きな驚きとしてやってくる。

 1998年に生理学・医学賞を受賞した米国のルイス・イグナロ(Louis Ignarro)氏は受賞を知らされた瞬間を振り返り、「からかわれているのかと思った」とノーベル賞のウェブサイトに語っている。

 フランス・ニース(Nice)の空港で、空港職員が「米国の同僚からの電話」を取り次いだ。電話に出ると同僚は「調子はどうだ?天気はどうだ?」などたわいのないことを尋ねてきた。イグナロ氏はいつもその同僚にからかわれていたため、「順調だが、急いで搭乗しないといけないから、ナポリ(Naples)に着いてからかけ直してもいいか?」と言うと、「構わないが、その前に伝えることがある。きみはノーベル賞を受賞した」と告げたという。直後に電話は突然切れ、イグナロ氏は不安な気持ちのまま搭乗。イタリアに着いてからようやく、別の同僚によって知らせが真実だったことを確認した。

 受賞者のほとんどは、ノーベル委員会のあるスウェーデン・ストックホルム(Stockholm)またはノルウェー・オスロ(Oslo)から受賞を知らせる電話を公式発表の数分前に受け取る。受賞者が地球の裏側にいれば、真夜中に電話が鳴ることになり、これがしばしば受賞者に恐怖を与えている。

 1998年に経済賞を受賞したインドのアマルティア・セン(Amartya Sen)氏もその一人だ。「何か恐ろしい悲劇が起こったに違いない」と身の縮む思いをしたと、うれしいニュースを知らせた電話が鳴ったときのことを振り返る。

 情報漏洩を防ぐためノーベル委員会は受賞者にできるだけ直前に知らせるようにしている。しかし2004年、ケニアのワンガリ・マータイ(Wangari Maathai)氏は公式発表の15分前にAFPの記者に対し、平和賞の受賞が決まったことを明かしている。

 受賞者を探すのは通常、骨の折れる作業だが、2005年に生理学・医学賞を共同受賞したオーストラリアのロビン・ウォレン(Robin Warren)氏とバリー・マーシャル(Barry Marshall)氏の場合はそうでもなかった。ノーベル委員会のハンス・ジョーンバル(Hans Joernvall)氏は共同受賞の場合にいつもするように、まず年長の受賞者であるウォレン氏に電話した。同氏に受賞を告げた途端、「バリーと話しますか?」と聞かれたのだという。2人は毎年生理学・医学賞の発表の際には「受賞できなかったことを互いに慰め合う」ため決まったパブで飲むことにしており、ちょうどその時に受賞を知らせる電話があったのだという。(c)AFP/Marc Preel
ガスマスクになるブラジャー、イグ・ノーベル賞受賞
2009年 10月 2日 17:39 JST
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-11773720091002
 [ワシントン 1日 ロイター] ユーモアがあり、かつ意義深い科学的研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式が1日に行われ、素早くガスマスクに変えることができるブラジャーの考案者などに賞が贈られた。

 「公衆衛生賞」を受賞したこのブラジャーは、イリノイ州ヒンズデールのエレナ・ボドナーさんらが考案し、特許を取得したもの。素早く2つのガスマスクに変えることができるため、ブラジャーを着けていた本人が使うほか、近くに必要とする人がいれば手渡すことができる。

 「文学賞」には、ポーランド語で運転免許証を意味する「Prawo Jazdy」を人の名前だと勘違いし、この名前で50枚以上の交通違反切符を切ってしまったアイルランド警察が選ばれた。
ノーベル賞ブームに乗るスイス
http://www.swissinfo.ch/jpn/news/feature/detail.html?siteSect=119&sid=10752087&rss=true&ty=st
これまでに、スイスほど人口比で多くのノーベル賞受賞者を輩出した国はない。第1回目授与の1901年以来、24人ものスイス人がこの学問最高峰の賞を受け取った。これは偶然だろうか?

スイス人のノーベル賞受賞については、8月1日の建国記念日の演説でよくテーマになり、スイス連邦政府の政策により、国際貿易を奨励するスイス貿易振興会 ( Osec ) も、海外の企業や人材をスイスに誘致する際の宣伝に利用している。
スイス人受賞者の統計

 エクゼクティブ教育を行っている、ローザンヌのビジネススクールIMDは、スイス人の人口100万人に対して1.111人がノーベル賞を受賞しているとの統計を出した。これは、1950年から2001年の間の、物理学、化学、生理学・医学、経済学の部門での受賞者を対象にしている。

 この「ノーベル賞受賞数値」はイギリスは0.840人、アメリカは0.713人、ドイツは0.341人、フランスは0.187人と僅かだ。
そもそも「スイス人」受賞者とは?

 しかしながら、これは数ある中の一統計にすぎない。なぜなら「スイス人ノーベル賞受賞者」という概念自体が曖昧だからだ。この「スイス人受賞者」とは、実際にスイスに住んで、研究した人を指すのか、出生地がスイスという人を指すのか、もしくは、スイス国籍を所有している人だけが人数に数えられるのか。

 スイスのパスポートを所有しているが、スイスには実際に住んだことがないという受賞者は含まれるのか。戦時中は、自分の意志に反してスイスに移住せざるを得ず、たまたま国籍を得た研究者もいるだろう。これらの事実を考慮に入れると、「スイス人」受賞者の数は違ってくる。
明白な24人と境界線上の3人

  歴史学者、ローランド・ミュラー氏はウェブサイトで、この疑問に答えている。彼の見解では、スイス人ノーベル賞受賞者は、受賞時に実際にスイス国籍を所有していた24人としている。

 曖昧な例としては、生涯をイギリスとアメリカ合衆国で送ったが、父親がスイス人だったために、出生時にスイスの国籍を獲得した、物理学者のポール・ディラック氏だ。そして、ヴォルフガング・パウリ氏。彼も物理学者であったが、1945年の賞受賞後にツォーリコン ( Zollikon ) の役所を通して住民として迎えられ、スイス国籍を得た ( スイスでは、地域の役所が市民権及び、国籍を与える権限を持っている ) 。

 ほかの例としては、1988年にノーベル物理学賞を受賞したジャック・シュタインベルガー氏だ。彼は1968年以来、ジュネーブの「セルン ( 欧州合同素粒子原子核研究機構・CERN ) 」で研究をし、2000年にスイスに帰化した。最後にコフィー・アナン氏の逸話について。彼は、2001年にノーベル平和賞を受賞し、同年にジュネーブの名誉市民として迎えられた。それ以来、彼もいわゆる、「スイス人」である。 

 さらには、1910年から1981年の間に、スイスに本部がある9つの組織団体にノーベル平和賞が贈られた。
スイスとつながりが深い100人以上の受賞者

 ほかの例として、18人もの外国人ノーベル賞受賞者が、スイスで研究を行い、チューリヒ工科大学(ETH)やその他のチューリヒ、ジュネーブ、バーゼルなどの大学で教鞭を執った。

 加えて、47人もの受賞者が青年期に、ジュネーブやベルン、ルーシュリコン、バーゼルといった場所の、数々のスイスの組織で研究に励んでいた。

 総合すると、100人以上ものノーベル賞受賞者がスイスと深いつながりがある。この、かなりの数値は偶然であろうか?その通りだ、とアールガウ州民でジュネーブとバーゼルで研究活動を行った、ヴェルナー・アーバー氏は言う。彼は、1978年に制限酵素の発見によりノーベル生理学・医学賞を受賞した。彼の業績は、後に遺伝子や生物学上の応用技術に重要な役割を果たすと証明された。このスイスに関連したノーベル賞受賞はおそらく、「予期せずに出た、偶然の結果」だと指摘する。
肥沃な地

  ヴィンタートゥール市民のノーベル化学賞受賞者、リヒャード・エルンスト氏は少々違った見解を持っている。彼は1991年、核磁気共鳴画像法 ( MRI, Magnetic Resonance Imaging ) の開発の業績によりノーベル化学賞を受賞した。彼はスイスのノーベル賞ブームには2つの根拠があるとする。1つ目はスイスが2つの世界大戦に巻き込まれずに済んだことから、全ヨーロッパの優秀な人材を惹きつけたこと。そして、2つ目は
 「スイスには、これまでの過去50年間、優秀な研究者が育ちやすい、素晴らしい環境が整っていたのです。これは短期間で実現できることではなく、長年の国の努力の賜物でしょう」とエルンスト氏は語る。
スイス人は他国の人々より知的なのか?

 スイスで研究した者に授与され、山積したノーベル賞は、特別、スイス人が他国民より知的だという意味でもなさそうだ。例えば、オーストリアといった他国にも、同じくらいの潜在能力を持った人材がいる。しかし、オーストリアは「逸材の流出」に悩まされている。創造的で優秀な人材はこの国では輸出品目なのだ。
 「スイスはこの限りではない。むしろ反対である。経済的な面でも、素晴らしい条件が世界中からの優秀な研究者達を引き寄せる。近頃は、アメリカからも多くの逸材がスイスに集まる」
魅力的な国

 エルンスト氏は、スイスが将来的にもノーベル賞受賞ランキングの上位の座を維持し続けると確信している。
 「スイスは優秀な研究者にとって、依然として大変魅力のある国で、これからもそうあり続けるでしょう」
 と説明する。

 しかし、1991年のノーベル化学賞受賞者、エルンスト氏本人は、ノーベル賞だけが研究結果の勲章ではないと指摘する。
「たくさんの学者が、この学問の最高峰の表彰に値するほどの貢献をし、業績を残しているにもかかわらず、何も手に入らないで終わる場合もあります。これには政治が大きく関与していますし、その時の運にもよります」
 とノーベル賞を獲得できなかった、もしくはまだ獲得できていない学者への慰めともとれる言葉である。

ウルリッヒ・ゴッツ、swissinfo.ch 
(ドイツ語からの翻訳 白崎泰子 )
ノーベル医学生理学賞:米国人3氏に 女性2人が同時受賞
2009年10月5日 18時48分 更新:10月5日 21時31分
http://mainichi.jp/select/today/news/20091006k0000m040022000c.html?link_id=RTH03
 スウェーデンのカロリンスカ研究所は5日、09年のノーベル医学生理学賞を、米カリフォルニア大サンフランシスコ校のエリザベス・ブラックバーン教授(60)、米ジョンズホプキンス大のキャロル・グライダー教授(48)、米ハーバード大のジャック・ショスタク教授(56)の3氏に授与すると発表した。授賞理由は、染色体の末端にある「テロメア」とそれを作る酵素(テロメラーゼ)の機能の発見。テロメアが染色体と細胞を老化から保護する仕組みを解明したことが評価された。自然科学3賞で女性2人が同時受賞するのは初めて。授賞式は12月10日にストックホルムで開かれる。賞金1000万スウェーデンクローナ(約1億2800万円)が3氏に等分される。

 ブラックバーン教授は80年、単細胞の繊毛虫「テトラヒメナ」のDNAを解析し、テロメアの塩基配列を特定。ショスタク教授とブラックバーン教授は、テトラヒメナのテロメアと、人工的に作り出した染色体をパン酵母の細胞内に入れ、テロメアによって染色体が老化から守られることを確認した。さらにグライダー教授とブラックバーン教授は84年、テロメアを作る酵素を見つけ「テロメラーゼ」と名付けた。

 細胞は分裂のたびに老化、テロメアは短くなっていく。テロメアが細胞の劣化を守る一方、テロメアが短くなると細胞分裂は停止する。ヒトを含む真核生物はテロメアを持ち、3氏の研究により、謎の多い人間の老化現象の解明が進むと期待される。また、テロメラーゼの機能を止めることで、細胞が無限に分裂するがんの治療につながる可能性も指摘されている。【関東晋慈、河内敏康】
 ◇生命の本質解明

 石川冬木・京都大教授(分子生物学)の話 老化という生命の本質的な部分を明らかにした大発見で、いつかノーベル賞をとるだろうと言われていた。ヒトが46本しか染色体を持たないのに対し、例外的に膨大な染色体を持つテトラヒメナを使ったことが発見の鍵になった。マイナーな生物を対象にしても、重要な発見に結び付くという基礎研究の好例だ。
「ロシアの学者も受賞すべき」 ノーベル賞選定に異論
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091006STXKC008206102009.html
 【モスクワ共同】ロシアのメディアは5日、米国の3氏に今年のノーベル医学生理学賞が贈られることが決まった染色体のテロメア構造の解明は、ロシアの研究者アレクセイ・オロブニコフ氏がソ連時代の1971年に既に理論として指摘しており、同氏にも同賞が授与されるべきだとのロシアの学者の声を伝えた。
 モスクワ大学生物工学部のスクラチョフ学部長はロシア通信に対し、テロメアの長さが細胞の老化に関係しているとの理論を最初に発表したのはオロブニコフ氏であり、今年の受賞が決まったブラックバーン米カリフォルニア大サンフランシスコ校教授らはそれを実証したにすぎないと主張。オロブニコフ氏に授与されないのは「極めて不公平だ」と述べた。
 オロブニコフ氏は現在、ロシア科学アカデミー生物化学物理研究所の主任研究員。同通信の取材に対し「ノーコメント」と答えたという。(13:01)
田辺三菱製薬(4508)は反落 ノーベル生理学医学賞発表通過で目先の好材料出尽くし感を意識
http://mainichi.jp/life/money/kabu/nsj/news/20091006179615.html
ノーベル生理学医学賞の発表を控えて、昨日には人工多能性幹(iPS)細胞の作成に世界で初めて成功した京都大学の山中伸弥教授が受賞有力候補と見られ、関連銘柄として連想買いが向かったものの、受賞とはならなかったことで、本日は目先の好材料通過で売りが先行しているもよう。

田辺三菱製薬(4508)の株価は14時48分現在、17円安の1,243円。
ノーベル物理学賞に米3氏 光ファイバーとCCDで
http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100601000864.html
 【ストックホルム共同】スウェーデンの王立科学アカデミーは6日、2009年のノーベル物理学賞を、光ファイバーの実用化に貢献した香港中文大のチャールズ・カオ元学長(75)と、デジタルカメラなどに使われる電荷結合素子(CCD)を発明した米ベル研究所の元研究員ウィラード・ボイル博士(85)と同ジョージ・スミス博士(79)の3氏に贈ると発表した。3氏はいずれも米国籍で、カオ氏は英国籍、ボイル氏はカナダ国籍も保持している。

 光ファイバーは現在の情報化社会を支える基幹技術。CCDはデジタルカメラやビデオの撮影素子として急速に普及、フィルムを使用した従来のカメラを一変させた。

 カオ氏は1960年代に光ファイバーで信号を遠距離まで届ける手法を研究。透明度の高いガラスを使えば、それまで20メートル程度だった通信距離を一挙に100キロ以上に延ばせると推計、純度の高いガラスの作製方法も開発した。それを受け米企業は71年、長さ1キロの光ファイバーを作るのに成功した。光ファイバーの実現によって大量の情報を一気にやりとりすることが可能となった。

 アカデミーが同日発表した資料では、カオ氏の研究に先立つ基礎研究の一つとして、西沢潤一・元東北大学長らが提唱した光ファイバーの原理を紹介している。

 ボイル氏とスミス氏は、アインシュタインが提唱した、金属に光を当てると電子が飛び出す「光電効果」に着目。69年、光を当てると電気を発生させる半導体を利用し、画像を電気信号に変換するCCDを発明した。

 CCDはハッブル宇宙望遠鏡にも搭載されるなど、高解像度の映像を手軽に利用できるようになったほか、人体の内部を映し出して診断や手術に役立てる医療機器にも利用されている。

 授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金1千万クローナ(約1億2800万円)の半分をカオ氏が受け取り、残りを2氏が等分する。
【中国ブログ】なぜ獲れない? 中国人がノーベル賞から遠い訳
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1006&f=national_1006_018.shtml
  中国のブログ「網易博客」に自身の日記などを掲載する、中国人の久泰平さんはこのほど、『中国人はなぜ“ノーベル賞の獲得”に焦るのか』との論評を掲載、「功利を急ぎ、研究をおろそかにする、上っ面な姿勢を改めなければ、中国人によるノーベル賞の受賞は夢のままだ」などと、強い口調で苦言を呈した。

  久泰平さんは、「世界中が追い求めるこの賞、中国人からすると、自然“なぜ中国人はノーベル賞と無縁なのか?”、“中国はいつノーベル賞を獲れるのか” などと口にしたくなるだろう。13億人もいるのだ。ノーベル賞に参加しない、というおかしな考えはまず存在し得ない」として、ノーベル賞受賞者に中国人がいない理由を「功利を急ぎ、研究をおろそかにする、上っ面な姿勢にある」と指摘した。

  久泰平さんは、「有名な学者は“大家”の肩書きを得るのに必死」、「修士、博士らの間では時に、論文盗作などの事件も起こる」などの「上っ面」現象の例を挙げ、「学術研究に専心しようとする姿勢が足りない」と批判した。

  また、「ギネス記録」や、小中学生の参加が盛んな「数学オリンピック」などにも触れ、「(中国では)科学的かどうか、普及の価値があるかどうかに関わらず、何でもかんでも“記録”にしてしまう。中には科学技術に多少関連のある記録もあるが、多くはノーベル賞と相反する」と、研究成果を「世界びっくり記録」にしようとする方向性の違いを指摘、「数学オリンピックに至っては、参加する学生の多くが自分の成績アップが目的」として、「数学オリンピック」が人材育成になり得ていない現状を鋭く突いた。

  久泰平さんはこのほか、2002年度ノーベル医学生理学賞を受賞ジョン・E・サルストン生物博士による、「自分はただ研究が好きなのだ。有名な雑誌に自分の論文を掲載したいとは思わない」などの言葉を紹介し、「研究者には時として、学術の本質を追及するための犠牲が伴う」と語り、「利を急ぎ、研究をおろそかにする、という上っ面な姿勢を改めなければ、中国人のノーベル賞の受賞は夢のままだ」と苦言を呈した。

**********

  中国では、「ノーベル賞を獲得した華人」として、米国籍の楊振寧(物理学賞、 1957年)、李政道(物理学賞、1957年)や、台湾出身の李遠哲(化学賞、1986年)、ダニエル・ツイ(物理学賞、1998年)、フランス国籍の高行健(文学賞、2000年)らを紹介することもある。しかし、中華人民共和国からのノーベル賞受賞者はまだいないとされ、今後の逸材の輩出に期待がかかっている。 (編集担当:金田知子)
ノーベル化学賞:英米イスラエルの3氏に
2009年10月7日 19時4分 更新:10月7日 20時53分
http://mainichi.jp/select/today/news/20091008k0000m040048000c.html?link_id=RTH04
 スウェーデン王立科学アカデミーは7日、09年のノーベル化学賞を、英MRC分子生物学研究所のベンカトラマン・ラマクリシュナン博士(57)と米エール大のトーマス・スタイツ教授(69)、イスラエルのワイツマン科学研究所のアダ・ヨナット博士(70)の3氏に授与すると発表した。

 授賞理由は、細胞内でたんぱく質を合成する小器官リボソームの構造と機能の解明。授賞式は、12月10日にストックホルムで開かれ、賞金1000万スウェーデン・クローナ(約1億3200万円)が贈られる。

 3氏は、X線結晶解析の手法を使ってリボソームの構造を分子レベルで解明した。さらに、細菌のリボソームに抗生物質が結合するとその働きが阻害される様子を三次元で明らかにした。

 抗生物質は、繰り返して使っているうちに細菌が耐性を持つため、常に新しい薬剤を作る必要がある。3氏の研究により耐性を獲得する仕組みの理解が飛躍的に深まり、新タイプの抗生物質を簡単に設計できるようになった。人類の苦しみを減らし、多くの命を救ったと評価された。

 リボソームでは、DNAの遺伝情報を基に血中の酸素を運ぶヘモグロビンや、免疫抗体、血糖値を調節するインスリンなどのたんぱく質を合成している。3氏の研究は、生命活動に不可欠なたんぱく質の合成工場としてのリボソームを解明することで、生命のより深い理解につながった。【関東晋慈、河内敏康】
 ◇ことば リボソーム

 あらゆる生物の細胞内にある小器官。大きさは約25ナノメートル(ナノは10億分の1)で、DNAにある遺伝情報を「mRNA」と呼ばれる分子がコピーし、それを基にリボソームの中でさまざまなたんぱく質が合成される。「たんぱく質の合成工場」とも呼ばれる。
化学なのか。

ノーベル化学賞、英・米・イスラエルの3氏
2009年10月7日19時9分
http://www.asahi.com/science/update/1007/TKY200910070337.html
 スウェーデン王立科学アカデミーは7日、今年のノーベル化学賞を、英国のベンカトラマン・ラマクリシュナン博士(57)、米国のトーマス・スタイツ博士(69)、イスラエルのアダ・ヨナット博士(70)の3氏に贈ると発表した。生命の維持に欠かせない細胞内のリボソームの立体構造と機能を解明し、新しい抗生物質の開発などを大きく前進させたことが評価された。

 リボソームは、生物の細胞内にあるたんぱく質の合成工場。たんぱく質は生命活動に欠かせない物質で、アミノ酸という分子が数多く組み合わさってできている。リボソームは細胞内でDNAが持つ遺伝情報に従ってアミノ酸を並べ、たんぱく質を組み立てる小器官だ。

 リボソームは大小二つの部品でできており、巨大で複雑な分子のため、結晶化するのは不可能と考えられていた。ヨナット博士は80年に、その結晶化に成功。スタイツ博士とラマクリシュナン博士がそれぞれ、結晶にX線を当てて結晶内部の原子配列を決める手法を駆使して、リボソームの各部品の構造を突き止めた。

 細菌などのリボソームの構造や機能が分かるようになったことで、その働きを妨げる新たな抗生物質の開発が発展した。

 賞金は1千万スウェーデンクローナ(約1億3千万円)で、3人で等分する。授賞式は12月10日にストックホルムである。(田中康晴)

     ◇

 〈ベンカトラマン・ラマクリシュナン氏〉 52年インド生まれ。米国籍を持つ。米オハイオ大で博士号を取得。英ケンブリッジ大上級研究フェロー。

 〈トーマス・スタイツ氏〉 40年米国生まれ。米ハーバード大で博士号を取得。米エール大教授。ハワード・ヒューズ医学研究所研究員兼務。

 〈アダ・ヨナット氏〉 39年イスラエル生まれ。イスラエル・ワイツマン科学研究所で博士号を取得。同研究所教授。
ノーベル賞―中国系は歴代9人、うち物理学賞が6人
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=36006&type=1

2009年10月6日、スウェーデン王立科学アカデミーは09年のノーベル物理学賞を、元香港中文大学長のチャールズ・カオ(高[金昆])博士(75)らの3氏に授与すると発表した。授賞理由は、光ファイバーによる情報通信への貢献が評価された。

1901年の創設以来、中国系学者の受賞は9人で、うち物理学賞6人、化学賞2人、文学賞が1人だ。香港紙・蘋果日報は、なぜ物理学賞など理系に偏るのかを分析している。

同紙によると、米大学進学適正試験(SAT)や米・加大学院進学の共通試験(GRE)で、一般に中国人学生は数学の成績が特に優秀。数学の素養の高さは、他の自然科学に比べて物理学では一層重要で、物理学賞受賞者が多いことの要因とみられる。

近現代の中国は多くの優れた文学者を輩出しているが、文学賞受賞者は高行健氏1人のみ。政治環境やイデオロギーが作家の創作の自由に影響しており、高氏は海外に出ることで自由度が拡大した。さらに東西文化の違いに直面して作品に独創性や攻撃性が増したことで、海外文壇に受け入れやすくなったようだ。

1968年創設の経済学賞は、中国は市場経済の歴史が西欧より短く、経済学理論も世界的な評価を得るに至っていない。

なお、中国系の受賞者の特徴は、いずれも欧米への留学組で、現地の文化や研究環境の恩恵を受けていること。1957年の物理学賞受賞者、楊振寧氏は「米国人学生は興味が幅広く、自己研鑽のやり方は型破りで、いずれも自信家だ。中国人は関心が専門に偏り、自己研鑽は着実で、自信に欠ける」と述べ、米国人の積極性を称えている。また、米国の良好な研究環境が自身の研究の進展に影響したことを指摘、「私は中国で教育を受け、実験のほとんどを米国で行った。両国の教育方法の恩恵を共に受けた」と語った。

同紙によると、中国系受賞者は次の通り。◆楊振寧・李政道、1957年物理学賞◆丁肇中、1976年物理学賞◆李遠哲、1986年化学賞◆朱棣文、1997物理学賞◆崔[王奇]、1998年物理学賞◆高行健、2000年文学賞◆銭永健、2008年化学賞◆高[金昆]、2009年物理学賞。(翻訳・編集/東亜通信)
Community紹介: 山中伸弥さんを応援する会

このCommunityは山中伸弥さんがノーベル賞を早く受賞するよう応援する会です。賛同いただける方の加盟をお願い申し上げます、
なお、高校卒業学力があれば、生命科学の知識を必要としません、
ワシが欲しいのは各人の熱意です、
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3541871

<山中さんのノーベル賞受賞を応援する理由>
整形外科の臨床医から医学基礎研究にシフトして20年、山中さんをリーダーとする京大チームは2007/11/21「ヒトiPS細胞」の作製に成功した。1981年日本人初のNobel化学賞を授賞した故・福井謙一さんの再来を彷彿させる、
福井さんのconceptsは3つに要約される、
*基礎研究重視
*科学的直感
*実証主義
就中、一番大事なのは研究者の科学的直感だろう。この概念は福井さんが初めてNobel賞授賞式の記者会見で公にした、従来の考え方の延長でなく、新たな「仮説」を打ち立てる創造力である。

上の3つのConceptに加えて、現在必要なのはProducerCapabilityである。山中さんは横断的国家研究体制の必要性を2007/11/21以来、ずっと強く訴え行動している(チームジャパン)。これまでのNobel科学賞授賞の日本人に見られない非日本人的発想であるが、ビジネス社会では世界的常識である(ProducerCapability)、海外特に米国在住研究者の多くは身につけており、山中さんは米国滞在中に体得した。個々人が研究するだけではpowerが分散されてしまう、一本の組織としてknow-howを集中化して実用化を加速する、米国は既に1940年代にManhattan-Project(原爆製造計画)で成果をあげた。

臨床医から医学基礎研究に自らシフトした山中さんの持つ科学的直感力、京大の伝統である実証主義、そして山中さんが所有するProducer能力は必ずやNobel賞に結実すると信じている。

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