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「空海とイエスの出会い」コミュの第1章第8節 真言密教、中興の祖、覚鑁

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いよいよ、「空海の法灯、イエスの霊統は、いつ出会う?」の原稿の進み具合も、3合目あたりを迎えました。

ここ半年ばかりは、生まれた孫(真円ーまどか)の顔も、一週間、見ることもできない忙しさで、娘の直美に寂しい思いをさせるような生活をしてきました。冷や汗

いよいよ、本格的に書くことができる環境を神様は備えて下さいました。

覚鑁を、これから書いてまいります。皆様の投稿を心より期待しております。


まず、覚鑁と言えば興教行大師という称号を受けている存在。今日、隆盛を誇る智山派、豊山派を生んだ新義真言宗の開祖である。それ故、真言宗、中興の祖と称される。


これから私が地上に生まれた”使命”を全うしてまいります。

天龍さん、他の方々の協助を心よりお願い申しあげます。

それでは、よろしくお願い申しあげます。


コメント(12)

天龍芙紗子様、連絡ありがとうございます。やはり多くの方々の励ましがあって、本は完成することを痛感いたします。

史上初「空海の法灯、イエスの霊統は、いつ出会う?」の本を還暦になって30冊目に書けるという事は、如来なる神様の、大きな恵みだと思います。

この本は、ある意味では”如来なる神の歴史”ですね。

この本を地上で完成させて、もう一冊の本で、吉川英治賞を取り、74歳で霊界に旅立とうと思います。

それにしても、やはり十字架の人生を歩んだイエス様に思いが行きますね。

それでは、よろしくお願い申しあげます。
覚鑁は、空海密教の中興の祖とされています。浄土思想を密教に取り入れたという点ですが、皆様、この点をどう思われますか?

それでは、よろしく、お願いもうしあげます。
マリーさん、貴重な投稿ありがとうございます。お大師様が有名な分だけ、覚鑁や叡尊は陰に隠れていますが、私は覚鑁がいなければ、真言宗のこんにちは、あったのか、と考えるものです。
覚鑁には私心がなかったので”如来なる神様”が働いたのだと思います。

それでは、よろしく、お願いもうしあげます。
覚鑁は、ご存知のとおり、新義真言宗の開祖である。彼の功績は、念仏信仰を、密教の中に取り入れた事にある。それによって、高野聖が隆盛をみる事になる。

平安時代に流行の兆しを見せていた念仏思潮を、覚鑁は、どう、この教義を、密教に取り組むか死力を尽くして、ある結論にいたる。

それは西方極楽教主阿弥陀如来は大日如来という普門から発生した別徳の尊という捉え方をして、真言教学の中に取り組んだのである。

また秘法という点から言及するならば、空海が五蔵三摩地観を体得していたのに対し、覚鑁は三摩地現前を体得していたことである。

覚鑁密教の現代的解明なくしては、空海の法灯は、判別しないと感じる。
覚鑁師の空海密教における貢献をさらに研究したいと思います。覚鑁師が存在しなければ、真言宗(空海密教宗)は、どうなっていたのか?マルチン・ルターが、キリスト教(源流、エルサレム教団&パウロ教団)における覚鑁師と同じ霊統ポジションをもっていたと推察している。
資料です。

密厳院発露懺悔文ー作、真言宗興教大師覚鑁ー

我等懺悔す 無始よりこのかた妄想に纏(まと)はされて衆罪(しゅざい)を造る

身口意(しんくい)業 常に顛倒(てんどう)して 誤って無量不善の業(ごう)を犯す

珍財を慳悋(けんりん)して施を行ぜず 意(こころ)に任せて放逸にして戒を持せず

しばしば忿恚(ふんに)を起して忍辱(にんにく)ならず 多く懈怠(げだい)を生じて精進ならず

心意(しんに)散乱して坐禅せず 実相に違背して慧(え)を修せず

恒に是の如くの六度の行を退して 還(かえ)って流転三途(るてんさんず)の業を作る

名を比丘(びく)に仮(か)って伽藍(がらん)を穢(けが)し 形を沙門(しゃもん)に比して信施を受く

受くる所の戒品(かいぼん)な忘れて持せず 學すべき律義は廃して好むこと無し

諸佛の厭悪(えんあく)したまう所を慚(は)じず 菩薩の苦悩する所を畏れず

遊戯笑語(ゆうげしょうご)して 徒らに年を送り 諂誑詐欺(てんのうさぎ)して空しく日を過ぐ

善友(ぜんにゅう)に随がはずして癡人(ちにん)に親しみ 善根(ぜんごん)を勤めずして悪行を営む

利養を得んと欲して自徳を讃じ 名聞(みょうもん)を求めんと欲して他罪を誹(そし)る

勝徳(しょうとく)の者を見ては嫉妬を懐き 卑賤の人を見ては驕慢を生じ 

富饒(ぶしょう)の所を聞いては希望を起す 貧乏(ひんしゅ)の類を聞いては常に厭離(おんり)す

故(ことさら)に殺す有情(うじょう)の命(みょう) 顕は(あらわ)に取り密かに盗る他人の財

触れても触れずして 非凡行(ひぼんぎょう)を犯す 口四意(くしい)三互(さんたがい)に相続し

佛を観念する時は攀縁(はんねん)を発し(おこし) 経を読誦する時は文句を錯る(あやまる)

若し善根を作せ(なせ)ば有相(うそう)に住し 還って輪廻生死(りんねしょうじ)の因と成る

行住坐臥(ぎょうじゅうざが)知ると知らざると犯す所の是(かく)の如くの無量の罪 今三宝に對して皆発露(ほつろ)し奉る

慈悲哀愍(じひあいみん)して消除せしめ賜え 

皆悉(ことごと)く発露(ほつろ)し 尽(ことごと)く懺悔し奉る

乃至(ないし)法界の諸(もろもろ)の衆生 三業に作る所のかくの如くの罪 我皆 相代って尽く懺悔し奉る 更に亦 その報いを受けしめざれ

南無 慚愧懺悔(ざんぎざんげ) 無量 所犯罪(しょぼんざい)

                       (三返)


覚鑁師は、東大の故・玉城教授が「業熟体」という表現を使ってこの覚鑁師の事を書いてますね。
玉城教授は沢山の弟子を育てておられますね。
私は和歌山の人間で、高野山も根来寺も崇拝してます。かくばんは真言宗のルターみたいなものです。

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