<国連憲章五一条と個別的・集団的自衛権>
しかし、国連憲章五一条は同時に、自衛戦争の根拠として個別的自衛権だけでなく新たに集団的自衛権を認め、不戦条約に付された米国政府公文などの文言を踏襲してそれらを国家の固有の(inherent)権利だと表現した。そのことによって限定されたはずの自衛戦争規定は、一面ではかえって拡大されてしまった。この集団的自衛権という規定は国連憲章策定の最終段階で、安保理事会常任理事国の五大国の分裂で集団安全保障体制が機能しないことを恐れた米州諸国の要求によって挿入されたと言われる。明らかに米ソ冷戦を予期して、集団安全保障に逆行する旧来の軍事同盟による安全保障を担保するための規定であった。この危険な鬼っ子はその後現実にNATOとワルシャワ条約機構という軍事同盟の対峙を生み出して、国連の集団安全保障体制を食い尽くしてしまった。
ところが、現在高まっている改憲論の最大の理論的根拠のひとつは、この矛盾に満ちた国連憲章五一条にあると言っても過言ではない。多くの改憲論者は、この五一条を引いて自衛権(right of self-defense)は国家の固有の権利(inherent right)であり、国民の正当防衛権(英語ではこれもright of self-defenseで、自衛権と区別しない)と同様の国家の自然権(natural right)だと主張している。しかも国連憲章五一条は個別的だけでなく、集団的自衛権も国家の固有の権利だと認めているではないか。だとすれば、そうした国家の自然権を奪うことは誰にもできないはずだ。今こそ集団的自衛権を含めて自衛権を明記して行使できるよう改憲せよ、というのである。
---------------------------
国家に自衛権があるとすれば、唯一それは国民の固有の自衛権(正当防衛権)に基づき、国民による「厳粛な信託」がある場合に限られる。しかも、その場合でも厳密な意味ではそれは国家の権利ではない。なぜなら、本来、権利は国民しか持つことのできないものだからだ。国家の権利というのはあくまでも擬制にすぎない。正確には国民の「厳粛な信託」によって生じた国家の統治権(rulling power, sovereignty)、権限(power and authority)、または権力(power)と言うべきものであろう。