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道祖神が好きだコミュの丸石道祖神

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山梨県峡東地域を中心に分布する道祖神です。他県にもないだろうかと思い、情報をお待ちしております。とりあえず、近所の丸石道祖神をupしておきます。(山梨県甲府市羽黒町)

コメント(58)

キョヌ74様

お教えありがとうございます。
そうですか、石神の読みが変化して、シャクシ、シャクジ、シャグジなどのいずれかの呼ばれ方をしているのではと淡い期待を抱いておりました。

正直なところ、僕はまだ丸石のことは、通り一遍の知識しか持ち合わせていません。
ただ、石棒、丸石と呼ばれるものが縄文期にはすでに存在していて、それが生活用具の一つではないとしたら(生活用具と考えるにはあまりに大きなモノが多いので)、それは当然、(信仰が根底にある)何らかの呪術的要素を持ったものと考えているのです。
たとえば、豊穣、子孫繁栄などを願うためのヨリシロみたいな……。
山の神が春に山から下りてきて田の神になりますが、その田の神の本体として石棒が多く見受けられます。
この丸石も、形は違うものの、元々はそういった呪術的要素が含まれていたのではと考えたのです。
タイトルは忘れましたが、平安の頃の書物の中に、「豊作を願って、田の四隅に石棒を建てる地域がある」と書かれていました。
もちろん、これは結界を意味するものでしょうが、元々、丸石も道祖神的な役割に変化する前は、同様な捉えられ方をしていたのではと考えます。

古典文献には石棒はよく見かけるのですが、丸石に触れているものは本当に少ないですね。
私の知っている限りでは(キョヌ様もご存じだと思いますが)、『信貴山縁起絵巻』の中にサイノカミとして描かれています(柳の根元に祀られている)が、この絵師が山梨と何らかの繋がりがあったのか、もしくはこの絵巻が描かれた時代には、丸石が道祖神としてすでに成立していて、それが奈良生駒でも周知の事実であったと言うことでしょうか。

これもご存じだと思いますが、伊藤堅吉・遠藤秀男著の『道祖神のふるさと』大和書房刊の中に、きっと筆者も調べて書いたのでしょうが、その文中に、
「(前略)私は先ほどこの円石文化が、甲府盆地の中だけの局部的祭祀であると書いたけれど、その亜流は河川に沿って山峡にまで入り込み、北は韮崎から八ヶ岳の一部に及び、南は富士川を下って東海側にまで行きつこうとという気配を見せている。さらにごく一部が鎌倉街道をすすんで御坂峠を越え、河口湖あたりにまで定着しているのである。さらに遠出したものが、静岡県の御殿場市二ノ岡や富士宮市上井出・杉田にまであるが、いずれも末広がりの分布までは至らず、他の石祠道祖神や双体像などにおしまくられて、おとなしくしているのが現状である(後略)」
と書いています。
僕が各地の道祖神を調査していて、実感として思うのですが、一部の地域を除いて、地元の人があまりにも無関心でした。それどころか、老人たちまで道祖神のことをよく理解出来ていません。
群馬のすごく有名な道祖神の写真を撮っているとき、前の家の人が出てきて、「これはそんなに有名なものなのか?」と反対に訊かれたり、道祖神のお祭りを見学に行ったときも、祭りの代表者が、自分達が祀っている道祖神が元はどこにあって、いつここに移転したかなどの歴史的なものを一切知りませんでしたから、持参していた、その道祖神の「イワレ」等の資料をコピーして差し上げたほどでした。
先日の乙母の丸石にしても、土地の古老たちはみなよく知らないのではと思います。本当に残念なことです。
石神研究に火をつけた柳田自身も、「今となっては、もう調べようがない」と嘆いてますしね。


千葉県印西市宝泉院境内の石神祠の写真です。
祠全体の写真になってしまいますが、お許しください。
祠の下に要石のような感じで、左に石棒、右に丸石が鎮座しています。
小さいので、見づらいかな。
この石棒は上部が破損していました。
祠の扉の中には、石棒が三体祀ってありましたが、どれも無傷でした。

みよさん

ご教示ありがとうございました。
「石尊」とよばれているのですか。
この場合の石の発音は、「セキ」「シャク」のどちらでしょうか?

「セキ」と発音する地域は石神を「咳」の神として、風邪が治る。
また「シャク」と発音する地域は「しゃっくり」を治すといういう信仰も付加されていることも多いようです。

民間信仰というのは、ほんとうに面白いですよね。
丸石信仰も、単なる道中安全の道祖神としてではなく、安産の神や結界的な要素のほうが古い信仰形態ではないかと愚考しております。
勾玉も本来は呪術的要素を持って生まれたようですし……。
>めだか庵主人さん
>この場合の石の発音は、「セキ」「シャク」のどちらでしょうか?

この場合、「セキソン」でしたよ。
ただ甲州では、他所のように風邪予防とは結びつかず、
水神として祀られることが多いようです。
何故かというと、丸石は笛吹川で生まれるから、だそうですよ。
あと、水利権の話し合いなんかは、
道祖神や石尊の前に当事者が集まって決めるそうです。


>安産の神や結界的な要素のほうが古い信仰形態ではないかと愚考しております。

私もその線はあると思います。
甲府盆地界隈の縄文遺跡では、
男性の墓に石棒、女性の墓に盃が一緒に埋葬されていた
出土例の展示があったはずです。
棒、皿とくれば、丸石は子供でしょうね。

先の友人の話とは別に、甲府探索中に老人から伺った話では、
女性が安産祈願だかそのお礼に丸石を奉納する例があるそうです。
文書ばかりではなんなので、たまには写真も載せておきます。

天然物ではないですが、石棒と丸石の祭祀例です。
甲斐市敷島諏訪神社社殿内。
拝殿内なので、もはや道祖神と呼べるかどうかは分かりませんが(^_^;)
みよさん

ありがとうございました。
なるほど、水利が関係していましたか。
笛吹川で丸石が採れるのですね。
川と言えば、多摩川は玉が採れるからタマ川と呼ばれるようになったとのこと。
埼玉の古語である「さきたま」も、その多摩川の先にあることからのようです。

石棒、杯と来れば、双体道祖神の婚礼型にある徳利と杯を思い浮かべてしまいますね。
私がいろいろ回ってみてわかったのですが、道祖神が昔の位置にまだ鎮座しているというケースのほうが少ないですね。
道路拡張、新興住宅建設などで、その殆どが位置を移されているようです。
中には、村内にあったもの全部を一カ所にまとめて合祀してあることもしばしばです。
怒りを覚えるのは、ただ石碑関係を集めるのはよいとしても、道祖神、青面金剛、馬頭観音、庚申塔、疱瘡神に混じって、江戸期の墓石なんかも集めてきて一緒に合祀してある(笑 これは本当に多い)。
石碑であれば、ミソクソ一緒で、なんでもいいのか、教育委員会は何やってるんだ……と思ってしまいます。

>丸石は子供でしょうね。

たしかにその線はありますよね。
勾玉も胎児を表しているという説もありますし。
玉=魂 なんでしょう。
初めまして。
甲府市在住の鹿正です。

最近、道祖神関連の日記など書いてみました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=819509247&owner_id=10983104
フォトアルバムにも幾つか資料を置いてます。
宜しければどうぞ♪
ご無沙汰しております。

久々に他県の丸石神を発見しました。
島根半島の突端、美保神社でのことです。

境内の上手側にひっそりと祀られた、玉垣に囲まれた丸石。
なんでも丸石さまと言うそうな。
昔、漁師の網にふたつの丸石が掛かった。
片方の石は海に帰し、片方の石は丸石さまとして美保神社に祀られた。
丸石さまは安産の神さまとされて、頭をなで回すと御利益があるということです。
写真の窪んでいるところは、長年なでられた名残。
周りの小さな丸石は、由来は伝わっていないそうですが、
同じように海からあがったので奉納したのかもしれません。
網にこんな見事な丸石がふたつも入っていたら、
信心深くなくても思わず唸ってしまうでしょうね。
>キョヌ74様。
あ、千代田湖の方も回られたのですね。
僕もまだ、あの辺りはきちんと確認していないのですが、
西の湖岸に石造物が集められているようで。
「97」がそれなのでしょうか?

東湖岸の「八王子山」には巨岩があるそうですし。
是非またじっくり散策したい一帯です。
先日、父の実家周辺を散策して参りました。
丸石道祖神もありましたよ。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=877445031&owner_id=10983104
 はじめまして

 長野県でも丸石道祖神を見ましましたのでアップします。

 場所は川上村です、他では大鹿村辺りで見た記憶があります。

 仕事の関係で週1〜2回山梨方面へ行きますが、
 本当に丸石道祖神が多いですネ
これは丸石道祖神なんでしょうか?
おそらく村の入り口だったであろう場所にあります。

●大阪府
>さとちゃん様。

これは大阪の物件ですか?
もし差し支えなければ、所在地などお教え頂けないでしょうか。

物件は道祖神に間違い無いと思われます。
ただ、これは
>33
と同様の「祠+丸石+石棒がセット」になった、
極めて貴重な個体のようですね。
> 鹿正さま

大阪府豊能郡能勢町、です。
実は、庚申塔を見に行ったのですが、その隣にありました。
教育委員会の説明看板があったのですが、庚申塔の説明だけで、右の道祖神については、全く触れられていませんでした。
また、左の石塔も、○形の他に、文字も彫られているんですが、判読困難で、これも何の石塔だか不明です。
みなさま、ありがとうございます。
やはり、これは丸石道祖神で、いいんですね〜。
●兵庫県・淡路島

向かって左の石祠の奥の壁面には、「青面金剛」像が彫ってありました。
日月、ショケラ、三猿が確認出来ました。
自治体の説明では、ここは庚申塔とされています。
宝暦元年(1752年)の紀年銘。
しかし、この祀られ方を見ると、丸石庚申塔とでも呼びたくなります。
まるで、石祠奥の壁面の尊像ではなく、丸石の方が御神体にも見えませんか。
庚申信仰と、丸石信仰が習合したものか?
あるいは庚申信仰と、丸石道祖神信仰が習合したものか?
ところが、向かって右側の石祠には何も彫られていません。
右の石祠は、庚申塔ではないのでしょうか?
謎だ〜!!!
> さとちゃんさん

45、淡路島の祀られ方は随分丁重ですね。
白壁に囲まれた中は、このふたつの石祠だけなのですか?
左の祠の壁面の尊像から庚申塔と判断されているのでしょうね。

丸石自体は奉納物とする例もありますが、
この祀られ方から察するに丸石自体が御神体なのでしょうね。
3つ4つと重なっていくのか気になります。

面白いものを拝見させて頂きありがとうございました。
> [◎]∀・)ノみよさま

写真のように、二つの石祠だけです。
壁が随分と厚いのもビックリしました。
やはり丸石が御神体だと思われますか。
関西には数は非常に少ないのですが、謎の丸石が他にも有るみたいです。
●静岡県沼津 旧東海道千本松海岸で見かけた丸石。

庚申塔、石仏とともに丸石を発見。
台座には文政二年の文字。
台座と丸石の素材が違うため、年代が一致しているかは不明。
静岡にも丸石道祖神信仰があると聞いていたが、はじめて目撃した。
〜動き出しましたねー(^^)
山梨県の牧丘町杣口の〜陰陽道祖神に行ったのを思いだしたのでハリコしますー

双体像が多い信州人のオイラから見ると♪ 丸石は?不思議な感覚です(^^)

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