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「空海とイエスの出会い」コミュの第5章第4節 マグダラのマリアは、初めのイエスの霊統相続者だった。

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聖書には、マリアという名前は3人出てくる。イエスの母、マリア、ベタニアのマリア、そして最後がマグダラのマリアである。このマグダラのマリアは不思議な存在感を持った女性である。高級娼婦であるとか、イエスの足に高い香油を塗った女性であるとか、様々な形容がなされるが、ただひとつ決定的なことがある。復活したイエス様が、最初に姿を現した存在が、マグダラのマリアであるということだ。これは動かし難い事実である。

それでは、後日、パウロに降臨したイエスが、なぜ、マグダラのマリアに姿を現したのであろうか。そして何を語ったのか?
(続く)

コメント(147)

マグダラのマリアに対するカソリック伝承が本当ならば、マグダラのマリアによってイエス様に悪いうわさが立ったり誤解されたりと言うことは考えられることではありまする。お金も美貌も持ったもと悪女、そんな女が・・と言う思いにはたぶんその場にいた弟子が私だとしたらなるかもしれないとおもいまする。逆に立派な家系の聖女でありましたら、さすが先生だと大いに誇るでありましょうし、正式な立場で結婚ですれば、それこそお似合いのカップルで文句がつけようがないとおもわれまする。

しかし、そうでないとするならば、ペテロはともかく、周辺の弟子は快く思わないし、それをスキャンダラスに言う方々が現れてもおかしくはない、そんなリスクの高い女性を許して弟子にしてしまったイエス様ではなかろうかとはおもいまするし、マグダラのマリアが悔い改めの隠遁生活をしたくなる気持ちはこのような状況であるなら当然と言えるとおもいまする。
男性優位に編纂されたということでありまするが、それをマグダラのマリアを例に挙げるのはどう見ても誤解と思われまする。むしろ、マグダラのマリアの後の信仰は賞賛されているからでありまする。ただし、聖書全体が男性を指導者的立場で描いていることは事実でございまするが、それは蔑視というよりも本能的役割がそうであるからであるとおもいまする。また、イエス様以外の人々は全て罪びととして描かれていることがわかりまする。
2000年前後にこのような形だけでの男女同権を強調し、ダ・ビィンチコードのようなフリーセックス的内容がそこにもりこまれておりまするのは、恐らくジェンダーフリー思想がはやったからでございまする。ジェンダーフリーは性別における分業を階級であるかのように捏造したものでありまする。現在は批判され、どちらかといいますると男女の性差を認めつつも調和する分業的社会観が理想と言う方向性に変わってきたのではなかろうかとおもいまする。もちろん、子育てを終えた女性などが働きやすい環境は必要であるとおもいまする。
 カトリックやプロテスタント等の既成教会の多くについて、私の考え方や理解している内容について、下記に簡単に述べたく存じます。

             記


 キリストの使徒たちの死後、大多数の人が真理の道からそれてしまいました。
 
 これは、一般に「背教」と呼ばれているのは、ご存知の事と思います。
 
 イエス・キリストは地上で生活しておられた時、ご自分の教会を設立されました。
 
 キリストが昇天された後、使徒たちが啓示を通して、主の神権の権能によって、主の指示の下で、み業を進めました。
 
 使徒たちと多くの正しい教会員が殺され、その他の教会員が教会から離れた後、主は神権の権能を地上から取り去られました。
 
 主の神権の権能がなくなり、教会は、もはやキリストが設立した当初のような機能を失ってしまいました。

 儀式は変えられてしまい、いくつかの単純な真理も失われました。

 多くの善良な人々と多少の真理は残りましたが、原初の教会はなくなってしまいました。


 使徒たちは人々が真理から離れる「背教」を預言しました。(2テサロニケ 2.1−3)

 原初の教会では、神の教えと科学は矛盾なく真理の内に一つでした。

 空想や人の考えの哲学は、入り込みませんでした。

 
 しかし、キリストが昇天された後、最初の1世紀の間に、使徒たちは殺され、諸々の教義は変更され、真理は失われてしまいました。

  
 教会を分裂させようと外から働いた力の内で、最も強力であったのは、ユダヤ教と異教の両面から教会員たちを襲った執拗な追害でした。
 
 これによって、教会員であると公言していた夥しい数の人々、および聖職者として役職についていた、多くの人々が教会を去りました。
 
 しかし、これよりも一層重大な原因は、教会の内部に生じた不和と対立、分裂でした。
 
 これによって神の道と言葉から背く、正しい教へに対しての、背教が起こりました。
 
 キリスト教徒を、最も早くから圧迫していたユダヤ教徒は、異教徒の追害に乗じて、数々の残虐行為を唆したり、加勢したりする様になりました。
 
 キリスト教徒に対して、ローマの政権が現わした公然たる敵意は、紀元64年頃から始まって、ネロの治世中に酷くなり、紀元305年頃のディオクレティアヌスの治世が終わるまで、時折、数ヶ月または数年間は休止する事はあっても、ずっと継続致しました。
 
 異教徒が支配していた、これらの数世紀中に、キリストを信じると公言した勇気のある者が、非人間的な残虐行為や野蛮な行為の被害者になった事は、一般に認められている歴史上の事実です。
 
 コンスタンティヌス大帝が、紀元4世紀の初め頃王位に就くと、キリスト教徒に対する国家の態度が、根本的に変わり始めました。
 
 皇帝は直ちに、当時キリスト教と称した宗教を、国教としたので、教会のために熱心に献身する事が、皇帝の寵愛を得る最も確実な道となりました。

 しかし、教会そのものは既に大いに背教した組織となり、救い主自身が基礎を置き、使徒たちの力によって築かれた、イエス・キリストの教会とは、およそ似ても似付かないものとなっていました。

 コンスタンティヌス大帝の勅令により、教会の組織が俗世の気に入る様に変えられるに及んで、純粋なキリスト教の精神は、それ迄に、たとえ残っていたとしても、それ以後はすっかり姿を消してしまいました。

 カトリック教会のローマ法王は、霊に関わる権能は勿論、俗世の権能をも行使して、11世紀には、あらゆる事物の父なる支配者という意味で、父を意味する「ポープ」という称号を自分勝手に付けました。
 
 12世紀から13世紀にかけて「ポープ」、すなわち教皇の持つ俗世の権威は、王や皇帝をもしのぎ、ローマ教会は、各国の国民の専制君主であり、また、あらゆる俗世の国々を支配する独裁者でした。

つづく

 
カトリック教会は、人間の霊の行く先について断言して、個々の罪を許す事もできるし、赦さないでとどめておく事もできる、またこの世においても、来世においても、罰を科したり免除したりする事ができる、と神を冒涜した極めて悪い主張を致しました。

 罪を犯す許可を金銭で売り渡し、すでに犯した罪と寛大な赦しの黄金憲章との交換取引を行い、さらに神の代理であると声明するローマ教皇は、神自身として堂々と裁判まで行いました。

 さらに、正当な権利もなく、救いに欠く事のできない、数々の儀式を変えてしまいました。

 また偶像崇拝を、非常に人を惹きつける様な有害な形で奨励し、一般の人々が聖書を研究すると罰を科し、教会の聖職者たちには、生涯独身と言う、不自然な生活を送る様に命じております。

 他にも、人間の作った説や詭弁と、汚れた結合をする事を大いに喜び、迷信や異教と相並ぶ信条を生じるほど、キリストの福音にある、簡単明瞭な教義をゆがめてしまいました。

 カトリック教会が政府から奪い取って、不正に行使した支配が暴君的抑圧であったので、世界の文明は何世紀にも渡って進行の速度が鈍り、その途中で実際上歩みを止めました。

 この文明後退期を、歴史上「暗黒時代」と呼ばれている事は有名ですので、ご存知の事と思います。

 中世カトリック教会は、信仰の名によって科学を迫害し、大背教時代に至りました。
 
 それは、聖書の教えに従っていたからではなく、聖書の神の教えから離れたからです。

 私は、組織としての、カトリックもプロステタントも、その他の宗派も、神の教会とは考えておりません。

 人の教えが混じっている、神のではない、人の教会だからです。

 事実、教会は原始教会の信仰をなくし、堕落し、修道院に同性愛をはびこらせ、救いを金で買わせる免罪符を発行する等の、ひどい背教の底に沈んでしまっておりました。

 聖書の戒めや救いの約束などは、民衆には知らせない様にして、民衆を無知な状態にしたのです。

 教義的にも、本来のユダヤの聖書の継承ではなくて、異教であった古代ギリシアの哲学などを混ぜて信じさせておりました。

 
 そして、魔女狩りです。

 魔女狩りは、国やカトリック教会の虐殺強盗行為でした。
 
 それは15世紀頃から始まり、17世紀まで行なわれていました。
 
 裁判とは名ばかりで、無実の者を必ず有罪にするそれは刑を執行するための単なる手続きにすぎなかったのです。

 全員無実だったのです!

 魔女などいないからです!!

 「魔女狩り」によって粛清された人々は200万人とも300万人とも言われております!

 当時の世界の人口が、1億人足らずだったと言う事を考えると、その狂気さ加減が窺えます。

 魔女として摘発を受けたのは、ほとんどの場合、年老いた女性ですが、中には男性が含まれる場合もありました。

 また、魔女狩りが徹底して行われていた時代では、あらゆる事柄がその告発の理由となりました。
 
 大雨や地震も魔女が妖術を使ったせいだとされ、母親の母乳が出なくなった、家族の誰かが病気になった、怪我をした、これらの事も近所に魔女がいるに違いないとされたのです。
 
 また、気に入らない人間がいれば、何らかの理由をつけては「あれは魔女だ」と密告されました。
 
 例えば、台所の窓から料理を作っている煙がもれていると「魔女が毒薬を作っている。」という事になり、猫を飼っていると「動物を僕(しもべ)として黒魔術を行っている。」と噂され、密告を恐れて人のいない山奥へ引っ越すと「毎晩悪魔を呼んで邪悪な儀式を行うために、人のいない所へ引っ越したのだ。」と言われたのです。

 このような通報があれば、すぐに逮捕され、牢に入れられました。
 
 現代のように弁護士がついたり、本人の発言を聞いたりなどということは有り得ず、疑われた時点で逮捕・処刑となったのです。

つづく

大々的に行われた魔女狩りですが、これが全ヨーロッパにまで拡大したのは、そこにマニュアル本が存在していたと言う理由が大きいのです。 
 
 具体的な拷問の方法としては、魔女として逮捕された者は、まず身体検査を受けます。
 
 そして身体のどこかにアザがあれば、そこを針でつついて血が出るかどうかを調べられます。
 
 血が出なければ、このアザが悪魔の紋章、すなわち魔女の証拠ということになり、裁判でも100%有罪の判決が降りて処刑されます。
 
 また証拠がない者については徹底した拷問が行われ、自分が魔女だと自白するまで痛めつけられました。
 
 拷問の最初は、まず裸にして全身の毛を剃(そ)り、縄で身体を縛った上でムチで叩きのめします。
 
 そしてペンチで指を絞めあげ、身体に熱く焼けた焼きゴテを押しつけます。

 この時点で魔女だと認めなければ、更に次の段階に移ります。
 
 身体をハシゴに縛りつけて手足を四方に引っ張り、手足の間接を全てはずします。
 
 裸のまま何時間も天井から吊るしたり、手足の指を切断します。
 
 あるいは真っ赤に焼けた鉄製の靴を素足にはかせます。
 
 熱く焼けたペンチで身体中の皮膚をはがしたりもしました。
 
 また、鋭いクギが突き出た鞍場(あんば)にまたがらせたり、同じくクギが突き出た鉄仮面をかぶらせたりといった拷問方法もありました。

 これらの苦しみから逃れるには「自分は魔女です」と自白するしかなかったのです。

 そして、いったん認めてしまうと100%死刑にされました。

 死刑の方法で一番多かったのは、火あぶりの刑でしたが、見せしめのために、多くの人の目の前で行われのるが一般的でした。

 また、八つ裂きにされたり、全裸のまま手足を縛られて川に投げ捨てられたり、飢えた犬に襲わせると言う処刑の方法もありました。

 また、自分の肉親を魔女として訴えた子供には、教皇が異端者扱いにしないという恩典を与えました。
 
 このため、特に母親が子供から訴えられるケースが激増しました。
 
 カトリック教会によって、子供が、親を殺すように仕組まれていたのです。

 なぜ、こんな狂気を行い続けたのでしょうか。

 答えは簡単です。


 魔女として逮捕された者は処刑されれば、その家族の全財産はカトリック教会に没収され、儲けていたからです!!!

 魔女の裁判、拷問の役人の給料もそこから支払われていたため、魔女を作り出せは、カトリック教会と役人が儲かる仕組みになっていたのです。

 11世紀頃から、カトリック教会の間違いを批判する勢力が出てきたため、歴代の教皇たちは、自分たちの地位に危機感を覚えて、ヒステリックに無実の人々を大量虐殺を開始した訳です。

 カトリック教会の間違った教えに従わない異端者を恐れ、殺しました。
 
 異端者を殺す事は、神の望みである、と言う狂気が横行したのです。

 15世紀になるに及んで、ルネッサンス、すなわち文芸復興と呼ばれる運動が起こりました。
 
 そして人類全般に及ぶ意味深い急速な覚醒が起こり、怠惰と無知という昏睡を振り払う断固とした努力が、文明世界の隅々にまで及びました。

 それが、プロテスタントですが、未だ人間の教会です。

 近未来において、偽預言者が、世界支配者の反キリストと手を組み、世界中の宗教を新しい宗教の名のもとに、この世を一つにすると言われております。

 
  そして、その悪魔の教会の支配を拒否すると、買い物も仕事もなくなり、迫害されると言われております。

 その時は、この世を支配する「悪魔の教会」と、本当に神を信ずる「神の教会」だけになるのだと、私は考えております。

 それらの人々(聖徒)によって、回復された神の教会は、人が勝手に作った教会ではないので、必ずや神の守りがあるものと信じております。

 その為に私は、真の神の教会を探しているのです。

 
P.S.
 
 背教の時代にあって、カトリック教会が成立する訳ですが、数ある福音書の中から都合の良いものが選択されて、正式な経典に指定されて行く訳です。

 その他のものは、外典とか、偽典とされてしまいました。

 採用された福音書の中にも、削除されたり、新たに付け加えられたりした箇所なども、少なくはなかったらしい事が、既に研究者によって指摘されております。

 その為でしょうか、神学校に入ると、中には無神論者になってしまう者さえ居るのだと聞きました。

 現在の日本カトリック教団の実態を見ると、その辺が、よく解かるのではないでしょうか?

 しかし、元々は神の啓示によって書かれたものが多いでしょうから、カトリックの教えは、全てが間違えている訳ではないのです。

 それ故、カトリックの腐敗を正す為に、聖フランチェスコの様な修道僧が、時々現れて来た訳です。

 また本来ならば、偶像崇拝を禁じられているにも拘わらず、十字架上にイエスの磔刑時の肖像を掲げたり、聖母マリア像や、多くの聖人像を教会堂などに建てたのです。

 ローマにある、コンスタンティヌスの凱旋門に彫られている、神を讃える彫刻も、本当はキリスト教の神ではありません。

 神様から直接啓示を得た預言者によって導かれた教会でなければ、神の教会とは言えないと、私は考えております。

 その様な本物の教会を、私は探しているのです。

 
基本的に、カトリックを否定しましても、アグダラのマリアとイエス結婚説が正しいことにはならないことを指摘してきまする。

ピリポ福音書には唇というのは実は書いておらず、断片なので明確な接吻の箇所はわからないという指摘のある書物もございました。それから、魔女狩りは一説によると世の不安があるときに、そのような書物が出回ってそれがきっかけとなったと言う話もございます。

むしろ、プロテスタントが多く行なったという説もございます。(聖母マリア崇拝のあるカトリックでは女性が重んじられていた)しかし、行なわれたのは事実でありまするが、お金が絡んだと言う話は一説にすぎませぬ。ですが、このようなことをいちいち論じ合うのは筋違いの問題でありまする。

正当福音書が一番古い文書で、グノーシス派の文書は2世紀以降のもの、これで、この議論は十分でございまする。
この問題につきあいますると長くなりまするが、霊的生命に関わる問題とおもいまするとつい答えたくなるものでありまする。ただし、断片的に答えても信用されないとおもいまするので、書籍を紹介いたしたいとおもいまする。

>カトリックも、プロテスタントも、人の創った教会で、神の教会ではないからです。

これについては、私は人間に役割を与えながらも神様が御言葉を残すために作ったと考えておりまする。なぜなら、イエス復活がキリスト教会の創始のきっかけになったからでありまする。

一応、ダ・ビィンチコード関連には様々な検証本が出ており、それに関する伝説および、ダ・ビィンチの絵画の問題が扱われておりまする。ただ、カトリック・プロテスタントとも再臨のための教会であり、最終的救いを与えるものではないと思っておりまする。

書籍についてあげますると、はじめは、好意的に書かれ、どちらかと言うとノンフィクション性を強調しまして権威付けようとした「ダ・ビィンチコードデコーデッド 集英社」がDVDまで出され、真実味を持たせましたが、「反 ダ・ビィンチコード嘘にまみれたベストセラー 早川書房」で神学的問題、カトリック関係の歴史などが反証されたのでございまする。ここでは、魔女狩り裁判の正式犠牲者数ものべられておりまする。カトリック本部はむしろ抑えるように働きかけていたことなどものべていまする。「ダ・ビィンチコード の真相 85のQ&A ドン・ボスコ社」ではキリスト教関連の各問題に対して回答を与えていまする。「ダ・ビィンチコード 最終解読 文芸社」では日本人の興味を持つ事実関係に絞った批判がなされておりまする。「シオン修道会」の実体、「レンヌ=ル=シャトーの聖杯伝説」の実態についてmikey様が興味があるところが書かれておりまする。核心的問題部分を徹底的に真実を追究しておりまする。

その他「ダ・ビィンチコード その真実性を問う いのちのことば社」「「ダ・ビィンチコード」はなぜ問題か? グラフ社」などがございまする。これらの反証本は、2冊くらいは読んでいただきたいと思うものでございまする。

反論のページも載せまする。
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/b19dc2128e644a3446f0dc164642d1ff

私が、ダ・ヴィンチ・コードの反証本を参考にしましたのは、キリスト教の本質的問題をダ・ヴィンチ・コードはフィクションを通じて突いているからでございまする。人間は結婚しなければ子孫を残せませぬし、家庭も築くことが出来ませぬ。結婚は人の幸せの原点でございまする。

イエス様が結婚する可能性はありまするか?そもそもユダヤ教ではどうだったのでありまするか?という内容はクリスチャンとして考えさせられる内容でございまする。それに対してカトリックの神父や神学者は、どう答えまするか?ということに非常に興味がございました。

イエス様の結婚に対しては「ダ・ビィンチコード その真実性を問う いのちのことば社」では、「結婚は罪を犯すことにはならないので、例え結婚したとしても何の問題もない。」P.45と記載されておりまする。しかし、もし結婚し、その子孫を残したならば、「宇宙規模といえるほどの大きな問題が発生していた」と言えると主張しまする。確かに、宇宙はロゴスキリストから創られたという世界観でヨハネ福音書は始まりまするから、宇宙規模の問題なのでございまする。また、イスラム教における人間の本来の位置は「地上での神の代身」で天使さえひれ伏して敬礼しなければならないような存在でありまする。キリスト教においてはそれは「神の子供」であるとはっきり主張しまする。 イエス様だけがそのような存在なのでございましょうか?人間とはちっぽけに誰もがそのようになる器なのでございましょうか?密教の即身成仏と言うことはこれを深く考えさせられまする。

また、パウロは「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか」(ヘブライ人への手紙 1・14)と主張がありまするように、イエス様とその子供は天使以上の存在であるはずでありまする。イエスの子孫の問題は「その子が神性をあずかったかどうか、はたまた、まごやその子孫はどうか、学者たちが数世紀にもわたって議論したことだろう。神学会は大混乱するに違いない。」同P.45というそれだけ大きな事件なのでございまする。

私は神の国が新天新地が到来するというのもこれと同様の真剣な議論の対象問題と考えまする。

また、空海は即身成仏したといわれまするが、その子孫の話は聞きませぬ。悟りと結婚、子孫とは家族とは無縁なのでございまするか?密教とキリスト教の対話はこの問題を深く考えさせられまする。このようなイエス様の結婚それにふさわしい女性はいたのでありまするか?という問題は非常に大きな問題と感じさせられまする。結婚はカトリックにおきましても、神の計画であり、7つの秘蹟の一つとされておりまするが、同時に独身も使命としてあるとされておりまする。
「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」(マタイ 19・12)これは、殉教覚悟で若くして宣教にいく場合はこのような使命になると言う意味であるとおもいまするが、たしかに、本来的に見れば不自然なものであり、神の国が到来していないからであると私は理解しておりまする。

ちなみに、スウェーデンボルグは結婚しなければ天界に行けないと著書を残したにもかかわらず、結婚しなかったのでございまする。このような矛盾がどうしておこってきたのでありまするか?これは考えさえられる問題でございまする。
空海は、大日経で大日如来が子宮から子供を育てるように悟りを育てるというイメージを致しまして、そのイメージでそのまま金剛頂経の即身成仏を理解し、各仏は、悟りの成長の段階でありまして、成長の段階でそれぞれの仏を通じて、最終的に大日如来の悟りに至るとの理解と思われまする。これは、金剛頂経だけを独立して考えて、どれも大日如来の化身だからどの仏を信じても即身成仏をできると言う解説もございまするがその発想とは違うものでございまして、大乗仏教に近いと言えばそうなのでございまするが、より現実的な見方と言えるとおもいまる。

言わば、曼荼羅と言うのは偶像であるようで、それ自体を拝ませるのが目的ではありませぬ。それを通じて無形なる大日如来の統治を理解させるのが目的でありまする。偶像に見える曼荼羅を真言のような言葉と同様に扱ったのでございまする。このような理解があるならば偶像は偶像でなくなるのでありまするが、それそのものを拝めばまさしく神様が忌み嫌うものとなると思いまする。
偶像も宗教心の芽生えと空海はとらえ、大日如来につながればよいというふうに、曼荼羅というのはある意味、無宗教者や偶像崇拝者に許しを与え、このあり方をしっかり確立したものでありまするが、専門家である僧侶がコントロールできなければ、堕落する可能性はある思想と感じまする。
昨日、歴史のミステリーと言う雑誌が創刊されたのですが、マグダラのマリアについて、簡素ですが、面白く、説得力のある解説が載っておりました。

創刊特別定価¥150円と安価ですので、一度ご覧になられると良いのではないでしょうか?
mikeyさん、投稿ありがとうございます。やはり、マグダラのマリアは人気があるのですね。
>137

 ¥190円でした。訂正して、お詫び致します。
mikeyさん、ごていねいにありがとうございました。感謝です。
これからも、よろしくお願い申しあげます。
歴史のミステリーの該当箇所は読ませていただいた次第でございまする。

基本的にはダビンチコードの内容を肯定的に検証した内容でございまするね。

フィリピ(ピリポ)福音書につきましては判別不能な箇所をややその内容から学者が補って訳しているような箇所もあるようでございまして、そして、唇と言う箇所もそのうちの一つだとされております。ただ、日本語に翻訳されているものでそのような訳をしているものも存在はしておりまするがこのようなことを踏まえ検証が必要でございまする。

「そして、(欠落)の連れのマグダラのマリア(欠落)を弟子の誰よりも愛した、そして彼女の(欠落)に(欠落)接吻するのが慣わしであった」という具合でございまする。また、グノーシス派の接吻は、信者の親睦の印以上のものではございませぬ。

また、同伴者や連れと訳されているギリシャ語のコイノノスには妻と言う意味はなく、同僚、仲間と言う意味合いしかないとのことでございまする。ギリシャ語にはギネという妻を表す言葉が別にございまする。また、福音書の歴史的な順序についても触れていないのも気になりまする。このようなことを検証せずに、異説に肯定的な学者の言葉をそのまま書いているのは雑誌としてあまり高いレベルのものでないと感じた次第でございまする。

しかし、フィリピによる福音書はマグダラのマリアがイエスの思想の同調者として、重要な位置に存在する可能性を示しておりまするのでそれは考慮に入れておきたいと思うものでございまする
マグダラのマリアと娼婦を結びつけたのは、教皇グレゴリウス1世と言われておりまする。

マグダラのマリアが紹介されるルカ8章のすぐ前のルカ7章に罪深い女性が出てくることや、故郷マグダラは、放縦と不道徳の町であったことなどもその理由ではなかろうかと思われておりまする。

この考え方は広く西ヨーロッパに広がったようでありまする。しかし、聖書におきましては「七つの悪霊を追い出してもらった」(ルカ8/2)女性という以上のことは直接的には読み取れませぬ。

それゆえ、カトリック教会では「二人の結びつきを断定しない」という見解を1969年に正式に取り決めたようでございまする。これには、ナグ・ハマディ文書の発見でさらにマグダラのマリアの信仰的地位を高めようという意識がカトリック内で高まった可能性はありまする。内容的には教父文書などですでに知られていたものであったらしく、それを改めて確認したという形のようでありまする。

また、マグダラのマリアはヨハネ福音書におきましては復活のときに現れたイエスに対して「ラボ二」という先生という意味のことを言ったとされておりまする。このことからもマグダラのマリアがイエス様を夫として見ていたのではなくして先生、あるいは救い主として見ていたのではなかろうかと推測されまする。

そのほか、愛する弟子をヨハネでなくマグダラのマリアと見たならばという内容が歴史のミステリーには書かれておりまするがヨハネと見た場合の伝統的見解の説得力を正当に評価していないのも気になった次第でございまする。

私は血脈におきましては可能性の低いイエスの子孫よりも、むしろ、マリアとヨセフの子供や12弟子の子供などの血脈を通じて神様が摂理されたであろう内容のほうが気になっておりまする。
マリーさん、投稿ありがとうございます。何故、復活したイエス様が姿を現したか、そして、また、あのパウロに降臨したのか、イエス様は「信じる」という一点において姿を現したのではないかと思います。
実は、中公新書の「マグダラのマリア」を読んでいて気が付いたのですが、オリゲネスは「雅歌講話」の中で、マグダラのマリアを貶めるどころか、聖なる婦人だと称えているのです。

この雅歌は、ソロモン王が作ったとされる「婚礼の祝い歌」を集めたものです。

その中に、日に焼けた「黒い花嫁」がヒロインとして出て来る歌があります。(雅歌1章)

オリゲネスによれば、ヒロインから歌いかけられる王とはイエスの事であり、ヒロインの黒い花嫁はベタニアのマリアだと言うのです。


教皇グレゴリウス1世は、カトリックを磐石なものに確立した事で有名ですが、典礼や聖歌などの完成者としての功績も、揺ぎ無いものがあります。

その彼が、オリゲネスが推測した様に「雅歌のヒロイン」である黒い花嫁は、マグダラのマリアと同一人物だと言っているのですから、マグダラのマリアがイエスの妻だと公定された事になると思うのですが、如何でしょうか?


実際にカトリックが定める典礼では、黒い花嫁をマグダラのマリアと見なし、王をイエスと見なして歌われているのですから、イエスとマグダラのマリアは夫婦として歌われている事になってしまいます。

カトリックは、この矛盾に気が付いてないのでしょうか?

また、フランス南部の黒マリア信仰が、マグダラのマリアである事の根源が、この黒い花嫁から来ているのではないか?と、感じた次第です。





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