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ナショナリズムは必要か?コミュのあなたの「ナショナリズムに関わる問題意識」は?

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本来は「あなたにとって、ナショナリズムとはどういうものですか?」のトピックでやりたかったことかな? という気もするのですが。

○表題(トピックタイトル)についてと、あと現時点でのそれへの回答のようなものがあれば表明するためにお使いください。

・一人につき一つの書き込みに限定

してみましましょう。長文は蹴られることもあるようなので、その場合は分割して。

・考えが変わったら元の書き込みは削除して修正したものなり新しいものをアップ。

・このコミュニティに参加する方の立脚点を明確にするのが目的です。

・議論は今ある他のトピックなり新たなトピックなりでお願いしますね。で、そこを読んだり参加した結果をまたここに反映するようなプロセスが生まれるといいなぁという思惑で、まずは実験です。

こけたら? 無くても世界は回るってことで、気軽に行きましょ〜。義務のようにするつもりは全く無し。ここに書き込みがないからというような理由で入りづらいとか、書きづらい、差別されたりというような状況が生まれたらトピックごと削除するかもしれません。(ん?できるのかな?)

コメント(10)

人の心の暖かさが、経済や利得の遥か下位に置かれるように
なってしまった現在では、弱者や危機に晒されている者たちを
救うための一つのシステムとしての『国』とか『国連』の様なもの
は、どうしても必要になってくるのだろうと思います。

ただ、国という集団の効用や必要性などは、十分理解出来てはいる
のですが、何分、人間が暴力を始めとする軍事力を持ったままでは、
その集団内互助という救済システムの持つメリットが、一気に
霞んでしまう程のマイナスの影響(「戦争」や「乱開発」)があるだろうし、
見渡したときに、既にそれが現実のものとなって我々の前に置かれて
いるというのが、今日の世界なのだろうと感じています。

エゴはそれだけでは、《善》でも《悪》でも在りませんが、行き過ぎた
力を持ってしまったら、広く一般的に見ても《悪》と認知出来る状態に
なるのと同じようなものでしょうか。
 *上記の《善》《悪》は必ずしも法律上のものではありません

つまり、『ナショナリズム』の構造に見られる国(ナショナリティ)を
支える仕組みを、更に小さく個人に落とし込んだのが『エゴイズム』
であり、反対に大きく人類にまで拡大したのが『ヒューマニズム』
という見方も出来るということです。
そしてこれが、ま のすけの『ナショナリズム』に対する、あくまで
学問上の位置づけでもあります。


けれど、その国という(現状では大分歪んだ)システムを、維持させる為、
ある種の目的を持って、一部為政者から導入された『ナショナリズム』
なるものには、理論上はどうあれ、そもそも肉体が拒絶しています。
一部為政者の、人間としても浅はかな目論見が、肉体を通じて
感じ取れてしまうからなのでしょうか。

ですから、『ナショナリズム』を論じていくときに、学問上の
『ナショナリズム』なのか、為政者の持ち込もうとしているそれなのか
を、ハッキリと区別して論じて頂けたらとも、感じておりました。


本当なら、すっと身近に困っている人を、見返りを求めることなく、
自分の出来る範囲で助けていくような、自然発生的な個や
その場で出来たり消えたりする程度のゆるい連帯の小さな集団間
での互助の精神や仕組みで、広く世界を覆いつくすことが出来れば、
きっと『ナショナリズム』などと言っていたものは、全て、
『ヒューマニズム』に置き換わり、『ナショナリズム』というのは、単に、
『ヒューマニズム』を持つまでの過程の上に置かれた、随分滑稽な
思想だったよなぁと、過去回想できるのかもなどと、些か妄想気味では
ありますが、そんな風にも思ったりしているんですがねぇ。(微笑)

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エッジをしっかり主張してはいませんので、ぼやけている様に
映るかもしれませんが、今の、自分の中にある『ナショナリズム』への
考えは、ほぼこの辺りにあると思います。
 
 
トピック作るだけ作って 自分の考えはまだかい?と 言われそうなので。少々昨晩mixiし過ぎてしわ寄せが来てまして。

今の段階では、
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=343535
の108版の書き込みがそうです。ということで。
修正してここにあげるつもりです。(その際にこの書き込みは削除します。)
ヒルベルト空間
という数学的な考え方がある。近年の量子力学が解明した「存在」は確率の波でしか記述できない、という量子論に基づく世界を説明するのに使う高等数学であり、まあ古典的なニュートン物理学での定まった量の計測において、「定まった」ものが確率論的に決定される場合の計算のために使われる。たとえば、ボールを投げるとすれば、古典的なニュートン物理学では、速度と角度という二次元の座標でそのベクトルを表現できるが、量子力学では、ボールの存在というかふるまいは確率の波として捉えるから、二次元どころではなく、「無数の次元」が必要になる。ちょっと脱線するが、似たような話で、少し前、SynthEditで、f分の1をどうやって組み込むかというときに悩んだ、二次元上で直線(一定)状に記述されるパルスとそのまわりをランダムになおかつ一定の値に収束するようにまとわりつく霧状のf分の1状態での、例えば、「星雲」がそうである、中心に向かうにしたがって「濃く」なってくる霧状のものを考えてもらえれば、数学的に記述する場合、確率論が含まれると無数の次元を考える必要があるというのはなんとなく分かってもらえるだろう。もちろん、俺もなんとなく分かっていると思い込んで書いてるのだが(爆)、それはともかくとして、とりあえず、ヒルベルト空間とは、次元数が無限の空間のことであり、ヒルベルト空間の数学的記述に複素数が使われるのは、確率の波をとらえる情報の波は、いわば赤道である実数と、北極、南極軸である虚数との二つの「座標軸」の関係のなかではかることができるからなのである。なんのこっちゃ。複素数に虚数が含まれているのは高校で習ったでしょ?忘れる?・・・orz.
ポール・ディラックのブラ=ケット記号
さて、このブラ=ケット記号とは、もともとそのままブラケット、日本語でいう「」←これ、つまり「括弧」のことで、括弧内で、<A|B>というように表わす数の関係の記述法。この場合、AがブラでBがケットとしてブラ=ケット記号として記述される。この括弧のなかの右側、つまりケットにおかれたBは事物のある状態、可能性としての状態を表わす。ケット(B)じたいは加算が可能だが、乗算をするのにはブラ、Aを要求する、つまり、状態の確率変化をあらわす。なにが「つまり」じゃゴラーという気持ちは分かる(笑)。少し考えれば分かると思うんだけど・・・。まあ気をとりなおして、とりあえず、この数式内部においてはケットじたいはベクトル量(方向を持った量)として単純に記述できるが、乗算による積は無限次元の内積だから、いわゆるスカラー積(方向をもたない量の積)になる。例えばこの<A|B>の読み方はBブラ=ケットAと読むのだが、これはすべて確率過程だから「もしBならばA」とも読める。そしてここが重要なポイントだが、この式が記述する全体を「確率振幅」と言い、そこに作動している関数が有名な「波動関数」なわけだ。簡単に波動関数の説明をすると、量子力学の基礎となる関数のことで、素粒子の状態変化、挙動などが、波動関数によって「波」として表現、把握することが可能となったのだ。
さてこのブラ=ケット式がもたらした衝撃とは
確率振幅の全体は「複素共役」(コンプレックス・コンジュゲイト)と呼ばれるものによって計算される。複素共役とは、AもBも実数部と虚数部からなっているものに対して、Bが負になっているもの、つまり虚数が負になっているもので、<A|B>*とあらわす。虚数部が負になっていると、逆の逆は真であるから、確率振幅は必ず正の実数になる。量子化の規則によって、いわば逆の逆はその全体の逆と等しくなる。つまり<A|B>=<B|A>*となる。言葉でいいあらわすと確率的に起こる原因Bとその結果Aは、その逆、つまり原因Aとその結果Bと複素共役によって等しくなる(!)。あることが起こって結果ができるのは我々が当たり前だと信じ込んでいる古典的な因果律だが、この等式の衝撃は、結果が先にあってそれから原因が起こることが等しいものとして記述されるところにある。この二つの「反対」の時間の向きが等しいということは過去と未来が等しいということになり、この式<A|B>=<B|A>*の右辺と左辺は、今瞬間の時を鏡としてどちらが実像でどちらが虚像であるかを決定することができない。これはつまり、客観的な実在においての時間の流れは決定論には置かれておらず、ただ単に我々の「(近代理性による)認識」が時間の流れを過去から未来へと不可逆的なものとして捉えているだけにしかすぎないということを意味する。
これらはつまり
過去は未来であり、未来は過去であるとして古典的因果律の解体がもたらされただけではなく、最初のほうに書いた無限次元のヒルベルト空間が、すなわち我々の住む世界であるということを証明したのだが、これがつまりパラレルワールドセオリーのブレイクスルーを切り開き、少し前までは、いわゆるコペンハーゲン学派らによって、そのセオリーは微視論的な量子世界でしか通用しなく、われわれが住む日常世界はそれであるはずはないという二元論が言われてきたが、近年の物理学者らの大半はそれがわれわれの日常を貫く普遍的なものであるという認識になってきている。ソースを忘れたが、この説(というか引用している本)が書かれた当時、1989年当時、数パーセントしか賛成派はいなかったのだが、最近では7、8割方の物理学者がそれを認めてきている。
さて、このヒルベルト空間と我々の脳の在り方が非常によく似ている
ことを簡単に説明しておこう。ハードウェアとしての脳は実に複雑な位相空間になっており、ソフトウェアとしても、複雑な網状組織の神経線維が非線形に発火することによって、同時にさまざまなイメージをみることができる。と同時にそれらのイメージ群どうしじたいもまた複雑な位相空間におかれ、相互に影響を及ぼしている。これの一例としては、いわゆる「マンダラ」の絵が挙げられるだろう。すなわち、脳の活動の大半を占めるイメージ的、感性的活動の働きはヒルベルト空間とほぼ同様と見ても差し支えないのだが、言語活動だけは一次的で線形に働く。ひとつの言語記号がえらばれ、その意味に集中すると、他の言語的意味は排除される。多義的な自然言語(つまり感性も含めた意味の膨らみを持つ言語感覚)の意味世界から、記号と対する意味を一義的に、いいかえれば一対一対応で選択している。これは逆に言えば、「詩」というものを考えてみれば、その詩における言語活動は記号に対する意味を「多義」的に「伺わせる」ように、つまり一義的には取り扱わず、暗喩や比喩を使うわけで、そのことが「詩」の、普段我々が使う言語体系とは違ったある種のイメージ喚起力をもたらしているわけで、これもまた我々の脳はヒルベルト空間におかれていることを証明しているとも言えるだろう。または「詩」とは対極的にある「機械翻訳」を考えてみれば分かると思うが、ヒルベルト空間が無限次元に開かれたイメージ群(脳にとってはね)であるからして、他の言語が導く一義的な言葉を双対的に適切な訳をするのにはヒルベルト空間をプログラミングする必要があるわけで、無限にプログラムしなくてはならなくなる(笑)。そのことが翻訳ソフトがいつまでたってもろくな翻訳できない根本的な理由で、これもまた逆に脳の在り方とヒルベルト空間が同質のものであることを裏づける証拠になると言い切ってしまへ。
超決定論
さて、パラレルワールドセオリー、多重世界論においても、我々は「今、ここ」に決定づけられて存在している。そのことが初期量子論においてパラレルワールドセオリーへの反感(笑)をもたらしていたわけであるが、いきなり単純な話にしてもなんだが、「決定」されるという状態は「解」が出された状態であり、ごくシンプルにすると、多重世界において、他の世界が今自分がいるところと「交差」する、いわば動力学的に介入することによって決定されるということを意味する。ただし、時間の性質上、その「決定」はその瞬間でしかなく、無限に開かれた(まあ正確には重ね合わされた)決定されうる世界が存在するわけで、正直書いてる俺ももうキツくなってきたが(笑)、とりあえず結論を出しちゃうと、動力学的に交差する超決定論において人間の「意図」は驚くべきことに、その交差する「位置」を選択することが可能なのである。このことの意味は、現実の在りようの責任の大半はその人間の自己決定権(の強度)にあることを意味し、えっと、もうちょっとていねいに書いたほうがいいんだが、もうお腹すいてきたのでイージーに書いちゃうけど、ナショナリズムや共産主義等の近代的イデオロギーの問題は、しつこく書いているように、本来はヒルベルト空間に開かれた我々の物理的存在、または(脳の)認識のほんとうの在り方を「狭める」ようにしか働かないというところにある。

以上、物理学から見たナショナリズム批判でした。
「国民の権利」と人権を一致させよう(そして人権を制限しよう)というのが、ぼくが思うナショナリズム。
したがって批判的に考えていこうと思ってます。

前に書いたのより簡潔にしてみました。

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