1902年8月にパリにやってきたリルケですが、最初の日付のある詩は、9月11日に書かれた有名な「秋Herbst」です。これについては、ブログでちょっと書いたことがあるのですが(http://92363747.at.webry.info/200902/article_2.html)、今回リルケの日記を読んでいたら、「孤独への落下を限りなくやさしく支える両手」という詩想の源泉の一つではないかと思われるロダンの「神の手La main de Dieu」の彫刻らしきものを、やはりリルケは見ていたことがわかりました。
「秋」の次に日付の明らかな詩は、9月21日という同じ日付のある「孤独Einsamkeit」と「秋の日Herbsttag」です。この二編と先の「秋」を合わせた三篇は、詩集『形象詩集Das Buch der Bilder』の第一書第二部に互いに近くに収録されており、「孤独」を共通の主題としています。もちろん、「孤独」はそれまでのリルケにとっても重要なテーマだったわけですが、パリという特別な場所に来たこと、そして夏が過ぎて秋を迎えたことが、これら三篇をリルケに書かしめたのでしょう(ボードレールやヴェルレーヌの、おそらくパリを背景とした有名な秋の詩たちと比べてみるのも面白そうです)。
Uliさんが書かれているように、リルケはパリの最初の宿トゥリエ街rue Toullierから、五週間後にラベ・ドゥ・レペ街rue de l’Abbé de l’Epéeに移っているので、10月の初旬には引越していることになります。つまり、上に挙げた3篇はトゥリエ街で書かれたものといういうことになります。10月以降に書かれた詩で日付が明らかなものは、11月1日の「聖女Die Heilige」(『形象詩集』所収)で、パリのパンテオンの内壁を飾るPuvis de Chavanneの連作壁画の題材であるパリの守護聖女Sainte Genevièveについて書かれたものです。この絵についてはマルテの手記(および1902年8月31日クララ宛書簡)の中でも触れられています。
「豹」は、副題にあるようにジャルダン・デ・プラントJardin des plantes(植物園)での経験に基づいています。また、1902〜1903年と推定される詩の中の「アシャンティDie Aschanti」は、ブローニュの森にあるジャルダン・ダクリマタシオンJardin d’Acclimatation(馴化園)が舞台になっています(この詩は「豹」と対をなすものと思えます)。リルケは、パリの街中で人間や建物を観察するだけでなく、こうした公園で異国の動物などに詩作の対象として目を注いでいました。そうした禁欲的な修行が、『新詩集』二巻、『マルテの手記』として実をむすび、『ドゥイノ』『オルフォイス』に結実するリルケ独特の詩世界を生み出したわけです。