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トルコな研究会コミュのトルコ最強イエニチェリ軍

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現在のブラスバンドの原型は、オスマントルコ最強軍団、イエニチェリ軍の軍楽隊であると言われています。その、勇ましい、凛々しい、派手な衣装の軍楽隊がウイーンの方面まで進軍して、ヨーロッパの人々は目を見張ったのでしょう。

  モーツアルト、ベートーベン、ハイドンにはトルコ
  行進曲という作品がある。いかに、その影響が大きかった
  か、興味津々たる事実です。

あの街が欲しい!
メフメット2世がコンスタンチノープルの街を見下ろして叫んだことから、侵攻作戦がはじまったのですが、ときのトルコ軍は総勢16万人、そのうち、イエニチェリ軍は1万5千人、最強軍団だったそうです。

イエニチェリ軍。
それは「新軍」を意味します。オスマントルコがキリスト教圏
へ進攻して征服した土地には、多くの戦争孤児がうまれたのですが、メフメット2世は、彼ら孤児を引き取ってイスラムに改宗させ、賢い、頑健な、ハンサムな孤児たちを厳選し、教育し、訓練し、トルコ軍最強の軍隊に育成していきました。それが、新軍、イエニチェリ軍だったのですね。

ただし、メフメット2世は、征服した地の人々を強制的にイスラム教に改宗させでたのではありません、イエニチェリ軍の孤児たちは改宗させたようですが、強制改宗の例は他にはほとんどないのですね、このあたりが、オスマントルコの大きな特徴だと思われます。

  イエニチェリ軍はだんだん、トルコ軍全体を支配するよう
  になっていったが、つまり、キリスト教出身の精鋭軍人が
  トルコ軍全体の中枢を担うことになるのだが、それを気に
  する人はいなかったという。当時、ハプスブルグ王朝の
  大使としてイスタンブールに駐在したビュズベッグは、
  「トルコ人の間にあっては、出生による差別はない」と
  書簡に記したとか。それに比べ、わがオーストリアでは
  門閥が支配している・・・と嘆いたのだ。

このあたりが、オスマントルコの懐の広さではないでしょうか。発想が国境を越えている、グローバルなのですね。

あの街が欲しい!

メフメット2世がビザンティンを撃破、コンスタンティノープルに入城したのは、1453年、5月29日のこと。建国の日のような気がしないでもありませんが、この日は祝日ではないし、大きな行事は行われないようですね。

  ファーティフ(征服者)の日としてメフメット2世
  の銅像の前で、ちょっとしたパレードがある。
  高校生くらいの学生生徒が当時の兵士の扮装をして
  行進する。

僕は、このパレードを見たい!今、書いているのは、実は
10日読売の記事からです。イエニチェリは知っていて、前にもブログに書いていますが、5月29日のパレードがあることは知らなかった、ああ、見てみたい!これぞ、トルコの歴史、
ブラスバンドの発祥、トルコ行進曲のはしり、メフメット2世の遺産です。
もうすぐ、5月29日ですね、今年もパレードはあるのでしょ
うか。

どなたか、見る機会ある方は、ぜひ、実況中継をお願いしたいと思います、よろしく!

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