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九条の会@mixiコミュの気骨の平和主義者、ノーベル物理学賞を受賞

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http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081008k0000e040018000c.html

ノーベル物理学賞:反戦語る気骨の平和主義者…益川さん

ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(68)。穏やかでちゃめっ気のある益川さんだが、「反戦」を語る気骨の平和主義者でもある。

作家の大江健三郎さんらが作った「九条の会」に連動し、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足した。益川さんは呼びかけ人の1人だ。同時期に誕生したNPO法人「京都自由大学」では初代学長に就任し、市民の中に飛び込んで平和を語った。

原点は幼少期の体験にある。益川さんは名古屋市に生まれた。小学校入学前、第二次世界大戦を体験し、焼夷(しょうい)弾が自宅の屋根を突き抜けた。「不発だったが、周囲はみな燃えた。両親はリヤカーに荷物を積んで逃げまどった。あの思いを子孫にさせたくない」と言う。

05年、自民党が憲法改正に向けた要綱をまとめた。中国で反日デモが相次ぎ、JR福知山線事故が発生した。平和と命の重みが揺らいだ。当時、益川さんは「小中学生は憲法9条を読んで自衛隊を海外に派遣できるなんて考えない。だが、政府は自衛隊をイラクに派遣し、更に自衛隊の活動範囲を広げるために改憲を目指す。日本を戦争のできる国にしたいわけだ。僕はそんな流れを許容できない」と猛然と語った。

1955年、アインシュタインら科学者11人が核兵器廃絶を求め「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した。その1人が益川さんが尊敬する日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士だ。「湯川先生の原動力は核で人類が滅ぶ恐怖だったと思う。僕はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。その実現に、戦争はプラスですかと問いたい。殺されたって戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に回ることだ」と強調する。

受賞から一夜明け、「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者になれない。僕たちはそう学んできた」と力を込めた。








こういった方が評価される日が来た事が、素直に嬉しい。

コメント(19)

9条に踏み込んで自衛隊海外派遣に反対と発言されていたとは
心強い限りです。
「もっと嫌なのは自分が殺す側に回ることだ」という言葉に共感いたします。
ふじもんさん、いい記事のご紹介をありがとうございましたぴかぴか(新しい)
この記事でさらに益川氏への尊敬度を深めました。
テレビでこのあたりに触れてくれる事を一応、期待しておきます。
益川先生をよく知る人がテレビで言っておられました。「あの人はとにかく天邪鬼で・・・」最初にインタビューでの受け答えに気骨溢れる学者だなと思い、日記にも書きました。

奥様が書棚を見せて、専門の物理以外の読書をさかんになさっておられたのも、そういった活動が背景にあったのでしょうね。

理系人間としては、また尊敬出来る人物が増えました。

これからも益々ご活躍していただきたいと思います。
専門外の社会的問題も考えなければいい科学者になれない。僕たちはそう学んできた。


いい言葉ですね。
94から97年までの話ですが、日本物理学会に「科学者の社会的責任」(確かそんな名前だったと思う)という分科会があって、僕も毎回会場に行ってたんですが、閑散としてましたね。今はどうなんでしょう?今回のノーベル賞受賞を契機として活発になるといいですね。

ところで、益川さんのご専門は何でしょうか?
嬉しいです。
とても勇気づけられるお話です。
>5:さとちゃん21さん
>益川さんのご専門は何でしょうか?

ウィキペディアによると「場の量子論」が専門のようです。それがなんなのか全く判りませんが…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E5%B7%9D%E6%95%8F%E8%8B%B1

京産大のサイトに履歴書がありました。
http://www.kyoto-su.ac.jp/more/2008/305/nobel/pdf/nobel_rireki.pdf
>7

僕も「場の量子論」に関してはど素人なんだけど。

電磁気力が働いてる時に、粒子の間に光子をやりとりしてるとか。(量子電磁力学(QED))

クォークの間は「?粒子」を媒介して力が働いてるとか、そんな感じですね。

クォークの間の力は、量子色力学(QCD)だっけ、それがなりたってるとか。

そんな話を聞いた事があります。

詳しい人フォローお願い。
日本科学者会議の『日本の科学者』2007年1月号に益川さんの <扉のことば>「科学の源流」が掲載されているそうです。

日本科学者会議はその活動のあらましに次のような宣言も盛り込まれています。

・科学者の社会的責任を果たすために
 JSAは科学の反社会的利用に反対し、科学を人類の進歩に役立たせるよう努力しています。そのため、国内・国外の平和・独立・民主主義・社会進歩・生活向上のための諸活動と連帯して活動しています。原水爆禁止世界大会への積極的参加やその一環としての「科学者集会」の開催など、被爆者援護と核兵器廃絶の人類的課題に積極的に取り組んでいます。大学・研究所の非核・平和宣言の運動を推進し、科学者の間での非核・平和の合意形成に努めてきました。また科学の軍事的利用・軍学協同に反対し、活動をしています。
 憲法改悪や軍事大国化などの動きに反対し、民主主義を守り発展させる課題に他の科学者団体や大学関係団体と協力して取り組んでいます。


http://www.jsa.gr.jp/
情報下さってありがとうございました。
なんだか心が明るさに温まる想いで読ませていただきました
どんなに素晴らしい発明や発見でも戦争に使われてしまったら、やらない方がいいと思います。
だからこそ、心の持ち方が大事だと思います。
平和の為に役に立つように平和主義者であることが必要な事を訴えているのだと思います。

政府は本当の科学者たちの心を受け継ぐようにしていかないと同じ事を繰り返していくと思います。


http://mainichi.jp/select/today/news/20081210k0000m040089000c.html

ノーベル賞:益川さんが会見 講演の「空襲体験」で涙ぐむ

 ノーベル賞の公式行事の記念講演から一夜明けた9日午前(日本時間9日午後)、益川敏英・京都産業大教授(68)がストックホルム市のホテルで会見した。「疲れたことのないキャラクターです」と元気いっぱいだが、講演で少年時代の空襲体験に触れた点に質問が及ぶと「こんな思いは二度と味わいたくない。子どもに体験させたくない」と涙ぐんだ。

 ストックホルムの感想を聞かれると、「石の文化。100年前のものが生活の中に残っている。日本にはない」と分析。「真空管が後にトランジスタに取って代わられた。10年、20年たっても耐えられる基礎を重視した教育こそ子どもに提供しなければならない」と長期的視点に立った取り組みの重要性を強調した。

 講演は異例とも言える日本語で通したが、講演後には「恥ずかしい気持ちはある。英語でしゃべれることに越したことはない」と漏らしていた。







子や孫に自分と同じ苦しみを経験させたくない、それ以上の親心はないと思います。
http://www.asahi.com/science/update/0131/OSK200901310014.html

ノーベル賞の益川教授、平和への思い語る

ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(68)は昨年12月にストックホルムで臨んだ受賞講演で自らの戦争体験に触れた。そこに込めた益川さんの思いが知りたくて、戦争とともに始まった半生を聞いた。

受賞講演では「自国が引き起こした無謀で悲惨な戦争」という表現で太平洋戦争に言及した。開戦前年の1940年生まれ。父は当時家具職人。5歳のとき名古屋空襲に被災した。

「焼夷(しょうい)弾が自宅の瓦屋根を突き破って、地面にごろりと転がる。家財道具を積んだリヤカーに乗せられ、おやじやお袋と逃げまどう。そんな場面を断片的に覚えている。焼夷弾は不発で、近所でうちだけが焼けなかった。あとから思い返して、発火していれば死んでいたか、大やけどを負っていたと恐怖がわいた。こんな経験は子や孫に絶対させたくない。戦争体験はぼくの人生の一部であり、講演では自然と言葉が出た」

敗戦翌年に国民学校(小学校)入学。校舎は旧日本軍の兵舎跡。銭湯の行き帰り、父から天体や電気の話を聞かされ、理科や数学が得意と思い込んだ。

「祖父母は戦前、植民地下の朝鮮で豊かな暮らしをしていた。高校生のころ、小学生だった妹が母に、朝鮮での暮らしぶりをうれしそうに尋ねるのをみて、ぼくは『そんなの侵略じゃないか』と怒鳴ったことがあったそうだ。戦争につながるもので利益を得るのは許せないと思っていた」

58年春、名古屋大理学部に入学。日本人初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の弟子の坂田昌一氏が教授を務める素粒子論教室で学んだ。

「家業の砂糖商を継ぐことを願っていた父に、1回だけの条件で受験を許してもらった。その坂田先生は『素粒子論の研究も平和運動も同じレベルで大事だ』と語り、反核平和運動に熱心に取り組んでいた。科学そのものは中立でも、物理学の支えなしに核兵器開発ができないように、政治が悪ければ研究成果は人々を殺傷することに利用される。「科学的な成果は平和に貢献しなければならず、原水爆はあるべきでない」と熱っぽく語られた。私たち学生も全国の科学者に反核を訴える声明文や手紙を出すお手伝いをした」


67年、名古屋大理学部助手に。大学職員の妻明子さんと結婚した。学生運動全盛の時代。ベトナム反戦デモに参加したり、市民集会に講師として派遣されたりした。

「とにかく戦争で殺されるのも殺す側になるのも嫌だという思いだった。ぼくのやるべき仕事は物理学や素粒子論の発展で、平和運動の先頭に立って旗振りをすることじゃない。でも研究者であると同時に一市民であり、運動の末席に身を置きたいと考えていた」

作家大江健三郎さんらが設立した「九条の会」に賛同して、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足すると呼びかけ人になった。

「日本を『戦争のできる国』に戻したい人たちが改憲の動きを強めているのに、ほっとけないでしょ。いろんな理由をつけて自衛隊がイラクへ派遣されたが、海外協力は自衛隊でなくてもできるはず。まだおしりに火がついている状態とは思わないが、本当に9条が危ないという政治状況になれば軸足を研究から運動の方に移す」

ノーベル賞授賞式から約1カ月後、黒人初のオバマ米大統領が誕生した。

「ぼくは物理屋でいるときは悲観論者だが、人間の歴史については楽観的。人間はとんでもない過ちを犯すが、最後は理性的で100年単位で見れば進歩してきたと信じている。その原動力は、いま起きている不都合なこと、悪いことをみんなで認識しあうことだ。いまの米国がそう。黒人差別が当然とされてきた国で、黒人のオバマ大統領が誕生するなんて誰が信じただろう。能天気だと言われるかもしれないが、戦争だってあと200年くらいでなくせる」






現実は、いつか必ず理想に追いつく。益川教授の言葉を聞くたびにそう思います。
しんぶん赤旗日曜版に、1月25日、2月一日付けで不破さんとの対談が載っていて
納得しながら「日本もまだ捨てたもんではないなぁ」と思いながら読みました。

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