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「私の宝物」コミュの懐古    〜呼吸停止

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2週間を医大ですごしたが、放射線治療を受けるために、県立病院への転院を勧められた。

医大の認可が間に合わず、放射線を使えるのが、近くでは、県立病院しかなかった。放射線技師は、医大から県立病院へ、来ていただいての施術となる予定だった。

転院するために、個人タクシーをつかう。医療用のベッドに横たわったままの転院だった。彼はもう、すでに、車椅子に座ることさえできなかった。

転院して、3日目。7月10日・・・・・
その日は、消防署のレスキュー競技の九州大会が行われていた。県予選を通過し、出場していた、上の息子を見るために文晃には学校を休ませて、佐賀市内まで来ていた。

暑い一日だった。

大会の見学を終えて、彼の病院に行った。
しばらく、病室にいたが、夕方になり、食事の介助をして、
そろそろ帰ろうね。と文晃に言っていたときだった。
「胸がくるしい。息ができない・・・・」
ナースコールするが、食事介助で、看護婦さんがナースセンターにいない。
探して、病室に戻ったときには、唇は紫色・・・
白目に反転した。

医師、看護師が20人ばかり、病室にはいりきれないくらい、集まる。。。(まるで、湧いて出たみたいに、あっという間に病室いっぱいになった。)

私は出口近くにいたので、病室の外へ押し出された。
文晃は、病室の奥のソファーから、動けない状態になっていた。

しばらくたって、病室から出てきた文晃は、顔面蒼白だった。
無理もない、人が死に逝く姿を見せ付けられたのと同様だったのだから・・・・

一命をとりとめた、主人はすぐに集中治療室へ移された。
人工呼吸器をとりつけられ、軽い麻酔をかけられた状態。
意識はない。



夜、医大から担当医と教授が来て、県立病院の担当医と共に、病状を説明してくれた。
肺のまわりの筋肉を動かしている神経が、腫瘍に圧迫されたために、肺が動かない・・といった説明だったと思う。

放射線治療を断念します。このまま、医大にもどり、終末医療を受けていただくことになります。・・・・・と。

ただ、死んでいくのを見守るだけの治療に切り替えるというのだ。
納得できなかった。

放射線治療を受ければ、もしかしたら腫瘍が後退するかもしれない。その一点に望みをかけるしかなかった。

必死で、3人の医師に頼んだ。見捨てないでもらいたい。
私は彼を生かしたいのだ・・と。

「そこまで、おっしゃるのなら、お引き受けしましょう」
県立病院の担当医がそう答えた。
「でも、これだけは、わかってください。綱渡り状態で、いつ亡くなられてもおかしくない、そういう状況なんです。放射線治療を再開するまでには、ご主人の健康状態を看ながらということになります。当初の予定通りの回数には耐えられないということも覚悟なさってください」


半分催眠状態の彼・・・・
麻酔が切れると、人工呼吸器が苦しい。
麻酔すると、私たちが来てることさえ、わからない。

医師の話によると、神経を圧迫することにより、激痛があるらしい。
「人によっては、腕を切り落としてくれ、と泣き叫ぶくらいの激痛なんです。」

確かに、意識がなくなる前、痛くてたまらないから、鎮痛剤をもらってくれ。とそう言っていた。
我慢強い人だった。

集中治療室に入れる時間はわずか数分。
その上、いつ逝ってしまうかもわからない状態・・・・
その日から、私は家に帰らず、病院の待合室に泊り込んだ。

夏休みになり、文晃も一緒に泊まると、言って、家族控え室で、毎日を一緒に過ごした。

家族控え室には、同じく、病状の重篤な患者さんの家族がいた。
常に、6〜7家族・・
ずっと同じ顔ぶれではなかった。
涙にぬれて、「お世話になりました。家に戻ります」
そういう家族もいれば、「上の病室に移れることになりました」という家族もいた。

死に逝く患者さんの家族控え室・・・・


生後9ヶ月で、浴槽に入り込み、見つけたときには、すでに遅く・・・
父親が言う「お前は、病院に連れてきたとき、命だけは、助けてください。とせんせいに、いったやろ?おぼえてるか?」
「命だけは助かった。これから先は、一緒に背負っていくんだから、いいな。弱音はくな!」
泣きながら頷いている母親・・・・

時々麻酔が切れて意識が戻る主人・・・
集中治療室の中で、『生まれてまだ1年もたたないのに・・・がんばってるよ』唇が動く。何を言っているのかほとんどわからない。


家族控え室で、家族以上のつながりがあった。

悲しみの連帯意識・・・みたいな。
ICUの中の様子をお互いに教えあう。
四六時中、中に入るわけにはいかない。中に入れる人数は、5人くらい。
防護服が、5人分しか用意されていない。入る時間も10分くらい。
入った時間にちょうどよく意識があるかどうかもわからない。
『今、目が開いていたよ。早く入んなさい。』そう言って呼びにきてくれたこともあった。

いつお迎えが来てもおかしくない患者の家族の待合室・・・

お互いがお互いに気遣い、なるべく明るい話題で一日を過ごそうとした。大丈夫、元気になるよ。互いに励ましあいながら・・・・

コメント(2)

もはやここからはぱあるさんの悲しみしか伝わってこない・・・
悲しみの連帯意識。。
こんな言葉。。初めて読みました

その場にたった人しか理解出来ないだろうけど
悲しみだけは伝わってくる言葉ですね。。。

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