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哲学 思想 精神 コミュのフーコーと寺山修司の対談 「寂しすぎる寺山修司」

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 60年代70年代の日本において寺山が日本の「知」であったことはご存知でしょうか?彼がよく云われる「前衛的」というのはむしろ外れている形容で、寺山がやっていたことは「最先端」なこと。

 
 彼のやっていたことを観たり、また言説を聞いたり、著作を読んだりすると、フランスの歴史学者、哲学者のフーコーに非常に影響を受けています。

 
 『’70 寺山修司』世界書院、という書籍があるのですが、寺山はそこでフーコーと対談しているんですね。とてもおもしろいものとして読みました。

 
 当時のミシェル・フーコーといえば、世界が注目する言語学者のチョムスキーと論争するぐらいの「知の偉人」でした。そんなフーコーと寺山の対談ならばぜひ読まなければならない。と書を手にしたのだが・・

 
 さすがの寺山修司も憧れのフーコーを前にしてかなり力んでしまったでしょうね。フーコーの構造主義的歴史分析について、どや!的な物言いから対談がはじまる。

 
 フーコーは自分はポスト構造主義者ではないと云っているけれども、反対に構造主義者でもありません。それを寺山はフーコーのテクストを誤った読み方をしてフーコーを構造主義者であると独断してしまう。

 
 フーコーも冷たくキレてしまい。私は構造主義者ではないし興味もなしと喝破し、そしてレヴィ・ストロース人類学とは違い、歴史学の分析に構造主義的な手法なんてありゃしない!と。

 
 さすがの当時「日本の知」であった寺山もびびってしまい。対談は対談の様相を失い寺山修司が平身低頭、フーコー先生にお伺いを立てるといった模様。読んでいて笑えてくる。

 
 フーコーは寺山の考えを全て下らないと無視していますが、ですが今の歴史学の状況で考察すると寺山はよい視点についてフーコーと議論しようとしているんです。例えば、歴史を歴史たるものにするには歴史を観察するものの視点が必要なんだという考えです。

 
 今日の社会学ではそういった観察者の視点は「ファースト・オーダー」、「セカンド・オーダー」という概念、理論でかなり議論が深められてます。今は亡きフーコーも当時、そういった観察者の視点の重要性には気がついてなかった。

 
 とはいえ終始、あの格好つけの自尊心がでかい寺山修司がフーコーにヘイコラして対談になってない対談を読むのは一興かも。

★日記http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1896186560&owner_id=27280568で書いたテクストをそのまま転載したものです。議論の端緒にしようが、しまいが勝手にどうぞ。

コメント(1)

寺山修司さんでなくとも、フーコーをどう解するかはなかなか難しいところがあって、
同じくフーコーと対談した吉本隆明さんも対談から月日がたって、あらためて自分たちの対談についての認識を深めている所がありますね。

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