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作家・作品エピソード館コミュの作家作品エピソード

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作家のあまり知られていないエピソードを集めてみましょう。
時代は特に限定しません。
知っているエピソードを存分に語ってください。

私からあげますと、
芥川龍之介が自殺した事は広く知られていますが、
彼が残した遺書には以下の事が書かれていた事を
ご存知の方は少ないのではないでしょうか?

僕は夏目先生を愛するが故に
先生と出版書肆を同じうせんことを希望す

当時龍之介は新潮と契約していて、
漱石の本を出版していた岩波とはなんの関係もなかったにもかかわらずこの遺言。
芥川の最後のわがまま。
この願いは、関係各所の協力により無事聞き届けられました。
10年前に亡くなった、しかもたった1年間だけ師弟関係にあった夏目漱石を、
龍之介は生涯師と仰ぎ続けたという何とも泣かせるお話です。

コメント(87)

化学調味料にちょっとアレルギーがあるので、今日それがたっぷり入ったラーメンを食べて口内炎ができました。おいしかったんだけど。
太宰が味の素大好き、という話を思い出しました。
なんにでも…とくに湯豆腐にかけて食べるのが好きだったような話を読んだ覚えがあります。何で読んだのか忘れたので、ご存知の方おられたら教えてください。
虫歯が多く、歯が悪かったので豆腐をよく召し上がっておられたようです。
「グッドバイ」にもカラスミに味の素ぶっかける無粋な女がでますよね 笑
下品な食べ方って分かってしてたのかな。

ワットさん、ナンシー関 が挿絵を書いていた太宰ウラ本にそんなエピソードがあった気がします。あの本どこいったのかなー読みたいなー。
ナンシー関の挿絵がすばらしかった!!
その本+他で得たはなしだと思います。
ワットさん
太宰の研究会みたいな所が書いていて、ナンシー関は版画を入れていただけでした。
いい絵でした!!!
ナンシー関、アマゾンで調べてみたのですが、その本どうも見当たりません…
今日もういちど調べてみます。
他にもおもしろエピソードたっぷりでした。…もう一度読みたい…
太宰治倶楽部 編集の
「もっと太宰治―太宰治がわかる本」です!
こちらで紹介されてましたバッド(下向き矢印)
http://blog.book-ing.co.jp/message/2008/07/post_898c.html
アマゾンには中古しか無いもようです。。。
アビッコさん ワットさん
色々面白い話題提供ありがとうございます!

私からもひとつ。
檸檬で有名な梶井基次郎の林檎小話。
今日、「なんでも鑑定団」の再放送を見ていたら梶井基次郎の直筆の手紙が出てきました。その手紙の中に川端康成からもらった林檎の話が出てくるんですが、川端もそれをエッセイに残しています。
その内容がちょっと面白かった。

療養中の梶井は、川端にもらった青森産の林檎を大切に磨いて飾っておいたそうです。
そんな大切にしていたりんごを何もいわずに食べた三好達治。
梶井はそんな三好を思わず全力でぶん殴ったそうな。
そんな梶井の行動を川端は一言「彼らしい」

こういう人間関係エピソードは楽しくて好きです。
あはは!
梶井って、写真肺病っぽくなくて肉体派っぽい(汗臭いかんじ)からなんかぶん殴った様子、想像できます。
三好達治はそれがきっかけで、あんな容姿になったんだったりして…
>アビッコさん
三好の容姿は存じませんが、その鑑定団の時に出ていた若かりし頃の川端康成は中々の美形でした。
少し頬がこけているところがまた味がありましたよ。

>ワットさん
也寸志さんのエピソードを聞いて、龍之介と親子だなぁ〜としみじみ感じてしまいました。
実は、龍之介は前歯がすきっ歯なんです。
本人はそれをとても気にしていて、写真を撮るときは必ず口を閉じるように心がけていたようです。
その彼の努力があってこその「イケメンだと思う日本の文豪ランキング第1位」だと思います。だから、ここで芥川がすきっ歯だったと知ったとしてもその事実は心の中だけに秘めておいてあげてくださいね(*´ー`)bシー
三好達治の話題に便乗します。梶井基次郎と三好達治が同居していたのは知られていますが、三好達治の随筆にこんな話が。ある日梶井が「どうだ美しい葡萄酒だらう」とグラス一杯の赤い液体を三好に見せたのですが、これはじつは梶井が吐いた血だったとのこと。梶井文学のキーワードとなる「諧謔」の性分が、こうした小さな日常にもあらわれていることを感じさせられるエピソードですね。

さて、自己紹介トピで触れました野村英夫ですが、ネット上ではなかなか彼の情報がない模様。(ウミさんのおっしゃるように、彼の写真を犀星の資料のどこかで見られらたいいですね!) 
室生犀星の周辺では「野村少年」という愛称で呼ばれていました。しかし彼自身はあんまり文学に関心が大きくなかったらしいです。
彼は堀辰雄の小説にも登場します、私が知っているかぎりでは「木の十字架」です。
また、詩人の立原道造はパステル画で野村英夫を描いています。軽井沢で石垣によりかかり、虫取りあみを手にしている図です。
もうすっかり秋ですね。柿のおいしい季節です。
柿と言えば、正岡子規の
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という句が有名なのですよね。
丁度奈良に行く予定だったので、法隆寺で柿を食べようと思っていたら、

「子規が聞いた鐘の音は東大寺の鐘だった」

という衝撃の事実がΣ( ̄□ ̄;)
松山から東京に向かう途中寄り道して、東大寺裏の対山楼という旅館に泊まっていた子規。
そこで夕食の後に女中のむいてくれた富有柿を食べていると近くの東大寺の鐘がなったそうです。
その時の鐘の音と、翌日訪れた法隆寺の風景とを合わせて出来たのが上記の句。
これを聞いてしまうと、どちらで柿を食べるか迷ってしまいますよね(違う)
というわけで、法隆寺駅前のスーパーで柿を二つ買って、両方のお寺でおいしくいただいてまいりました。
柿の葉寿司や柿関連のお土産も結構ありました。
宿が奈良公園近くだったので、鹿と戯れた後、夕暮れに東大寺の鐘も聞くことができました。ぼーんと夕闇に響く鐘は確かに心に響く音でした。
ちなみにこの時の子規の旅費は漱石先生のポケットから出ています(笑)
>ワットさん
ゴールデン街って池袋のですか?
雑司ヶ谷墓地めちゃめちゃ広いですよね。
芥川が漱石先生の墓参りに行って迷子になるのも頷けます(笑)

よかったですよ奈良〜。
子規は本当に柿が好きだったんですね。
「子規は果物が好きだつた。且ついくらでも食へる男だつた。ある
 時大きな『樽柿』を十六食つた事がある。それでも何ともなかつた。
 自分は到底子規の真似は出来ない。」
と漱石先生は子規を回想しています。

「柿くふも今年ばかりと思ひけり」
という句も晩年に残していますしね。
その翌年の9月に亡くなっているのでなんだか切なく感じます。
柿を食べる時には子規を思い浮かべながら味わって食べて下さい。
>ワットさん
新宿でしたか!以前ゴールデン街の友人のお姉さんのお店にお邪魔したのにすっかり場所を忘れていました(;´∀`)

夏目先生といえば、昨日美容院で雑誌を読んでいたら、
「崖の上のポニョ」の主人公宗介は、
夏目漱石の「門」の主人公で、崖の下に住む宗助からとったのだと載っていました。
ハウルの映画公開後、宮崎監督は夏目漱石全集を読みふけっていたそうです。
ポニョの記事に夏目漱石という言葉を見つけて思わずくいいるように読んでしまいました〜。
この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛いい気がします。
嘘じゃありません。

とは芥川のラブレターの文言です。
じゃあ芥川好きなら、お菓子の芥川を頭から食べてしまいたいはず!と言う事で、料理好きの友人が芥川をクッキーにしてくれました。
クッキングペーパーに芥川の顔をなぞり、切り取って、ココアパウダーをまぶして焼けば簡単にできるとの事です。

文学作家好きの人へのプレゼントには喜ばれること間違いなしです(笑)
他の作家さんでも、皆さん是非試してみてください。
VISAカードのCMで福沢・野口・漱石トリオが旅をしているのを皆さん一度は見たことがあるかと思います。
その漱石先生を演じている新田太郎は、漱石の兄のお孫さんなんだそうです。
本当にゆかりのある方が演じていたとは驚きでした。
以上、「とくだね!」を見ていた友人からの情報でした。

>ワット'さん
漱石先生とツーショット?!
そんな素敵スポットが存在していたのですね。
道後温泉へ出かける際は、チェックしてみます!素敵な情報をありがとうございます☆
今日は太宰治100回目の誕生日であり、桜桃忌でもありますね。

太宰が愛人と玉川上水に身を投げたのが6月13日。
遺体が発見されたのは奇しくも誕生日の今日6月19日でした。

そんな太宰が妻にあてた遺書の一部↓
「あなたを きらいになったから 死ぬのでは無いのです 小説を書くのが いやになったからです みんないやしい欲張りばかり 井伏さんは悪人です」
弟子に名指しで悪人呼ばわりされた井伏さんはさぞ不快だったろうと思いきや、井伏さん曰く
「太宰に腹を立てる気にはなれないんだ」

。・゚・(ノД`)・゚・。
井伏さんの包容力の高さに泣きました。
私には無理です。
もともと「会ってくれなきゃ死んでやる」という太宰の殺し文句からはじまった師弟関係。
そんな過激な物言いに飲まれることもなく、太宰の第一印象を
「おしゃれさんと思った。背が高いがひ弱そうだった」
と言ってのける井伏さんは偉大です。

太宰は井伏さんに対する思いは歪んではいても深かったろうと思います。
今日は是非、太宰氏を偲んで彼の名言を会話の中にさりげなく入れてみてくださいね。絶望するな。では、失敬。
太宰が井伏鱒二の門下になる際、書いた手紙無視され、三度目の手紙に
「会ってくれなきゃ死んでやるヽ(`Д´)ノ 」
と書いて無理やり弟子になったお話をちらっと前回しましたが、
太宰さんからするとこんな感じの弟子入りだったそうです↓
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は25年間、井伏さんの作品を、信頼しつづけた。
たしか私が高等学校にはいったとしの事であったと思うが、私はもはやたまりかねて、井伏さんに手紙をさし上げた。

さうしてこれは実に苦笑ものであるが、私は井伏さんの作品から、その生活のあまりお楽でないように拝察されたので、まことに少額の為替など封入した。

そうして井伏さんから、れいの律儀な文面の御返事をいただき、有頂天になり、東京の大学へはいるとすぐに、袴をはいて井伏さんのお宅に伺い、それからさまざま山ほど教えてもらい、生活の事までたくさんの御面倒をおかけして、そうしてただいま、その井伏さんの選集を編むことを筑摩書房から依頼されて、無量の思いも存するのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

>そうして井伏さんから、れいの律儀な文面の御返事をいただき
完全に自分のやった事に関しては完璧スルーです。
正しくは、

生活のあまりお楽でないように拝察されたので、まことに少額の為替など封入した。
しかし、返事は来なかった。
また手紙を書いた。会ってくださいと書いた。
やはり返事はこない。
たまらず「会ってくれなきゃ死んでやる」と脅迫文を送ってみた。
そうしてようやく井伏さんから、れいの律儀な文面の御返事をいただき、有頂天になり・・・

ですよね?
自分で「太宰は、よく法螺を吹くぜ」と書いた後にこのエピソードって
・・・どうなのさ太宰さん(;´∀`)
瀬戸内寂聴さんのエッセイで少し太宰に関連した話を読みました。

小説家を志して三鷹の辺りに移ってきたときの話で。
荷物が少ないんならいいよ、という条件でタバコ屋か何か、
おばあさんが経営する小間物屋の一部を借りる事になったのだそうです。
そしたら余りに荷物が少ないので仕事は何なんだと怪しまれ、小説家です、
と当時まだ志望だけれどそう言うと、
「小説家は死ぬから勘弁してくれ」と断られたというはなし。

お店が玉川上水の近くで、太宰のお墓もすぐ近くで、太宰の弟子が墓前で
自殺した際に、煙草を買っていったのがそのお店だったんだとか。
「私は死なないから置いて下さい」
といってそこに住める事になった、という話をエッセイで拝読しました。

またこの頃、三島由紀夫にファンレターを出したら返事がきて、
文通もなさっていたそうです。「今度太宰治と森鴎外のお墓に参ります」と
書いたら、「自分は森鴎外を尊敬しているから、その時は是非自分の分も
祈って欲しい、」
でも太宰治を自分は大嫌いだから、彼の墓参りなんか行かないで下さい、と
あったとか。

いきなり海外の作家になっちゃいますけれどレイモン・ラディゲとジャン・コクトー。
フランス文学の作家にはくどいエピソードが豊富な気がいたします。

夭逝の天才ラディゲですが、その死の床にある時コクトーに向かって
「あと三日で僕は神の兵隊に銃殺される。」と言ったんだそうです。そして本当に
三日後に亡くなってしまった。

コクトーはラディゲの才能について「神が人間に触れるための手袋」と表現し、
いずれ神が去って形を喪うのは自明だった、と夭逝を当然のことのように
書き残していますね。

あと三日で死ぬ発言のときも、そんなわけあるかとコクトーは励ましたそうなのですが
「あなたのよりも僕の情報のほうが正確なんだ。」と取り合わなかったラディゲ。
色がみえる、そこに住んでいる人たちが居る、とかうわごとの様に言いだすから、
そんなの追い払ってやるとコクトーが言えば、「無理だよ、あなたには見えないんだから。」
とにべもないラディゲ。何だか最期までにくたらしい程の神童エピソードが残されています。

そんなラディゲの死を経験したのち、コクトーはエディット・ピアフの訃報に触れて、
「もう二度とあんな才能にはお目にかかれないでしょうね。」
と大変ショックを受け、その4時間後に亡くなってしまったという話。。
それにしてもフランスはピアフとコクトーを同じ日に喪うなんて…!!と思います。
芥川好きのウミさんに、先日買った雑誌「谷根千」93号(終刊号だそうです。残念!)に載っていた芥川のエピソードをお知らせします。

現在も池之端七軒町にお住まいの方のインタビュー記事です。
「祖父はかぶり物や履物などの服飾史を研究していました。大正十年ころに、田端にいらした芥川龍之介さんが「虫の垂衣(むしのたれぎぬ)」について、聞きに来られたことがあります。王朝物の『龍』という作品に、「虫の垂衣をした女が一人…」と書いたら、この時代に虫の垂衣はないのではないかと指摘されたそうで、何かの伝手(つて)で祖父を知り、不安を明らかにしたいと訪ねたのでしょう。虫の垂衣が今昔物語にも出ていることを説明すると、自分の書いたことに間違いがなかったことがわかって胸のつかえが下りたと『點心』という随筆に書いています。
 祖母の話によれば、芥川さんは和服で、白いステッキを持ち、玄関先で頭を下げると長い髪がバサッとたれ、それを指で掻き上げる姿が魅力的だったそうです。この後にも一、二度やってきたそうですが、手土産はきまって本郷藤村の羊羹だったと聞きました。」

さすが文豪イケメンランキングトップの芥川ですね! この方のお祖母様も魅了されたようです。
本郷藤村の羊羹、漱石も好きでしたよね。

それにしても「虫の垂衣」って何でしょう? 芥川の『龍』も『點心』も読んだ事のない私には見当がつきません。

―――と思ってググってみましたら、ちゃんと説明がネットにありました。

インタビューを受けたご本人ご自身が書いた同じような文章もネットに載っていました!
「宮本勢助と芥川龍之介」http://www.miyamoto-kinen.org/hito/akutagawa.htm
それにしてもネットの威力、恐るべし、ですね!!

お祖母様の率直な思い出が何だか嬉しい記事でした。
それから芥川って、けっこう細かい事を気に病む繊細な方だったんですねえ。とっても真面目というか・・・。漱石は図太いところがあって、誤字脱字、あて字、作品中のちょっとした間違いなどヘイチャラですが、芥川にその図太さを分けて上げたいような気がしました。
こんな細かい事を気にしていたら、そりゃ神経マイっちゃうよねえ、って思いました。でも、気になるのが人間ですよね。
漱石が図太いんですよね。
>ゆなさん
たくさんの素敵なエピソードをありがとうございます!
海外物のエピソードは私の範疇外なので、すごく新鮮で楽しく読ませていただきました。今後も面白いものがあったら教えてくださいね。

太宰氏の逸話は本当にたくさんあって尽きることを知りません。
昨日、映画『ヴィヨンの妻』の日本公開記念の特集番組で太宰氏のエピソードが紹介されていたのでここに書いておきます。

愛人に子供ができた時、太宰はその子に自分の本名「津島修治」から一字とって「治子」とし、認知したそうです。
それに嫉妬したのが、後に玉川上水で共に入水自殺を図る山崎富栄さん。
そこで太宰氏曰く「まだ『修治』の『修』が残っているじゃないか。君との子ができたらこの『修』をあげよう」

こういう発想がぱっとできるから、太宰さんはおもてになったのでしょうね。
その時の娘さん「治子」さんは現在作家さんになっていらっしゃるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%B2%BB%E5%AD%90
>リラさん
わーい!芥川の貴重なエピソードありがとうございます。
リラさんの教えてくださるエピソードは、専門家や作家の友人などでない、一般の方の視点からのものなので、芥川氏の素顔がより近くに感じることができて感激しています。

そしてなんと本郷藤村の羊羹!!
おっしゃる通り夏目漱石の好物です。今も営業されている老舗なのですが、人気が高いので、常に予約でいっぱいです。
私も一度店舗を訪れたことがあるのですが、「2ヶ月先まで予約がいっぱいです」と言われてしまいました。
そんな藤村の羊羹を手見上げに持ってくるイケメン作家・・・。それではお祖母様が魅了されてしまっても仕方ありませんね。

同じA型で神経質なのに、その性質が漱石は外に向き癇癪に、芥川は内に向いて躁鬱になっていたような気がします。
芥川の友人恒藤恭は、そんな彼の事をこう言っています。

彼は孤独を愛しながら、孤独に耐えることが出来なかった。(都会人であり過ぎたせいかも知れない)

詩は彼の孤独のくるしみを和げた。しかしながら、何人か詩に永住することが能きよう乎。

こんな芥川だからこそ漱石先生は、馬ではなく「牛のように生きなさい」と言ったのでしょうね。
もう少し漱石先生が長生きしていれば・・・と思わずにはいられません。
また海外の作家になってしまうんですが、フランスの作家はとにかく面白い逸話が豊富な方が多いように思います。「悲しみよこんにちは」を10代で書いて絶賛されたフランソワーズサガンが個人的に推しです。

映画化もされてとっても有名な話ですが、17歳の少女が、父親と愛人、継母との生活をモノローグで淡々と綴っているというもの。当時、父親の情事について平気で知っている娘という辺りが物議をかもし、かつ作者が10代の少女だった事で余計にスキャンダラスだったみたいです。

その辺のニュアンスを込めてなのか「天才少女」というより、ノーベル賞作家のモーリアックから「魅力的な小悪魔」という言い方で絶賛されています。それに対する彼女の反応が魅力的。いわく「彼はいつも罪悪感にとりつかれてるのかもしれないけど、私にはそんなものはないもの。」10代のデビューしたばっかの少女が大作家にそんな笑!!って感じですけどその辺がフランスでサガンなのでしょうか。

他にも、「いつか私が死ななくちゃならないなんて、言語道断だと思うわ。」など魅力的な小悪魔発言がいっぱいです。描写のリアルさに最初、自叙伝じゃないかと疑われたそうなのですが、「私の人生にはこんな暗い出来事はありませんでした。」と全くのフィクションである事を主張して驚かれたとか。

「私この次の小説を大人がマシンガンをもって待っている事知ってるわ。」とか何とか言いつつ、二作目では彼氏の叔父さんと浮気してしまうという、またもスキャンダラスな匂いの傑作「ある微笑」を書き、その実力を証明します。

大人になってからは、サルトルとも交流があったようで(この二人誕生日が同じだったりする)食事などいってたようです。サガンが新聞に「親愛なるムッシュウ、」から始まるサルトルへの賛辞を掲載したとき、サルトルはもうほとんど目が見えなくなっていて、それを朗読して貰ったテープを繰り返し聞いていたそうです。
ノーベル文学賞受賞作家の川端康成。
太宰治の生誕100年記念雑誌で偶然知ったのですが、川端さんって愛犬家なんですね。
写真も多数残っています。当時から座敷犬です。

愛しすぎて、1932年には、このワイヤー・フォックス・テリアのエリーをモデルにした短編小説「愛犬エリ」を執筆。
犬を愛しすぎて「わが犬の記、愛犬家心得」まで発表しています。
心得の内容はこちら↓

1.血統書ばかりではなく、親犬の習性を良く調べた上で、子犬を買う
2.放し飼いをしない
3.犬を訓練所に入学させ、また、犬猫病院へ入院させるにも、預け先の犬の扱いをよく知っておく
4.一時のきまぐれやたわむれ心から、犬を飼ったり、もらったりしない
5.数を少なく、質をよく、そして一人一犬を原則とする
6.犬も家族の一員のつもりで、犬の心の微妙な鋭敏さに親しむ
7.犬に人間の模型を強いて求めず、大自然の命の現れとして愛する
8.純血種を飼う
9.病気の治療法を学ぶよりも、犬の病気を予知することを覚える
10.先ず、牝犬を飼って、その子どもを育ててみる
11.犬を飼うというよりも、犬を育てるという心持をどこまでも失わない

川端さんの印象がぐっとよくなった今日この頃です(´∀`*)


>ゆなさん
またもエピソード投稿ありがとうございます。
フランス!!自分の範疇外のことなので素直に面白いですヽ(*´▽`)ノ
「フランス」「スキャンダラス」で、島崎藤村のことを思い出しました。
姪の妊娠後フランスへ出奔した彼はどんな気持ちだったのでしょう。
最近作家の人間関係にはまってます、こんばんはw
太宰は好かれたり嫌われたりが激しくて面白いですね。
【好き】檀一雄、井伏鱒二、山岸外史
【嫌い】三島由紀夫、川端康成、中原中也

今日は、若き日の三島さんと太宰のエピソードです。

私は来る道々、どうしてもそれだけは口に出して言おうと心に決めていた一言を、いつ言ってしまうかと隙を窺っていた。それを言わなければ、自分がここへ来た意味もなく、自分の文学上の生き方も、これを限りに見失われるにちがいない。
 しかし恥ずかしいことに、それを私は、かなり不得要領な、ニヤニヤしながらの口調で、言ったように思う。即ち、私は自分のすぐ目の前にいる実物の太宰氏へこう言った。

「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」

 その瞬間、氏はふっと私の顔を見つめ、軽く身を引き、虚を疲れたような表情をした。

「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか。」
 吐き捨てるように言って、太宰さんは顔をそむけた。

 しかしたちまち体を崩すと、半ば亀井氏のほうへ向いて、誰へ言うともなく、
「そんなこと言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」
―これで、私の太宰氏に関する記憶は急に途切れる。

【参考資料】
三島由紀夫『私の遍歴時代』
(「きらいなら〜」からの2行)野原一夫『回想 太宰治』
こんばんは
ウミさんそしてみなさま
はじめての発言になりますが
どうぞよろしくお願いいたします。

三島の太宰きらいは有名ですね^^
三島による太宰に対する他の語りなど以下紹介させていただきます。

「私が太宰治に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家は、もうすこし厳粛な風貌をしていなければならない。私とて、作家にとっては、弱点だけが最大の強みとなることぐらい知っている。どうにもならない自分を信じるということはあらゆる点で、人間として僭越なことだ。ましてそれを人に押しつけるにいたっては!太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操など規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ、いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない」(三島由紀夫『小説家の休暇』より)

しかしここまでして語る猛烈な嫌悪の表明には
そう全面否定しなければならない三島ならではの理由があるはずですよね。
それは太宰への極端な意識(=愛憎)の裏返しと考えてよいようです。
そして上記文中の「欺瞞」や「僭越な押し付け」は
結果、三島自身に対しても向けられる言葉にもなったと考えています。

思うに、三島は太宰をきらいが故にそしてそれを表明するがために
作品を徹底的に読み込み、理解していたと考えられます。
たとえば『仮面の告白』は『人間失格』を換骨奪胎し
その裏返し的作品であるともいわれていますが、
確かに、その作品そして生き方まで、たとえ精神の方向が背反するものであっても
彼らが大変相似的であることを、読むほどに、知るほどに浮かび上がってくるようです。

三島は『私の遍歴時代』でこうも云っています。

「私は氏の稀有な才能は認めるが、最初からこれほど私に生理的反発を感じさせた作家もめずらしいのは愛憎の法則によって、氏は私のもっとも隠したがっていた部分を故意に露出する型の作家であったのかもしれない」と。

つまり三島は明らかに太宰に自己を見ていたと考えられますし
だからこそ、自らの存在理由にかけて、否定し
超えなければならない存在であったように思われます。
そしてその意識の中には自己嫌悪とともに
太宰に対する強烈な嫉妬もあったのではないかと推察できそうですね。

最初の発言であるにもかかわらず長文となり失礼致しました。
こんばんは
続けて太宰治についての逸話を
一つ紹介させていただきます。

太宰治には井伏によって紹介され妻となった
石原美知子との間に三人の子どもが産まれていますが、
1944年(昭和19年)に誕生した長男、正樹氏の名前は、
太宰の愛人であった太田静子氏によって名付けられたものであった
ということが、太宰と太田静子との間に生まれた子供、
太田治子氏の著作『明るい方へ』によって明らかにされています。

以下、少し書き出してみます。

庭の池の傍に並んで座っている時、太宰は美和子夫人がこの夏に出産予定であることを話した。
「男の子だといいな」
そのようにいったという。既に可愛い女の子の父親だった。
「男の子、いいですね」
母も無邪気に嬉しかった。すぐ近くに、細い百日紅の木があった。くねくねと曲がる幹をみつめながら母は、
「男の子だったら、正樹という名前になさるといいわ」
といった。「どうして?」といぶかしそうに聞く太宰に、
「あなたはあの百日紅の木のように、心がくねくねとしてねじ曲っています。男の子は、仏像のように真っ直ぐな木がいいのよ」
そう答えた。太宰は、声を上げて笑った。自分の弱点を、母親のようにいってくれたことが嬉しかったのだと思う。 
(太田治子『明るい方へ』より)

これには正直、びっくりしました^^。
美和子夫人には決して知らせていなかった事実であると思われますが、
「ひめごと」や「お茶目」が好きな太宰ならではの話だなあ、と
読んでいて思わず、にやりとしてしまった箇所でもありました。

※写真左は講演会での太田治子さん
>NASCIさん
初投稿感謝感激です!しかも二つも!
三島と太田静子さんのエピソードを紹介してくださってありがとうございます!
太宰の長男、「正樹」の名前を静子さんがつけたというのは初耳でした。

私の中での太宰氏の一番の名言は
「死ぬ気で、死ぬ気で恋愛してみないか。」(for山崎富栄)です。

もうご存知かもしれませんが、太宰の愛人エピソードをお返しに一つ。

太宰のもうひとりの愛人であり心中相手の山崎富栄さん。
太田静子の子に「治子」という津島修治の「治」を一文字あげていてずるい!!と泣き出してしまった時の励まし方がこちら↓

「お前には、まだ修の字が残っているじゃないか。泣くなよ。僕は修治さんじゃなくて、修っちゃだもの。泣くなよ」

「ネ、もう泣くのやめなよ。僕の方が十倍もつらくなっているんだよ。ね、可愛がるから。そのかわり、もっと、もっと可愛がるから、ごめんね」

このひたすら優しくだめな感じが太宰の魅力なのでしょうね。
興味深いエピソードがありましたらまたいつでも教えてください。
はじめましてexclamationフロヤマといいまするんるん

私も太宰ネタを…。

「走れメロス」のような熱い友情について書いた太宰さんですが、
師匠の井伏さんを、人質に旅先の旅館から一人で帰宅、
その後、3日ぐらい酒を飲んで過ごしていた。

というのは、あまりにも有名な話ですが、
これと似た話で…。

「津軽」という作品があります。
これは、太宰が実家がある金木に
里帰りした際のことを題材にした作品です。

最後のシーンでは、乳母(だったと思う。)との
涙あり、抱擁ありの感動的な再会が
描かれており、まだ若かった私も
思わず、泣いてしまった憶えがあります。

しかし、実際には、そんな感動的なものではなく、
頭を下げたくらいで、そそくさとどこかへ
いってしまったとの話です。

この話を聞いたとき私は「涙を返せ!」と怒りを
憶えるとともに、「また、太宰にしてやられたよ。」
と苦笑いをしました。

あくまで、「小説は虚構の世界」ですから。

あ、それと、一応、念のためフォローして置きますが、
太宰さんはとても繊細な方で、極度の照れ屋さんなんです。
だから、本当は井伏さんを早く迎えに行きたかったのに、
事情(悪い飲み友達が多かったらしい)があって、
行けなかったのかもしれないし、

再会にしても、本当は泣きたかったし、抱きつきたかったんだけど
人目(太宰さんは大地主の息子です)もあるし、
そんなとき、どんな風に表現したらいいかが
わからなかったのかもしれません。
(作品の中では、多彩な表現を繰り広げる太宰さんですが、
人前では、本当におとなしい人だったそうです。
ただ、酒を飲んで文学について語る時だけは
人が変ったように多弁であったそうです。
しかし、その際もきちんと正座をして、
真面目にアツく語る人だったそうです。
かなり、酒が強く、きれいな酒飲みだったようです。)

とまあ、こういうフォローはアンチ太宰が聞いたら、
「また、始まった。」という程度なんですけどね…。

あ、それから、こちらを色々読ませていただいた際に、
「師匠の家に石を投げ込んだ!」という話が、
管理人さんからありましたが、
私も何かで読んだことがありますexclamation ×2
…と思います。自信がないけど…。

井伏さんじゃなく、佐藤春夫さんかもしれないですが…。
春夫さんは井伏さんの師匠で、芥川賞の審査委員も
していたので、あり得ない話ではありません。
春夫さんが推したけど、川端さんがダメって言って
ダメだったことに対して、なぜか春夫さんに対して
キレたというカンジ、かも?

間違いなく春夫さんに謝ったことが1回あるんで、
その線が、濃厚だと思います。

調べますexclamation ×2

それから、井伏さんと太宰との関係についてですが、
実は裏があるかもしれないという話も
ありますが、今回は伏せておきます。
(同性愛ではありません。念のために。)

いかがでしたでしょうか?
もしかしたら、知っていましたか?

では、次はもっと興味深いお話を
ご用意いたします指でOK

それでは、失礼いたします魚
フロヤマさん、興味深いエピソード紹介ありがとうございます。
次回は是非、太宰と井伏さんの裏のお話をw

投石事件は佐藤春夫さんかもしれないとの情報ありがとうございます。
芥川賞第二回審査員で、太宰の作品をべた褒めしていたから、太宰としては絶対佐藤さんは自分を選んでくれると思い込んでましたからね。
・・・投石しても不思議はないです。八つ当たり、駄目絶対。

心中事件や『人間失格』などで駄目人間が定型の太宰さんですが、「チャーミング」を自称するくらい当時の知人達の証言では随分陽気な人だったようですね。
井伏さんも太宰の第一印象を「お洒落さん」といっています。

そんなチャーミング(自称)な太宰さんの心温まる話をひとつ。

〜親友の山岸外史の結婚についての世話焼き話〜

「ぜひ結婚すべきだ」「それが最も円満な解決法なんだ」「君も変な理屈は捨ててくれ。失礼なようだけど」
いろいろな形でぼく(山岸)を説得しようとした。
太宰は、そのうえ、すでに媒酌人の心配までしていたのである。
ぼくは感動した。
「君に、いっさい任せますよ」
ぼくは最後にこういった。

太宰は、とにかく懸命になって奔走してくれた。
ぼくの知っているきわめて数の少ない先輩たちに鄭重且つ巧妙、且つ誠実に動員をかけてくれた。あまりに大仰になることを恐れたぼくであったが
「眼をつぶっていてくれ。眼をつぶっていてくれ」という太宰のいうとおりに、ぼくはその誘導に従った。

「任せたといった以上は、君、ぼくの面子もたててもらいます」
とぼくを脅迫し、「よろしい」という気持で、ぼくも一言も反駁しなかった。
「形が大切なんだ。形式とは形のことなんだ」と太宰はしきりにいった。
「てれるな。てれるな」太宰はそれも何回かいった。

あとから考えてみると、この言葉のすべては、太宰さんが太宰の結婚のときに言った言葉で、その言葉をぼくに正直に伝えたのではないかと思われる節もあったが。ぼくは俎(まないた)のうえの鯛になっていた。むろん後悔するものはなにもなかった。太宰はそれほど熱心で誠実であった。ぼくは太宰の愛情に敗北したといってもいいかも知れない。

(山岸外史『人間太宰治』より)

太宰と山岸は壮年に至り絶交しますが、山岸の細君はこの時の太宰の働きを生涯の恩と感じ、山岸に太宰との復縁を懇願したそうです。
以上、『人間失格』とはまったく違う太宰さんの一面でした。
こんばんわ、フロヤマですexclamation

素晴らしいお話、アリガトウございますexclamation ×2
これで、太宰さんのイメージアップにもつながったことでしょうexclamation ×2

大体、「人間失格」はあくまでも「小説」つまりは「虚構」なんですから、
あれを読んで、

太宰=人間失格

なんて思われたら、太宰さんが可哀そうなんですよexclamation

なんてね。

アブナイ、アブナイ

ところで「石を投げた」事件についてですが、私が持っている研究書類を
片っぱしから開いてみたのですが、どこにも載っていないんですあせあせ(飛び散る汗)

もしかしたら、小説の中に書かれてることかもしれません。
と、いうことは「虚構」かもあせあせ(飛び散る汗)

「二十世紀旗手」「ダス・ゲマイネ」あたりか?
実は、そこらへんの本を、紛失中なものでして、確認できませんあせあせ(飛び散る汗)
どなたか、確認していただけると助かります。

え〜ということで、太宰さんの汚名挽回エピソードをひとつ。

「創世記」という本の中で、春夫先生が太宰さんに
「芥川賞は任せろ。」的なことを
言ったと書き、春夫先生に多大な迷惑を掛けた太宰さんですが、
やはり、いつものように「大変ご迷惑をおかけした。」
と後から、オロオロとしていたそうです。
(じゃあ、はじめから書かなければいいのに、ねえ。)

もちろん、春夫先生もこれにはお怒りになられた。
「名門の名よ鬼にでも食われよ」(佐藤春夫「芥川賞」より)
とまで、自分の小説の中に書き込みました。

が、なぜか許されてます。

そればかりか、出版の世話までしています。
(「道化の華」「狂言の神」「虚構の春」を三部作「虚構の彷徨」として出版。
尚、「虚構の彷徨」という題名は春夫氏が命名)

どうです?この人徳exclamation ×2

え?春夫先生の懐が大きかっただけっていう話ですって?

ま、そうかもしれませんねあせあせ(飛び散る汗)

あ、それから、この時も、山岸さんは奔走してくれたそうです。

井伏先生もね。

やっぱり、皆から愛される人だったんですよグッド(上向き矢印)

『お酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも…神様みたいないい子でした。』
〜「人間失格」より

アレexclamation & question

いやいや、

次回こそは、太宰さんのイメージアップを図りますexclamation ×2
(主旨が変わってきているぞ)

乞うご期待exclamation ×2

それでは、失礼いたします魚
宇野千代先生は伝説が沢山あって最早有名じゃないものが少ない気がしますが…
こんな書き方してすみません箇条書きに

・小学校教師をしている時、厚化粧して派手ないでたちで体育の授業などしているとグラウンドに父兄の人だかりができる モテ期到来
・同僚教師に恋をして授業中生徒に恋文を持たせて伝書鳩のようにとばしていたりしたのがばれてクビになる

・夫婦生活をしている時にお皿を洗っていて「こうしてはいられない」と思い立ってそのまま出奔 洗っていた茶碗を洗い終わらずにそのままになって蒸発の体
・懸賞小説で一等を取り、賞金を貰いに夫の家をでていくが二等の男性が素敵であったがためにそのまま同棲 家に帰らぬ人となる
・心中未遂を起こした東郷青児のもとに取材に行き、何となく意気投合 その日泊まって行く事になるが「こんなものしかないな」と敷かれた布団に血のりがべっとりついていた 意気投合してそのまま数年帰らぬ人となる
・梶井基次郎・東郷青児と浮名を流して夫と離婚する

・短編「おはん」刊行 10年かけた会心の作であり
「こういうものをあと5本ぐらい書きたい」といい編集者に「もう遅いですよ」と言われる 
 このとき宇野千代60歳だが100歳近くまで生きたので遅かったわけでもなさそう
・美徳のよろめきでよろめきブーム中の三島と対談「あなたはよろめいた事のないひとね」と名言を吐く
・97歳ぐらいでエッセイ「私なんだか死なない気がするんですよ」刊行
・最期の言葉は「ああー面白かった!」

宇野千代さんはチートだと思うんです
さしもの三島先生も宇野千代とよろめき対談ではやられてしまうっていうか
相手がわるかったんじゃないかって気がしちゃいます。。

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