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心と宇宙コミュのさまざまな宇宙論

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各民族はそれぞれの宇宙論をもっています。現在では「神話」と呼ばれているものもあり、我々がどこからきたのか。なぜ我々があるのかという根源的な疑問に答えようとしています。

中国の宇宙論は陰陽五行説となり、易経を生み、自分の独学した範囲では朱子学に結実したのではないかと結論づけています。

宇宙から人間社会まで壮大な体系のモデルをつくり、万物を説明しようと試みているように思います。

個人的に想うのは、中国の宇宙が陰と陽という二つの極を中心に世界を説明しているのに対し、西洋の自然科学は、量子力学を中心に世界を説明しようとしているのではないかということです。

説明不足ならすいません。が、皆様どうお考えでしょうか?

コメント(4)

こんばんは。東洋の思想をこよなく愛した西洋人にC.G.ユングがいます。

私はかなり彼の思想に影響を受け大学教育を受けたかったのですが、中途半端になってしまいました。
それでも自分なりに蓄積して考えた文章をここに載せます。物理に関しては目下勉強中で、あまり明るくないため、その辺の理論武装ができていませんが、草案ということでご一読下さい。


この世が心の産物である夢の一種なのだという考えは昔からある。
故事、「邯鄲一睡の夢」や平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。ひとへに風のまえの塵に同じ。」このような記述は挙げてみればきっときりがない。
 般若心経の有名な一説、「色即是空。空即是色」−この世の森羅万象、具体的な肉欲というのは人間に定義することのできないこの世の本質と密接に結びついている。あるいは同義である−という概念は、人間の法則定立的な言語世界を無に帰するような考え方であるといえよう。
 「涼宮ハルヒの憂鬱」で古泉が言っていた「人間原理」は、この世の物事に名前をつけた人間がいるから、宇宙があるのだ。宇宙の法則が、こんなにも人間の生存に適しているのは、もしそうでなければ人間が宇宙を観測できないからだという。生きとし生けるものにとって挑戦的な言い分だが、宇宙の根源が定義できない点では否定しきれない興味深い考え方である。この宇宙が誰か、あるいは何かの内界の産物であるとするなら、それは一神教圏の絶対者を想起させる。反面どんなものの心の中にも宇宙があると拡げ、多次元的にとらえれば、それは多神教パラレル宇宙である。
 何億年前の出来事、何光年先の天体といった指数・対数的スケールに現実感をもてない方は多いであろう。その最たるものが光速。質量を持つ存在が決して超えられない速さが存在しているのはどういうわけか。遠ければ遠い天体ほどどんどん速く遠ざかっていく現象はどう考えればいいのだろうか。天体どうしの距離が変化していて、その速さは決して人間に超えられないスケールであるというのは、相当痛い皮肉である。星間ワープやタイムリープは現実では起こらない。
 しかし、時間を超えるものがある。それは「情報」。ここで言う情報は質量を持った媒体に乗せるものではない。メールやインターネットの情報もここでは違う。ねずみ算的に情報は伝播するけれども、光の速度は超えられないからだ。それにインターネットが発達する前から我々にとって身近な位置に、かつ身近すぎて多くはないがしろにされてきた情報がある。
 そう、「夢」だ。人類には普遍的な夢が存在すると考えられている(人間以外は定かではないが、おそらく人間以上に普遍性があると筆者は考える)が、そのような夢は過去・現在と大きく変化してこなかった。未来においても人間が食べ、社会的な生活を営み、新たな生命をはぐくんでいく限り変化しないことであろう。つまり普遍的な夢の次元には時間のベクトルがないのである。また、夢は心が生み出す産物であるから、「心」が時間を超えると言い換えることもできる。こう考えるならば「心」は宇宙が(もちろん人間はおろか生命が)産まれる前から在ったのである! 時間や光速を超えるもの、それは宇宙そのものを司ると考えざるを得ない。
 ある日、という点で区切れるかどうかはわからないけれどもとにかく「心」は「コトバ」を持った。それが「光あれ」の瞬間である。「心」に光をともされる前、全ては一であった。光がともって以来、それはどんどん分かれていった。情報化が進むにつれ、生の人々のつながりが希薄になる現在の状況とオーバーラップする。
コトバを持った心、人間。
宇宙は心から産まれたのだとすれば、光とともに細分化された宇宙、すなわち人間が自分の内部、もとい自分自身を自在に動き回ることができないのは当然のことである。宇宙旅行や時間旅行というのは思えば「自分探しのたび」と限りなく同じことなのではないか。根本から考え方を変える必要がある。肉を持った人間がきっとそのままでは光を超えられないし、全く同値の理由で、「心」の深部に人格のまとまりを持ったままダイブすることは限りなく不可能に近いことであろう。

宇宙は我々の中にもそれぞれある。そして我々人類を含めたこの世の森羅万象を全て総じたもの、それが宇宙≒「心」なのである。


この文章、共時性と夢をテーマにしたコミュにも投稿させていただきました。なるべく多くの方に一度考えてみていただきたいなと思った視点なので。でもけっこう同じことを考えている方がいるみたいですね。うれしい反面ちょっとがっかり。
すべてが心
心がすべて

心はひとつ

ワンネスですね。

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