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九条の会@mixiコミュの雑種文化と選挙協力は関係があるか?

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雑種文化と選挙協力は関係があるか?

沖縄の食文化は、雑種文化的だ。そこには歴史的経緯も絡んでいる。先日の知事選では、オール沖縄で選挙協力し、結果を残せた。沖縄から学ぶことは多いと思う。何故だろうか?違いに着目して、いざこざ起こすのではなくて、みんな違ってみんないい、という考え方があると思う。加藤周一さんは雑種文化論を唱えた。そして日本が雑種文化的だといった。それを積極的に活かすべきだと言った。そのことを今、思い出した方がいいと思う。沖縄は雑種文化の中の、また更なる雑種文化圏だ。高倉健さんみたいな、男の中の男を、the man of menという.その伝で言うと、the hybrid of hybrid.包容力があって、緩やかさがある。ゆるゆるなのだ。厳しくない。とりあえず、受け入れてくれる。おおらかで完璧さを求めない。「深呼吸の必要」というイイ映画もあった。長沢まさみさんや香里奈さんも出ていた。

違いに注目しすぎて、純粋化しようと思うと、雑種文化から遠ざかると思う。真逆である。儒学の世界で、丸山眞男さんが、山崎闇斎の唱えた闇斎学派、別名、崎門(きもん)を批判的に分析しておられた。石川淳さんも嫌っていた。つまり、あらゆる意味で厳しかった。戒律的と言ってもいいだろう。荻生徂徠のケン園学派は、ユルユルで、崎門の真逆だ。

どうすればいいか?丸山眞男さんが、新装版の『日本政治思想史研究』東京大学出版会・1983/6/20・(岡義武先生への献呈署名本)のあとがきp372で使っておられる面白い言葉がある。「超学問的動機」。超と言う言葉は、「超国家主義の心理と論理」という言葉でも使っておられた。政治の話をするときは、それを俯瞰する「超」の視点を根底に据えた方がイイと思う。加藤さんも超と言う言葉をよく使っておられた。最近は、若者たちが「チョ―」ということばを「非常に」という意味で使っている。それを本来の「超越する」という意味で用いれば、或いは全体を俯瞰して見られるのでなかろうか?重箱の隅にこだわるのではなく、全体から見る。細部にこだわらない。

中村真一郎さんは『小説入門』カッパブックスのなかで、江戸川乱歩さんの言葉を引きながら、「今一つの世界」、つまり現実とは別の世界がある、と仰っておられる。p38。一言でいえば、頭の中で拵えた世界の事だろう。そちらの世界では完璧さを求めてもイイと思う。しかし、現実の世界は、そう簡単ではない。時に逆風も吹くし、異物も混じることを避けがたい。妥協ということも大なり小なり、必要にならざるを得ない。理想に向かうのは大事なことであるが、あくまでも両者を混同しない方がイイと思う。なにか問題を解く際には、現実と理想を弁証法的に止揚しなければならない。そこでみんな努力して智慧を絞るのだ。日々、その格闘だ。一方だけに偏ったのでは、解決できない。理想と現実との往復運動の中で、答えを発見できるのだ。

雑種文化は、現実を乗り越える可能性を秘めていると思う。同時に多文化共生とも関係があると思う。排除の論理ではなく、とりあえず、異なったものでも、ありのままで受け入れてくれる懐の深さがあると思う。だから、きっと選挙協力とも関係があると思う。沖縄は、そのことを今回の知事選選挙で改めて教えてくれた気がする。


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