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「深層意識」による心理分析コミュの【ネット・コミュニケーション上にまで営利目的を持ち込む心理について】

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フロイトの理論

これらのなかで、ウィーンのジークムント・フロイトがこの仮説を、初めて系統的・学問的な方法で研究し、「無意識の発見」とも呼ばれるその理論形成において、人間の日常生活における心の働きのありようについて、広範囲な影響力を有した帰結を導き出した(精神分析を参照)。

「深層心理学」の概念を最初に導入したのはスイスのオイゲン・ブロイラーである。フロイトは、みずからが基礎付けた精神分析を、当時のアカデミックな心理学で支配的であった意識心理学( Bewusstseinspsychologie )と識別するため、1913年以来、この概念を援用した。他方、フロイトが基礎付けた精神分析の学説と並列して、フロイト門下にあったカール・ユングとアルフレッド・アドラーは、それぞれ独自の深層心理学の学派を樹てた。ユングは分析心理学派を、そしてアドラーは個人心理学派を築いた。

心のダイナミクス

深層心理学の諸流派は、無意識の「深層」において進行している、心的な欲求(Trieb)の調整と葛藤への対処過程が、意識的な日常経験や行動の基礎に存在するという見解を表明している。心的なプロセスは本質的には、欲求または他の動機となる過程を基礎に置く、心的エネルギーの力動(Spiel)と理解される。すなわち、ここで「心のダイナミクス(動力学)」が想定される。

このプロセスは、人間の日常的な心的生活に特定のエネルギーを供給する。フロイトは性的欲求を非常に重視し、プロセスに付随する欲動エネルギーをリビドー(Libido)と呼んだ。ユングとアドラーは、性的な欲求力動を重視するフロイトの主張を承認しなかった。アドラーはフロイトの主張に抗し、権力への野心が心の原動力の中心に位置するとした。ユングは心的エネルギーに特定性はなく、欲求エネルギーの普遍性を提唱した。(以上、Wikipedia『深層心理学』より抜粋)

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独自的深層心理学・学派のフロイト、分析心理学派のユング、個人心理学派アドラー、
彼らはそれぞれ「別々の学派」を築いたのですが、【心のダイナミクス(動力学)】というポイントについては、その詳細さえ異なれど【心には何らかの原動力が働いている】との観点が三者共に置かれているのであります。

フロイトはそれ(原動力)を【性的欲求】に置き、アドラーはそれ(原動力)を【権力への野心】に置き、ユングはそれ(原動力)を【対象を特定せずの普遍的欲求】に置いた。というのが「原動力」に纏わる(掻い摘んだところの)三者三様性として謂えるというわけです。

さて、当トピテーマでもある【ネット・コミュニケーション上にまで営利目的を持ち込む心理について】には、上記三者が唱えたところの「どの欲求」がその深層に孕まれているのか?を考察しておりまして、私としましては、
【ユング的見解発祥の→アドラー的見解経由の→フロイト的見解による「快」】という図式を、見解として持つのであります。


具体的に申し上げますと、

? 先ず以って、人間の行動における原動力の根底には【何はともあれ「欲する」ということ】が存する。(ユング的見解から発祥)

? 【何はともあれの「欲し」】を背景に、人間社会上で「より多くを獲得するため」には【権力を持つことに有利性が働く】という着想から【権力への野心】が行為される。(アドラー的見解を経由)

? しかしながら、実際にはさほどの権力の座にも就けないでいる者にとっては?における【権力への野心】がさほど実を結ばないという現実により「欲求不満(フラストレーション)」が発生するわけで、その場合における当人には「専門家以外も数多く集う仮想空間(所謂ネット)」上で以って【せめて仮想現実上だけででも権力を得るために、「科白上のみのアクション」でコミュニケーションの場を欲求不満解消の場として使用する】という行為に及ぶ。(フロイト的見解への「快」を得る)

という↑見解が私の見解である。ということであります。
さらには、この場合における「ネット上での権力を欲する者」については、自らの「科白」に対する信仰者数を増やすことにより自らのカブを上げようとしているわけであり、その『自らの(実は哀れな)野望』の邪魔をするような正論は、【同じ立場(現実ではさほど大成できていない自らのために歯がゆくもネット上で信者を獲得しようとしている立場)上の者】とスクラム組んでは「排除すること」に(あろうことか)真剣に取り組むものである。とも思う次第であります。


上記内容について、ご意見、ご感想、あるいは異論等がおありの方は是非とも「当テーマを解明するべく話し合い」にご参加くださいますよう。

尚、感情顕かな「反論」をなさる方につきましては、当トピテーマが考察する「対象者」(つまりが「ネットコミュニケーションにまで営利目的を持ち込む心理に在るご本人」ないしは「そういったご本人を信仰なさる方」)であることが確実になることかと存知ます。

コメント(23)

こんにちは。コメントを書いたのですが、文字数オーバーで投稿出来ませんでしたので、まとめ部分を投稿します。
連投するのもなんというか、冗長になるものですから。

Q 当問題は何故起こるか?

A 個人のコミュニティーにおける公共性の偽装が引き起こしているのではないか?

Q 当問題者の心理とは?

A やはり、居場所探しとその確保ではないか?

さんびさん。

「>個人のコミュニティーにおける公共性の偽装が引き起こしているのではないか? 」←についてをもう少し詳しく説明してもらえますか?

興味深くもある着眼点ですので。
了解しました。

 私はサンプルとして実際に営利目的でもってミクシィに参加する様を追っかけてみました。
コミュニティー検索で「おすすめ」でワード検索してみますとおすすめの○○といったコミュニティーが数千人の参加者を抱えて並ぶのですが、幾つかのコミュニティーのトップ文言を読むと特定の企業のポータルサイトである事が分かります。

ご注意願いたいポイントはここなのですが、例えば「オススメの美容院」というコミュニティーがあるとします。※この名前のコミュニティーは在りません。
そのコミュニティーのトップページにオススメの美容室を探すならコチラ♪と美容ポータルサイトへリンクが張られていたらどうでしょう?
これは営利を目的としたコミュニティーではないでしょうか?
このコミュニティーを創設した人物の心理はシンプルです。
ミクシィを利用して自分の(若しくは会社の)ウェブサイトの閲覧数を上げる事が目的となります。
しかし、断定は出来ません。管理者がたまたま良かれと思って自分とは全く関係の無いポータルサイトをトップページにリンクさせたのかもしれません。
断定出来ない事で多くの故意的な管理者は我が物顔で営利目的でコミュニティーを建てていく事が出来ます。

閲覧を上げようとミクシィを活用するものがコミュニティーを作成して単純に自社HPをトップに張っただけでは参加者は集まりません。ここで創設者は一つ知恵を働かせます。
それはコミュニティーにパブリックなイメージを被せる事です。
「おすすめの美容室」というコミュニティーの名前はミクシィ接続者にとってのオススメのサロンを接続者同士が紹介しあうコミュニティーであると誤解させる事が十分に可能でしょう。
コミュニティー内には「関東オススメサロン」「関西オススメサロン」などとトピックが建ち、その公共性を上手い事アピールしていきます。
類似する内容では「禿悩み相談室」「やせたい人の本気のコミュ」「悩む前に相談その自殺待った!」
※同名のコミュニティーがあったら申し訳ない
といった名前をつけておいて管理者としてトップに自分の店やポータルサイトをリンクさせているケースも想像がつくというものです。もっと巧妙に宣伝を隠しているケースもあるでしょうね。
ミクシィの機能には個人のコミュニティーをパブリックに偽装出来る瑕疵があります。
↑ここ重要だと思います。
そして、これがまさに肝なのですが、ミクシィの機能を使って
おすすめの○○の管理人は自身以外のポータルなどの他者の広告を意図的に削除する事が出来ます。

例えば「代官山美容室○○のコミュ」という名前でコミュニティーがあればそこで管理人が何を主張してようが誰も気に留めないと思います。それはコミュニティーがそもそも個人的なものである事がタイトルを持って断られているからですね。
「俺様の部屋」というコミュニティーで管理人が何しててもまぁだれも野暮は言わないというものです。


しかし、これが先述のおすすめの○○で起きたらどうでしょう?
フェアとはいい難いですよね?
ようやく話を進めます。
この際パブリックなイメージを被せるコミュニティーを創設したものの心理はなんでしょう?
なんら疑問も無い利己的な行動ですよね。
「サロン○○」というコミュニティーよりも「美容院口コミ」コミュニティーのほうが参加者が見込めます。

そして、その行動を支えるのはコミュニティー参加者並びにトピックでの発言というコミュニティーが活用されている事実です。宣伝がトップにあろうが、使われてるんだからいいでしょ?というわけですね。
流石に目立つようになれば運営事務局も対応するようですが、広範にわたりすぎて管理など無理でしょう。事実出来ていないようですし。
過程としては似たようなコミュニティーが乱立して淘汰される過程を経るのですが、ミクシィの場合その性質から後発のコミュニティーほど宣伝効果にハンデがつきます。
※正しくは先発組みのコミュニティーにアドバンテージがつくといった按配でしょうか?

いやぁ長くなってきました。すいません。
さてさて、ようやく学問を話題にするコミュニティーに考え方をスライドさせていきます。
とある学説を支持するコミュニティーがあるとして、そのコミュニティーのタイトルが明確にされていれば、その学説に付随する話題以外を管理者が削除する事は適切であると参加者に認められるかもしれません。
ところが、先述のようにコミュニティーはパブリックなイメージを偽装すると参加者が集まります
この特徴からドンドン大枠な名前を取り合うようになるわけです。
「科学」でコミュニティー検索をしてみるとうんざりするほど検索結果が並んでます。
kagaku.comを取り合うかのように「○○科学」「科学○○」とコミュニティーが沢山あって目移りしちゃいます。(なんてね

誤解されているのはやはり、それらが「全て個人のコミュニティーであるという点」では無いでしょうか?
公共的な偽装をしている個人のコミュニティーなんですよね。 

管理人の主観的な理想のためなら好きに退会処分を下せるミクシィですが、それは単純な機能の瑕疵じゃないかと思います。

ネット・コミュニケーション上にまで営利目的を持ち込む心理というのは効果を期待してのものであると思います。
根元は効果を期待する心理 営利とは生活にかかるのでかなり1次的な心理欲求に支えられているように思います。次いで承認欲求を持つものがワラワラ集まりますよね。
彼らが目指しているものは表向きは自己の向上にあるのですが、実はコミュニケーションを媒介としてのレクリエーションに他ならないわけです。←韻を踏んでますねこれは。

そうなってくると問題とはなんでしょうか?
個人のコミュニティーで人々がレクリエーションしている事の何が一体問題なのでしょうか?
私はその行いを公共のものであると偽装している事が問題であると述べたいと思います。
さんびさん。
どうもありがとうございました。

さんびさんのお書きくださった文章内の「どの箇所」を抜き出し且つ繫げれば(さんびさん曰くの)【>個人のコミュニティーにおける公共性の偽装が引き起こしているのではないか?】についを-より端的に記述できるか?と思い、幾度も読み返しつつ読み解してはみましたが、さんびさんがご説明くださった内容には「答えとなる箇所の抜粋そのものが不可能」で御座いました。

と、いいますのは、お書きくださった内容は、【「個人のコミュニティーにおける公共性の偽装が引き起こしているのではないか?」と思っていらっしゃるさんびさん自身】の【「思い」の出処】が「詳細」として書かれてある(に過ぎない)からです。
つまりが、お書きくださった内容は、【「個人のコミュニティーで人々がレクリエーションしていること」に対し「その行いには公共の偽装がある」← と(さんびさんご自身)が問題視なさるに至ったまでのからくり】が書かれてあり、【「公共の偽装」とは何か?】という要(かなめ)のところについて具体的説明は為されていないようにも感じました次第です。

ただ、文章全体を通して「さんびさんの謂わんとしていること」は感覚的に受動できたような気も致しますので、以下には『読ませていただいた-私としての-さんびさん内部思考(未記述部分)に対する解釈』を書かせていただきますが、この「私による-さんびさん解釈」上に、もし、さんびさんご自身のほうで何らかの不完全性をお感じになりましたら、なんなりと仰ってくださいませ。



【個人のコミュニティーというのはその設立者が個人であるだけに「その場でのレクリエーション行為自体」には問題無いのだが、その-「民間スペース」にて、個人主観の集合を客観に見立ててしまいがちな人間性質を利用しつつ、参加者に対し『この場は公共スペース(社会全体の利益ために存在するスペース)であるのだから、誰もが己の主観を客観化でき得るにスペースなのでもあり、且つ、この場こそが社会全体観であるところの客観である』かのように“ 故意的ないしは無自覚に”錯覚を起こさせてしまっている場となっている事が問題である】
*尚、投稿N0.6は、投稿N0.5の鍵括弧不備を修正した上投稿し直したものです。
*「文末あたり」に文章不備に伴う訂正必要箇所も発見致しましたので下記の如くに訂正します。

×誰もが己の主観を客観化でき得るにスペースなのでもあり
○誰もが己の主観を客観化でき得るはずのスペースなのでもあり

                                          *重ね重ね、失礼致しました。
>5
ティナさん
そんなカッコイイテキストで考えてませんでしたけど、、、、、ね。
フォローがあったかいなぁ

いや、正直申しますと5を読んでさらに思う事もありいよいよこのトピックでの話しに引き込まれてまいりました。
コミュニティーの皆さんの話も伺ってみたいですね。

続きは展開後に。
>9 さんびさん

>いや、正直申しますと5を読んでさらに思う事もありいよいよこのトピックでの話しに引き込まれてまいりました。

そうですか。
では、先の投稿内容の「どんなところ」に対し「さらにどのように思う事」が為され、当トピックへ引き込まれるに至ったのかを、差し支えなければ具体的にお話しいただけますでしょうか。

下記は先の内容再掲です。

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【個人のコミュニティーというのはその設立者が個人であるだけに「その場でのレクリエーション行為自体」には問題無いのだが、その-「民間スペース」にて、個人主観の集合を客観に見立ててしまいがちな人間性質を利用しつつ、参加者に対し『この場は公共スペース(社会全体の利益ために存在するスペース)であるのだから、誰もが己の主観を客観化でき得るスペースなのでもあり、且つ、この場こそが社会全体観であるところの客観である』かのように“ 故意的ないしは無自覚に”錯覚を起こさせてしまっている場となっている事が問題である】

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尚、ここで以って一応、『コミュニケーションの概説』としての事柄も挙げさせていただきます。

*[コミュニケーション(Communication)という語は、ラテン語のコムニカチオ(communicatio)に由来し、「分かち合うこと」を意味する]


概説
   

コミュニケーションの定義は多種多様であるが、広義には、記号などの何らかの因子の移動を伴う、ある分けられる事象間の相互作用の過程を意味している。

コミュニケーションを発信と応答という観点から見た場合、ある個体のアクションに応じて別の個体にリアクションが生じた場合、両者の間にコミュニケーションが成立していることになる。コミュニケーション行動の機能は、たんに情報の伝達にとどまらず、情動的な共感、さらには相手の行動の制御をも幅広く含んでいる。(『心理学』東京大学出版会)

コミュニケーションの成立は、そのための適切な発信行動が取られたというだけではなく、受け手が適切なシグナル・媒体に注意を向け情報を受信した上で、さらに的確な理解をしているかどうか、という点にもかかっている。記号の解釈にあたっては、相補的関係にあるコンテクスト(非言語的な文脈)とコード(言語的な約束)とが参照される。定められたコードを参照するだけでは、メッセージが解読できないとき(たとえば子供のコミュニケーション)、コンテクストが参照され、受信者による推定が加わる事になる。[『文化記号論への招待』有斐閣]

コミュニケーションによって、受け取られる、または伝えられる 情報の種類は、感情、意思、思考、知識など、様々である。受け取るまたは伝える ための媒体としては、言葉、表情、ジェスチャー、鳴き声、分泌物質(フェロモン等)などが用いられている。動物の媒体と人間の媒体を比較すると、人間の媒体には(身体の動作、表情、フェロモンなどの動物と共通の媒体に加えて)言語がある、という点が異なっている。[『動物行動学入門』岩波書店]

コミュニケーションは、その相互作用の結果として、ある種の等質性や共通性をもたらすことも少なくない。人間の場合は特に、他者に対して自分の心の状態を伝えることで働きかけるだけでなく、他者から受け取った情報により、相手の心の状態を読み取ったり共感したりすることも含まれる(他者理解)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3#cite_note-6



*因みに、上記に再掲させていただいた(私による)投稿内容は、「さんびさんのご主張を、私が推定させていただいた上で記した内容」でありますので、『概説においては、「3段落目の内容」を実践させていただきましたもの』でもあるわけです。
二日ほど待たせていただきましたが、(お忙しいのか)さんびさんからのコメントは未だいただけておりませんこともあり、先に進めたく思います。

さて、

「営利を目的としたネット・コミュニケーション利用」←という点におき、そう一言で申しましても、『? 直接・財産上・金銭上の利益を得るためのネット利用』という意味でのそれと、『?情報そのものに対し故意的に客観性を帯びさせることにより営利に繫げるためのネット使用』という意味でのそれがある。と、私は考えます。

?におけるネット・コミュニケーション利用というのが、【「コミュニティー上合法的な内に行為され得る-儲けを目的とした(所謂・営利が目的の)宣伝-としてのネット利用】-として位置付けられると思います。
尚、この利用の仕方上にはおおよそ「宣伝対象商品における販売価格としての金額」が付随されていますところからこれは明らかなる「営利目的」ではあるわけですが、コミュニティーないしはその中に有るトピ自体に「宣伝目的性が許可されている」のならば、この行為に対する不正性は無いとも謂えます。

当トピにての考察対象となるのは主に?の場合-つまりが-『コミュニティーないしはトピ自体に宣伝許可がされていないにも拘わらず情報そのものに対し故意的に客観性を帯びさせることによって受動者側の感化を営利に繫げるためのネット使用』のほうであり、何故ならば、この【使用の仕方】には【群集心理性(伝導ミームに感化され易い人間性質)を利用する-ということを介した「洗脳」ないしは「騙し」技法によるネットの使用性】が存すると考えらるからであります。(おそらくですが、さんびさんもこの「使用法」に対する違和感をネット・コミュニケーション上に見ていらっしゃるのではないかと私は推察するわけです。)

このネット・コミュニケーション上に(深層的な如く)存する現状を、

【「営利目的心理を隠匿した主体による-公共偽装的-ミーム」問題】
    
                   ↑として、ここに問題化してみたいと考えます。
個人が扇動して起こしているというよりもある程度の集団になると発現するとしたほうがしっくり来るのですが、どうでしょう?

群集自らが求めだすというようなニュアンスでしょうか?←集団を個で語る妙な一文ではあるのですが、集団の圧力(のようなもの)が個人にかかってそのように振舞うというケースのほうが見て取れますかね。

勿論個人が最初から狙っているケースも在るでしょうけど、私が感じるのは「当人はそのつもりもなくそのように振るまう」事でしょうか。
つまりが当人さえも錯誤の中に陥りながら錯誤を生み出そうとしているわけなのです。

従いまして、気付きも起こりえず難題になっているのかと思いますが、、、
誰か、他にも興味がありそうなものですけれどね、、いかがなんでしょう皆さん?
>さんびさん

>個人が扇動して起こしているというよりもある程度の集団になると発現するとしたほうがしっくり来るのですが、どうでしょう?

はい。そう思います。
また、その「発現」は、
『正誤云々問わずのところの-単に方向性だけを探そうとしつつ浮遊した群集心理-が、その着地点を得ようとするかのような状況』上に「発現」というさまとして起こり得る。とも思えます。

>群集自らが求めだすというようなニュアンスでしょうか?←集団を個で語る妙な一文ではあるのですが、集団の圧力(のようなもの)が個人にかかってそのように振舞うというケースのほうが見て取れますかね。

はい。それ(仰っていること)もわかります。

確かに-『そのように振舞う』ということを個人にさせてしまうような空気感の背景には「群集には何らかの(心理上の)求めがあるようだ」とも見て取れます。(←この「求め」とは、上記内容における「着地点を得ようとする」ということの理由にも繋がることでもあると考えます。)

尚、その-「群集における(心理上の)求め」←というのが、【個人単体においてでは、それ(その心理)が深層に位置するがために機微且つ微弱な動力しか示さないということから現象とはなりにくいがゆえに発現しにくいところ、その単体(個)の深層心理が「群集」という纏まりを形成することによって初めて「発現」として(さんびさんや私におき)認識が可能となる】のではないかとも考えます。

>勿論個人が最初から狙っているケースも在るでしょうけど、私が感じるのは「当人はそのつもりもなくそのように振るまう」事でしょうか。

はい、(おそらく)そうです。
表現としては、【無自覚な故意性】←というさまになるかと思います。

>つまりが当人さえも錯誤の中に陥りながら錯誤を生み出そうとしているわけなのです。

ええ、そう思います。
「そこ」 に難問性があります。
つまりが、この問題には『ねじれ方向への二重錯覚を段階的に紐解いてゆくことが要される』難問性があると思うわけです。

>従いまして、気付きも起こりえず難題になっているのかと思いますが、、、

(おそらく)さんびさんや私にとっては『既に気付いているからして、テーマに対する-難問さを謂えている』というわけですが、【まさに、気付きも起こりえず←である者たち】の場合においては、一体ぜんたい、何がどう難問なのだかも「?」なのではないかとも思う次第であります。

>誰か、他にも興味がありそうなものですけれどね、、いかがなんでしょう皆さん?

「他の方からのコメントが入らない」←というのも、【当トピテーマに対する興味の置きどころさえ不明である】ということの証なのかもしれませんが、もう少し待たせていただきたくもあります。
ティナさんトピ主としての感覚で構いませんが、閲覧数を教えてください。
足跡から分かりますでしょう。
このサイズのコミュニティーなら 20件/1日 ほどでしょうか?

実数で30/1日 位の閲覧でしょうか?
それで、レスが無いならもう当トピックの内容は外に持ち出してはいかがでしょうか?
↑持ち出してはと書きましたが、つまりがここに書く意味がもう無いのではないでしょうか?

2人しか書いていないならメッセージで事足りますし、待ち始めて一週間経ちます、もうレスは無いでしょう。
このコミュニティーが活用された時期は遠い彼方昔に終わったのかもしれません。
廃墟で叫んでも虚しいだけです。
> さんびさん

読者のすべてが足跡を付けるというはずもありませんし、足跡を付ける方のすべてがテーマに興味を抱いたとも限りませんのですから、観覧数(読者数)自体は不明です。
ただ、今までで一番多くの足跡が付いたコミュ(一日に110程の足跡)と単純に数字だけを比較すれば、このコミュに書き始めさせていただいてからの一日あたりの最多足跡数は著しく少ない。ということなら謂えそうです。

ところで、さんびさん仰るところの【意味ある外】←というのは具体的に何処のことでしょうか?
私としましては、当トピ内容が【深層】に位置する内容であるからして此処に書いています。

「コメントが入らないから」という理由で以て【具体的に何処のことだかも定かではない場】へと持ち出すことーそのご提案ーは、さんびさんの中での「どのような意図」からの発案ですか?
> ティナさん

なるほど、後から掘る人を考慮すればティナさんの言う事は最もと思います。
私は自己中な節があるようです。

意味ある外とは現実もそうですし、というか、現実がそうですか。

数字の件、ありがとう御座います。
絶対数が思いのほか少ないですね、それは意外でした。

私の意図は単純にこのコミュニティーに人がいるなら書いて欲しいというだけです。
>さんびさん

「存在性」は在っても、「存在感」は無い。←ということは、それこそどこのセカイにも往々にしてありがちなことです。

また、こういう場にて他者に対し「存在感が無い」ということを思うのは、「この場にて、まさに、自身の存在を存在足らしめている-ところの-投稿者本人」が思うことでもあります。

また、「このような(我々のような)さまを鑑賞する側」に在る人々にとっての「投稿者である我々」は、【とあるステージ上のキャスト】でしか無い。←ということから、
「鑑賞者さんたち」は、この-【キャスト集合】-に対しても、やれ「あの投稿者は存在感がある」だ「無いだ」とも思うものでもあります。

>私の意図は単純にこのコミュニティーに人がいるなら書いて欲しいというだけです。

いずれにせよ、「投稿内容(セリフないしは口述)」が思いつかない場合においては、「投稿すること(文字を打ち込むこと)自体」が不可能でしょう。

確かに「人がいる(ここに自分がいる)」ということを自らで以って示すには「書く」という行為がそれにあたるのかもしれませんが、その理論からすると、こういうところに「書く」←ということの目的が「自身の存在を示すため」ということにもなり兼ねませんので、そのような動機による「投稿行為」を、(この場、この流れにおいて)はたして「人」はやれるものなのでしょうか、ということ。

また、たとえ【「人がいる(ここに自分がいる)」ということを自らで以って示すため(ここに)何らかの投稿をした】としても、その際における投稿内容が当トピテーマにマッチした内容であることの可能性は「偶然の一致」に等しいくらいの可能性しか無いようにも思います。(なにせ、その場合の目的は「内容の示し」ではなく「自分という存在性の示し」であるわけですから。)

私(トピ主)としては、【当コミュの「質問トピ」がきっかけとなり、(当-問題が質問トピではトピずれとなりそうな問題であることを感じましたゆえ)別トピとしての移行がベターであるとの見解から(てっちゃん氏の勧めも考慮させていただき)当トピ立てを致しましたので、「さほど結論を急がずのテーマ」としてじっくりと行ってみたいとは思っております。
参りました。同意致します。気長にまちませう。
>てっちゃんさん。

>ただ、私が当該テーマで思いますのは、mixiの学問・研究コミュに、営利目的を持ち込む事よりも、正式な学問としてコミュを作り、そのコミュの題名や説明を定義し、大コミュニティになっているのに、権威者自身が、その定義に外れたコメントをし、その論理的間違いを指摘すると、不当な理由を付けて削除するという行為をした事実が致命的な問題だと認識しています。


はい。
では、その-「>大コミュニティになっているのに、権威者自身が、その定義に外れたコメントをし、その論理的間違いを指摘すると、不当な理由を付けて削除するという行為」-というのが、何故起こる(発される)とお思いになりますか?ということ。

私は、そこに、【その者にとって-他者から個人的な指摘(突っ込み)を受ける-ということは、そのカテゴリーを職業にしている者にとってのダメージともなり得る(隙がアカラサマになる)ことの懸念から、指摘内容ともども闇に葬る(削除する行為に出る)】←という心理背景を見るわけです。

「営利目的」というのには、何も「儲けようという目的を持つこと」が優先されるだけではなく、【「今現在における顧客(ないしは患者)からの-信用傾向-を危うくする対象内容を消したい」がために発される行為】も含まれると考えます。
たまに書かないと自分のホームからここのトピックが消えてしまうな。

色々なコミュニティーを見て、人間模様を見て、それから再びここを見ると又見方が変わって趣があるものだ。
最初読んだ時は、「この人、一体何言ってるんだろう。。??」←というような内容のことでも、現実を生きてゆくうち・体験してゆくうち・他者の著書等を読んでゆくうち・・に、時間差で以ってその概要というものがおぼろげながらでも掴めてくるという場合もありますので。。

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