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赤ちゃん革命★形而上の破壊神コミュのわたしはあなたを殺したい

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■わたしはあなたを殺したい

 わたしはあなたを殺したい。

 あなたがどこのどいつであるかなど知ったことではない。
 わたしがどこのどいつであるかなどあなたの知ったことではないように。
 
 あなたはケネディ大統領かもしれないし、
 わたしの大嫌いなジョン・レノンかもしれない。
 糞ったれの金貸しババアかもしれないし、クック・ロビンかもしれない。
 しみったれたネコかもしれないし、ふるいつきたくなる美人かもしれない。
 あるいはまた、遥か未来に全人類を救いにいらっしゃるという
 お目出度い弥勒菩薩かもしれないが、
 そんなことわたしにはどうだっていい。

 暗闇のなかで前にいる間抜けなあなたの頭に銃口を押し付けて、
 わたしが言ってやる台詞は同じだ。

 〈おまえを殺してやる〉

 わたしはオズワルドかもしれないし、チャールズ・マンソンかもしれない。
 斧を持ったラスコーリニコフかもしれないし、麻原彰晃かもしれない。
 原子爆弾かもしれないし、ムルソーかもしれない。
 ヒトラーかもしれないし、スターリンかもしれない。

 誰が誰を殺したか、殺すのかなんてどうだっていい。
 そんな点と点を線で結ぶ安っぽい犯人当てクイズなんかは
 ホームズとかポアロとか明智とか警視庁とかFBIとかいう
 下らぬヘボ探偵どもが頭を絞って究明すればいいことだ。
 ハハ、〈事件の真相〉? 
 結構なことだ。そんなことを知ってどうするというのだ。
 
 これからおまえの頭を粉々に吹き飛ばしてやる。
 覚悟しろ。おまえを地獄に落としてやる。
 今からあの世の悪魔にかきくどくための泣き言を十秒以内に考えろ。
 祈るひまなど与えないし、祈っても無駄だ。

 おまえは神も天使も仏も見ない。
 おまえが会うのは冷たい死とひどい痛みとみにくい死体と恐ろしい悪魔だけだ。
 これからおまえはジャンクになるのだ。

 とにかくわたしはこの考察を始める前に、
 あなたに一言どうしても言ってやりたいことがあるだけだ。

 「あなたを殺してやる。」
 今、これを読んでいるあなたを殺してやる。

   *  *  *

 三つの不条理な銃弾が撃ちこまれる。
 人影が崩れ、大地の上で動かなくなる。
 殺人者は不可思議な法悦に囚われ、暫し茫然として、その場に呪縛されたように動けなくなる。
 彼の右手からたった今滑り出していった〈死〉は、その瞬間永遠に見失われてしまった。
 そのきらめく弾道の軌跡を彼の目は決して、追い越すことができなかった。
 弾丸のきらめきは不可視へと消えうせ、跡形もなく消滅してしまっている。

 そのきらめきを殺人者は見たかったのに。
 そのきらめきに殺人者はなりたかったのに。

 きらめきは失われ、あなたはわたしを置き去りにした。
 限りなく美しいわたしのシルバービュレットはわたしから飛び出して、そしてどこに消えうせたのか。

 殺人者は〈死〉を見失う。
 しかし、〈殺意〉が消えうせた訳ではない。
 〈殺意〉というものの不鮮明なぶきみさが、滅ぼし得ぬ呪いのように、殺人者へと重苦しくのしかかってくるのは寧ろそのときなのだ。

 周囲にたちこめる硝煙のにおいとなって
 得体の知れない〈殺意〉が殺人者をその漂うけむりの靄で呪縛する。
 〈人殺し〉という呪われた名を彼に纏わせるのはそのつかみどころのない煙の衣である。

 しかし、〈人殺し〉とは誰のことなのか、
 殺人者にはその瞬間、もう分からなくなりかけている。
 すべてが煙のように模糊としてつかみどころのない謎に変わる。
 彼は自分自身が引き起こしてしまった筈の〈殺人事件〉を失い、それを了解することができない。
 もはや二度と決してその場処の中心に彼は舞い戻ることができない。
 彼は自分で自分を捕まえることができないのだ。
 誰か他の人が彼を逮捕して手錠をかけ、おまえが〈人殺し〉だと告げてくれるまでは、
 彼はそのときの自分自身と再び結び付くことができないのだ。
 殺人者になることはできないのだ。

 殺人者が恐れるのは〈罪〉と〈罰〉ではない。
 彼には自分が殺人犯であるのかどうかさえはっきりとしないのだから。
 寧ろ彼が恐れるのは、殺人という出来事の、何か人を欺くような不安な手応えのなさと、
 そして、人を殺してもなお消えずぶきみに立ち込めて彼を脅かしてくる不可解な〈殺意〉である。

 終わった筈の殺人がまだ始まってすらいないとでもいうかのように、
 おまえはまだ殺していないと薄気味悪く唆すように、
 〈殺意〉は繰り返し舞い戻り、殺人者に取り憑く。

 おまえはまだほんとうには〈死体〉を創造しておらず、
 その〈死体〉を手に入れることさえできていないのだ、と
 恐ろしい声で脅迫する妖怪のような〈殺意〉。

 殺人者は〈死体〉が、すっかり彼の自由になる人間の体が欲しいのに、
 それを決して手に入れることができないのだ。

 〈殺意〉は言う−殺せ、殺せ、殺せ、殺せ。
 しかし、殺人者には分からない。
 誰を殺せばいいのかが。
 誰が死ねばいいのかが。
 誰を消せばいいのかが。
 それはいつも誰かに何かに教えてもらわねばならない。

 そして殺人者にはもっと分からない。
 誰が誰をそうまでして殺したいのかが。
 殺意の主体は誰であり、
 殺意の目的とする対象は誰であり、
 そしてまた誰がその殺意の真の媒介者となり遂行者となりえるのかが。

 一体このくらやみのなかでの指示の体系の全体が
 彼に明らかになるときがくるのだろうか。
 殺人者にとって、〈殺人事件〉を引き起こすそのシステムのメカニズムは
 決してあらわにはされないし、自明のものとなることはないのだ。

 殺人者はそれを知りたい。
 それを知ってこの暗闇を晴らしたい。
 そう思って、銃を買ったのかもしれない。
 銃弾だけがこの闇を晴らせると思ったのかもしれない。

 或いは彼がどうしても撃ち殺したかったのは、
 彼に忍び寄り呪縛してくる黒い影、
 〈殺意〉というその得体の知れぬ悪魔のささやきだったのかもしれない。

 〈殺意〉または〈悪意〉と言い換えてもよいのかもしれぬ
 そのぞっとするみにくいものの内部では、
 おそらく誰もその呪縛と憑依から自由ではありえないのだ。

 この呪縛と憑依を断ち切ろうとするとき、
 人は〈殺意〉を己れに引き受けつつ、
 引金に指をかけ、〈それ〉を引き寄せようとする。

 この〈それ〉とは、今のところ殺人者が標的として選び、狙いを定めた人物である。
 殺人者にとって、〈殺せ〉という不可思議な誘いの声は、
 まるでその狙われた人物のからだから発信しているように思われるのだ。

 〈殺意〉の曖昧な暗闇に、明るみが灯るのはそのときである。
 殺したい人間を見つけ出すことによって、
 殺人者(まだ殺人者にほんとうはなっていない殺人者、或いは殺人者にこれからなりつつあるところの人間)は、
 己れを捉えている〈殺意〉の呪縛と憑依、
 恐怖と不安の闇から束の間、逃れ出て、
 心の安らぎを得るのだ。

 〈ああ、俺はこいつを殺したかったのだな〉と納得する時、
 殺人者は彼を不安がらせ、落ち着きをなくさせていた〈殺意〉の妖怪を
 もう怖がらなくてもよくなるのだ。

 その妖怪には顔がない。

 しかし今、殺人者には〈殺したい奴〉の顔が見える。
 彼は彼の〈運命の相手〉を見つけたのだ。

   *  *  *

 この事態は〈恋愛〉の始まりにとてもよく似ている。
 〈性欲〉が〈恋愛〉に心のなかですりかわるとき、
 不穏なくらい胸騒ぎが、かぎりもなく麗しい胸の高鳴りへと昇華して、
 どこかほっとするのと似ている。

 ターゲットが発見されるとき、〈恋〉は始まる。
 〈恋〉は必ず誰かの顔をもっているものだ。

 そして目指す〈恋人〉はまだ自分のものになってはいない。
 それどころか、こちらがその相手に恋愛感情を抱いていることにまだ気づいてはいない。
 いやそれどころか、こちらの存在にすら気づいていないかもしれない。
 〈恋〉は必ず片思いから始まる。
 殺人者の標的に対する物騒な恋愛も全くこれと同じである。
 そして、物騒でない恋愛も殺人者の場合と同じく、
 狙った相手のハートを射止めたいと思うものだ。

 〈恋する人〉はそのためにラヴレターを送って、
 あなたのハートをわたしに下さいと恥を忍んでお願いをする。

 しかし、より過激で純粋な情熱家であるのかもしれない殺人者は、
 そのより狂おしい恋愛を成就するために、
 言葉というようなまどろっこしい手段を使わず、
 ナイフや弾丸を使って直接相手の心臓を奪って思いを遂げようとするのだ。

 殺人と恋愛が紙一重のものであることをわたしたちは心のどこかで知っている。
 エロスとタナトスは、
 理性的な人間がそれを無理やり分け隔てて
 相対立する原理であると考えたがっているようには
 截然と切り離れてはくれないものだ。

 それどころか両者はいつも表裏一体で
 どうかするとすぐ一方が他方へと入れ替わる性質のものである。

 殺人は一種の恋愛であり、恋愛は一種の殺人なのだ。
 その思いを遂げようとする純粋で狂おしい思いのなかで、
 両者はしばしば不可思議な融合を遂げる。

 余りに狂おしく人を殺したいと思うことはその人を恋してしまっているのと同じである。
 そして余りにも狂おしく人を恋してしまっているとき、
 その人の恋する人に向けられる目付きや顔付きは、
 標的を執念深く付け狙う殺人者のそれを思わせる。

  * * *

 殺人と恋愛の中間に強姦というものがある。
 強姦という最も蔑むべき醜い行為のなかに、
 殺人と恋愛の奇妙な同一性を説き明かす鍵がある。

 己れの一方的な思いを遂げるために、強姦魔は、相手を〈犯す〉。
 犯されるのは、他者の肉体だけではない。

 人格が犯される。自由意志が犯される。
 そして他者の他者性が犯される。

 強姦魔はそのときに興奮と激情が進行して
 相手を殺害してしまうこともありえる。

 とりわけ相手が強姦魔の犯す行為に激しく抵抗し
 彼を死に物狂いで拒絶する場合には、
 犯すだけでは済まず、犯しながら相手の首を
 力任せに絞めて殺すところまでゆく。

 しかしもし、考えにくいことではあるが、
 相手が強姦魔の犯す行為に抵抗しないばかりか
 逆に彼を求め彼を情熱的に抱擁して、
 自分自身の官能の悦楽に引き込み始めたとしたらどうなるのか。

 侵犯行為がその侵犯しつつある他者によって
 受容され歓待されてしまうとき、強姦魔は強姦魔であることができなくなる。

 もしその強姦魔が強姦行為だけが目当てのサディストであるならば
 これ程ひどい計算違いはないだろう。
 相手を暴力と恐怖によって抑圧し
 苦痛と屈辱を与えることによってしか
 快楽を得ることのできない人間であるならば、
 相手の思いがけぬ快楽に出くわすことは凄まじい興ざめである。
 忽ちやる気をなくす。
 或いは逆に益々逆上して、
 その相手から沸き起こりつつある快楽と戦い、
 更にそれを殺そうとして暴力をエスカレートさせ、
 ついにはやはり殺すところまでいく場合もありうることは否めない。

 しかし、強姦魔が必ずしも強姦魔としてのアイデンティティに
 こだわりをもたぬ人物であるならば、
 それは願ってもない僥倖であり、
 夢にまで見た願望の成就であるに違いない。
 彼は自分と相手の快楽の融合を求め始め、
 その暴力は弱まって消えてゆく。

 侵犯行為はその途上で中和されて
 単なる性愛へと変奏されてしまう。
 恋愛といわれる程立派なものではないかもしれないが、
 思いは不可思議な平和のなかで穏やかに遂げられる。

 暴力の中和と消滅のなかから姿を現すのは他者の他者性である。
 それは犯すことを挫折させて愛撫へと変容させてしまう。
 そしてこの愛撫のなかでもはや強姦魔でなくなった男は、
 もはや欲望の単なる対象ではない生ける他者と出会う。

 彼は他者を〈愛〉として、愛し−愛される柔らかい相互関係として発見する。
 それは〈夢〉を越えた次元に見いだされる。
 たといそれがその場限りのものであったとしても、
 〈愛〉の実感がもたらす幸福は、
 強姦魔だった男に憑依していた劣情の不幸な呪縛を
 非常にやさしい仕方で解きほぐし、
 彼を正気の人間に戻す不思議な力を発揮したのだ。

 〈犯す〉ことの彼方にあって、〈犯す〉ことを挫折させるものは〈愛〉である。

 〈愛〉のもとで人は真に他者を知る。
 愛するとは他者を知るということである。

 他者の他者性が自分を受容し優美に抱擁するものであると知るとき、
 その他者の他者性から逆に自分自身が愛するべき柔らかいものとして生み出されてくる。

 〈わたし〉は他者から生まれ出るのだ。
 ほんとうの意味で〈わたし〉が存在し始めるのはそのときからである。

 存在、実体、肉体、生命、自己、
 これらの抽象的な亡霊のような言葉が生き生きとした意味を帯びて実感され、
 もはや空しく素通りされることのないつかみどころある受肉された言葉となるのは
 他者の抱擁によって、そして接吻によって、愛によって、
 〈わたし〉が息を吹き込まれた人間となって生まれ出ることによってである。

 他者から愛されたことのない人間は永遠に真の世界を知ることができない。
 知っているつもりでも何もほんとうには知っていない。
 その人間の魂は虚しく、その知恵は空虚で、その思考は無意味、話すことは嘘だけなのだ。
 愛を知らぬ人は人間であるようでいてまだ人間ではない。
 見せかけだけの幻も同然の存在である。

 いや、存在すらしていない惨めな虚妄なのだ。
 その虚妄な人間モドキにとって〈愛〉ですらもが他愛のない虚ろな嘘言でしかありえない。

 彼らは非常に〈愛〉という言葉、
 そしてまた〈他者〉という言葉が好きで、
 その言葉に非常に敏感に反応する。

 いずれ同じ虚無の穴のムジナに過ぎないのだが、
 そんなものありやしないじゃないかと吐き捨てるように言って
 己れの知的誠実さである無知の表明をすることで
 知的優越性を示そうとする高級な〈白痴〉たちの一方には、
 ブタのように愚鈍な知ったかぶりの下劣な〈悪霊〉どもが蔓延して
 蒙昧きわまりない歌やタワゴトで
 〈愛〉でないものを〈愛〉だといい、
 〈他者〉でないものを〈他者〉だと言い触らして、
 真実の〈愛〉や〈他者〉を現実的に破壊して不可能なものにしている。

 大衆もインテリも唾棄すべき似非人間である。

 彼らは真の世界を人間に体験不可能な
 遠いおとぎ話の絵空事や偽りだらけのみにくい物語に変えるために、
 互いに卑屈に憎しみ合いながらも共謀して、
 忙しくそれぞれの破壊行為に精を出している。

 自分たちが何をやっているのかも分からない程彼らは愚かなのだ。

 このような下らぬ自称〈人間〉どもを見ていると、
 殺人者の陥る気分というのは非常によく分かる。

 〈殺意〉を感じない者の方が余程どうかしているといえる。

********************************************************
《「殺人」考》を改題
http://ameblo.jp/novalis666/entry-10000741896.html

2005/11/27 livedoorフレパに投稿。
http://www.frepa.livedoor.com/blog/show?id=19372&diary=389

2005/12/08 日記に再掲載:
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=61929979&owner_id=251214

コメント(3)

■死すべきものども

 世界が〈愛〉を不可能にしているのなら、
 わたしは人間として言う、そんな世界は破壊するべきである。

 殺された方がいいようなみにくい人間、
 生きる資格もないような傲慢で下劣な虫ケラが、
 法律を楯にとって生存権を脅迫的に濫用し、
 世界をより醜悪にする権利を横暴に主張するような社会では、
 人間らしい美しい人間は美しい世界を守るために必ず武器をもって革命を企てる。

 そのような社会は粛清を必要とし、
 必ずや殺人者を救世主として英雄として必要としている。

 醜悪で抑圧的な終わらない日常のみにくい奴隷として
 むなしい一生を送ることを要求するような社会は、
 自分自身の体制の醜悪な存続のためだけに、
 その成員たちに絶望と断念を強制し、
 当然それに不満をもつようになる正常な人間たちに、
 シニカルな笑みを浮かべつつ小綺麗で美しいお涙頂戴のお葬式会場を指さして、
 愛されたいなら死ぬしかないと
 偽善的でご親切な自殺の勧めを差し出すようなみにくい人間どもを増殖させる。

 しかし、人間は生まれながらに人生の敗北者として定義されているのではない。
 そんなことは勝手な大人が勝手に決めて訳知顔で押し付けてきた不当な〈知〉の暴力である。

 人間にはどうすることもできない感情というものがある。
 心に物を思うなといって、心がなくなる訳ではない。
 人間は心を捨ててしまえばもう人間ではないのである。
 命を捨ててしまえばもう人生はなくただの死せる物体にすぎないのである。

 生命の尊さや人格の尊厳や愛の美しさや生きる喜びを奪う世界を碌に批判もせず、
 そのままにしておきながら、弱者によりセコくいじましい処世術を説教したり、
 理解者づらの自殺教を蔓延させることによって
 己れの屈折した復讐心と病的な挫折感を他に転嫁して
 身代わりの自殺者の累々たる屍骸を足元に積み重ねながら、
 その己れだけは卑劣な保身に生き延びて自殺もせず、
 死人の数を嬉しげに数え、その増加を喜び、
 美しい遺体を思って自慰にふけるようなみにくい人間は、
 そのご立派な教えの範を身をもって示してみせることすらしない。

 それほどその教えが素晴らしいのであれば、
 自分からそのお偉い肩書に守られた地位を打ち捨て
 路上に落ちて誰からも軽蔑される売春婦となり
 犯されてその真の屈辱を知り弄ばれるべきであるし、
 また、他人に薦める首吊りの縄を自分にかけて、
 その薄汚く悲しく空しいこと以外は何もいえない程絶望的な人生に
 ふさわしい締めくくりをつけてみせるべきである。

 シニックな人間というのはもはや人間ではなくただの薄汚い〈犬〉なのであるから、
 みっともなく飼い主サマの顔色を窺って
 その下らぬ芸事に支払われる侮蔑的な餌に自分だけありつこうという
 卑怯で見え透いた魂胆が外の犬どもに露見して
 怒りをもって噛み裂かれ、自分がまさに犬以下の〈餌〉に貶められるのが嫌ならば、
 せめてまだ〈犬〉のうちに野良犬となって薄汚く寒い路地をさまよい、
 野良犬らしい惨めな末路を辿ってみせろ。
 野辺に薄汚く窶れ果てて襤褸雑巾のように朽ちて死ね。
 それでも同類の牙に食われる〈餌〉にされるような恥辱を晒すよりはましだろう。

 犬らしい悲惨な追われる生を最後まで生き抜いたおまえの傷だらけの体を
 他の犬たちは真の共感と尊敬と憐憫の瞳で見つめ、
 その無数についた傷痕をやさしい舌で舐め辿って、
 おまえの生の真実を読み取り、
 見よ、ここに一匹の偉大な犬が死んだと仲間を呼び集めて、
 真摯な哀悼の遠吠えを上げるだろう。

 それが嫌なら、
 おまえにまだ牙があり、力があり、そして狼の誇り高い血が流れていることを思い出せ。
 自分が〈犬〉ではなく〈狼〉であることを証明してみせろ。
 悲しい遠吠えをして逃げ隠れすることをやめ、
 血に飢えた怒りの牙を剥いて、おまえを侮蔑した奴らに復讐せよ。

 俊敏に走り、隙を衝いて飛び掛かり、
 襲い掛かって地べたに倒し、
 その蒼ざめた喉笛を咬み千切って、
 食い殺してみせよ。

 他の〈犬〉どもに彼らも〈狼〉でありうることを、
 そして人間が食えるものであることを、
 〈狼〉にとってはただの〈餌〉でしかないことを行動で示してみせろ。

 いつか貴様を〈餌〉にしてやると、 犬小屋に蹲って、
 おまえに侮蔑の〈餌〉を
 そしていつかはきっとおまえ自身を〈餌〉にしてしまう〈餌〉を
 投げてよこすいい気な飼い主サマのみにくいツラを
 上目使いに見上げて睨んでいるような奴は、
 〈狼〉になるときを空想しているだけで、
 その姿は何らみにくい人間と変わらない。

 〈狼〉が生まれるよりも早く、
 すでに腐る程大勢いる〈犬〉どもは、
 その憎むべきみにくい人間の一員になり果てた裏切者の臭いを嗅ぎ付け、
 おまえを今夜にも食い殺してやろうと舌なめずりして陰謀を巡らしている。

 そのとき、おまえはきっとあれ程憎んでいた飼い主サマに
 助けてくれと哀れな叫びを上げるだろうが、
 飼い主が猟銃をもって駆けつける頃にはすでに
 おまえの体は〈犬〉どもに嬲り物にされ、きれいに片付けられた後だろう。

 ではおまえは〈犬〉どもに哀願するのだろうか。
 仲間じゃないか、どうしてボクを襲うんだいと今更哀れを乞おうとするのか。

 愚かしいことだ。
 〈犬〉どもはおまえをそのときシニックに冷笑するだけだ。

 いいや、おまえなんか仲間じゃない。
 俺たちを今までよくも騙していたな。
 裏でちゃっかり飼い主サマからうまそうな餌を頂戴していたおまえに
 本当の飢えというものを教えてやるぜ。
 おまえはみにくい人間どもともう変わらないから、
 きっとおまえの肉はとてもとてもうまいだろうし、
 おまえを殺すのはとてもとてもたのしいだろうよ。
 俺たちはみにくい人間の肉を食うのが好きなのさ。

 このようなみにくい飼犬的人間は
 己れのみにくさを他に転嫁し投影して
 自分だけは知らぬ振りと
 物の分かった振りの良い子づらをすることだけに長けた下劣な人間であって、
 自分自身のみにくさから逃げてそれをごまかそうとしているだけである。

 彼らは弱者を楯にするためにだけ弱者に取り入る。
 そして頭の弱い弱者は自分自身の最悪の敵であるこのような卑劣な強者の浮かべる
 最もみにくい冷笑的憐憫の微笑みにいつも易々簡単に騙される。

 弱者を擁護したり弁護したりする人間は
 自分自身の権力の根拠を弱者の涙の上に置いているので、
 常に弱者を必要としているし、弱者というものが大好きなのである。

 このような人間は必ず卑怯な強者であって、
 決して弱者の立場に本当に身を置いて
 弱者のために身を捨てて戦おうとはしない。

 しかし弱者が彼に期待するのはまさにそのように行動することなのである。

 だが、弱者の儚い甘い期待は必ず無残に裏切られることになる。

 弱者の側にも確かに問題がある。
 救世主の到来や革命家の出現を待ち侘びながら、自らは何もしようとはしない。
 それどころかこのような自分たちの最も力強い味方を如何にして裏切り、
 その足を引っ張るか以外の何も考えることはできない。

 いざとなれば腰抜け揃いで、戦わずしてうまい汁を吸うことができないなら、
 死のうと殺されようと戦うことは怖いし面倒臭いし嫌なのだ。

 彼らは虐待と隷属と怠惰に慣れているので、
 自由や自立や自律を耐え難い重荷であると感じるまでに
 調教され洗脳されきっているのである。

 いじけきった蛆虫どもは必ず救世主や革命家を見殺しにして、
 暴君や冷酷な独裁者や腐敗した権力者に尻尾を振る。
 そして自ら恐怖の権力の走狗となって、
 自分たちを無力な蛆虫以上の存在〈人間〉にしようとしてくれた恩人を
 いつも一番肝心なところで裏切り、
 自分たち自身の手で血祭りに上げ、犠牲に捧げるのである。

 自分たちの身代わりになって死んでくれれば〈良い人〉で、
 ほとぼりが冷めればメソメソと可哀想がって、
 やれ英雄だ救世主だ預言者だ天才だといって褒め上げ、
 馬鹿げた偶像に祭り上げて下らぬ神話のネタにするだけ。

 名誉が回復されたからといって、
 これ程人を馬鹿にした話はない。

 実はそれこそが最大の侮辱であり汚名なのだ。
 偶像とは常に玩具であり慰み物であるにすぎない。

 蛆虫どもが偉大な人間の栄光をたたえるとき、
 故人の業績をたたえるとき、
 悲劇の人の生前を偲んで噎び泣くとき、
 最低最悪の醜行が恥知らずに演じられているだけなのだ。

 何も救えぬ記念碑のような木石や空虚な名誉という
 それこそ馬鹿げているだけではなく
 抑圧的で反人間的な、実体の無い名前だけの亡霊になって、
 覆したかった体制に表彰され、歴史の殿堂の飾り物にされるために
 彼らは戦ったのではない。

 無念という以上の屈辱的な光景だ。最悪の裏切りがここに完成するのだ。

********************************************************
《続「殺人」考》を改題
http://ameblo.jp/novalis666/entry-10000741962.html

2005/11/27 livedoorフレパに投稿
http://www.frepa.livedoor.com/blog/show?id=19372&diary=390

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